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純愛バトラー  作者: 天沢 祐理架
其の壱 執事、就任す
3/30

姫君の休日

 翌朝。

 オレは絵理を起こすために、離れに向かった。

 母屋と離れを繋ぐ渡り廊下からは、中庭の桜が良く見える。

 さわやかな風、まぶしい朝日。

 今日はいい天気になりそうだった。

 絵理の寝室をノックすると、既に起きて着替えも終わっていたようで、すぐに絵理が出てきた。

「おはようございます。お嬢様」

 笑顔で挨拶する。営業スマイルだ。

「おはよう。起しに来てくれた事、礼を言うぞ」

 やわらかい笑顔と口調のギャップは、まさしく戦国時代の姫君を思い起こさせる。

 離れを出て、渡り廊下を並んで歩いた。

「いえ、当然のことをしたまでです」

 昨日はうっかり取り乱したが、ここは職場。営業スマイルは崩さない。

「お嬢様の生活の補佐をするのが、私の務めですから」

「ああ。一つ言っておきたい事が」

「何でしょう?」

 昨日の話を蒸し返されるのかと身構えたが、絵理の口から出たのは別の言葉だった。

「私のことを『お嬢様』と呼ぶのは控えてもらえないだろうか。普通名詞で呼ばれるのは好かぬ」

「かしこまりました。では『絵理様』と呼ばせていただきますね」

「私としては敬称など付けずとも、一向に構わないのだがな。昨日が陣の素であろう? 無理に恭しい態度をせずとも、あれで構わぬ。

 もっとも、他の皆の手前、そうは言ってられぬのだろうが」

 オレは思わず苦笑した。絵理は自分が何を言ってるのか解ってるのだろうか。

「つまり二人きりの時は『絵理』と呼んで欲しいと。

 執事としての私ではなく、一人の男としての私で居て欲しいと、そう仰る訳ですか?」

 絵理。さっきお前が言ったのは立派な口説き文句だ。その事を強調するように、少し意地悪な笑みでそう返した。

「うむ。呼び捨てで構わぬ。住み込みで勤めているのだ。そうでもせねば息を抜ける場があまりにも少なかろう? 私の執事である以上、完全な息抜きは無理だろうが、せめて態度を繕う苦労だけでも軽くしてやろうと思ってな。遠慮はいらぬぞ」

 ……オレの台詞の意図を全く理解していない。

 いや、理解していない振りをしているのか?

 相変わらず、予想の斜め上を行く姫君だ。

「それから、もう一つ話が」

 絵理はずいぶんと楽しそうだ。

 オレはなんだか嫌な予感がした。

「……何でしょう?」

 おそるおそる訊いてみる。

「朝食が終わったら私に付き合え。街に買い物に行くぞ。車ではなく、電車でだ」

 いたずらっぽい笑顔をオレに向ける。

 ちょっと待て。

 それは、デートのお誘いというやつですか?

 何も知らない振りして実は全て計算尽くデスカ?

 昨日の決意も空しく、すっかり絵理のペースだ。

 ……なんか悔しいぞ、おい。


 食事を終えたオレ達は、電車に乗って街へと向かった。話によると、絵理は時々電車に乗って街に行きたがるらしい。

 オレが来る以前は、メイドが一人絵理に同行していたのだそうだ。

「車だと、ただ目的地に行き、目的の物を買うだけであろう? それでは味気ないではないか。せっかくの陽気だ。街を散策しながらのんびり買い物もたまには良かろう」

 白いワンピースに桜色のフリルつきカーディガンを羽織り、ローヒールのショートブーツという出で立ちの絵理は、何処からどう見ても大人しそうな少女に見える。髪だって染めてないし、アクセサリーもほんのワンポイント。それでも地味に見えないのは、顔立ちが整っているからだろう。

