第5章 軍師にとって、至上の喜びとはなんだか分かるか?
††(エリー視点)
月日を遡ること1週間ほど前、カイル達が砦を出立した晩――
砦に残ったエリーは、自室で花占いをしていた。
ベッドサイドに置かれた花瓶から花を引き抜くと、その花びらを1枚ずつ剥いでいく。
「……砦に、残る、残らない、残る」
エリーは白銀のエシルその人だが、フィリス達にはカイルの弟子ということにしてある。本来ならば、その主が死んでしまえば、砦を辞すのが普通であるが、エリーは迷っていた。
エリーの旅の目的は、弟である漆黒のセイラムに対抗できる軍師の捜索にあるが、この砦で思わぬ拾いものをしてしまったからだ。
「あのお姫様は人の上に立つ器がある。どんな優秀な軍師でもそれを使いこなす器量を持った主がいなければ意味はないからな」
つまり、フィリスは白銀のエシルのお眼鏡にかなった訳である。
漆黒のセイラムに龍星王がいるように、エシルにはフィリスがいる、そんな存在になってくれるような気がするのだ。
「しかし、私には時間がないからなあ」
ゆえに、エリーは思案しているのだ。ここに残るべきか否かを。
残るのならばカイルの戦死を聞き次第、身分を明かすつもりでいる。
立ち去るのならば何も言わずに消えるつもりでいた。
それを決めるために花占いをしているわけだが、この姿を見た人間はどう思うであろうか。
あの白銀のエシルが自分の知略に頼らず占いで物事を決めていると呆れるだろうか。
それともカイルあたりが目撃すれば、「お前が花占い? 少女染みた真似事をしても成長期は戻ってこねーぞ」と腹を抱えて笑うだろうか。
しかし、どんな風に見られようとも構わなかった。
天秤評議会の軍師とはいえ、白銀のエシルとはいえ、自分の意思では決められないことくらい存在するのだ。
そんなときくらい、花々に頼っても良いではないか。
エリーは心の中でそう独語しながら、花びらをむしった。
エンバミウムという花で、このあたりに自生する花らしい。フィリスの侍女が飾ってくれたものだが、その美しい花びらも、残すところあと一枚となった。
つまり、エリーの今後の方針が定まったのである。
「――よし、決まった」
エリーはそう言うと部屋に散在している自分の荷物をまとめ始めた。
花占いの結果は、この砦を旅立ち、新しい弟子を探す、というものだった。
「私の寿命が尽きるから弟子を育成しておけ、とお花様が言っているのだな」
まあ、自分でもいつ死ぬかは分からないが、お花様がそういうのならそうなのだろう、とエリーは決断した。
そう決断してしまえば後は早い。
エリーは荷物をほとんど持たない。着替えの類いと旅の必需品くらいしか持っていない。
カイル曰く、
「軍師なら本くらい持ち歩け」
とのことだが、エリーは一度読んだ本はすべて記憶してしまうから、そんなことをする必要がないのだ。
あっという間に身支度を終えるエリー。
部屋を見渡す。
短い間だったが、なかなか心地よい空間を提供してくれた部屋に感謝の念を送ると、エリーは部屋を出た。
そしてそこで先ほどまでエリーの思考を支配していた人物に出くわした。
エリーはその姿を見て溜息を漏らしたが、彼女を遠ざけるような真似はしなかった。
「……姫様か、こんな夜更けに、とは言わないよ。用件も大体心得てる。一宿一飯の恩義があるから話だけは聞くが、あまり期待はしないでくれよ」
お姫様がこんな夜更けに訪れる理由など一つしか浮かばなかった。
案の定、フィリスは開口一番にこう言った。
「カイル様を救えるのは、お弟子さんのエリーさんだけなのです。どうか、わたくしの軍師を助けるため、エリーさんのお師匠様を助けるため、わたくしに助力ください」
「つまり要約すると、カイルを助けるためにこの砦の兵を率いて救援に向かって欲しい、というところか」
「その通りです」
「私は女の身だぞ」
「それはわたくしもです」
「軍師ではないのだぞ」
「それでもカイル様の弟子です」
「この砦にはちゃんとした武人がいくらでもいるではないか。その者達に頼まなかったのか?」
とは、エリーは聞かなかった。昨日の軍議を見る限り、そんなことをしても無駄だと分かっていたし、フィリスのほつれた髪や疲れ切った表情を見る限り、フィリスがその無駄な行為を延々と続けた後にここにやってきたのは明白だったからだ。
