第1章 言い出せる雰囲気じゃない・・・
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少女の住まうモニカ村は、大人の足で3、4日ほど掛かる場所にある。
少女二人を伴った旅となれば、倍に見繕っておけば丁度良いだろう。
正直、徒歩は苦手なので、モニカ村方面に向かう商人の馬車に乗せて貰おうと思ったが、生憎と都合の良い商人を捕まえることができなかった。
頬の痩けた商人曰く、
「この時期は、特産のエリーズ油も取れないし、あそこへ向かう旨味は一切ない」
とのことらしい。
こんな零細商人からも見放されるような土地なのか、とカイルは不安になった。
そんなカイルに、銀色の髪を持つ少女、エリーが話しかけてきた。
「浮かない顔をしているな、《エシル様》」
「ちゃんと報酬が支払われるか不安でしょうがないんだよ」
「………………」
「なんだよ、その呆れた、って顔は」
「そのまんまさ、呆れているのだよ」
「どうしてだよ?」
「だって、お前は白銀のエシルではないのだろう? それなのに彼の名を騙り、報酬まで受け取る気でいるのか?」
「ちょっと待て、なんで俺がエシルではないって断定するんだ、俺は天秤評議会の軍師しか持つことを許されない印綬を持ってるんだぞ?」
そう言うと、カイルは、懐から青白く輝く印綬を取り出す。
古代魔法王国の魔法が付与されている、太古の昔に失われた金属で作られている、などと噂されている貴重な品である。
もちろん、この世界には魔法などは存在しないのだから、デマなのであろう。ただ、この世に二つとないというのは本当で、これを持つものは天秤評議会に所属する軍師だけというのも確かだった。
いわば天秤評議会の軍師の身分証のようなものなのだ。
それを所持しているカイルを偽物呼ばわりするなど、この女は何様なのだろうか。
「確かにその印綬は、白銀のエシルの持ち物だが、お前はその印綬の持ち主ではない。だから私はお前を偽物だと断定できる」
「……なんだよ、その論法は。そんなのは田舎町の魔女裁判だって通用しないぜ。証拠を出せ、証拠を」
「生憎と私のこの美しい瞳は脱着できないので、証拠は出せない」
「どういう意味だ?」
「いや、先日、不覚にもお前に助けられたとき、奴隷商人の宝物庫から、その光り輝く物体をくすねている姿を目撃してね」
「………………」
「安心しろ。あの娘には言わないさ。私はこう見えても恩義は感じる方でね」
「恩義を感じてるなら、あそこに見える分かれ道を右に行け、俺達は左に行く」
「いやいや、それはできない。それに私はお前の従者だからね、ここで別れてしまったら、あの娘は不審に思うかもしれない」
「思うわけないだろ。あの天然善良娘が。つうか、奴隷商人が綺麗な服を着せて白いパンをたらふく食べさせてやる、って手招きしたら、なんの疑いもなく着いていくタイプだぞ、あれは」
「なら、私が、この男は偽物です。ただの小児性愛者です。犠牲になるのは私だけでもうたくさん、貴方は逃げてと言えば信じてくれるかな?」
「………………」
カイルは人の悪い笑顔を浮かべるエリーを睨み付けると、話を戻す。
「……確かに俺は白銀のエシルじゃねーよ。大陸をさすらうケチな詐欺師だ。俺はガキの頃に両親を亡くして以来、そうやって生きてきた」
「お前が昔語りとは珍しい」
「うっせー、茶化すな」
「詐欺を働くのは結構。世の中騙す人間と騙される人間がいて成り立っているのだしな。お前が語る軍師という職業も、極論を言えば、他人を騙すのが商売みたいなものだ。いや、詐欺師は金しかだまし取らない分、まだ性質がいいかもしれない」
軍師が騙し取るのは人の命、というわけか、カイルはそう口の中で独語すると、こう言葉を締めくくった。
「ともかく、俺はこのままあの小娘の村に行って、依頼料を騙し取る。それが俺の生き方だ。手伝えとは言わないが、邪魔したら一生許さないからな」
