第2章 ロウクス王の噂
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天秤評議会が二つに割れている、という話をエシルから聞いたとき、カイルは意外には思わなかった。
なぜならば一枚岩の組織などこの世界には存在しないからである。
「人間、三人集まれば派閥ができるもんさね」
とはカイルの師匠の言葉である。
「つまり、天秤評議会は、お前の弟を首領とするセイラム派とお前率いるエシル派で真っ二つに割れているのか?」
「そうなるな。もっとも、エシル派などという立派な名前などないよ。セイラムに異を唱える非主流派がそれぞれに蠢動しているだけだ」
「おいおい、お前らほんとに軍師かよ。お前の弟は派閥の領袖(ボス)なのに、お前らはそれぞれ別個に戦っているのか?」
「軍師――、特に天秤評議会の軍師は変わり者が多くてね。それぞれ好き勝手にやるのが習わしになっている。むしろ派閥を形成している弟の方が異端ともいえる」
「つうか、そんな兄弟喧嘩に巻き込まれる他の軍師も良い迷惑だな」
「それについては全面的に同意だ。ゆえに私はこの件を自力で解決したいと思っている。だから大陸をさすらい、漆黒のセイラムに対抗できる軍師を探していたのだ」
「それが俺、と?」
「そうだ。ただ――」
「ただ?」
「正直に言わせてもらえば、まだ全面的にお前を信頼しているわけではない。お前の性格も、能力もだ」
「おいおい、話が違うぞ」
「正直に腹の底から話しているんだ。それともおべっかを使えばお前は私の弟子になってくれるのか?」
「ならんね」
「だろう。だから私はなるべく隠し事をしたくないのだ」
「立派な心構えだ。なら、その漆黒のセイラムって奴が何を企んでいるのか、教えてくれるんだろう?」
「………………」
エシルは沈黙する。
「何押し黙っているんだよ。隠し事はしない、って言ったばかりだろう」
「この件を話せばお前にも危険が及ぶかもしれないぞ? それでもお前は聞きたいというのか?」
「はッ、なにを今更。つうか、この数ヶ月、魚のフンみたいについて来やがって。そのセイラムって野郎が俺たちのことを知っているなら、俺は真っ先に狙われるだろう。俺が秘密を知っている、知っていないに関わらずだ。どうせ追われる身分になるのなら、その秘密とやらを知っておかないとケツの辺りがむず痒くて仕方ないね」
「なるほどな、……ふ、お前らしい」
エシルはそう口元を歪めると、セイラムの企みについて教えてくれた。
「――いくら鈍感なお前でも、話の流れから、セイラムが覇王アカムの後継者をこの世に生み出そうとしている、というのは分かっているな?」
「お前はそんなことも分からないと思ってるアホを弟子にしようとしているのか」
「いや、もちろん思っていないさ。ただ、一応な。――話を続けるが、覇王アカムの後継者、つまりこの大陸を統一する英雄王を誕生させようとした軍師は無数にいる」
エシルはそう言うと、
北方の三賢人、イドラ、ミスラ、ルクス、
南方を統一目前まで導いた天才軍師、イシュハーン、
ジルドレイ帝国の最盛期を作り上げた女軍師、エルドラ、
など、無学なカイルでさえ知っている名前を上げる。
「どの天才軍師たちも、大陸統一まであとほんの少し、というところまで行った。だができなかった。なぜだか分かるか?」
「そりゃあ、あれだ、お前たちが邪魔したからだろ。伝承では、お前たちは常に劣勢の勢力に味方するんだろ? そして例外なくその勢力に勝利をもたらす」
「その通り。我々は大陸の運命に関わる大戦には負けたことがない。ゆえに、覇王アカム以降、この大陸を統べる英雄は誕生することはなかった」
エシルはそこで呼吸を整えると続ける。
「当然だな。我々天秤評議会は、そのために存在するのだ。大陸を統一する英雄王の存在を否定し、大陸に拮抗をもたらす。さすれば小さな流血は多けれど、統一戦役や解放戦争のような流血は避けられる」
「なるほどな。確かに当時みたいに人口が20分の1になるとかいう馬鹿な事態は起きていないよな」
「その分、小さな戦の数は当時の比ではないがね。まあいい、ともかく、我々の努力により、この大陸を統べる英雄王は現れることはなかった。理由は今説明した通り、すべて我々のおかげだよ」
「自画自賛かよ」
「自慢するくらいの実績は残しているつもりなのでね」
カイルの皮肉に鷹揚に応えるエシル。
「つまり、天秤評議会という組織はこの千年間、設立当初の志を失うことなくやってきたわけだ。だが、我が弟、セイラムは天秤評議会に所属する軍師ながら、その志を継ぐどころか、天秤評議会の存在理由を、いや、この世界の有りようそのものを破壊しようとする衝動に目覚めてしまった、というわけさ」
