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第4章 やっかないなものを拾った

   †


 カイルがエリーの首根っこを掴み、身支度をさせたのは、この女がまかり間違ってカイル好みの女に成長する可能性を見いだしたから――


 というわけではなく、単に夜逃げの準備をするためだった。


 エリーはカイルの表情を見て、

「そうか、案外長く砦に留まれたが、ここが潮時か」

 と漏らすと、旅支度を始めた。


「寿命が迫ってはいるが、お前が軍師としての自覚に目覚めるまで待つくらいの時間はあるさ」


 と、それ以上の不満を言うことはなかった。


 少しだけ感心したが、

「どうだ、我ながら見事な賢妻ぶりだろう。良い嫁になるぞ、私は」

 と、(うそぶ)いたので評価を取り消した。


 カイルは自室のテーブルの上に置き手紙を置くと、夜陰に乗じて砦を後にした。


 この手のトンズラはカイルの得意技であったし、フィリスから砦の抜け道をすべて聞かされていたのでなんの苦労もなかった。


 事実、カイルはなんなく砦を去ると、一番近い街道まで出ることに成功する。

 ここまできてしまえば砦から追っ手がくることもないだろう。

 仮に、押しかけ女房のように寄り添ってくるむさ苦しいジジイが異変に気がついたとしてもこれだけ距離を離せばどうしようもないはずである。


 そう思い、安堵の溜息を漏らそうとしたが、その息がすべて吐き出されることはなかった。


 なぜならばカイル達をつけていた人物が居たからである。

 その人物は大きな月を背に、腰の物を音もなく抜き放つ。

 つまり、カイルを切り伏せるつもりでいるようだ。


 その人物は、なんの口上もなく、カイルに斬りかかってきた。

 カイルも男にならい、剣を抜く。


 月明かりの下、二対の影が交わり、金属音の渇いた音が木霊する。

 カイルは剣を受けると、いきなり斬りかかってきた人物に皮肉を言う。


「てゆーか、お前はお姫様の護衛じゃないのか、こんなところで油を売っていいのか?」


「フィリス様の心の安寧を司るのも親衛隊長の役目だ!」

「どういう意味だよ?」


「お前が現れて以来、フィリス様の御心は乱れてばかりだ。お前さえいなければ、姫様は元の姫様に戻ってくれる」


 アザークはそう言うと足癖悪く、カイルに蹴りを入れてきた。

 カイルはそれをかわすと、アザークから距離を取る。


「あほう、そんな理由で姫様がご所望された軍師を斬るのか?」

「お前はフィリス様の軍師にはならないのだろう? ならば斬って何が悪い」

「いや、その論法、おかしいぞ」

「敵に回られるくらいなら、ここで斬っておく!」」


 いや、俺は偽物の軍師だからその心配はない、と言ってやりたかったが、言えるわけがないし、言ったとしても信じることはないだろう。

 それほどまでにアザークの頭には血が上っていたのだ。



 正直、アザークは最初からカイルが気に入らなかった。

 へらへらとした締まりのない顔、いい加減な性格、今でもこの男が白銀のエシルなどとは信じられないくらいだった。

 もしもこの男が白銀のエシルでなければ、もっと早くことに及んでいただろう。


 しかし、神の悪戯か、悪魔の所業か、この男は白銀のエシルだった。

 主であるフィリスが探してやまない最高の軍師だった。

 ゆえに我を捨て、この男の味方をしてきたが、それもここまでだった。

 主の信頼を裏切り、主を捨て去った男に遠慮などする必要がないのだ。 


「つうか、その論法で人を斬るなんて酷すぎないか?」


 カイルは突然、そんなことを言い出す。


「むう、なぜ俺の内心が分かるのだ」


「お前、考えていることが口に出るって親兄弟から言われなかった? さっきから異教徒の呪文みたいな呪詛が口から漏れ出てるぞ」


「……なるほどな。ならば隠し立てする必要ないな。俺はお前に問いたいことがある」


「いや、格好つけられてもな。まあいい、言え」


 カイルは剣戟を受けながら返した。


「お前はフィリス様から不即不離(ふそくふり)の誓いをされたのか?」

「不即不離の誓い? なんだそれは?」


「フィリス様の美しい髪にハサミが入れられていた、つまりフィリス様が髪を切られたのだ。俺はそれに(いきど)っている」


「いや、まあ、あの髪を切るのは勿体ないが、ちょびっとだけだぜ? ほんの一部だぞ」


 カイルはあっさりとそう言ったが、その物言いがアザークの怒りに火に油を注ぐ。


「お前はエルニカの乙女が髪を切る意味を分かっていない!」


 アザークは叫ぶ。