 同行しているオレも、屋敷で着ている執事用の制服ではなく、カジュアル系の私服だったりする。

 対面に座っている女性の二人組が、こちらをちらちら見ながら何か話している。

 断片的に聞こえてくる会話はオレの容姿への賛辞。

 こんな事はもう慣れっこだ。

 絵理はと言うと、楽しそうに窓の外を眺めていた。電車から見える景色が好きなのだろう。

 目的の駅に着き、改札を出た。はぐれないように、絵理の手を取る。

「もう私は子供ではない。手など引かれなくても一人で歩けるぞ」

 色気もそっけもない反応だ。

 色気のある反応なんか、最初っから期待してないけどな。

「はぐれて何かあったらオレの責任になるだろうが。このあたりは混雑してるんだから我慢しろ」

 お望み通り、二人きりのときは態度を取り繕うのをやめた。

 ショーウィンドウにオレ達の姿が映る。

 白い肌に黒髪の大人しげな服装をした少女の左手には、茶色がかった黒髪をミディアムショートにした少年の右手が繋がれていた。

 もっとも、これは鏡像なので実際に繋いでるのは絵理の右手とオレの左手になるわけなのだが。

 少し吊り気味の眉と切れ長の目、すっと通った鼻筋にやや薄めの唇。顎のラインと体型は標準より細めだが、弱々しい印象はない。上背も平均より高く、背丈の順で並んだ時はいつも後ろの方だった。オレは別にナルシストではないが、これで『大した事のない平均的な容姿』と自称したら、嫌味以外の何だというのか。事実は事実としてきちんと認識しておかないといらぬトラブルの元である。外見でイイように誤解してくれる輩も多いから、使いようによっては武器にもなるしな。

 絵理も整った顔立ちの和風美人だが、オレと兄妹だと言い張るには顔立ちが違いすぎた。第一、この年になって兄妹で手を繋ぐような事はないだろう。

 んー。これって傍から見るとやっぱり恋人同士に見えるのかな。

 待て待て。そんなアホな事考えてる場合じゃないだろう。第一、絵理を落とすのだって、快適な使用人ライフのためだ。主導権取った方が何かと楽だからな。

 そのまま、絵理の手を引いて暫く歩いていたが、重大な事に気がついた。

「そういえば、何買いに来たんだっけ?」

 アホ過ぎる。目的を聞いていなかった。

 まぁ、どうせ服とかアクセサリーとか、そんなところだろうけど。

 嬉しそうに絵理が答える。

「明後日は高校の入学式だからな。心機一転、筆記用具を新調しようと思うのだ」

 ……筆記用具……。

 よほど呆れた顔をしていたらしい。絵理が不満そうな顔で抗議をした。

「何だその顔は。よいか、我ら学生にとって、筆記用具とは仕事道具に等しいものだ。自分に合う物を吟味するのは当然ではないか」

「そんな大げさな。ノートなんて書けりゃいいし、シャーペンなんかどれでも一緒だろ」

 その言葉が気に障ったらしい。すごい剣幕でそれぞれのノートの利点と欠点、シャーペンの機構の良し悪し、さらにはシャーペンの芯はどのメーカーが一番書き易いかとか、そんな事まで語りだした。

 ちなみに、絵理はルーズリーフとドクターグリップがお気に入りだそうだ。芯はUniのHBを使っているそうで。

 心底どうでもいい趣味情報だ……。

「……という訳だ。ルーズリーフも、真ん中の閉じ部分の機構によって使い勝手に差があってだな……。こら、陣。聞いておるのか!?」

「ハイハイ聞いてます聞いてます」

「それが人の話を聞く態度か! 全く、そなたという男は……」

 言いかけてぴたり止まる。

 不審に思って絵理の視線の先をたどると、長身の美女が一人、男に絡まれていた。

 

