第3章 クルクス砦に到着
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クルクス砦にやってきたカイルは、
「長旅の疲れもあるでしょう」からと、砦内に一室を与えられ、休むことを勧められた。
カイルは王女の厚意を素直に受け入れると、
「あ、こいつはエリーといって、俺の弟子兼小間使いなんだ。こいつも疲れてるだろうから、馬小屋か肥だめの横でも良いので部屋を与えてやってくれないかな」
と、一応提案した。
フィリスは微笑むと、「もちろんでございます」と言った。
一方、ぞんざいに扱われたエリーは怒るでもなく、侍女たちが用意した香油の入った風呂に浸かりに行った。
こういうところは女だな、と妙に関心しながらカイルはベッドに体重を預け、これからのことについて考え始めた。
正直、勢いで付いてきてしまったが、本当にこれで良かったのだろうか?
カイルは早速後悔に近い感情を抱えていた。
モニカ村で白銀のエシルを騙ることに成功したカイルだったが、なにも本当に軍師になるつもりなどないのだ。
エシルの印綬を悪用して、日銭を稼ぐことで面白おかしく暮らして行こう、というのが、カイルの人生プランだった。
仮に――、仮にである。
このままここで王女の軍師を勤めるとしよう。
大金は貰えるだろうし、扱いは王族に次ぐものになるだろう。
王女お抱えの美人侍女と官能的なロマンスも発生するかもしれない。
しかし、その代償としてカイルは、実際に戦場に立ち、采配を振らなければならないのだ。
自分が戦場に立ち、大軍を率いる様を想像してみる。
「………………」
想像の中の自分は、やはり夜陰に乗じて戦場から逃げ出していた。
「我ながら情けないな、まったく」
或いは、なんとか最後まで戦場で采配を振るう姿も想像してみる。
「………………」
見事なまでに打ちのめされ、敵兵に首を取られる姿しか浮かばなかった。
当然である。
カイルは白銀のエシルを騙る偽物であって、白銀のエシルその人ではないのだから。
いや、それどころか軍師ですらなく、戦場に立ったことさえないのだ。
そんな男が王女の軍師を勤めるなど、土台無理な話なのである。
「ここはやはりいつものように前金だけ貰っておさらば作戦で行くか」
カイルは独り言のようにつぶやく。
たぶんではあるが、それが一番無難なような気がする。
あのお姫様のことだ。
少しばかり軍師の真似事をして見せれば褒美くらいくれるだろう。
ことが大きくなる前に、つまり戦が発生する前に、なんらかの適当な理由、
例えば、「雲の動きが遠国の危機を知らせてくれている、俺はそこにいかなければならない」、
とか、
「今、貴女にお仕えしてしまうと大陸のパワーバランスを崩してしまう」、
などの理由をでっち上げて、軍師職を返上する。
それがカイルにとってもお姫様にとっても最良の未来のような気がする。
「よし決めた!」
そうと決まれば、後は楽なものである。
王女の前では軍師らしく振る舞い、この砦に留まっている間はその持てなしを受ける。
つまりいつも通りに行動するということだ。
「はあ、なんか悩んでたのが馬鹿らしくなるな」
目の前の霧が一気に晴れた気持ちである。カイルは思わず背伸びをしたが、そんなカイルに招かざる客は皮肉に満ちた台詞を投げかけてきた。
「ほう、その調子だと、また小賢しく人様から小銭を巻き上げるつもりか」
その声、その台詞、振り返るまでもなく本物のエシル、つまりエリーであると分かったが、カイルは一応振り向き、応えてやった。
「肉屋は肉を売る、魚屋は魚を売る、詐欺師が詐欺を働いてなにが――」
言葉が止まってしまったのは、エリーが裸同然の姿だったからである。
一応、身体にはタオルが巻かれているが、とても若い娘が男の前でしていい格好ではない。
「あ、あほう、なんちゅー格好をしてるんだ」
「お前は小児性愛者ではないのだろう」
「神に誓って違うといえる」
「ならば問題なかろう」
「……目のやり場に困る」
「ならばこの豊満な胸を見ながら話せ。顔を見ながらでは言いにくいこともあるだろう」
「……どういう意味だよ」
「いや、詐欺を働く、などと言っているが、お前は迷っているのだろう」
「迷う? この俺が?」
「そうだ。お前は私が湯浴みをしているときから、このまま王女と一緒にいるべきか、王女のもとから離れるか、ずっと迷っておったのであろう」
「………………」
カイルは沈黙をする。図星だったからである。
「……ああ、その通りだよ。でも、俺の中の多数決で決まったんだ。いつも通りにやるって」
「ほんとか?」
「本当に決まっているだろう。俺なんかが一国の姫の軍師なんてやれるわけがないだろう」
「お前は先日、それと似たような台詞を言って、その後、村で立派に軍師を勤め上げたではないか」