「――皮肉なものだな。世界を守ろうとする英雄が、世界を滅ぼそうとしているわけか」
「まるでどこかの神話のようなお話だろう? だがこれは神話ではなく、現実なのだ。天秤評議会を設立されたザナルカンド様もこのような事態、想像されたかどうか」
エシルはそこで初めて吐息を漏らすと続ける。
「――包み隠さずに言ってしまえば、我が弟セイラムは、北方にある小国の王を第二の覇王アカムに仕立て上げるつもりでいる」
「北方にある小国?」
「うむ、お前も知っているだろう。ジルドレイ帝国の北に位置するロウクス王国だ」
「ロウクス王国?」
その国の名を聞いたカイルは首をかしげる。
その姿を見たエシルは問う。
「どうした?」
「いや、ちょっと話がおかしくないか?」
「どこがおかしい?」
「いや、つうか、ロウクス王国って、北方三国の中でも一番小さい国だろ? 山がちな国で人口も少ないし、たいした産業もなかったはずだ。それに確かあの国は今、内戦中じゃなかったか?」
「ほう、さすが大陸をさすらう詐欺師だ。情報にも精通しているようだな」
「なにがメシの種になるか分からないんでね」
「確かにお前の言うとおり、ロウクス王国は取るに足らない小国だ。その小国の王が覇王アカムの後継者など、ちゃんちゃらおかしいと言いたいのだろう」
カイルは頷くが、エシルは弟子候補の考察に落第点を与える。
「確かに普通に考えればそんな小国の王が英雄王になるわけなどない。だが、その小国は大国になる条件を満たしている」
エシルは断言すると、その条件を一つ一つ列挙していく。
「イチ、ロウクス王国は確かに小国だが、ロウクス王国の北部にある山々は古来より優秀な傭兵の産地として知られている。いや、むしろロウクスの特産品はその勇猛な人間といってもいいくらいだ」
「ニ、ロウクスはこのセレズニア大陸の北端にある。交易路からは外れているが、その代わり北からの脅威が一切ない。つまり、安心して全兵力を南方に傾けられる、ということだ」
「サン、ロウクスには優秀な王がいる。当然だな。セイラムが目を付けるほどの男だ。優秀などという言葉では片付けられないほどの英雄とみていいだろう」
エシルは三つの条件を言い終えると、カイルに感想を求めたが、カイルは正直な感想を返した。
「確かにロウクスの兵は屈強で勇猛なことで知られてるが、部族間のまとまりがなく、一致団結して戦うタイプじゃないらしいぞ。実際、年がら年中いがみ合って争っているから国が貧しく、傭兵が他国に流れてるんだろ」
その言を聞いたエシルは、少し驚いた顔で「その通りだ」と答える。
カイルの考察に見るべきものを見いだしたのだ。
「常に国内に不安を抱えているから、南方に全勢力を傾けられるってのも成立しないんじゃねーのか?」
「その通り。実際、ロウクスは北方の軍事大国といってもいいポテンシャルを誇りながらも、部族間のいがみ合いにより、その力を十全に発揮できないでいた。更に言えば先代のロウクスの王、エストハンスも英雄の気質を備えていたが、ついぞ国内に安定をもたらすことはできなかったしな」
エシルはそう言うと「だが――」と続ける。
「しかしその弱点も僅か一朝にして解決した、といったらお前は信じるかな。ロウクスの王は、北方の諸部族をほとんど平定したらしい。あと数日後には、その情報が大陸中に伝わるだろう」
エシルはそう言うと「ヨン」と前置きをして最後の理由を列挙した。
「北方の勇猛な部族、大陸の端という立地条件、そして優秀な王、それらの好条件に、天秤評議会の軍師が味方する、という条件が加わったのだ。それも大陸のバランスを考慮する、などというちんけな枷を解き放った天才軍師の助力だ。それが何を意味するのか、詐欺師のお前でも、いや、詐欺師だからこそ分かるのではないか?」
エシルはあえて感情を込めずにそう言い放ったが、それでも、――いや、それだからこそ、事態の逼迫感が伝わってきた。
実際、カイルは次の宿場町でロウクス王国の若き王フォルケウスが、北方の部族を平定し、長年続いた内乱を収めたことを知る。
宿場町の何気ない情報だったが、一連の話を聞かされた後のカイルにとっては、心地よい情報ではなかった。
「………………」
暫し、自分の感情を持て余すカイルだったが、しかしそれでもエシルの弟子になる気にはならなかった。
エシルはこの話を聞いてもお前は何も感じないのか、と憤ったが、そんな彼女にかける言葉は一つしかなかった。
「俺をそんな面倒くさいことに巻き込むな」
「………………」
至言であったのだろう。エシルはしばし、口を閉ざしてくれた。