第1章 夜逃げ
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さて、村人達をカモにする計画はおじゃんとなったわけだが、だからといってカイルに自殺願望があるわけではなかった。
報酬は諦めるにしても、だからといって馬鹿正直に山賊と戦うつもりはないのである。
聞けば山賊の数は20人ほど。
偽白銀のエシルことカイルは、武術の達人ではない。
人を斬り殺したこともなければ、山賊退治などもしたことはない。
さすらいの身ゆえ、山賊どもと大立ち回りをしたことは何度もあるが、その経験から、山賊が侮れないということもよく知っていた。
奴らの多くは、食い扶持に溢れた農民の次男坊三男坊で、剣の訓練こそされていないが、実戦馴れした猛者の集まりなのだ。
そんな連中を一人で退治しろ、と言われても土台無理なのである。
カイルは、ある意味臆することなく、淡々と荷造りを終えると、闇夜に乗じて村長の家から逃げ出した。
一応、村長の家には貴重品があったが、カイルは詐欺師であって、こそ泥ではないので、そんな小銭には目もくれずに逃亡する。
途中、やっぱり食い物ぐらいはかっぱらってくるべきだったか、そんな気持ちにもなったが、村はずれまできた今となっては手遅れだった。
カイルは村はずれまでやってくると、そこで溜息を漏らしながら、モニカ村を見返す。
「儲け損ねたけど、悪い村ではなかった、かな……」
熱烈に歓迎してくれた村人達の顔が不意に浮かぶ。
カイルは慌ててそれらを振り払うと、村に背を向ける。
詐欺師に一番要らない感情は同情。カイルの師匠はことあるごとにそう言い聞かせてくれた。その言葉の意味がようやく理解できたのかもしれない。
そう言った意味では、今回の件はいい教訓になったのだろう。
そう自分を納得させると星明かりを頼りに歩みを進めた。
――だが、すぐにそれを止める。
忘れ物に気が付いたからだ。
「そういえば、あの小生意気な銀髪を村に忘れてきちまったな」
このまま行けば朝、白銀のエシルがいなくなった村人達が騒ぎ出し、エリーに事情を聞くかもしれない。
いや、確実に聞くだろう。
置いて行かれたと憤慨したエリーは、洗いざらい事情をしゃべるかもしれない。
いや、確実にしゃべるだろう。
「ふむ、そうなると、今後、白銀のエシルを騙る詐欺が難しくなるかな」
エシルの印綬は手元にあるのだから、詐欺は継続できるだろうが。
悩みどころである。
だが、詐欺がやりにくくなることと、あの小生意気な娘が付きまとってくることを天秤にかけると、答えは自ずと決まってくる。
「――さて、戻るのも面倒だし、このままトンズラするか」
しかし、カイルの計算をあざ笑うかのように、件の少女は話しかけてきた。
「忘れ物だぞ、《白銀のエシル様》」
「………………」
振り返るまでもなく、そこにいるのはエリーだった。
声で分かるということもあるが、このように置き去りにするたびに、こうして現れるのである。いい加減、展開が読める。
カイルはこなれた動作で振り向くと、
「いやあ、悪い悪い、置いてけぼりにしようとしたわけじゃないんだぜ、今度こそ本当に忘れてただけだ」
「ほう、つまり今まではわざと私を撒こうとしていたと認めるのだな」
「うむ、実はそうだ。気が付いてなかっただろ」
「いや、知ってたよ。まあ、その表情だと、今回は本当に忘れていたようだな。だから不問にしてやろう」
エリーは偉そうにそう言うと、自分の荷物をカイルに投げて寄越した。
忘れた罰だ、ということだろうか。カイルは渋々従うと、荷物を持ち上げる。
「しかし意外だな。こんなにあっさり逃げ出すとは思わなかった」
「俺は案外軍師に向いているんだよ」
「どういうことだ?」
「勝てないと分かってる戦はしないんだろ、軍師って奴は」
「なるほど。たしかに軍師らしい。つまり、お前は、たかだが20人程度の山賊に勝てない、と踏んだのか」
「たかだか20人って、おい……、これだからガキは。お伽噺や軍記物の読み過ぎだ。現実世界だと、たった二人の敵を相手にするのも面倒なんだよ」
「どういうことだ?」
