波乱の足音
あれから何日か経った。
新年度の慌しさも落ち着き、いつもの学校生活に戻りつつある。絵理は「戦国姫」として、1‐Aの名物になっているらしい。同級生には受けがいいようだが、反面、2、3年の女子からはやっかみを受けているようだった。
原因はオレだろう。
好意を寄せるのは別に構わない。
だが、妬みや嫉みで、他人に嫌がらせをする奴は大嫌いだ。
「む……。また手紙が入っておる」
自分の下駄箱を開け、絵理がつぶやいた。
「またかよ……。くだらねー事する奴って意外と多いんだな」
「うむ。まったく、どれこもれも名前を書き忘れておるな。まあよい。詳細は後で見るか」
悠長に構えている絵理から手紙を奪い、オレはその場で開封した。
『草薙先輩に近づくな。死ね!』と書かれた手紙が一通。
『今日の放課後、校舎裏に来なさい。話があります。』と書かれた手紙が一通。
カッターナイフの替刃付の手紙が一通。
「っ!」
うかつな事に、オレは替刃付の手紙で指先を切ってしまった。
「陣、大丈夫か? ……見せてみよ」
「ちょっと切っただけだ。大した事は……」
そう言うオレの手を取り、絵理は傷口に口付けた。
え。
何やってんだお前。
内心で慌てるオレをよそに、鞄からレースのハンカチを取り出し、オレの指に巻きつける。
「消毒と止血はしておいた。原始的で荒っぽい方法だが、やらぬよりはましだ。後は保健室へ行き、適切な治療を受けるがいい」
「あ、ああ……」
消毒か。消毒だよな。うん。他意はないよな。
「陣」
それだけ言って、目を伏せる。
「私が原因で怪我をさせた……。本当に済まない」
なんだよ。
いつも堂々としていて、偉そうなくせに、何で泣きそうな顔してるんだよ。
「……お前のせいじゃない。泣くな」
オレはそれだけ言うのがやっとで。
「馬鹿者。泣いてなどおらぬ。自分の不甲斐なさが腹立たしいだけだ」
泣きそうに見えた絵理は、やっぱりいつもの絵理だった。
保健室で傷テープを貰い、それを傷口に巻いて教室に向かった。
たいした傷じゃないはずなのに、指先が熱を持ってじんじんと痛む。
利き手を怪我しなかったのは不幸中の幸いだ。
手紙はいずれもプリントアウトされたもので、筆跡はわからない。さすがに刃物の入った手紙は今日が初めてだったが、嫌がらせの手紙はここ数日毎日入っているようだった。当の絵理はというと、「一体何がしたいのか、さっぱりわからぬ」と、困惑こそすれ落ち込んでいる様子は全く無い。そんな絵理の様子も、嫌がらせをしている相手にとっては気に入らないのだろう。
教室に入り、席に着く。
オレの隣は千沙子の席だが、あれ以来全く会話を交わしていない。千沙子の方から話しかけてくる事は無かったし、オレから特に話す事もない。別れた恋人同士というのはこんなものだろう。後は時間が傷を癒してくれるのを待つだけだ。
千沙子と別れた事は、次の日には既に周知の事実となっていた。ここ数日の間に何人かの女子から交際を申し込まれたが、面倒なので全て断った。どうせ付き合うなら、絵理と付き合ったほうが何かと都合がいい。
誰と付き合ってもやる事は所詮同じ。休日は一緒に出かけて、他愛も無いメールを送りあって、時には甘い言葉を囁き合う。面倒になる時も多々あるが、それなりに楽しい。
オレにとって、恋愛なんてそんなものだ。
午前の授業が終わり、昼休みになった。
以前は千沙子と一緒に昼食をとっていたが、ここ数日は一人で適当に、一階にある学食で済ませていた。絵理は絵理で友人と一緒に昼食を済ませているようだし、執事だからといって、学校でまで付きっ切りになる必要は無いだろう。
学食で日替わり定食を注文し、空いている席を確保した。
ジュースを買いに自販機に行くと、見知った人影が二つ。絵理と青司だ。
二人はオレに気付かないまま、ジュースを買って戻っていく。
一緒に昼食をとっていた友人て、青司の事だったのか。
学食のカレーライスを食べている絵理に対して、青司は持参の弁当のようだ。楽しそうに談笑しながら昼食をとっている。
ふーん……。仲いいんだな。
自販機で紅茶を購入し、自分の席に戻ろうしたとき、絵理がオレに気付いたらしい。
「陣、そなたも昼食か? せっかくだし、ここでとってはどうだ」
少しためらったが、オレは絵理と青司が陣取っているテーブルに移動した。
同じクラスで席が隣同士という事もあり、絵理と青司はすっかり打ち解けているようだった。楽しそうに、時には冗談を飛ばしながら会話に花を咲かせている。
もっとも、その話題の中身というのが、最近の内閣の政策についてとか、経済と株価についてとか、真面目なんだかオッサン臭いんだか解らない話題だったりするんだが。
かと思えば、唐突に話題が変わって、
「私は一度、学食のカレーというものを食べてみたかったのだ」
なんて言ったりする。
ああ、それで今日は弁当を持参していなかったのか。
「安くてそれなりに美味しいしね。金かかるから俺は弁当持参だけど」
「陣、カレーは良いぞ。今度料理長にリクエストして作ってもらおう」
「料理長ねぇ……。俺は全部自分で作ってるから、誰かに料理作ってもらえるのが羨ましいな」
そういえば、青司は一人暮らしだったと小雪が言っていたな。
「自炊かー。毎日料理するのって、結構大変だよな」
「料理自体は楽しいですけどね。でも、面倒なときは自分一人だから、食べずに済ませていますけど」
「馬鹿者。食事は健康の基本だ。きちんと食べなくては体がもたぬぞ」
そんな話をしながら、オレたちは昼休みを終えた。
絵理と青司があそこまで仲良くなってるのは少し意外だった。絵理のエキセントリックな思考に的確にツッコミを入れ、時には流し、時にはさらに増幅させる。
そのやり取りは、まるで昔からの友人のように息の合ったものに見えた。
何でだろう。
午後の授業の内容が頭に入ってこない。
機械的にノートは取っているが、それだけだ。
春の陽気のせいなのか、集中しようと思っても取り留めの無い事ばかり考えてしまう。
沈んだままの千沙子の事。
仲の良さそうな絵理と青司の事。
今朝の玄関での事。
不意に、切った指先がまだ熱を持っている気がした。血なんかとっくに止まって、かさぶたになってるのに。
やれやれ。
たいした傷でもないのに、気にしすぎだよな。
少し開いた窓から入る風が、オレの頬を撫でて髪を揺らす。
桜の花びらがひとひら、オレのノートの上に落ちた。
放課後。
気だるいまま授業が終わり、帰宅時間になった。オレも絵理も部活動はやっていないので、生徒会が無い日はすぐに帰宅していた。
1‐Aの教室に迎えに行くと、既に絵理の姿は無かった。
また図書室にでも行っているのだろう。先日も、図書室で『キノコの世界』という怪しげな図鑑を読み耽っており、帰りの車の中では、ずっとキノコの話ばかりしていた。
北校舎の一番東側にある図書室に行き、絵理の姿を探したが、ここにもいない。
……先に帰ったのか?
いや。そんなはずは無い。
そういえば。
今朝の手紙に、校舎裏へ来いって内容の物が無かったか?
「くそっ!」
思い当たると同時に、俺は校舎裏に向かって駆け出していた。