第3章 決闘! 詐欺師 対 不倒翁
†
クルクス砦の中央には大きな広場がある。
ここから武器庫や兵士の宿舎、千人隊長や百人隊長などの武官やそれ以外の文官などが住まう建物などに通じる道が八方に伸びている。
有事の際はここにテントが張られ、援軍の宿舎や野戦病院としても使われるため、贅沢なほどに空間が取られている。
そのため、この広場ではしばしば決闘が催される。
私的なもの、公的なもの問わず、多くの勇者達がこの広場を利用し、あまたの闘いが行われてきたが、本日この広場に集った兵士達は、決闘の開始より前に興奮の渦に包まれることになる。
広場の中央に現れたカイルは、兵士達の前でこう宣言をした。
「皆の者も知っていると思うが、俺はザハード卿の提示した三つの条件を3日で解決すると言った。しかし、その約束は守れそうにない。すまない、謝らせてくれ」
その言を聞いた兵士はため息とともに落胆し、次いでカイルに暴言を投げかける。
「俺はあんたが勝つ方に銀貨3枚も賭けていたんだ」
「やっぱりお前は偽物だったのか? この痴れ者め!」
様々な雑言が耳に入るが、カイルはそれらを無視すると続ける。
「いや、お怒りはごもっとも、しかし、俺にはせっかちというどうしようもない欠点があるんだ。なので3日で解決するなんて悠長なことはどうしてもできなかった。だから2日目、つまり今、その条件をすべて解決したんだ」
勿体ぶった物言いであるが、兵士達はカイルの発言を理解すると、今度は歓声を上げた。カイルはその歓声に呼応するように、右手を挙げると、指示をする。
「この砦の情報を売っていた間者は客席にいる。衛兵、捕らえよ!」
合図と同時に衛兵達が客席に乱入した。
兵士達の視線が彼らに注がれるが、兵士達が期待したような大捕物にはならなかった。
なぜならば間者であるエルトランは夢の中の住人だったからである。
カイルが手渡した薬をまんまと飲んだのだ。
こうしてカイルは約束通り、クルクス砦に潜む間者を捕まえた。
鮮やかな手際で有り、見事な演出であった。
これではいやが上にもカイルの名声は高まり、もはやカイルが白銀のエシルであることを疑うものなど誰一人いなかった。
それはこの条件を提示した本人、ザハードとて同じだった。
元々、この策謀はエルトランにそそのかされたことであり、ザハードの本意ではなかったが、皮肉なことにカイルはそれを見事はねのけ、たったの一晩で砦中の支持を得てしまったのである。
なにもかも裏目に出てしまったわけであるが、ザハードは後悔していなかった。
ここで見苦しく、
「いや、この者は白銀のエシルではない! そのことを証明するため、このザハード、決闘場にてそのことを皆に示す」
と、剣を取ることもできる。
だがそれは恥の上塗りであり、武人の矜持が許さなかった。
自分の軍師が、自分の部下が間者だったという不名誉な事実は、そんなことでは拭えないのである。
ザハードはすべてが終わったと察すると、己の甲冑に括り付けられたエルニカ国の紋章を剥ぎ取り、それをうやうやしくフィリスに返した。
こうなることを察していたフィリスは、それを淡々と受け取ると、
「翻意はできませんか? わたくしには翁の力がまだ必要なのです」
と本心を吐露した。
ザハードはうやうやしくその言葉を受け取ると、
「この無能者には過ぎたるお言葉、誠に暁光でござる。もう少し早く、そのお言葉を素直に受け取ることができたならば、このような事態にはならなかったでしょう」
と、頭を垂れた。
「……残念です。とても」
翻意は不可能と悟ったのだろう。
フィリスは、
「すぐにこの砦を立つのですか?」
と、ザハードに尋ねた。
ザハードは首を横に振るう。
「姫様さえよろしければですが」、そう前置きをすると、ザハードはエシルと決闘をする許可を求めた。
もちろん、遺恨あってのことではない。
職を辞し、騎士であることさえ辞めるのだ。
この老齢とあっては田舎にでも引き籠もり、死に神がやってくるまでの間をただ退屈とともに過ごさなければならない。
