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第5章 カイル無双、しかし・・・

   †


 峡谷の先頭に陣を張ったカイル達を見て、イカルディは笑った。


「なんだ、エルニカ軍は軍略を知らないのか。あんな地形に陣を張れば谷の上から弓を撃ち放題ではないか」


 しかし、その笑いはすぐに不機嫌さに代わる。

 崖があまりにも急すぎて、弓兵を配置することができないと判明したからだ。


「ええい、ならば正面から粉砕するのみよ、全軍突撃!」


 イカルディはそう言い放ったが、配下の将軍達はそれを止める。


「この狭隘(きょうあい)な地形に全軍を投入することは叶いません」


「ならば重犀騎士団の精鋭を順番に当たらせろ。いや、順番に当たらせる必要もないか。我が重犀騎士団なら同数の兵で負けるわけがないのだから。先頭の者から順に突撃しろ。敵を打ち破れば褒美を取らすぞ」


 将軍達はそれでも何か言いたげだったが、確かに同じ数で正面から当たり続ければ負けることはないだろう、と主の策に従った。


 しかし、それが重犀騎士団の騎士達の不運だった。



 カイル達は意気揚々とやってきた騎士団達を見事にはね除ける。

 元々、クルクス砦に詰めていた傭兵は数こそ少ないが、強壮で知られていたし、ザハードの部下達は不倒翁の部下らしく、歴戦の勇者ばかりだった。


 そんな連中に何の策もなく、同数の兵で挑むのは自殺行為以外の何物でもない。


 ザハードは、戦場を駆け巡りながら、血の旋風を巻き上げる。


「やあやあやあ! 我こそは白銀のエシル随一の家臣、ヨシュア・ザハード!! 命が惜しくない者は拙者の前にでよ。あの世で後悔する機会を与えてやるぞ!」


 ザハードは見事としか言いようのない槍術で次々と敵の首級(しゅきゅう)を上げていく。

 或いはお世辞ではなく、本当に少壮の騎士が槍を振るうように敵をなぎ倒していった。


 カイルはその様を後方から督戦(とくせん)するとこう漏らす。


「つうか、俺は本当にあの爺さんに勝ったのかよ、俺ってすげえな」

 と――。



 こうしてあっという間に蹴散らされた重犀騎士団の先鋒であるが、イカルディは腹を立てたが怒りはしなかった。


「なあに、こういうこともある。二番隊、三番隊を送れ。やつらもいずれ疲れて音を上げるだろう」


 と、楽観的だった。


 緒戦は敵の圧倒的勝利だったが、向こうも損害がゼロというわけではない。

 このまま続けていれば計算上はいつか相手の兵はゼロになるのである。


 いや、その前に確実に敵は疲労するだろう。そのときこそ、イカルディの出番であった。自ら出撃し、エルニカ兵を駆逐してやるつもりだった。


 しかし、イカルディの目測は外れる。

 二陣、三陣、と兵を何度送っても、その都度撃退されてしまったのだ。

 それどころか第七陣に至ってはそれまでの最短記録で壊滅するという有様だった。


 これにはイカルディもたまりかねた。


「むむぅ、エルニカの兵共は化け物か。それとも怪しげな妖術でも使っているのか」


 イカルディは見当違いな目測を述べた。確かに過去、怪しげな薬を与えて兵達を「狂戦士」にする部族がこのセレズニアの地にもいたが、その戦術が途絶えて久しい。それに解放戦争の折には、本物の化け物を使役した、という記録もある。


 だが、カイル達はそんな馬鹿げた戦術を一切取っていなかった。

 ただ、兵達にこう言い聞かせていただけである。


「いいか、緒戦から気を抜くなよ、出し惜しみなく戦力を投入するんだ。一度でも容易いと相手に思われればそこを突かれて陣が崩壊してしまうぞ」


 弱みを見せればそこにつけ込まれる、カイルが言いたいのはそのことだった。


 それにではあるが、緒戦から圧倒的な力を見せれば、そのうち相手も(おく)し出すはずである。そうすれば相手も馬鹿ではないのだから何か対策を講じるだろう。

 その間にカイル達は僅かながらも休憩を取ることができる。それがカイルの作戦だった。


「もしも俺が敵軍の大将ならば、昼夜問わず、損害も(いと)わず兵を出し続ける。人間いつか必ず疲れるからな」


 その言をエリーが聞いていたならば、「ほう」と感心することだろう。だが、エリーならばこう付け加えるかもしれない。


「いや、私が敵軍の大将ならば、1000兵ほど兵を割いて谷を迂回させるな。谷は前面を守るにはこれ以上ない地形だが、逆に挟撃(きょうげき)をされたとき、された側は逃げる術はない。文字通り全滅だ」

