第5章 弟子失格
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「お前がこの世に未練がないとは知らなかった。童貞のまま死ねば天国に行けるとでも思っているのかな」
自室に戻ったカイルが開口一番に浴びせられた言葉である。
発言者の姓名は書かなくても分かるだろう。
もちろん、カイルは反論する。
「まるで俺が負けるかのような物言いだな、俺は白銀のエシルだぞ。天下の天秤評議会の軍師様だぞ」
「頭に偽が付くだろうが」
「偽物が本物より劣るなんて誰が決めた」
「なかなか見事な切り返しだ。安酒場の宣伝文句のようだぞ」
「だろう」
「しかし、お前は本物よりも遙かに劣るよ、とても比べられないくらいに。別にこれは私が優れていてどうしようもない、という意味ではなく、逆にお前が劣っていてどうしようもない、という意味だ」
「………………」
カイルは沈黙する。
「天秤評議会の軍師ならば、いや、まっとうな知恵を持っているものならば、たった数百の兵で万の兵とあたるなど、考えもしないからな」
「何倍、何十倍もの戦力差をひっくり返すのが軍師の努めだろう」
「あほう、それは創作の話だけだ。実際の戦争はそんな生やさしいものではない。常に相手より多くの兵を揃え、それを無駄なく運用するのが勝利への近道なのだ」
「でも、お前はジルドレイの皇位継承戦争を最も劣勢な陣営に立って指揮したんだろう」
「あれは、あれ、これはこれだ。最初から劣勢の側を指揮したかったわけではない。それに劣勢の中でも私は常に最大限の努力をしてきた」
「俺も努力するさ」
「努力? 努力とは最善を尽くすことをいうのだ。最初から勝てない戦いに挑むことは無謀というのだよ、この無学者め」
そう言うとエリーはそれでも言い足りないのか、あらゆる罵声を浴びせてくる。
要はようやく見つけたと思った後継者がこんな馬鹿者とは思わなかった、というのが怒りの大本らしい。
勝手に弟子だと言い出したと思えばこの言いぐさだ、やはり女という奴は身勝手である。
しかし、カイルに言わせれば、こんなにも平然と、「見捨てろ」と言ってくるこの女の方が信じられなかった。
この女には血も涙もないのであろうか、カイルは思わず問いただしてしまう
。
「お前は――、お前は何にも感じないのかよ? 村が襲われるんだぞ? 人が死ぬかもしれないんだぞ?」
「人間の死体など、街道の脇にいつも転がっているではないか。餓死者に刺殺体、身ぐるみ剥がされた者まで、お前はその死体一つ一つを供養し、涙を流さねば気が済まない奴だったのか?」
「いや、別に何も感じないね。それが普通だ。正直、話したこともない奴が死んでたからって涙を流すほど俺の涙は安くねえよ」
でも、でもさ――、とカイルは続ける。
「でも、奴らの進行方向には、あの村があるんだぜ? 俺達が救ってやった村だ。あの馬鹿正直な娘がいる村だ。臆病な村長がいる村だ。一緒に酒を酌み交わした奴らがいる村だ。それでもお前は何も感じないというのか?」
エリーはカイルに視線をやると、まっすぐな瞳でこう応える。
「まさか、私はそこまでの冷血漢ではないよ。でもそれでも彼らを助けるために命を捨てるようなことはしない。お前のように感情的になったりはしない」
「……ならどうするんだよ」
「そうだな、砦を二つ三つ落とし、村を略奪していい気になっているハザン軍の側面を突き、彼らの敵討ちをする。そうすれば犠牲になったモニカ村の者達も浮かばれることだろう」
「……そういうのを冷血漢っていうんだよ」
「私は女だから冷血女だな。だがそれでいい。村人数十人の命を救うために、その倍の人間が犠牲になれ、とは私は言えない。犠牲のない戦いなどないが、だからこそ犠牲は最小限にして戦に勝ちたいのだ」
「……それがエシル流軍学って奴か」
「そんな大層なもんじゃないさ」
「……俺にはその軍学、似合いそうにもないな」
「そうかな、案外、楽な生き方ができるぞ。数字と睨めっこだけしていればいいのだ。悩まなくて済む」
「いや、俺は計算が苦手でね。やっぱり無理だわ」
「……そうか」
エリーは一言だけ漏らす。
カイルの決意が変わらぬことを悟ってしまったのだ。
エリーは最後に腕を差し出すとこう言った。
「お前が良い弟子になると思ったのは本当だ。才能だけなら私をも凌ぐだろう」
「性格に難あり、ってところか」
「そんなところだ」
「この師匠にしてこの弟子ありだ。お前のお眼鏡に適う奴の性格が良いわけないだろ。次はそのことを前提にカモでも探せ」
エリーは微笑むだけで、「そうするさ」とは言わなかった。
エリーに残された時間は少ない。
満足する才能に出会う時間が残されているかどうか。
しかし、エリーはそれでも自分の使命を果たす責任を放棄する気にはならなかった。