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第3章 老将の挑戦状

   †


 仮にもし、マリーの策略が成功していれば、フィリス・エルニカという王女は天秤評議会の軍師を最短でその幕下に加えた人物として名を()せたかもしれない。

 しかし早々都合良く行かないのが策略というものである。


 セクシーというよりも淫らな格好で現れたフィリスは、親衛隊長であるアザークにこっぴどく叱られると着替えさせられた。

 困ったようなほっとしたような表情でフィリスは指示に従うと、白地に金縁(きんぶち)を施したごくごく無難なドレスで会見の間に現れた。


 ここで天下の軍師、白銀のエシルの説得にあたるわけであるが、その簡素なドレスでもカイルの気を引くには十分だった。


 カイルは、二度ほど固辞した後に、

「かりそめではありますが、軍師職、謹んで拝命いたします」

 と、フィリスに忠誠を誓った。


 ちなみに二度固辞するのは、いにしえの軍師の通例に従っただけで、本当は最初からそのつもりでやってきていたのだが。


 カイルは軍師職に就くにあたって、二つのことを約束させた。


「王女殿下に忠誠を捧げる気持ちに偽りはありませんが、天秤評議会の軍師は主を一人に定めることはありません。時が来ればこの砦を辞すことになりますが、それでも宜しいでしょうか?」


 これはもちろん、戦になる前にトンズラする方便である。


 フィリスはもちろん、

「わたくしが、いえ、我が国が大陸統一の野望を持つことは、神に誓ってないと断言できます。ゆえにわたくしとカイル様が対立することはありえないでしょう。ですが、天秤評議会には天秤評議会の事情があることは存じ上げています。例え一時でもエシル様を軍師にすえられたことは、一生の誉れとなることでしょう」

 と、その条件を認めた。


 次に二つ目の約束、であるが、これは約束というよりも心配事だった。


「この砦にやってきてから、武官の奴らを中心に何人か紹介されたが、いえ、されましたが、気になることがある……、いや、あるのですが」


「カイル様。形式上はわたくしが主となりますが、カイル様はわたくしの恩人であり、わたくしは兄のようにお慕いしています。いつも通りの口調で構いませんから」


「それは助かる」


 さすがベッピンさんは度量が違うね、と口笛を吹いたが、アザークのこめかみがひくついたので止めると、話を戻した。


「俺が気になるのは、この砦内の意見が一致しているか、だ。いや、もちろん、満場の一致なんてあり得ないのは分かっているが、それでも俺のことを快く思わない奴らが結構いるみたいだぜ」


 フィリスは顔を曇らせたが、包み隠すことなく説明してくれた。

 確かにこの砦は一枚岩ではない、と認めたのだ。


「わたくしは王族将軍です。何の功績もなく将軍職を与えられ、この地に赴任してきました」


「なるほど、要は妬まれている、と」


 カイルは皮肉を言ったが、フィリスは彼らを庇うように弁護する。


「いえ、彼らの感情はもっともでしょう。わたくしはなんの実績もないどころか、一兵も率いたことがない小娘なのですから」


「……なるほど、ね」


 実は自分もなんだよ、奇遇だな。カイルはそう言ってやりたかったが、それを抑えると、続ける。


「つうか、そんな状況下で俺を軍師なんかにして大丈夫か? 姫様の立場をもっと悪くしちまうんじゃねーか?」


 それについて答えてくれたのは、フィリスではなく、横にいたアザークだった。


 彼はその言を聞くと、

「それについては心配ない」

 と言い切った。


 理由は単純なもので、

「フィリス様の立場はすでにこの上なく悪い。だから何をしてもこれ以上悪くなることはないだろう」

 というある意味開き直ったものだった。


「フィリス様が、女の身であると侮る者。王族将軍であることを小馬鹿にする者。王妃一派に媚びを売るためにフィリス様から距離を置く者。この辺境の地にも王宮のような政治の論理という奴があるのだ」