 と――。


「………………」


 実際、カイルはそれが恐ろしかった。

 カイルでも思いつく戦法なのだから、敵はとっくに気がついていると思ったが、どうやらそうではなかったらしい。


 ここでもカイルはエリーの言葉を思い出す。


「知者が愚者に負けることが往々にしてある。知者は知者ゆえに臆病だからだ。相手が自分と同等か、それ以上の策を考え出せると過大評価してしまうのだ。しかし、実際には世の中馬鹿ばかりで誰でも思いつくようなことを一生思いつけない人間もいるのだ」


 ゆえに、楽天家のお前はある意味軍師が適職なのだ、と余計なことを付け加えた。


 しかし、エリーはこうも言う。


「だからといって相手が馬鹿であるという前提で策を立てるのは馬鹿者のすることだ。いつか必ずしっぺ返しを食らうぞ」


 要はどっちなのだ、激しく突っ込んでやりたいが、残念なことにこの場に銀髪の少女はいなかった。


 だが、今の状況では、どのみちこのまま戦うしかないのだ。

 元々、挟撃されることは想定済みだった。

 ただ、挟撃されるにしても部隊を迂回している間は時間が稼げるからとこの戦法を採用したに過ぎない。


 老練なザハードなどはそのことを察していたが、あえて何も言わなかった。

 カイルは感謝したが、それゆえにザハードに顔向けできなかった。

 思っていたよりも遙かに早く、敵兵に挟撃される事態になってしまったからである。





 12番目の部隊が敗れたとき、さすがにイカルディは青くなった。

 全軍10000のうち、すでに5000近くが失われた計算になるからだ。それは先日壊滅した傭兵団1000と解任したエイブラム将軍の部隊2000も含まれる。


 砦を3つ落としたとはいえ、全軍の5割をこの時点で失うとは計算外だったのである。

 イカルディは生来の気の短さを発揮させ、部下達に何か献策はないのかと叱りつけた。


 部下達は顔を付き合わせる。

 ないわけではないが、その策をイカルディ王子が気に入るか保証がなかったからだ。


 しかし、勇気ある部下が一人、こう献策した。


「ここは部隊を二つに分け、谷を迂回して挟撃すべきでしょう。さすれば敵兵は逃げ場なく、容易に壊滅できます」


「おお、その手があったか。なぜ、そんな策があるのに今まで言わなかったのだ」


「言ったが、お前が採用しなかったのだろう」


 と、言ってやりたかったが、部下はうやうやしく頭を下げると「臣の不徳です」と謝罪した。


「まあ、いい、それで、谷を迂回するのに何日ほどかかる?」

「ぐるりと回りますゆえ、4日はかかるでしょう」


 その言を聞いたイカルディは顔をしかめる。気の短さにかけてこの男の右に出るものはいなかった。


 もしもイカルディにカイルほどの知能があれば、騎馬のみで機動部隊を編成する、という策を思い浮かべるかもしれないが、そんな器量はなかった。


 それでもイカルディは、「善は急げ!」とばかりに迂回部隊の編成を急がせた。


 しかし、結局はその命令は途中で中止となる。

 なぜならば、意外にも、戦の女神がイカルディを見捨てていなかったからである。


 戦とは、将兵同士のぶつかり合いであり、将の質と兵の質が勝敗を左右するが、往々にして「運」という不確定なものも絡んでくるのである。

 そして今回、その運という奴がイカルディに味方したのだ。



 イカルディが解任し、領地で謹慎を命じられたエイブラム将軍は、ハザン王国の貴族であった。当然、自分の領地を持っており、それに付随する形で私兵も持っていた。


 解任されたとはいえ、エイブラムの私兵をイカルディが奪うわけにもいかず、その私兵達はエイブラムに付き従う形で故郷への旅路を急いでいたのだが、そこに密偵がやってきた。


 主に捨てられたとはいえ、イカルディの行く末が気になっていたエイブラムが命じていたのだが、その密偵からイカルディがエルニカの軍勢と抗戦しているという情報を得たエイブラムは行軍を止めた。