「砦の将達の言い分はもっともだ。肝心のお姫様が処罰されるというのに兵を動かすなどあり得ない。皮肉なことだが、お姫様が将兵の心を掴んでいるがゆえに兵を動かせないのだ。このような状況下では、弟子風情の私には何もできないよ」
エリーは突き放すように言ったが、それでもフィリスは諦めない。
「皆、ことを大げさに考えすぎなのです。たかが私の腕を一本切り落とすだけで、カイル様達300人の命が救われるのです」
「たかだか腕の一本か……」
本当にたけだけしいお姫様だ、とエリーは呆れる。
フィリスは恐らく本気でそう思っているのだろう。自分の腕一本で済む話なのに、なぜこんなにも複雑な状況になっているのか、理解に苦しむ、そんな表情をしていた。
それほどまでに民を思って、
いや、白銀のエシルであるカイルを必要としているのだ。
理由は分からない。
彼女が言うように本気で戦のない世を作り上げ、すべての人々が幸福だと言い切れる国を作ろうと思っているのかもしれないし、口の端には乗せられない事情があるのかもしれない。
しかし、その夢を叶えるために、カイルが必要だと信じ切っていることは、その瞳から容易に察することができた。
お姫様の目指す未来にはカイルが必要なのだと容易に想像することができた。
それほどまでにカイルのことを信頼しきっているのだろう。
エリーは一国の姫に、自分の腕と引き替えにしても惜しくないと思わせる男に更なる興味が湧いた。
ゆえに花占いの結果を破棄すると、すべての行動をフィリスに託すことにした。
エリーはフィリスの蒼い宝石のような瞳を真剣に見つめると、一つの質問をした。
彼女の答えがエリーの満足行くものだったら、彼女の手助けをしようと思ったのだ。
エリーは、口を開くと、淡々と尋ねた。
「もしも、カイルが白銀のエシルではない、と私が言っても、それでもお姫様は腕を差し出してまで助けるかい?」
彼女は、フィリスは、エリーの予想通り間髪入れることなく、わずかに逡巡することなく、
「はい、もちろんです」
と、言い切った。
こうして、エリーはカイルの救援に向かうべく、兵の編成に入った。
もちろん、フィリスが命令をし、エリーが受諾したとしても、砦の将兵達が納得するわけがなかった。
ゆえにエリーはフィリスにこんな策を授ける。
フィリスはその策を即座に実行する。
フィリスは将兵達を集めると、こう宣言をした。
「わたくしは王都に向かい、母上に陳情をするつもりです。この砦の兵を動かす許可を頂きます」
無論、将兵達はざわめくが、フィリスは即座に続ける。
「ご安心ください。許可は必ず取ります。わたくしには秘策があるのです」
フィリスはその秘策を打ち明ける。
つまりこうである。
フィリスが王都に上っている間に軍は動かす。事後承諾になるが、何も私欲を満たすために兵を動かすわけではない。自国の民を守るために動かすのだ、と王宮で抗弁する。
そのようなものを容易に処分できるわけがない、と、フィリスは説明する。
しかし、王妃の性格を知り尽くしているものはそれを否定する。
「あのお方に通じる論法とは思えない」
と――。
それに対してはこう抗弁をする。
「もちろん、それだけでは母は許してくれないでしょう。しかし、わたくしはそれに更に手柄首も添えます。最低でも名のある将軍、できれば王太子イカルディの首を王宮に届ける、と豪語します。もしもできなければ、そのときこそ首を刎ねてください、と言ってのけます」
その言を聞いた千人隊長は青ざめる。
「それでは事態が悪化しているではないですか、腕どころの話ではない」
と、言い放つ。
その通りなのだが、フィリスは彼らを安心させるために大嘘をつく。
「実は、これらの作戦はすべて、天秤評議会の軍師、白銀のエシル様の遠大なる作戦なのです。ここまで黙っていたのは砦の中に潜む間者をあざむくため。カイル様はまず、自分が少数の兵で救援に向かい、間者の目をあざむきました。そしてカイル様は残ったわたくしに数日経ったら向かうようにと策を残していたのです」
「白銀のエシル様がそのような策を……?」
カイルの実力をまざまざと見せつけられてた将兵達は顔を見合わせるしかなかった。
「そうです。ここで兵を動かさなければカイル様は死に損です。兵を動かせば、ハザンの軍勢を完膚なきまでに打ち払い、大将首まで得られるのです。何を逡巡する必要がありましょうか?」
