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純愛バトラー  作者: 天沢 祐理架
其の伍 執事、奮闘す
22/30

ツナガリ

 予定よりも早く会議が終わった事もあり、屋敷に帰った後はだいぶ時間があった。絵理は離れに戻るなり、今から自由時間にして良い、とオレに告げた。

「その代わり、外出するなら私も連れて行け」

 母と紅葉のところに顔を出そうと思った矢先にそう言われた。絵理がどのような意図でそう言ったかは解らないが、断る理由もなかった。

 あの後、絵理に母が入院している事だけは話したが、どのような状態かまでは話していない。話せなかったのだ。

 現実として受け止めてはいるつもりだが、自分から現在の母の具体的な状態を口に出すのは辛すぎた。

 それに、唯一の身内であるオレがその事実を口にしてしまったら、一抹の望みすらも絶たれてしまうような気がしたから。

「まあいいけど。あまり楽しい場所じゃないぞ」

「構わん。どこに行くかは大体想像がつくからな」

 オレの乗り物は、夏休みの間に自転車から中型バイクにランクアップしていた。

 執事としての給料が貯まり、余裕が出てきたので思い切って購入をしたのだ。免許自体は一年の時の夏休みに、誕生日が来てすぐに取得してあったので問題はなかった。

 絵理が街へ行きたいとせがむ時には、電車ではなくバイクに乗せて連れて行くことが多くなっていた。

「メットはちゃんとかぶれよ」

「言われなくても解っておる。そのために私専用のヘルメットも購入したではないか」

 絵理を後ろに乗せて、病院までバイクを走らせた。

 院内に入り、病室に向かう途中で紅葉を見つけた。明るい亜麻色の髪は、遠くから見てもよく目立つ。

 紅葉はオレの姿に気付くと、嬉しそうに近寄ってきた。

「陣! 昼間に来るなんて珍しいね。でも嬉しいな。今日はいつまでいられるの?」

 そう問われて返答に詰まった。

 今の自由時間の終了時刻はそれこそ絵理次第なので、答えようにも答えられなかった。

 絵理の方を見やると、一つ頷いてこう答えた。

夕食ゆうげまでに戻れば問題なかろう」

 オレに代わって答えた絵理を、紅葉はしげしげと眺めると、オレに向かって再び質問をした。

「ねえ、陣。この子、だあれ? 彼女?」

 彼女、と言われて思わず浮かれそうになったが、そんな場合ではない。

「私の名は御剣絵理。陣の主人ではあるが彼女ではないぞ。恋人は別にいる」

 案の定、絵理はオレが答えるよりも早く紅葉の質問に答えていた。

 心なしかほっとした表情になった紅葉は、はた、と気付いたように絵理に向き直り、自己紹介をした。

「わたし、香々美紅葉っていいます。自己紹介が遅れてごめんなさい」

 内心、不躾な質問をした紅葉に絵理が説教を始めるのではないかとひやりとしたのだが、どうやら気まずい雰囲気になるのは回避できたようだ。

「気にするな。それより、陣にそなたのような可愛らしい友人がいたとは。なるほど、足繁く見舞いに通うのも解ろうというものだ」

 絵理に褒められて、紅葉は嬉しそうに照れ笑いをした。

「そういえば、主人ってどういうこと? 彼女じゃないのはわかったけど」

「ああ、陣は私の屋敷で執事をしているのだ。言い換えれば私は彼の雇い主ということだな」

「え、ほんと? 執事って、あの執事? 喫茶店で、とかじゃなくて、ほんとに執事なの?」

「正式採用じゃなくて、まだ見習いのバイトだけどな」

 住み込みでやっているとはいえ、学歴もまだ中卒の上、学校に通いながらの勤務なので今のところバイト扱いだった。

 それでも、他のバイトと比べたらかなり多い金額を貰っている。

 それこそ、数ヶ月勤めれば中型バイクを買える余裕ができるくらいの。

「すごい、本物の執事なんだ! お兄ちゃんもね、バイトで執事やってるんだよ。駅前の喫茶店で、だけどね」

「そういや、今年の初めに、駅前に執事喫茶がオープンしてたな」

「執事喫茶とな!? ……そんなものがあるのか。普通の喫茶店と何が違うのだ」

「お兄ちゃんの話だとね、お客が来たときに『いらっしゃいませ』じゃなくて、『お帰りなさいませ、お嬢様』っていうんだって! おかしいよね」

 そう言って紅葉はくすくすと笑った。

「そうなのか……。良くわからぬ世界だ」