「エルニカの乙女が髪を切り相手に渡すというのは、二つの意味がある。ひとつはその者の妻となる覚悟があるという意味だ」


「え? まじで?」


 カイルは思わず聞き返す。


「馬鹿者! お前ごときに降嫁されるお方ではないわ! フィリス様は恐らく、二つ目の意味で不即不離の誓いを行ったのだ」


「二つ目?」


「そうだ。エルニカでは主に忠誠を捧げるとき、己の髪を手渡し、以後、神に貞操を捧げる」


「いや、俺はアホだから、回りくどい言い方は止めてくれないか」


 なんとなく察しが付くが、カイルは尋ねる。


「つまり、姫様は生涯、未婚を貫き、このエルニカのためにその身を捧げる決心をされたのだ!」


 アザークはそう言い放つと、

「フィリス様にそんな決意をさせたお前が憎い! フィリス様の髪を受け取ったお前が恨めしい! そしてフィリス様の期待を裏切ったお前が腹立たしくてしようがないんだ! だから俺はお前を斬る!!」

 と、自分の胸の内を正直に話した。


 出会ったときからそうだとは思っていたが、やはりこいつは直情馬鹿である。

 姫様のことしか見えていないのだ。

 まさに姫様の犬だが、そのことを軽蔑する気にはならなかった。

 ただ、カイルはそれでもこの男に斬られてやるつもりはなかった。


 カイルはなるべくアザークを傷つけないように留意しながら剣を交えた。

 正直、実力的にはカイルの方が上なのだが、アザークほどの達人を傷つけずに捕らえるというのは不可能に近い所業であった。


 だが、カイルは見事に不可能を可能にする。

 アザークは確かに実力者であったが、それは平時の話だ。頭に血の上った剣客をあしらうのは、カイルが得意とするところだった。





 さて、この狂犬を見事お縄にすることに成功したが、それと同時にとんでもない秘密を知ってしまう。


 いや、初めて出会ったときから、そうじゃないのかなあ、そうかもしれないなあ、と思っていたことが事実だったと言うべきか。


「く、殺せ! 敵の情けは受けないぞ、このへたれ軍師め!」


 と口汚く罵る人物に猿ぐつわをすると、カイルは考える。

 さて、とあることに気がついてしまったことを、気がついていないと思い込んでいる、人物に告げるべきか。


 カイルはひとしきり悩んだ後に伝えることにした。

 もうアザークと会うことはないのだ。

 最後になぜ、そんな格好をしているか聞くのも悪くなかった。


 カイルはアザークの猿ぐつわを取ると、罵倒を再開したアザークに尋ねてみた。


「……つうか、お前、女だったんだな」


 その秘密を暴露されたアザークは、その大きな瞳に涙をためると言い放った。


「……ち、違うもん、わ、わたしは、……い、いや、俺は男だ。何をデタラメを」


 カイルは悪いと思いつつもアザークの胸を揉む。

 アザークは、「ひゃあ!」とエリーでも出さないような可愛い声を漏らす。

 顔を真っ赤にしてうつむく女騎士。


「………………」


 珍獣でも見るかのような目で見つめる詐欺師。


「………………」


 さすがにこれ以上追い詰めると、自決しかねないのでやめておくが、カイルは無言となってしまったアザークにこうささやいた。


「姫様には期待させちまって悪いとは思ってるよ。でも姫様ならもっとまともな軍師と出会えるさ。そのときまで、お前が姫様を守ってやってくれ」


 ……ま、俺が言えた義理じゃないか、と結ぶとその場を立ち去った。


 アザークは最後まで羞恥に耐えた目で何か言いたげにこちらを睨み付けていたが、結局、何もしゃべることはなかった。





 このような顛末で砦を後にしたわけであるが、カイルに思い残すことはなかった。

 遅かれ早かれこうなっていたのである。

 思いの外長く留まってしまったため、このような事態になってしまったが、ここからは詐欺師としての本流を歩むつもりだった。


 カイルは北西に進路を定めると、ジルドレイ帝国へと向かった。


「………………」


 しかし歩みを始めてから半刻も経たないうちにカイルは引き返すことになる。

 カイルは不機嫌の中の不機嫌といった顔で、縛り上げていたアザークの元に戻った。


 アザークは何事か、という顔をしたが、すぐに武人の顔を取り戻す。

 カイルの担いでいる物体を見て、ただならぬ気配を感じ取ったのだ。


 カイルが背負っていたのは血だらけの兵士だった。


 そして兵士はうわごとのように、

「ハ、ハザン王国が攻め込んできた……」

 と、呟いていた。




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