エリーは、返事をするでもなく、カイルの後に無言で従った。
†
少女の住まう村、モニカ村は想像以上の寒村だった。
王国の中央に位置するウスカール山脈の麓にある小さな村で、見渡すばかりにエリーズの木が植えられている。
エリーズの木とはセレズニア大陸南部でよく見かける樹木で、金のなる木という別名がある。その実はとても食用には向かないが、その実から絞り出した油は、良質の食物油となり、人々の生活に欠かせないものとなっている。
ただ、金のなる木というのはいささか誇大表現かもしれない。
エリーズの木はこのセレズニア大陸の南方ならばどこにでも自生する珍しくない植物で、その実の値段も高いとは言えない。
「せいぜい銅貨1枚ってところだろうな」
と、カイルが率直な感想を漏らすとおり、とても村を豊かにしてくれる作物ではないのだ。
ただ、それに反論する者もいる。
「我がモニカ村のエリーズ油は他と比べものにならないくらい良質なのです。王都の名だたるレストランで、こぞって我が村のエリーズ油が使われているのですよ」
曰く、通常の2倍の値段で売れるそうだ。
カイルは口の中で「なら銅貨2枚か」と呟くと、モニカ村の村長は訂正を入れる。
「――ですが、残念ながら我が村のエリーズの実は通常より一回りほど小さく、取れる量も少ないのです」
「………………」
計算が面倒になったので、通常のエリーズ畑よりも5割増しの収益があると概算をすると、カイルはさっそく商談に入ることにした。
小娘には金貨10枚でということで話はつけてあるが、正直、そんな額ではこんな田舎くんだりまでくる価値はない。
巻き上げられるところから徹底的に巻き上げる。それがカイルが師匠から教わった基本中の基本だった。
まずは、いきなりふっかけて相手の虚を突くのが常道だろう。
カイルは、これから交わされる村長との会話を想定してみる。
「村長、報酬の話は小娘から聞いていると思うが」
「はい、聞いております。金貨10枚で受けて頂けるとか。村には大金ですが、それで村が救われるなら安い物です」
「ははは、剛毅な村長だな。それじゃあ、まず、前金の金貨25枚を頂こうか」
「え……、ど、どういうことで? 前金ならば、金貨10枚の半分、5枚が相場ではないでしょうか?」
「そうそう。前金半額はこの世界の常識だよな。だから、ここまでの報酬の半分を出してくれと言ってるんだ。そんなアンフェアな提案ではないだろう」
「い、いや、そうではなく、なんで金貨5枚が25枚になるのです」
「おいおい、小娘から依頼を受けて、もう5日も経過しているんだぜ。いや、もうちょっとで6日目か。まあ、1日くらいは負けてやってもいいが。ともかく、1日金貨10枚だと仮定して、5日で金貨50枚。そしてその半分を前金で頂く。それのどこに問題があるというんだ?」
おそらく、その話を聞いた村長は青ざめながらこう言うだろう。
「つ、つまり、山賊を退治する報酬が金貨10枚ではなく、エシル様を雇うのには一日金貨10枚が必要だと?」
そしてカイルは悪びれずにこう返す。
「世界最高の軍師を雇うんだ。それでも安い方だと思うけどね」
更にこう付け加えれば完璧だろう。
「ちなみに、山賊を倒すには、最低でも3日かかると思ってくれ。準備に時間がかかるからな」
と言えば、村長は更に縮み上がるだろう。
とてもそんな報酬は用意できない、と今までの前金を払い白銀のエシル様にお帰り願うか、それともなんとか村から金を掻き集めて金貨25枚には及ばないにしてもそれなりの謝礼金を支払うか。
そこまでは予測できないが、ともかく、カイルにとっては最良の結果をもたらすだろう。
つまり、山賊と戦うことなく、大金を得るのである。
カイルは、脳内で完璧に想定を重ねると、恰幅の良い村長に話を切り出す。
――切り出そうとしたのだが、そこでいきなり肩を掴まれる。
最初は、自分の正体がバレたのか!?