 これは、失地挽回のチャンスだと思ったのだ。


 イカルディのことだから、相手が寡兵であると侮り、正面から挑むことだろう。

 しかし狭隘(きょうあい)な地形を利用されてしまえば、数の優位は働かない。イカルディの用兵では相手を打ち払うことはできないであろう。


 そこに颯爽とエイブラムの軍団が現れ、挟撃すればエイブラムは戦功一番となる。イカルディは激発しやすい男だが、決して吝嗇(ケチ)な男ではない。むしろ派手好みの男で、エイブラムの行動を賞賛し、帰参を許すだろう。


 そこまで計算したエイブラムは、部下に密書を渡す。

 密書にはこう書かれていた。


「殿下、あくる土竜の日、拙者の部隊が敵の後方に回り込み、エルニカ兵の後背を突きます。殿下は狼煙(のろし)が上がり次第、重犀騎士団の主力を投入してください」


 こうしてイカルディは幸運にも時間や旧部下でさえ味方に付ける。  

 




 ある日を境に、ハザン軍の攻勢が緩やかになっていくことにカイルは気がつく。

 それと同時に戦慄(せんりつ)する。

 おそらくではあるが、敵はようやく正面から戦う愚挙に気がついたようだ。


 カイルの洞察は正鵠を射ていたが、そのカイルでもイカルディの旧部下がすでに後背に回り込んでいることまでは予測できない。


「遅くともあと4日、いや、3日後には挟み撃ちにされるかな」


 挟み撃ちにされてしまえば、後は座して死を待つのみである。文字通り、カイル達は全滅するだろう。今でさえ青息吐息で正面の敵と戦うので精一杯だと言うのに、後背の敵に戦力を割く余裕などなかった。


