九話 美容師失格
「お客様どうかしましたか?」
ただ事ではないと感じた恵美さんが慌てて駆け寄ってきてくれた。
それでもあたしは恵美さんに事を説明することも、客を宥めることもできずに、ただただ呆然と二人を見つめていた。
「この子ったらあたしの家庭に口出してきたのよ。ずうずうしいったらありゃしないわよ。
美容室はなんなの? 髪を切る場所よね? 切っている間暇だからサービス精神で話してくれるのはいいわよ。
でもそれで客を不快にさせてどうするの?
だいたいこの子何様なのよ! もういいわよ。後は別の美容室でやるわ。もうこの店には二度とこないからね!」
お客様はそう言って代金を投げつけて帰って行ってしまった。
人の心に踏み込まなければ遠慮をしても仕方がない。
そう思っていたけど・・・。
優馬に言われた言葉が脳裏によみがえった。
客の立場になって考えろ。
その通りだ。
あたしはお客さんの気持ちを考えていなかった。
自分がよく思われたくて、そのためだけに・・・。
「美容師失格だわ」
幸いこの時他には客はいなかった。
勿論まだお昼のこの時間には優馬の姿もない。
充君が遠くで心配そうにこちらを見つめていたが、駆け寄る素振りはなかった。
今来られても困るのでそれは助かった。
「すみません」
泣きそうになるのを必死に堪えながら恵美さんに頭を下げた。
恵美さんは困ったような顔をしていたが、すぐにあたしの顔を上げさせた。
「ともかく奥で頭冷やしてきなさい。話はその後ね。今日は平日だもの。
私と充君で平気よ。疲れてるのよきっと」
恵美さんは子供を諭すように優しく言ってくれた。
それが却って涙腺を崩壊させる要因になったが、恵美さんの前ではなんとか涙を止め、すぐに奥に下がった。
その途端涙が溢れてやまなかった。
馬鹿だ。
優馬にあんなことを言われて、自分だって人に入り込めるんだってばかみたいに意地になっていた。
美容師なんてサービス精神で客と話すんだ。
入り込まなくたっていいんだ。
優馬が言いたかったことはきっとそんなことじゃないはずだ。
少しして涙は止まった。
後悔も、どうすればよかったのかも、考える頭はなかった。
思考はすぐに停止して、ただただ無になった。
ソファの背もたれに顔をうずめて、何も考えられなくなった。
その状態でどれだけいたか時間の感覚はまるでなかった。
「とうとうやらかしたんだ」
嘲笑うような、しかしどこか優しさを含んだような声と共に、頭の上に暖かい手が降って来た。
もう優馬が来る時間になっていたらしい。
「だから言っただろ。あんた聞く耳もたねえからさ。何があったかしんないけどさ。
なんでそんなんなの?」
優馬はソファに顔を預けたままのあたしに問いかけてくる。
返答を待っているのか、少しの沈黙があった。
「嫌われることが怖い? 人によく見られたい? そんなこと思ってんだろ。
まあ、そういうのってたいてい昔いじめられてたとか、トラウマあんだろうけど、俺からしたらそんなことで悩んでる奴はただのバカだよ」
慰めてくれるかのと思ったら、結局は空回りのあたしを笑いに来たのだ。
こいつはあたしを好きではない。
ただからかいがいのあるあたしを見て笑いたいだけだ。
「あんたに何がわかんのよ!」
あたしは涙でぐしゃぐしゃになった顔もおかまいなしに、ソファからがばりと顔を上げて叫んだ。
優馬はあたしの汚い顔を見てか、笑った。
「わかんねえ。だって俺あんたのこと何もしらねえから。でもさ、これだけはわかるよ。
トラウマをトラウマだと思って自分は辛い人生を送ってきました。って顔してる奴はろくな生き方しねえってことはな」
優馬は嘲笑うわけでも、馬鹿にするわけでもなく、真剣な調子で言ってからフロアに出て行った。
なんだというのだ。
別に被害者ぶってるわけじゃない。
だからこそあたしはずっと笑顔で居続けたんだ。
それを壊したのは優馬じゃないか。