 アザークは、特に一番最初の、女の身を馬鹿にする風潮にいきり立ち、男など「立ち小便ができるくらいしか女より優れたところはないのに」と悔しがった。


「大なり小なり、人が集まればそんなもんだ」

「……確かにな。まあこれでも王宮という伏魔殿(ふくまでん)よりはましなのだがな」

「そうか、できればそんなとこ、一生近寄りたくないね」


「同感だ、と言いたいところだが、オレの目標は姫様を王都に戻し、この国を治めていただくことにあるからな。同意はできない」


「王都に凱旋ね。この砦ひとつ(まと)められない者が王都に戻ったところで何ができるのかな」


 カイルは己のうちに湧いた皮肉を遠慮なく放出した。

 アザークはその言を聞き、明らかに不機嫌になったが、王女の手前、怒りを抑えながら抗弁した。


「確かに、半数はフィリス様を快く思わない連中だが、半数はフィリス様に忠誠を誓っている。フィリス様のためならその命を惜しまない一騎当千の猛者どもだ」


「なるほどね。まあ半分でもすごい方だ。どんな英雄王だろうと部下すべてに忠誠を誓わせることなどできない。問題はその忠誠不足の連中をどうやって従わせるか、だからな」


 カイルはそう言い切ると、フィリスに視線をやる。

 問題は姫様にその器量があるか、だが、それについて考察することはなかった。

 カイルはこの砦に長く留まることはないのだ。

 一週間ほど歓待を受けた後、どろんする予定なのである。

 ゆえに王女の器量について考えても無駄なのである。


 カイルはそう思い、話を切り上げようとしたのだが、そこにひび割れんばかりの大声が横槍を入れてきた。


「ほう、白銀のエシル様がこのクルクス砦に御滞在とは聞いていたが、まさか到着早々に臣下の礼を執り行うとは。このザハード、聞いておりませんでしたぞ」


 会見の間に現れた老人は甲冑を身に纏っており、いかにも武人めいた雰囲気を醸し出している。

 カイルはすぐにこの男がこの砦内における重鎮であり、反フィリス派の先鋒であると察した。

 そしてその考察が正しいことをアザークは教えてくれる。


「かの老人はフィリス様がこの砦にやってくる前の城主だ。王族将軍がやってくる、ということで、形式上は降格となり、姫様の与力(よりき)(部下)に組み込まれた」


「形式上ってことは実際は?」

「あの老人はこの砦の生き字引だ。古参の兵の殆どは彼の味方だと思っていい」

「なるほど、ね」


 カイルがアザークの説明を聞き終えると、この砦の旧主は再び大声で皮肉を漏らす。

 フィリスは、その皮肉に申し訳なさそうに応じる。


「ザハード(おう)、わたくしはザハード翁をないがしろにしようとしていたわけではないのです。ただ、翁が昨今、体調が優れぬと聞いていたので、あえて私事であるこの件に御足労願うのはどうかと思ったのです」


「……姫様、ザハード翁などという呼び方は止めて頂きたいと先日も申し上げたはずですが」


「す、すみません、それでは、ええと、ザハード(きょう)?」


 フィリスは顔色をうかがうように問う。


「いえ、ザハードで結構。拙者は姫様の臣でござる。敬称など無用」


「わ、分かりました。……ザハード。繰り返しますが、わたくしはザハードの体調を思ってこの場に呼ばなかったのです。どうか許してください」


 その言を聞いたザハードは、「……ふん」と鼻を鳴らすと、それ以上の糾弾はしなかった。確かにザハードがこの数日間伏せていたのは周知の事実である。それを理由にこの場に呼ばれなかった、というのもある意味説得力がある言い訳であろう。