「俺は散々多人数の敵と戦ってきたから分かるんだよ。実力が同程度なら、2倍の数を揃えられただけでもうどうにもならない。いや、ま、2倍ならなんとかなるか。ええと、3倍の数ならどうしようもならないんだよ」
「どこかで聞いたことがあるな」
「昔の高名な軍師の格言にもあるらしいな。師匠が言ってた」
「ローウィンの法則……、だっただろうか」
「ああ、そんな名前だった。2倍までならなんとかなるから、多人数と戦うときはなるべく分断しろ、ってことらしい」
「なら、分断すればいいじゃないか」
「たった一人で、20人をどうやって分断しろって言うんだ」
「村には男がいる。若者だけでも40人、壮年のものも含めれば6~70人は集められるのではないか?」
「アホ、鍬しか握ったことのないような奴らが役に立つか」
「しかし、救ってやらなければ、この村人達は更に困窮するぞ?」
「だから無理だって言ってるだろ。そもそも、なんで俺が村人のために命を懸けねばならないんだ」
「いい人達ではないか、モニカ村の人々は」
「………………」
「それは認めるのだな、このへそ曲がりめ」
「五月蠅い。良い奴らだろうが、悪い奴らだろうが、俺にはどうしようもないんだよ。つうか、下手に山賊を刺激するより、このまま立ち去った方がマシだろう」
「つまり?」
「このまま山賊に金や食い物を与えていれば、危険な目には遭わないんだ。偽エシルの俺に金を払って村人に犠牲を出すか、このまま忍んで山賊達に金を払うかの違いだ」
「山賊達に出す貢ぎ物のせいで、村が困窮している。商人も寄りつかず、医者さえきてくれない。そのおかげで昨年、三人の乳飲み子が死んだそうだ」
「戦えばもっと死ぬぞ」
「先週は、村の娘を何人か差し出せと言ってきたそうな。中にはこの先月に結婚したばかりの若妻もいるそうだ」
「……死ぬよりはいいだろ」
「そうかもしれないな。このまま徐々に村を乗っ取られ、悶え苦しみながら生きていく方がいいかもしれない。僅かな希望を与えてやるよりも、いっそこのまま立ち去り、この世界にはなんの希望もないと教えた方が彼らのためなのかもしれない」
「……分かってるじゃないか、ならこれ以上しゃべるな。いくぞ、夜明け前までには宿場に行きたい」
エリーは、「確かにお前の言う通りだ。尊厳ある死よりも恥辱にまみれた生を選ぶべきなのだろう。人間という奴は」そう言うと、「だが」と一言だけ付け加える。
「ひとつだけ、気に入らないことがあるのだが、足下にある石を思いっきり投げてもいいかね?」
「いいわけあるか――」
いくら村人を見放すのが気に入らないからといってもそれはないだろう。大怪我をするぞ、そう言ってやろうとしたが、エリーはカイルの言葉を最後まで聞くことなく、足下にある石を投げつけた。
その石は、カイルの耳元を通過し、カイルの遙か後方にある茂みの中へと飛び込む。
すると、そこから思わぬ声が聞こえる。
「ぐわぁッ!?」
まるでヒキガエルを潰したときのような音がそこから鳴り響くと、
「気が付いてやがったのか!」
そんな捨て台詞を残して男が一人、逃げ出していく。
その身なり、この状況下において、男を山賊の斥候以外に判断することはできない。
「今の会話、聞かれたかな」
「いや、この風だ。それにあの男の大声があんなに小さかったということは、聞こえなかっただろうな。ただ、逆にそれはモニカ村の人達にとっては不幸かもしれない……」
エリーはその先の言葉は告げなかったが、そんなことはカイルも百も承知していた。
つまり、あの山賊は、モニカ村に白銀のエシルがやってきた、と思い込んでるのである。
それは、粗暴な山賊達にとって、許されざる行為のはずだ。
自分たちを駆逐すべく、あの無力な村人達が用心棒を雇ったのだ。
明日以降、現れた山賊に、「エシルは逃げ出した」と弁明しても、許してくれるかどうか。
いや、許すはずがない。
絶対的な権力を握った連中というのは、自分たちの下位にある者の反抗を決して許さない。心情的にもであるが、彼らの本能がそれを許さないのだ。
「……ッたく、面倒くせえ」
カイルは心の底からそう漏らすと、エリーから預かった荷物をエリーに投げ返し、村へと踵を返した。