「なあに、負けるのは想定済みさ。やれることをやったんだ、あとは全滅するまでよ」


 そういう考えがないわけでもないが、この部隊を預かる長としてはそんなことは決して口にできない。


 皮肉なことだが、カイルは軍を率いることにより、他者の上に立つことにより、他人の命を預かる者の責任という奴を自覚してしまったのだ。


 どんな絶望的な状況に追い込まれたとしても、カイルはそのときに採れる最善の策を考えなければならないのだ。

 それがカイルに命を預けてくれた者達へできる唯一のことだった。


 ゆえにカイルは考える。

 この状況下でできる最善の策を。


「囲まれることは既定の事実として、まずはそのあとどうするか、だが――」


 カイルがそう思案を巡らせていると、後方から雄叫びが上がった。


 それが敵軍のものであり、自分たちがすでに包囲されていると悟るのに、それほど時間は有しなかった。





 エイブラムの部隊が戦場に乱入してくると、戦局は一変した。


 それまで圧倒的優勢を誇っていたカイルの軍勢は、雪崩を打つかのように崩れていった。後方に控えて休憩を取っていた傭兵達がまずは餌食になった。


 彼らは反撃のいとまさえ与えられず、次々と討ち取られていく。


 次いで村の自警団の者達にその牙が襲い掛かったとき、カイルは決断した。


「もはやこれまでだ。お前らは良くやった。何もこんなところを死に場所にする必要はない。俺達が血路を開くから、お前達は退却しろ」


 カイルはそう言うと、(かたわ)らにいたザハードに命令する。


「騎士達は死ぬ覚悟ができているだろう。だから俺達が突っ込んで退却路を作ろう」


 ザハードは、気負うでもなく、

「承知」

 と一言だけ言う。


 この老人はとうの昔に覚悟を決めているのだ。むしろそのような命令をしてくれることに感謝の念さえ浮かべていた。


 ザハードは、それでは、

「このザハード、最後の晴れ姿、とくとご覧あれ」

 と、騎馬を走らせた。


 それに従うように、数十騎の騎馬が後に従う。

 カイルもそれを追い、腰の物を抜き放つ。

 エリー曰く、軍師が剣を抜くのは下記の場合に限られる。



 ひとつ、敵兵に囲まれたとき、

 ふたつ、暗殺者に命を狙われたとき、

 みっつ、ひげそりを家に忘れたとき、



 ちなみにエリーは一度も剣を抜いたことがないらしい。むだ毛の処理はどうしているのだろうか。

 そんな下らないことを考えながら、敵陣に突っ込んでいった。





 海が割れるかのように敵陣が切り裂かれていく。

 ザハードを中心にその部下達は文字通りに紅に染まりながら、血路を開いていった。


 カイルはそれに続き、彼らが討ち漏らした兵を切り捨てていくだけである。

 血路を開くにあたり、後背を襲ってきたエイブラムの部隊ではなく、あえて数の多いイカルディの本体を選んだ。


 こちらの方を弱兵と見なしたこともあるが、連日の戦いでカイル達を必要以上に恐れていると踏んだのだ。


 カイルの予想は見事に当たり、ハザン軍は恐慌状態に陥った。


 しかし、それも最初だけだった。

 エイブラムの援軍を加えると、彼我の戦力差は、6000対200、もはや話にならないほどだった。


 次々とカイルの部下達は討ち取られていく。

 ハザンの陣を縦に切り裂いていった強行部隊も、一人二人と徐々に数を減らし、今ではその数を把握できないほど散り散りになってしまった。


 カイル自身も、肩を斬られ、太ももに矢を受け、フィリスから直々に貰った馬にさえ逃げられてしまっていた。


 見ればすでに四方を敵に囲まれており、後は彼らの槍に突き殺されるか、弓に射殺されるかの二者択一といった状況だった。


 自分で選んだ道ゆえ、後悔はなかったが、心残りが二つほどあった。

 一つは、自分の部下達がどれほど逃亡に成功したか気になった。


 100は逃亡に成功して欲しかったが、実際にはどうであろうか。50、30、いや、10人逃げることに成功しただろうか。


 降伏するという手もあったが、あれほど敵兵に損害を与えたのだ。敵の大将は許すまい、と思った。


 もう一つの心残りは、それはモニカ村の少女だった。


 カイルをモニカ村にいざない、軍師の真似事をさせるきっかけを作った少女だ。

 彼女は無事、隣街に逃げおおせただろうか。


 それだけが気がかりであったが、カイルは急にとあることに気がつき、笑みを浮かべる。


「そういえば、あの娘の名前を思い出せないんだよなあ」


 最初に出会ったとき、名を名乗ったはずだが、その記憶がすっぽり抜け落ちているのである。


「ああ、畜生、こういうのってすげい気になるんだよな」


 それにではあるが、名も知らぬ少女のために死ぬ、というのは詐欺師カイルの終幕としてはいささか格好良すぎた。


 せめて未来の美人のために死んだ、と言えば、あの世で知り合いと再会しても面目が立つというものだ。


 カイルはそのため、真剣に少女の名前を思い出そうとした。


 もはや立っている力さえなく、木に寄りかかることしかできない身だが、それでも最後の力をそちらに回した。


 見れば敵兵に取り囲まれ、槍を突きつけられていたが、それでもカイルは少女の名を思い出すことしか頭になかった。


 そしてカイルの影と敵兵の槍の影が重なったとき、カイルはやっと少女の名を思い出す。




「わたし、モニカ村のメメっていうんです」




 メメか、変な名前だな、カイルは初めて聞いたときと同様の感想を口にすると、その生涯に幕を下ろした。





 ――自分があの世に旅立つのはまだ早いらしい、と察したのは、カイルに槍を突き刺そうとしていた敵兵が崩れ落ちた瞬間を見たときだった。


 男は後背から無数の矢を受けると、うめき声を上げながら崩れ落ちた。


 その矢がカイルを救ったわけであるが、その矢を放った者がクルクス砦からやってきた救援だと分かったとき、カイルは文字通りその場にへたり込んだ。


「助かった」


 と思ったのだ。


 実際、カイルの率直な感想通り、救援に訪れたクルクス砦の者達は、まるで紙でも切り裂くかのようにハザンの軍勢を切り裂いていった。


 エルニカ一の強兵を自負するだけのことはあるが、それを率いるのは、白銀のエシルの一番弟子を自称する本物のエシルなのだから敵軍にとっては悪夢だった。


 エリーは、混乱に陥った敵兵を巧みな戦術で更に四等分すると、それらを各個撃破した。彼らが全滅をまぬがれたのは、エイブラムの部隊が善戦し、味方の逃げ道を開いたからに過ぎない。そうでなければ彼らは生きて祖国の地を踏むことはできなかっただろう。


 それほどまでに見事な手際だったのだが、その詳細を聞くのは、カイルがクルクス砦に戻ってからだった。


 援軍がきた後、カイルは気力を振り絞り、散開した部隊を集め、できるだけ多くの敵兵を葬り去ったが、カイルが受けた傷は、想像以上に深く、敵兵が壊滅すると同時に気を失ってしまったのだ。


 意識を失ったカイルは、数週間、目を覚ますことはなかった。


 道中、付きっ切りで看病してくれた女がいたようだが、それがどうかエリーではありませんように、カイルの願いはそれだけだった。




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