「最後の最後には詰めを誤ったけどな」
「でもそれ以外は完璧だったぞ。この白銀のエシルが言うのだ。間違いない」
「……あのときはたまたま上手くいっただけだ。それに村と砦じゃ規模が違いすぎる。この砦には何千人も兵士がいるんだぞ。それらを率いて戦うなんて素人にできるわけがない」
「素人じゃないさ。お前は白銀のエシルの弟子だ」
「弟子になった覚えはねえ」
「私もした覚えはない」
「なら言うな」
「うむ、言わない。でもそのうちにするがな」
カイルはそのやりとりに呆れたが、一応、といった面持ちで尋ねる。
「……あのさ、もしも、もしもの話だけどさ」
「もしも、……ね」
エリーは人の悪い笑顔を浮かべる。
「……うるせー、話を切り上げるぞ」
「それは困るな。もう笑わないから続けろ」
「――もしもの話だが、仮に俺がここに留まって、姫様の軍師となったとするだろう」
「ふむ」
「でも、その場合、俺は本当に軍師になって、場合によっては戦場に立つ可能性もあるわけだ」
「まあな、辺境の要塞に安寧のときはない、という諺もあるほどだ。ほどなく戦場に立つことになるだろう」
「だよな。仮の話だが、その場合、俺がエシルの振りをして、お前が裏で采配を振る、ということはできないか?」
「できない」
エリーは即座に、そしてきっぱりと言い切った。
「お前は、どうしてだ、というだろうが、答えは簡単だ。私は軍師としてのお前が欲しいのであって、出来の悪い操り人形が欲しいわけではないのだ」
「………………」
「操り人形が欲しいのならば、もっと見栄えの良いのを探すか、もっと操りやすいのを見つけるさ。私が大陸をさすらう理由はただひとつ、我が弟、漆黒のセイラムに対抗できる軍師を見つけ育て上げることのみだ。三流詐欺師の小銭稼ぎ兼恋愛ごっこに付き合っている暇はない」
「恋愛ごっこって……」
「違うか? お前はあの姫様にホの字なのだろう? だからこの期に及んで、詐欺師としての自分と葛藤しているのではないか?」
「………………」
カイルは沈黙によって答えるしかなかった。
「私が欲しいのは、操り人形などではない。自分で考え、自分で行動し、自分の信念を貫ける男だ。お前にはその可能性があると思っていたのだがな」
「見損なったか?」
「ああ、正直な。お前が私の求める男だと、一割くらいの可能性があると思ってたが、半分に下がった」
「元々一割しかないのかよ!」
「それだけあれば大したもんだよ」
エリーは自嘲気味に笑った。
「まあ、例えお前が正式に私の弟子となったとしても、私はお前を助けることはない。もちろん、兵学や為になる話くらいは聞かせてやるが、決断を下すのはお前だ。例え、お前が間違った判断を下そうとも、私はそれを止めることはないし、助けてやることもない。それだけは覚えておけ」
「心温まる師弟関係だな」
「冷血に聞こえるか?」
「いや、当たり前だと思ったね。俺の詐欺の師匠も同じようなもんだったよ。生きるすべは教えてくれたが、生きる手助けはしてくれなかった。自分の喰いぶちは自分で稼げ、ってね」
「良い酒が交わせそうな師匠だ。いつか紹介してくれ」
「生きて出会うことがあったらな。死んでたらあの世で俺の悪口でも肴に一杯やってくれ」
カイルはそう言うとベッドから立ち上がった。
「どこへ行く気だ?」
「やっぱり俺の師匠は一人だけだった、ってことさ」
「つまり詐欺師として生きていく、ということか?」
「そういうこと。取りあえず姫様のところに行って、前金の交渉をしてくる」
カイルはそう嘯いてエリーに背を向けたが、エリーはそんなカイルの背に予言めいた一言を浴びせた。
「私の軍師としての勘がこう言っている。お前は必ずあの姫様に仕えることになるだろう」
カイルは振り返らずに問い返す。
「なんでそう思うんだ?」
「お前は、あの村で、モニカ村で、弱兵で強敵を打ち破る快感を覚えてしまった。私は何百年も生きてきたが、その快感を覚えてしまった者がこの世界から足を洗った例を知らない」
「……なるほど、ね」
末恐ろしい予言を聞いたカイルは大きく吐息を漏らすと、振り返りこう尋ねた。
「つうか、お前の予言が当たるかは分からんが、さっきの会話で分からなかったことがあるのだが、ひとつだけ聞いていいか?」
エシルは鷹揚に、
「構わない」
と返した。
「お前、さっき、この豊満な胸を見ながら話せ、って言ってたけど、お前の胸はどこからが胸でどこからが腹なんだ? それが今日一番の謎だ」
その言を聞いたエリーは、顔を真っ赤にして全身をひくつかせる。
そして大声を張り上げながら手近にある枕をカイルに投げつけたが、カイルは要領よく扉を閉め、その攻撃をかわす。
室内から罵り声が絶えることはなかったが、カイルはその騒音を背に、王女に面会を求めに行った。