フィリスは重ねて、王妃を説得する自信がある、と言い放つと、将兵達の迷いを取り除いた。
将兵達は、戦いにおもむく決意を固める。
あとはフィリスの宣言通り、大将首を挙げてフィリスの罪を軽くすることだけに心血を注ぐのが臣下のつとめだった。
こうしてクルクス砦に残された将兵の心を掴むと、フィリスはアザークをともないエルニカの王都へと向かった。
出立前にエリーに「宜しくお願いします」と握手を求めた。
彼女の柔らかい手を握りしめる。
仮にエリーが失敗すれば、この腕を握ることは二度と叶わない。
そう思ったからではないが、エリーは力強く彼女の手を握りしめると、
「姫殿下の戦いにも幸あれ」
と、彼女の出立を見送った。
さて、このような経緯の末、クルクス砦の精鋭達はウスカール地方に向かったわけであるが、そこで上げた戦果は見事なものだった。
2000以上の首を討ち取り、残った将兵も命からがらハザンへと逃げ帰っていったのだ。
もちろん、名のある敵将の首もあげた。
イカルディとエイブラムは惜しくも逃がしたが、長年エルニカを苦しめてきたムンバイ将軍とハーケイン将軍の首級をあげたのは大金星であった。
その功績はひとえに軍を率いたエリーに帰されるものだったが、エリーは将兵から賞賛を受けても、
「主の策に従ったまで」
という立場を崩さなかった。
すべての功績はカイルにある、と宣言したわけである。
今後のためにそういう論法を用いたのだが、まったくの誇張というわけではない。
いや、実際、ここまでの勝利をもたらしたのはカイルのおかげであると言っても過言ではない。
エリーは、戦場に着いた際、いきり立つ兵達を抑えるためにこう言い放った。
「今、主であるカイルが、谷を利用し、兵と戦っている。ここで敵の後背を突けば勝利は疑いないが、まだ兵は動かさない」
そして兵に動揺が走る前にこう付け加える。
「これは白銀のエシルの秘策である。敵は必ず自分たちの後背を狙う。そして挟撃に成功し勝利を確信し、雪崩れ込んできたときこそがチャンスなんだ。我々に必要なのは手柄首であって、敵を追い払うことではない」
要は、カイル達一行を捨て石にし、より大きな獲物を狙う餌としたのだ。
すでにカイルは見限っているのだから、ここは自分の戦略を完遂させる布石としようとしたのか、
それとも、カイルならばこの試練に耐えられる、と信頼していたのか。
他者には計ることはできない。
なぜならば当のエリーにも不明瞭だったからだ。
ともかく、カイルの部隊は、エリーが救援におもむいてからも戦い続け、獅子奮迅の働きをしたのは事実だった。
はたから見ればエリーが現れ、勝利をかすめ取ったかのように見えるだろうが、今回の勝利の立役者は、どう考えてもカイルであった。
(……これが実質上初陣だというのだから、将来はどんな化け物になるか)
エリーはそう思わざるを得なかった。
さて、そのような経緯でもたらされた勝利であるが、その勝利のきっかけを作った人物は、砦に戻ってきても惰眠をむさぼっていた。
矢傷が内蔵にまで達しており、高熱にうなされているのだ。
医者曰く、この2、3日が峠でしょう、ということだったが、エリーは心配などしていなかった。
「この詐欺師がこんな傷で死ぬものか」
と、たかをくくっていた。
エリーは、診察の時間以外は付きっ切りでカイルに付き添った。
脂汗を滲ませれば汗を拭き取り、喉を潤わせるために砦の端にある井戸へと何度も通い、冷たい水を汲んできた。
布きれに水を浸してそれを口元で絞って飲ませていたのだが、それさえ受け付けなくなると口に含み、口移しで水を飲ませてやった。
「………………」
不潔だとは思わないし、甲斐甲斐しいとも思わない。
ただ、この男が目覚めたとき、皮肉を言ってやりたいだけだった。
世間では看病といわれる一連の行動を1週間ほど続けると、エリーにそのチャンスが訪れる。
ある日、いつものようにカイルの部屋におもむくと、そこにはベッドから立ち上がり、窓辺から外を見つめている男がいた。
上半身に包帯を巻き、まぶしげに太陽の洗礼を受けている男は、振り向くと口を開いた。
ちなみに、エリーは、カイルが開口一番になにをいうかで、己の今後の行動を占うつもりでいた。