 だが、それでもザハードは気が収まらなかった。


「過分な心遣い、臣としては恐悦でござる。しかしこのように体調は万全になりましたゆえ、以後、この席に出席し、姫様の与力としてご意見を申し上げても宜しいな?」


 フィリスはもちろんです、と彼に席を勧めたが、ザハードはそれを固辞すると、次いでカイルの方に振り向き、値踏みするように睨み付けた。


「この男が伝説の軍師、白銀のエシル……、殿ですか」


 数十年に渡り戦場を駆け抜けた男独特の凄みある視線である。


 正直、びびらないと言えば嘘になるが、カイルにも詐欺師としての意地がある。堂々と名乗った。


「うむ、その通り。俺が天秤評議会の軍師、白銀のエシルである」

「天秤評議会、か」


ザハードはその言を聞くと、皮肉を隠すことなく呟く。


「……天秤評議会。天秤評議会ね、ああ、そうだ。思い出したぞ。確か千年ほど前からこの大陸で子ネズミのように蠢動(しゅんどう)している軍師(あおびようたん)共の寄り合いがそんな名前だったな」


 皮肉に満ちた物言いである。

 確かに天秤評議会の名を知らぬ者はこのセレズニアには存在しなかったが、この大陸に住まう人間すべてが天秤評議会に好意を抱いているわけではなかった。


 特にこの老人のように戦場で戦う武人にとっては、ころころと主を代える変節漢に見える場合もあるらしく、決して尊敬の対象になる集団ではないのだ。


 手厳しい物言いであるが、カイルは傷ついたりはしなかった。

 なぜならばカイルは天秤評議会の軍師ではないからである。


 ゆえに老人が、



「軍師か。ワシは昔から軍師という奴が大嫌いだった。後方の安全な地で采配を採るだけで、命懸けで戦うことは決してない。それだけならまだしも、戦に勝てば己の功績を誇り、負ければ敗因を兵士たちに押しつける」



「勉強こそできるだろうが、現実は何も分かっていない。戦場で戦う兵士の苦労も、命のやりとりをする恐怖も、だ。なのに奴らの口から出るのは俺の指示に従え、だけだ。あまつさえ、命懸けで戦っている武人をあざけり笑うことすらある」



 などと、幾通りもの悪口を列挙しても、カイルには暖簾に腕押しである。

 老人の態度に苛つきはしたが、その悪口はもっともだと思うくらいだった。


 目論見が外れたザハードは更に苛立った。

 ザハードとしてはここでエシルを激発させ、そのことを以て姫に相応しくない軍師として糾弾するつもりだったのだが、当てが外れたのである。


 この男、鈍感なのか、それとも達観している大物なのか、ザハードは判断に迷ったが、結局は用意しておいた秘策を使うことにした。


 とある人物から入れ知恵されたものであり、武人としてはあまり用いたくない論法だったが仕方ない。この砦に天秤評議会の軍師などがやってこられたら、ザハードとしても困るのだ。


 ゆえにザハードは恥を偲びながら詭弁(きべん)(ろう)した。


「それにしても、だが……」


 ザハードは再び値踏みするようにカイルの足から頭頂まで見やると、こう続けた。


「拙者、白銀のエシル殿は、身の丈3メルンはあろうかと聞き及んでいましたが、カイル殿はいささか小ぶりのようですな」


「昔よりは少し縮んだかな」

「ほう、天秤評議会の軍師は伸び縮みする、というわけか」

「そうなんだよ。記録しておけよ。なんなら百科事典に載せてもいいぞ」


 その言を聞いたザハードはその立派な髭を振るわせる。カイルの物言いが癪に障ったのだろう。フィリスは心配げに、アザークは余計なことをするな、そんな表情を浮かべていたが、そんなことは知ったことではなかった。


 正直、先ほどからのこの老人の物言い、いくら人格者であるカイルだからといって看過できないものがある。

 それにではあるが、この老人の魂胆も見え透いていた。

 この老人はなんとしてもカイルを軍師にしたくないのだ。

 そのためならば、カイルが白銀のエシルではない、という有りもしない(?)誹謗中傷を用いるのもためらわないだろう。


 実際、業を煮やしたザハードは、その論法を用いた。


「このザハード、他の者より多少長生きしているゆえ、他の者より物を知っているつもりでいるが、白銀のエシルがこのような小僧だとはとても信じられぬ」


「ザハード! 先ほどからカイル様に対する暴言、いくら貴方がエルニカの宿将とはいえ、許せぬこともありますよ!」


 カイルを真っ先に庇ってくれたのはフィリスだった。

 しかしザハードはフィリスの抗議などまったく受け付けなかった。


「拙者は国王陛下自ら娘を頼む、と仰せつかっている。姫様に悪い虫が付かぬようにするのも臣の勤め。仮にこの者が本物のエシル殿だった場合、このザハードの白髪首を以てあがないますゆえ、しばし口を噤んで頂きたい」