と、ビクリとしてしまったが、カイルの肩を掴んだのは、カイルと同年代の若者だった。
見事な赤ら顔で、口からは酒気を振りまいている。
そしてカイルの話を遮るように、こう言い放った。
「村長、せっかく大陸一の英雄に来て頂いたのです。こんなところで立ち話などしていないで、さっさと歓迎の宴に参加して貰いましょう。主役のいない宴ほど締まらないものはないといいますし」
「おお。それは気が付きませんでした。たしかに長旅でお疲れでしょうし、山賊退治の詳細は明日にでも」
そう言うと村長は、カイルに二の句も告げさせずに、背中を押す。
そして村人達が総出で待ち構えている宴の席へと連れて行かれる。
道中、「村長、報酬の件なのだが……」と、何度も口にしたのだが。
「分かっております。金貨10枚ですよね」
「……い、いや、そうではなく」
「もちろん心得ておりますとも。世界最高の軍師様をたかだか金貨10枚で雇うなんてできませんよ。貴方様を呼んできた娘は世間のことがまだよく分かっていないのです。報酬は倍の金貨20枚を用意しております」
「そ、そうか。それならばいいんだが……、い、いや、そうではなく、まえき――」
「――そうそう、前金ですが、金貨20枚はお約束できるのですが、前金はお支払いできないのです。実は、エリーズ油の代金の支払いが若干遅れておりまして、成功報酬になってしまうのです」
「前金なしなのか!?」
「もちろん、私の家名に懸けて、モニカ村の誇りに懸けて、報酬は全額お支払いします。というか、私どものような小さな村がエシル様への報酬を踏み倒すことなど有り得ませんよ。そんな噂が蔓延れば、ただでさえ寄りつかない商人の足が更に遠のきます」
村長は、「モニカ村をお信じください」と言い切ると、カイルを宴の席に押し込んだ。
宴の席は、村の中央にある広場で、即席の椅子やテーブルに白い布きれが掛けられ、色取り取りの花々も添えられている。
田舎村の手作り感に溢れているが、同時に準備に大量の時間が使われたことも示唆していた。
すでに酒が入り、料理も振る舞われている宴の中に、カイルは押し込められると、村人たちから熱烈な歓迎を受ける。
「おお、この方が、伝説の軍師、白銀のエシル様か!?」
「天秤評議会の軍師様が、よくもまあこんな辺境の地に」
「ああ、これで村が救われる。神はモニカ村を見捨てなかった」
「このおじちゃんがさんぞくをやっつけてくれるの?」
中にはカイルを神の使いか精霊と勘違いしたのか、手を合わせながら祈りを捧げる老婆までいる。
村人達は、それぞれに喜びを発露させていた。
カイルはそれでも村長に話を付けようと、村長の方に振り返ったが、それもとある村人に制止される。
年端もいかない少女がカイルの前までやってくると、カイルに話しかける。
「軍師様、あのね、わたし、軍師様のためにお花をつんできたの」
見れば彼女の手足や衣服は泥にまみれていた。
今朝方、カイルが村にやってきて以来、泥にまみれるのも構わずに一心に摘んでいたのだろう。
少女は少し照れくさそうにカイルにしゃがむようにと促す。
「………………」
カイルはそれに無言で従うと、首に綺麗な花飾りが掛けられる。
そして巻き起こる万雷の拍手。
この光景の中、この熱量の中、報酬の話を切り出せる詐欺師がこの世界に居ようか?
(……俺の師匠なら可能なんだろうけどさ)
残念ながら、カイルの胆力は師に遠く及ばない。
カイルは村娘達から酌を受けると、報酬を諦めることにした。
「まあいいさ、この花輪とこの酒と食い物が今回の報酬だ」
気持ちが籠もっているためだろうか、見た目よりも遙かに重い花輪に耐えながら、カイルは素直に宴を楽しむことにした。