第1章 詐欺師大いに騙る
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目の前で生唾をゴクリと飲んでいる少女、名前は、ええとなんだっけ? 忘れた。
しかし、彼女が自分に幸福を運んできてくれる天使だということだけは知っていた。
いかにも田舎の村娘といった風貌の少女は、食い入るようにこちらの眼を見つめながら、先ほど訊ねてきた言葉をもう一度繰り返していた。
「ほんとうに貴方が白銀のエシル様なんですよね?」
すでに5回はその台詞を聞いたような気もするが、メシを奢って貰っているので無下にはできない。先ほどと同じ台詞を繰り返す。
「いかにも。俺が巷で噂になっている天秤評議会イチの軍師、白銀のエシルである」
「白銀のエシル様は、目の醒めるような銀髪の方だと聞いていましたが」
「おいおい、白銀のエシル様が、その二つ名の通り、白銀の髪をしていたら、まんま過ぎるだろう。なんの捻りもない」
「え、そうでしょうか……」
「そうだよ、そう。そもそも、蒼色狼だってほんとは青くないじゃん、よく見ると灰色じゃん。紅蓮熊なんて春先は赤茶色だよ、全然紅蓮じゃない」
「はあ、たしかに」
「それと同じで、白銀のエシルの髪の色が黒でもなんの問題もない。いや、むしろ当然のことなんだよ、自然の摂理なんだ、神の差配なんだ、運命の帰結なんだよ」
「なるほど、たしかにそこまで言われるとそんなような気がしてきました。白銀のエシル様の髪の色が白銀だなんて、やっぱり変ですよね」
「OK、OK、分かってくれればそれで宜しい。そもそも俺みたいなビックネームは、目立っちゃ駄目なんだよ」
そう言うと白銀のエシルと呼ばれた男は、足を組み直し、大声で給仕に料理の追加を頼む。
「まあ、俺も確かに昔は銀髪でブイブイ言わせてた時期はあった。あの時は若かったからね。でも、今じゃ丸まったっていうの? 落ち着いたってやつ? 銀髪なんて年寄り臭い髪型、いつまでもやってられないのよ――、あ、痛てっ!!」
「痛い?」
「いや、なんでもない……」
カイルは、痛みの発生源である少女を睨み付ける。
彼女は、カイルの従者、ということになっているが、その実は、先日、奴隷商人から救い出してやった訳ありの家出少女にしか過ぎない。
救い出してやった恩義か、なんの因果かは知らないが、こうして犬ころのように付きまとっている。
まあ、掃除洗濯はやってくれるし、小間使いとして側に置いておくのも悪くないと帯同を許してはいるが、こうして向こう臑を蹴られるいわれはない。
カイルは村娘に聞こえないように抗議する。
(なんのつもりだ、まな板娘)
(まな板ではない。緩やかな曲線美の持ち主と言え)
(分かった。見渡す限りの大草原。ところで、なんで主である俺の臑を蹴る)
(貴様を主にした覚えなどないが答えてやろう。銀髪を馬鹿にするな、この鴉髪め!!)
銀髪の少女はそう言うと再びテーブルの下から強烈な一撃を蹴り上げてくる。
カイルは再び苦痛に悶えるが、ここで主従関係がないとバレるのは得策でないと判断すると、
「ま、まあ、男の銀髪はジジイ臭いが、可愛い女の子の銀髪はアリだよな」
と、無理矢理笑顔を作り、少女の髪を撫でる。
銀髪の少女は満足したのか、「当然だ」と一言漏らし、再び食事を口に運ぶ。
虫も殺さないような顔をしていながら平然と人の臑を蹴り、淡々と食事を続ける様に呆れるが、カイルは無視を決め込むと、田舎娘に視線を戻す。
彼女は、愛想笑いと呼ぶには過分なほどの笑顔でカイルの顔を見つめていた。
森で綺麗な草花を見つけた少女、と形容したいほどの無垢な笑顔だ。
完全にこちらを信じ切っている。
いや、生まれてから一度も人を疑ったことがないのではないだろうか、その蒼色の瞳からは、負の感情は一切感じない。
というか、他人事ながら、よくもまあこんな少女がここまでやってこれたものである。
少女は、この街から南に200エルほど離れたところにあるモニカ村という小さな村からやってきたらしいのだが、どうやってその長旅に耐えたのだろうか。
仮にカイルが山賊ならば、身包みを剥いで森の木に括り付けるくらいのことはするだろうし、カイルが奴隷商人ならば、捕まえて倒錯趣味の貴族に売りつけるくらいのことは平気でするだろう。
昨今、このエルニカ王国は、国王の不予(病気)もあり、乱れに乱れている。
王都には難民が溢れ、国境沿いには隣国の軍隊がたびたび現れているという。
まさに国は麻のように乱れており、こんな女にも分類できない子供が一人で旅をできるような状況ではないのだ。
しかし、彼女はそれらの厄災を見事回避し、この街までやってきた。
そして街の往来に立つと、
「この街に天秤評議会の軍師様が滞在していると聞きました。だれか所在を存じ上げませんか?」
と、日がな一日中通行人に尋ね始めたのだ。
カイルはその光景を見かけたとき、少女が狂人なのではないか? と疑った。
戦災で家族を亡くした憐れな少女だと思ったのだ。
不憫ではあったが、珍しくはなかった。