想像通りの言葉を口にすればよし、このまま今の関係を継続し、いつか必ず弟子にするつもりでいた。
想像とは違う言葉を発すれば、この場で見限るつもりでいた。エリーをこんなにも疲れさせたのだ。傷口に酢でも塗りつけてやろうか。
そんな考えでカイルの言葉を待ったのだが、カイルの言葉はやはりエリーの想像通りだった。
「……姫様は? ……姫様は無事か?」
エリーはそこで微妙な笑みを浮かべると、「百聞は一見にしかず」と言い、そのまま窓の外を見ていろ、と言い放った。
「……窓の外?」
不思議そうに問い返す。
「丁度、もうじき姫様が王都から戻ってくる、という連絡があった」
エリーは、カイルにフィリスが王都に戻っている事情を説明すると、そのままカイルが救援に行った後のいきさつをすべて話す。
「……そうか、だからお前が救援に現れたのか……」
カイルはそうぽつりと漏らすと、急にこちらに振り向き、顔色を変える。
ようやく意識の混濁から完全に解放されたらしい。
「って、おい、つまり、もしも負けてたら、姫様は腕どころか、首まで取られていたってことかよ」
「そうなるな」
「ばっきゃろー!! なんで勝手にそんな馬鹿げたギャンブルに手を出してるんだ」
「私に怒るのは筋違いだ。カードを配り終えるよりも前に自分の命をすべてベットしたのは他ならぬお姫様なのだから」
「………………」
「それに、結果だけ見れば勝ったのだから問題なかろう。少なくともこの後帰ってくるお姫様の首と胴はちゃんと繋がっているよ」
「……なんか含みのある言い方だな」
「いや、首と胴は繋がっているが、胴と腕の方はどうだかな、と思ってな」
「どういう意味だよ」
「お姫様が別れ際に言っていたよ。エリーさんの作戦でも母上は許してくれるかどうか、と。しかし、それでも自分はおもむかなければなりません、とも」
「………………」
その言を聞いたカイルはエリーに何か言おうと身を乗り出したが、その行動は即座に中止される。
窓の外から歓声が聞こえたからだ。
どうやら姫様のご帰還らしい、それを察したエリーはカイルの背に語りかける。
「姫様の腕が胴にくっついているか気になって仕方ないらしいな。だが、お前は、くっついていようがいまいが、姫様のもとから離れる気なんてさらさらないのだろう」
「……うるせー、静かにしろ、気が散る」
「当然だな、自分の腕どころか命まで懸けてくれるような女だ。普通の男なら即惚れる」
「そんなんじゃねーよ。……あ、先頭の馬が見えた」
「それにお前は、この砦に着いてから、いや、あの村での出来事以来、軍師の醍醐味を味わってしまったからな。容易に離れられないはずだ」
「……おめーらみたいな戦馬鹿と一緒にするな」
エリーは、やれやれとその言を聞くと、自分も窓の側におもむき、姫様の姿を待った。
数分後、白馬にまたがったフィリス王女が、砦の大門をくぐった。
――彼女の両腕は、
フィリスの両腕は、確かにその胴に繋がっていた。
その姿を見届けたカイルは、少年のような表情で喜ぶと、安堵の溜息を漏らす。
ただ、即座に表情を曇らせる。
とあることに気がついてしまったからだ。
「なんだありゃ」
と、カイルは間抜けな声を上げると、フィリスの変化を口にした。
エリーはカイルの疑問に答える。
「ああ、どうやら、姫様は私の指示に従ってくれたらしい」
「お前の指示?」
「そうだ。実は出立前にこう言った。政治とはパフォーマンスの側面もある、良い政治家は良い演技者でもある、と」
「……その結果がアレなのか?」
見ればフィリス王女の髪は見る影もなかった。
腰まで伸び放ち、黄金に輝いていた髪は、今や首に届くか届かないほどに切りそろえられている。
エルニカの乙女にとって命の次に大切な髪が、無残にも切り落とされているのだ。
「王宮で演説をし、その場で髪を切り落とせば、王妃一派を黙らせられるかもしれない、とは言ったが、どうやら成功したようだな」
エリーはそう言うと、言葉を失っているカイルに向かって語りかける。
「話が代わるが、我々軍師にとって、至上の喜びとはなんだか分かるか?」
カイルは窓からフィリスを見つめたまま答える。
「敵を打ち破ったときか?」
エリーは「いや」と首を振り、続ける。
「答えは、自分の仕えるべき主を見いだしたときだ。今のお前なら、その気持ちが分かるんじゃないか?」