身から出た錆ではあるが、それでも最後に、あの白銀のエシルと手合わせをしてみたい、というのがザハードの率直な願いだった。
武人としての本能が、伝説の英雄との闘いを求めているのである。
その言を聞いたフィリスは、武人としての彼の気持ちを察したが、判断に困る顔をした。
恐らく、いや、間違いなく、今のザハードならばカイルの命まで取ることはないであろう。しかし、それでもカイルが大勢の兵士の前で負ける、というのは今後のためにもよくないと思ったのだ。
カイルは自分を悪漢達から救ってくれた手練れだが、それでもこの翁に勝てるとは、フィリスでさえ思っていなかった。
ゆえにフィリスは返答に困ったわけであるが、フィリスの代わりに返答したのは、意外な人物だった。
「いいぜ、ザハード。どうせ血をたぎらせながらこの広場にやってきたんだろ? 試合前にあんなことになっちまったが、爺さんをびんびんにさせちまった責任くらい取るぜ」
カイルはそう言うと、あらかじめ用意してあった剣を取る。
ザハードはその言を聞くと、感涙でむせびながら、
「さすが聞きしに勝る伝説の英雄。このザハード、貴殿への恩義、生涯忘れませぬぞ」
そう言うと同じく、用意されていた剣を取る。
こうなってしまえば女の出る幕ではない。
フィリスは一歩下がると、決闘を認めた。
決闘広場は、兵士達の熱狂と歓声で包まれる。
伝説の軍師、白銀のエシルと、砦最強の騎士、ザハードとの対決である。
まさに夢の対決で有り、近来、いや、この砦建設以来の注目の一戦といえるかもしれない。
この決闘を間近に見ることができた者は神に感謝をし、持ち場を離れられなかった者は一生神を呪っただろう。
それほどまでにこの一戦には見応えがあった。
ぶあん、風を切り裂く音とともに、ザハードの一撃がカイルに振り下ろされる。
刃引きしてあるとはいえ、その一撃をまともに食らえば、カイルの命はなかったであろうが、平然とその一撃を剣で受け止めると叫んだ。
「もちろん、これは小手調べなんだろうな、不倒翁の異名は伊達か?」
「抜かせ、一合で勝負を決めてなるものか。これが最後の晴れ舞台、思う存分楽しませてもらうぞ」
「そうこなくては」
カイルはそう嘯くと、剣をはね除け、今度は自分から連撃を加える。
ザハードは小枝をあしらうかのようにはね除けると叫ぶ。
「これが聞き及ぶところの剛剣か? まるで小鳥のさえずりのようだ」
「うるせえ、俺は技巧派なんだよ」
「ならばその技巧、見せてみよ」
カイルはその挑発に乗り、取って置きの袈裟斬りを放ったが、ザハードはそれをなんなくとかわす。
その姿を見たカイルは思わず、「ヒュー」と口笛を漏らしてしまう。
とても老人の動きとは思えない。
まさしくエルニカの不倒翁とは言い得て妙な二つ名である。
正直、カイルはザハードがいくら剛の者とはいえ、老齢であり、勝てないまでも負けないと思っていた。
序盤、なんとかその攻撃をかわしきれば、息が上がり、そのまま引き分けにでも持ち込めると思っていたが、どうやらそれは都合の良すぎる妄想だったようだ。
「希望的観測によって軍略を語る者は必ずその身を滅ぼす」
エリーが以前教えてくれた兵法の一節であるが、カイルは身をもってその意味を悟った。
「…………つうか、なにこれ、まるで俺が負けるみたいじゃん」
いかんいかん、と、カイルは己の内に湧いた弱気を振り払うと、再び剣閃を放った。
決闘広場に、鉄と鉄がぶつかり合う音が鳴り響く。
その打ち合いに兵士達は見とれ、息をするのも忘れるほどだった。
この決闘を見守る者達は、この決闘の勝者が誰になるか、見届けるまではテコでもこの場を動かないことだろう。
それほどまでに、両者の剣戟に見惚れてしまっているのである。
しかし、そんな名勝負にも終わりの時はやってくる。
この絵巻物のような勝負に勝ったのは、やはりあの男だった。
数十合にも及ぶ打ち合いの末、カイルはザハードの首下に剣を押しつけることに成功した。
つまりカイルは勝利したのである。
しかし、今のカイルに勝因は? と尋ねられても応えることはできなかった。
なぜならばカイルは両肩で息をし、全身を肺にしながら息をしていたからである。
