第3章 飛んで火に入る夏の軍師
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結論から言ってしまえば、横領事件はたったの一日で解決した。
正確にいえば、二刻もかからずに犯人を捕縛したのである。
犯人は砦に長年籍を置く中年の騎士で、愛人に贅沢をさせるために横領に手を染めていたそうだが、砦の人々は犯人やその動機よりも、どうやって犯人を突き止めたかの方が気になった。
もちろんカイルは包み隠すことなくこう言い放つ。
「オレは白銀のエシルだぞ。オレの慧眼にかかればやましい奴の瞳などすぐに見分けられるのだ」
兵士達は驚嘆し、或いは恐れおののいた。
「さすがは白銀のエシル様、聞きしに勝る知謀だ」
兵士達はカイルの知謀に畏怖したが、事情を知っている者は眉をひそめないでもなかった。
「あれが知謀? 知謀とは己の内から捻り出すものだと思っていたが、どうやら私とお前では持っている辞書が違うようだな」
カイルはエリーの皮肉に応える。
「あほ、ここで俺が千里眼の持ち主だと兵士共が誤解してくれれば、今後もやりやすくなるだろ」
「兵士達の過信は油断に繋がるかもしれないぞ」
「そうなったらそのとき考えるよ。でも、今、俺に千里眼があると兵士共が誤解すれば、この砦に潜む間者が慌ててぼろを出すかもしれない」
「なるほどな、やはり軍師である前に詐欺師だな、そういう考え方もあるか」
「だから軍師じゃねーつうの、俺は純度100パーセントの詐欺師だ」
いつものやり取りを繰り返すと、そんな二人のもとに、今回の事件を解決に導いた人物がやってきた。
「白銀のエシル様、よろしいでしょうか?」
必要以上にうやうやしく入ってきた男、名をエルトランという。
愛想の良い表情と恰幅の良い腹を持った小男で、横領事件を解決に導いたキーマンだった。
「おうおう、エルトランか。お前に対して閉ざす扉は持っていないさ、入れ入れ」
カイルは大仰に許可する。
「有り難き幸せ」
またも恭しく頭を垂れるエルトランに、カイルは忠言する。
「お前のおかげで横領事件が解決したんだ、そんなにかしこまらなくてもいいんだぞ」
「はあ、ですが……」
「俺は堅苦しいのは嫌いだ。つうか、お前は俺の恩人なんだ、恩人らしく振る舞え」
カイルにそう言われたものの、生来の気の弱さのためだろうか、エルトランは人の良い笑顔も恭しさも消すことはできなかった。
「まあいいか、んで、なんの用なんだ」
「無事、横領犯を捕まえたとのこと、その祝辞と、今後のことについて改めて話をさせて貰いに参りました」
「ああ、そういえばさっきもそんなこと言っていたな。そんなのは明日でもいいのに」
「善は急げ、という諺もございます」
「急がば回れ、なら知っているがな」
戯けて応じて見せたが、それでもカイルはエルトランの話を聞いた。
「実はわたくしの主についてのことなのです」
「お前の主……、というとザハードのことか?」
「はい、わたくしの直属の上司でございます」
直属の上司、とエルトランは言ったが、実はこの男、ザハードに仕える軍師なのである。
そう、カイルに横領犯の存在を教え、その証拠を持ってきたのは、ザハードの部下だったのだ。
カイルは最初、エルトランがやってきたとき、ザハードの間者でないか疑った。
当然である。
ザハードと敵対した数時間後に、その腹心がのこのことやってきたのだ。疑わない方がどうかしている。しかし、カイルの下にやってきたエルトランは、切々とその心情を語った。
「自分はザハード様から身に余る恩寵を受け、ザハード様の軍師職を拝命するに至りました」
エルトランはそう前置きすると、涙ながらに続ける。
「しかし、それと同時に自分はこのエルニカ国に仕える身、エルニカ王家の臣でもあるのです。今回のフィリス様とザハード様の諍い、どちらにお味方すべきか、このエルトラン、この身を引き裂かれるような思いでした」
つまり、エルトランは直接の上司ではなく、王家への忠誠を取ったのだ。その手土産としてエルトランは横領犯の存在をカイルに教えてくれたのである。
カイルはその一件でエルトランを信頼したわけではないが、少なくとも信用することにした。
アザークなどは、
「このアザーク、エルトラン殿の忠義に感服しましたぞ!」
などと、エルトランにつられて泣いていたが、フィリスなどは複雑な表情をしていた。自分を選んで貰って嬉しい気持ちは確かにあるのだが、翁に内密にこちらに情報を売る、というのはなんだが納得いかないものがあるらしい。
カイルは、
「王者は時として蛇の道を渡らなければならないんだよ」
と、姫様をさとした。
さて、このように姫様はエルトランの裏切りに少しばかり後ろめたいものがあるようだ。ゆえに、カイルが一人になったときを見計らって再訪したのだろう。
直属の上司について話がある、とのことだ。
恐らくエルトランは、この砦に潜伏しているだろう間者について語るはずだった。
エルトランは案の定、
「口にするのも憚りたいのですが、実は敵国に情報を売り渡しているのは、我が主のようなのです」
と、言いにくそうに主の罪を告白した。
カイルは驚くようなそぶりは見せず、
「やはりあの老人が間者なのか」
と呟いた。
その言を聞いたエルトランは、
「エシル様も気がつかれていましたか」
「ああ、アザークから敵国に漏れた重要機密とやらを列挙して貰ったが、どう考えても砦の上層部の人間しか知りようのないことがいくつかあった。かなりのお偉いさんが関わっているのだろうな、とは思っていたよ」