「………………」


 自分の祖父のような年長者にそこまで言われてしまえば、フィリスも黙るしかなかった。


「拙者が幼き頃、ジルドレイ帝国に現れ、皇位継承戦争で活躍したといわれている白銀のエシル殿は確かに銀髪の偉丈夫であったと聞く。このザハードの父がそう申していたのだ。それは間違いないはず。しかし、ここいいる小僧は、偉丈夫でもなければ銀髪でもない。それはどう弁明する」


「いや、お前の親父は超いい加減だから。本物のエシルは銀髪の生意気な少女だ」


 そう言ってやりたかったが、必死で抑えると、こう抗弁した。


「偉丈夫かどうかは人それぞれの見方だから俺からはなんとも言えんな。戦場で俺を見れば皆震え上がって実際よりも大きく見えるかもしれん」


「……ほう、言いよるわ」


「銀髪についてはこの世界には染料ってものがあるのは知ってるかい? 爺さん、あんたの白髪頭も黒く染めることだってできるんだぜ?」


「………………」


 ザハードは歯ぎしりを隠さない。ああ言えばこういう生意気な若造め、表情がそう言っていた。

 だが年長者としての節度がそれを抑えると、こんな提案をしてきた。


「姫殿下、拙者の考えを聞いて頂けますかな」


 フィリスは頷くと、彼の次の言葉を待った。


「確かにこの者、天秤評議会の軍師が持つといわれている印綬を持っています。姫様はその一事を以てこの者を白銀のエシルだと判断されたのでしょう」


「それだけではありません。彼はわたくしを命懸けで助けてくれました。わたくしは彼と出会って以来、その一挙手一投足に注視してきましたが、彼こそまさしく天秤評議会の軍師だと確信しております」


「ほう、なるほど。印綬ではなく、その行動によって彼を白銀のエシルだと判断されたのですな?」


「その通りです」


 フィリスはきっぱりと肯定した。


「ならばこうしませぬか? その英雄の資質とやらを拙者にも、いや、この砦の者にも見せては貰えませぬか?」


 ザハードは人の悪い笑みを浮かべながらそう提案した。

 この期に及んで証拠を見せろ、とは、面倒にして無礼千万であるが、カイルは了承せざるを得なかった。


 フィリスが、

「宜しいでしょう、カイル様は英雄の中の英雄です。瞬く間に砦の者を皆納得させるでしょう」

 と開口一番に売られた喧嘩を買ってしまったこともあるが、


 ザハードが、

「小僧、逃げるなら今のうちだぞ。恥をかくことに慣れているかもしれないが、姫様の前で情けない姿は見られたくあるまい」

 と挑発してきたこともある。


 正直、この糞ジジイをぎゃふんと言わせられるなら、採算度外視でことに及んでも良いくらいだった。


 こうして、カイルは己の矜持(きょうじ)のため、姫様のため、老将ザハードの提示した三つの条件に挑むことになった。


 カイルはその条件を提示されると、そんな簡単なことで良いのか、と大見得を切り、ザハードに、

「あんたは一週間でと言ったが、3日ありゃそんくらいできるさ。もしもできなかったらあんたの望み通り俺は砦から出ていくが、もしも三つともクリアしたら、あんたがこの砦から出ていくんだぜ」

 と言い放った。


「ふん、分かっておるわ。このザハードに二言はない」


 ザハードも確かな信念でそう応じると、この剣呑(けんのん)な会見は終わりを告げた。




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