それほどまでの激闘だったのだ。
一方、ザハードの方もそれは同じで、地面にへたり込みながら、「無念」とさえ言えずに呼吸を繰り返していた。
二人が呼吸を整えるまでに、数分の時間を要したが、その時間が過ぎ去ると、ザハードはおもむろに立ち上がり、こう言った。
「やはりお主は白銀のエシルその人じゃ。聞きしに勝る腕前だった。そんな勇者と最後に剣を交えられたことは、このザハードにとってなによりもの僥倖。今日の一戦、一足先にあの世に行っている仲間達への何よりもの自慢話となるだろう」
老人は忌憚なく、己の内に湧いた感情を言葉にした。
カイルは素直にそれを受け取ると、自分も素直に言葉を返した。
「つうか、あんたほんとにジジイなのか? とても棺桶に片足を突っ込んでる年齢に思えない。年齢を偽ってるんじゃないか?」
半分、冗談のつもりで言ったのだが、その言を聞いたザハードは、本日一番の笑顔を見せた。
カイルはその笑顔でとあることを察したが、それでもそれ以上のことは言わなかった。
今この場に相応しいのは、両勇者の健闘に万雷の拍手を送ってくれる兵士達に応えることである。
カイルとザハードは広場の中央で堅い握手をすると、兵士達の歓声に応えた。
さて、このように三つの難題を解決し、砦の兵士達の信頼をも勝ち取ったわけであるが、カイルはそのままザハードを手放すような真似はしなかった。
すべてを終え、砦を辞したザハードに、カイルは使いをやる。
親衛隊長であるアザークは、
「姫を使いにするとは無礼千万!」
と怒ったが、こればかりは姫様にやって貰うしかなく、アザークを納得させるのに一苦労だった。
カイルは、
「ザハードは得がたい人材だ。このまま野に放つのは、焼きたてのパンに砂をかけるようなもんだぞ」
と、アザークを諭した。
「姫様が王都に戻り、この国の実権を奪うにしても、このまま砦に残り、北方の安寧を司るにしても、だ。あの老人は姫様の心強い味方になってくれるはずだ」
確かにその通りなのでアザークは何も言えなかったが、それでも渋る。
「姫様を場外に出す危険は避けたい」
「なんのための親衛隊長だよ。お前は姫様を守る自信がないのか」
「もちろん、命懸けで守ってみせるさ」
「なら、さっさと姫様を連れていけ。これは俺がやっても仕方ないんだ。姫様が行き、姫様が許し、再び姫様の部下にしなければ意味がない」
「……確かにそうなのだが」
アザークは納得すると、護衛部隊を編成し、砦を辞した老人を追った。
ちなみにカイルは、フィリスにとあることを吹き込んでいる。
その一つは、今後、ザハードを年寄り扱いしないこと、だった。
カイルの見立てでは、ザハードは、姫様がこの砦にやってきたことによる降格よりも、姫やその周囲の者、或いは自分の部下から「年寄り扱い」されることの方に憤っているように思われる。
一連のやり取りでそのことを察したカイルは、
「ザハード卿は老人ではなく、髪を白く染めた若者ではないのですか? 失礼ですが、御髪に触れても良いですか?」
とでも世辞を言えば、あの老人はフィリスの言葉に耳を傾けるだろう、と入れ知恵をした。
カイルの策略は見事にあたる。
数刻後、フィリス達一行は見事ザハードを連れ戻すことに成功する。
しかし、戻ってきたザハードの肩にはエルニカ国の紋章がなかった。
訝しんだカイルはフィリスに尋ねる。
フィリスは少し困惑した表情でこう説明をした。
「一度、この国を出奔した以上、再びその禄を食むわけにはいきません、と翁は、いえ、ザハード卿は申されたのです」
「つまり?」
「ザハード卿は、わたくしの与力ではなく、カイル様の部下としてならばこの砦に戻る、ということです」
その説明を聞いたカイルはまっすぐな瞳でこちらを凝視してくる老人の視線に気がつく。美女にその視線を向けられるならともかく、老人に見つめられるというのは、正直、心地よいものではなかった。
「不肖、このザハード。カイル様のため、この老い先短い命を捧げる所存にあります」
ザハードは有無を言わさぬ態度でそう宣言をすると、以後、カイルのもとを離れることはなかった。