「聞きしに勝るご慧眼です」
「もっと褒めろ、と言いたいところだが、お前から情報を貰わない限り、ザハードを疑ったかどうか」
カイルはそう漏らしたが、それでも少し納得できないものがあった。
「あの爺さん、確かに偏屈者だったが、そんなことをするような男には見えないんだが」
「確かにザハード様は昔ながらの武人です。卑怯な真似を何よりも嫌われます。ですが、フィリス様がこの砦にやってきて以来、降格の憂き目に遭い、実権も徐々にではありますが奪われつつあります。そのことを大変憤慨しているようでした」
「つまり姫様が帝国にでも負ければこの砦から左遷される、と踏んだわけか」
「恐らくは」
「なるほどな、辻褄が合う……、しかし、だ」
カイルは言う。
「確かに辻褄は合うが、納得いかないこともある」
「と、申しますと?」
エルトランは人の良い笑顔を崩さずに返す。
「いや、なんか都合が良すぎる。つうか、お前は本当に主を裏切るのか? 土壇場でこっちを見限るんじゃないか、と俺は思っている」
「忠誠の証として横領犯の情報をお耳に入れましたが、それでは不足でしたか」
「不足とは言わないがね。でも姫様じゃないが、主を裏切る奴を簡単に信用して良いものかどうか、とは思っている」
「わたくしの主は王家だと思っています。ゆえにザハード様の裏切りが許せなかったのです」
「なるほどね」
カイルはそう言うとエルトランの足先から頭頂までをじっくりと品定めをする。脂汗をかいていないか、筋肉が震えていないか、確認したが、不審な点は一切なかった。
「しかし、ザハード様って、ザハードは裏切り者なのだろう。様付けはしなくていいんじゃないか?」
「いえ、確かにザハード様は罪人でございますが、それでも自分の恩人であり、上司であることには変わりありません。先ほども申し上げましたが、ザハード様を裏切ることは、このエルトランにとってその身を半分に引き千切られるも同じなのです」
「そうか、なるほど、どうやらお前は信頼に値する人物のようだ。確かに密告者は信用ならないが、お前の密告は自分のためではなく、王家のため、ひるがえってはザハード自身のためにあるのだろう?」
「その通りでございます。仮にこの件で姫様に褒美を頂けるとしたら、わたくしはザハード様の助命を嘆願するつもりでいます」
「そうか、ザハードという老人はそこまで部下の心を掴んでいるのか。さぞや軍師にも優しく接してくれるんだろうな」
「はい、ザハード様ほど軍師を《大切》にしてくださる方はおりません」
その言を聞いたカイルは完全に《理解》すると、頭を下げた。
「いや、疑ってすまない。お前も軍師なら分かるだろうが、この商売、他人を疑うのが仕事のようなものなんだ。確かにお前の忠義、疑う余地はない。姫様には俺から話、お前が信頼に値する人物だと伝えておく」
その言を聞いたエルトランは、
「有り難い幸せです」
と頭を下げた。
「さて、これでお前の言を完全に信用することにしたが、そうなるとザハードを間者として捕らえなければならないな」
「皮肉なことですが、二つ目の条件、間者を捕まえる。三つ目の条件、ザハード様と一戦交える、を同時に達成できますな」
「ああ、その通りだ。まさかあの老人も自分が間者として捕まるなんて思ってないだろうからな。もしも俺が間者を捕まえるにしても自分以外の者がお縄になると思っているだろう」
「さっそく、砦の精鋭を集めて捕縛されますか?」
「いや、それについては色々考えたんだが、あの爺さん、メチャクチャ腕が立つんだろう?」
「エルニカの不倒翁(おきあがりこぼしのこと)の異名を誇っています」
「そんな人物を捕縛すればこちらにも被害がでそうだ。それに異変に気がつかれて逃亡を許すかもしれない」
カイルはそう言うと一計を案じることにした。
カイルは自分のずた袋の中からとある薬品を取り出す。
「それはなんでございますか?」
エルトランは興味深げに尋ねる。
「トネリコの木の根を煎じたものだ。強力な睡眠薬として知られる」
「それをザハード様に飲ませる、というわけですな」
「その通りだ。決闘の寸前に茶にでも混ぜて飲ませてくれ」
「しかし、決闘の寸前ではなく、今すぐ飲ませれば宜しいのでは?」
「いや、ここは劇的な場面を演出したいんだ。多くの兵士が集まった広場で、二つ目の条件と三つ目の条件を同時に、そして鮮やかに解決する。否が応でも俺の名声も高まるだろう?」
「なるほど、確かに。深慮遠謀、感服いたします」
「それにこの薬、少しばかり苦くてな。今、飲ませたら感づかれて吐き出されてしまうかもしれない。闘いの前の興奮した状態ならば、気を静める薬とでも言えばあの老人もすんなり飲むんじゃないか?」
「なるほど」
「というわけで、お前に赤いのと青いのを渡すから、試合直前に飲ませるんだ」
「どうして二種類あるのです?」
「ひとつはお前用だよ。ジジイだけに薬を飲ませると訝しがられるかもしれない。まずはお前が赤い方を飲むんだ。そしてその後にジジイに青い方を飲ませるんだぞ」
「なるほど、分かりました。青い方だけに睡眠薬が混ぜてあるのですね」
「その通り、さすがに分かっているな」
「これでも軍師のはしくれでございますゆえ」
エルトランは快諾すると、「それでは試合の時間が決まりましたら、使いの者でも構いませんのでお知らせください」とカイルの部屋を辞していった。
「おう、試合後に一緒に酒でも酌み交わそうぜ」
と、カイルはエルトランを見送った。