「なあ、姉ちゃん。暇してるんだろ? 俺に付き合えよ。お小遣い弾むからさ」

 下品な笑いを浮かべた柄の悪い男が、美女の腕を掴む。

「触らないでくれます? ゴミの分際で」

 美女は侮蔑の眼差しを男に向け、氷点下の冷たい声で不機嫌そうに吐き捨てた。

 気が強いのは結構だが、その態度は身を危険に晒す事になるぞ。

「このアマ、下手に出てりゃ付け上がりやがって!」

 案の定、怒り狂った男が、美女に手を上げようとした。

 まずいな。

「おい、やめ――――― 」

「そこまでにせよ」

 朗々とした、絵理の声が響き渡った。

 男が絵理の方を振り返る。

「あぁ!? 何だテメェは。関係ねーだろうが。すっこんでろ!」

 威嚇するように睨み付けるが、絵理は何処吹く風で、つかつかと男に歩み寄った。

「人目もはばからず、嫌がる相手に身売りの要求とは……。いい年をした大人が随分と恥知らずな事だな。自分がどれほど無様な事をしているか、冷静になってよく考えてみるが良い」

 大人しい外見からは考えられないような堂々とした態度で、正面から男を見据える。

「その手を離してもらおう」

 美女を守るように、男の前に立ち塞がる。

 美女自身も、思わぬ援軍に呆気に取られているようだった。

「このガキ!」

 ……あの馬鹿! 挑発しすぎだ!

 オレは慌てて絵理に駆け寄る。

 逆上した男は美女から手を離すと、絵理に殴りかかった。

 絵理はすばやく身を屈めて男の拳をかわし、男の鳩尾みぞおちに肘鉄をお見舞いした。カウンターを食らってよろめく男の鼻先に、追い打ちで掌打を叩きつける。

 急所狙いのえげつないコンビネーションが決まり、男はその場に崩れ落ちた。

「てめぇ、よくも……!」

 少女に伸された事を認めたくないのか、フラフラになりながらも立ち上がろうとする男の腕をオレは力任せにねじり上げた。

「そこまでだ。これ以上やるんだったらオレが相手になるぜ」

「いででででで! 解った、降参だ、離してくれ!」

 みっともない悲鳴を上げて男が懇願こんがんする。

 やれやれ、オレの見せ場はなしか。

 手を離すと、男はほうほうの体で逃げて行った。

「まったく、度し難い男であったな。怪我はないか?」

 絵理が長身の美女に笑いかけた。

 近くで見ると、本当に美人だな。

 日本人離れしたくっきりと整った顔立ちに、からすの濡れ羽のような、艶のある漆黒のショートヘア。化粧もしておらず、ジーンズにシャツという飾り気なのない服装だが、逆にそれが中性的な雰囲気によく似合っていた。

 かなりの長身だが、スレンダーな体型と相まってトップモデルのように見える。年はオレや絵理と同年代くらいだろうか。

「ありがとう。正直助けが入るなんて思わなかったから、嬉しかった」

 セクシーなハスキーボイスで、照れたように笑う。

「でも、自分ひとりで何とかできる自信はあったけどね。これでも結構喧嘩慣れしてるし」

「よいではないか。自分に有利な状況は利用するものだ」

 そう言って、絵理はにやりとしてみせる。

 まったく……。所構わず暴走するからこっちはヒヤヒヤものだ。

「おい絵理」

「む。どうした」

「助けに入るのはいいけどな、相手が自分より強かったらどうするつもりだったんだ。

 助けに入ってやられてたんじゃ、カッコつかねぇ上に、迷惑がかかるって考えなかったのか?」

「奴の立ち居振る舞いを見れば、どの程度の腕かおおよそ想像はつく。それに……」

「それに?」

「向こうは一人、こちらは三人だ。たとえ凶器を持っていたとしても数で圧倒できるだろう。違うか?」

 陣が助けてくれるだろう? とか言う台詞を期待したオレは、やっぱり大馬鹿だと思う。

 美女はそんな様子を見てくすくすと笑っていたが、邪魔をしちゃ悪いからと、雑踏の中へ消えて行った。

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