ゆえに、無視を決め込んでいたのだが、少女が数百回目の「天秤評議会」という言葉を口に発したときに、思わず声をかけてしまった。
「同情したのか?」
と、連れの少女はからかってきたが、カイルの持つ辞書にそんな安っぽい言葉は載っていなかった。
ただ、少女の真剣さに、メシの匂いを感じ取ったに過ぎなかった。
カイルの嗅覚が正しいことは、目の前に置かれた皿の山が証明しているだろう。
カイルは、少女に天秤評議会の軍師だけが持つことを許される印綬を見せつけると、そのまま言葉巧みに町一番の料理を出すということで有名な「黄金の夜明け亭」に連れ込んだ。
「軍師の口を滑らかにしたければ、口に油を注すのが一番なんだよ」
という理屈なのだが、少女が小金を持っていると判明したこともある。
「食えるときにはしこたま食え! たかれるなら乞食にもたかれ!」
というのは師匠の有り難い格言なのである。
さて、こうしてカイルは数ヶ月ぶりの御馳走にありついたわけであるが、世の中にタダというものは存在しないことを知っていた。
こうしてメシを食べてしまったからには、少女の話を聞かなければ釣り合いが取れないのである。
カイルは、最後の厚切りベーコンをエール酒で流し込むと、歯につまった食いカスを爪楊枝で掻きだしながら、大仰に訊ねた。
「ふー、食った食った。で、お嬢さん、本題に入ろうか」
少女はまるで花を咲かしたかのように顔をほころばせた。
「お話を聞いて頂けるんですね? わたしの村、モニカ村を救って頂けるんですね?」
「まず一番目の問いはイエスだ。天秤評議会の軍師に不調法者はいない。飯を奢ってくれたからには話くらいは聞く」
「え……、それじゃあ、村を助けては頂けないのですか?」
「その答えはノーだ」
困惑した顔をする少女に助け船を出す。
「つまり、話を聞いてからでないと答えられないと言うことだ。いくら天秤評議会の軍師といっても、海の水を飲み干せと言われてもできないし、一兵も率いずに大陸を統一しろと言われても無理だ。できること、できないことを弁えて初めて知者になれるんだよ」
「じーん」
「どうした? 小娘」
「いえ、なんか、軍師様っぽいお言葉で、感動していたんです。やっぱり、本物のエシル様なんだな、って」
「いまだに疑ってるのか?」
「いえ、そのようなことは。でも、白銀のエシル様と言えば、身の丈3メルンはあろうかという銀髪の偉丈夫と聞いていたので、ちょっと驚いただけです」
「伝説ってのはおおむねそんなもんだよ」
「そうですね、村の大人の人達も、お酒が入ると話が大きくなります。森でトロールを見たとか、村はずれにある巨石を持ち上げたことがある、とか」
「ちなみに世間に伝わる実力の方は過小評価されていると思ってくれて構わないぜ。俺が本気を出せば、この国くらいなら3ヶ月もあれば征服できる」
「ほんとですか?」
少女はテーブルに両手を突き、身を乗り出す。
「なんだ? 依頼は、この国を征服して欲しいとかか?」
「ま、まさかそんな。恐れ多すぎます」
少女は両手を振り、否定する。
「ただ、この国を征服できるくらいの力を持っているなら、山賊を倒すことくらい朝飯前ですよね」
「朝飯前どころか、二度寝の最中に片手間でできるね」
「じゃ、じゃあ、エシル様、ちゃんと報酬はお出ししますので、村に仇なす山賊を退治していただけませんか?」
少女は、興奮した面持ちで、指を5本開く。
つまり、金貨5枚でこの依頼を受けてくれ、ということなのだろう。
カイルは顎に手を添え、考えを巡らせる。
少女は、緊張の面持ちで事の推移を見守る。
実は、カイルの悩みは、依頼を受けるか否かではなく、どうやって依頼料を釣り上げるか、どうやって前払いして貰おうか、に移行している。
実際、白銀のエシルにとって、寒村に巣くう山賊退治など、赤子の手を捻るようなものである。
なにせ白銀のエシルとは、伝説的な軍師達が集う天秤評議会の中でも五指には入るという高名な軍師で、数十年前に北方にある帝国を二分した皇位継承戦争をたったの一ヶ月で解決に導いたこともあるのだ。それも当時、最も皇位に遠いとされていた皇子を帝位に即けたのである。
そんな軍師が村に訪れれば、少女の想像通りにことは運ぶであろう。
村を長年苦しめてきた山賊達を、魔法でも使うかのように懲らしめ、二度と悪さをしないと誓わせる。
あっという間に問題を解決してしまうだろう。
天秤評議会の軍師とは、そういう存在なのだ。
この大陸に数多いる軍師達の頂点を極める存在なのだ。
少女は、渋るカイルをなんとか説得するべく、報酬の増額を交渉したが、金貨の枚数が二桁になったとき、なんとか首を縦に振って貰った。
正直、山村にある小さな村にとっては大金ではあるが、それでセレズニア大陸一の軍師が助けてくれるのならば、安いものである。
しかし、依頼を受諾させたことに意気揚々の少女と、
依頼料の釣り上げに成功した青年は、ひとつの問題に気が付いていなかった。
たったひとつにして、重要な問題に――
その問題とは、カイルが白銀のエシルではないというものだった。