「でも、結構繁盛してるみたいだよ。お兄ちゃん、よく指名されるからバイト料上がったっていってたもん」

「ほう。紅葉の兄は優秀な店員なのだな」

 絵理が感心したように言うと、紅葉はうーん、とうなって首をかしげた。

「どうなのかなあ。うん、お兄ちゃんは確かに妹のわたしが見てもかっこいい部類に入るし、なんでもそつなくこなせるとは思うけど……」

 ここで紅葉は一旦言葉を区切って、トーンを落として続けた。

「でも、ここだけの話、口うるさいし、すぐ怒るし、気に入らないことがあるとイヤミばっかりいうし、そのくせめんどくさがり屋だし、接客業に向いているとは思えないんだけどねえ。最近彼女できたらしいけど、どんな物好きか一度見て……やば」

 絵理の後ろにふと焦点をずらした紅葉は、小さくつぶやいて口をつぐんだ。

 その様子を見て、オレと絵理も思わず後ろを振り向く。

「絵理さんに会長? なぜこんな所に」

 振り向いた先に、オレ達が非常によく知っている人物がいた。

「お兄ちゃん、来てくれたんだね。ありがと」

 紅葉が青司に取り繕うように笑った。

「この前、友達ができたって話したでしょ? 彼が、そうなの。ね、陣」

 紅葉が嬉しそうにオレを兄に紹介した。

 紅葉の仕草のところどころが青司を彷彿とさせたのは確かだが、まさか本当に兄妹だとは思わなかった。

 苗字が違うから気付かなかったとも言う。世間というものは、時として狭い。

 青司も紅葉の言う友人がオレだとは思っていなかったらしく、微妙な表情をしていた。

『よりによってお前か』とでも言いたげにオレを見たが、それも一瞬の事だった。

「まさか、二人が妹と知り合いだったなんて思わなかったな」

「私の方はつい先ほど知り合ったばかりだがな。そなたに妹がいると聞いていたが、彼女がそうか」

 そんなやり取りを、紅葉はきょとんとして見ていた。

「もしかして、みんなお兄ちゃんのこと知ってたの?」

「知っているとも。恋人だからな」

 絵理は照れる様子もなくさらりと宣言した。

 こういうことにいちいち反応してたら身がもたないのだが、やはり絵理の口からそういう言葉が出るとやるせなくなる。

 青司は絵理にとって、今どんな存在になっているのだろう。付き合ったきっかけが「別に嫌じゃなかったから」というとんでもなく消極的な理由だったとしても、いつまでも「嫌いじゃない相手」のままだとは限らない。

 周囲の事に目端が利くわりに、絵理は自分の感情に無頓着なところがある。絵理本人にすら、おそらくオレの疑問には正確に答えられないだろう。

 と、ここまで考えて、頭の中が恋愛一色になっている自分に嫌気が差した。

 青司の彼女が絵理だと知った紅葉は、明らかに焦った様子だった。

 本人の目の前で『どんな物好きか一度見てみたい』と言いかけたのだ。無理もない。

 紅葉がコソコソと絵理に囁いた。

「ひどいこといってごめんなさい。あと、さっきいってた事、お兄ちゃんには内緒にして」

「聞こえてるんだが……」

 青司がそう言うと、紅葉は飛び上がってオレの後ろに隠れた。

「まったく……。俺のいない間に絵理さんに何を吹聴したんだ」

 青司は紅葉に詰め寄ろうとするが、紅葉はオレを盾にするように後ろに隠れているため、オレは兄妹の板挟みになる羽目になった。

 そんな様子を見かねたのか、絵理が青司に向かって口を開く。

「青司。そなたが優秀な店員だと紅葉から聞いていたのだ。よく指名されるそうではないか」

「それって、別に隠す必要が無いような……」

「照れくさかったのだろう」

 青司は納得できないようだったが、一つ溜息をつきこう言った。

「ま、絵理さんがそう言うなら、そういう事にしておくよ」

 青司が引き下がったのを確認すると、紅葉は恐る恐るオレの背中から出てきた。

「と、ところでお兄ちゃん。バイトで指名されたときって、一体何するの?」

 強引に話題転換しようとする紅葉だったが、実はオレも少し気になっていた。

 青司はそんな紅葉を呆れたように見やり、説明をし始めた。

「別に、客の前で紅茶を淹れたり、給仕をしたりして接客するだけだよ。ちなみに指名料は一回五百円」

「地味に高いな……。別に指名しなかったからって、セルフサービスになるわけじゃないんだろ?」

「なりませんよ。テーブルにつく店員が選べるってだけです。まぁでも、好きでもなんでもない相手におべっか使うんだから、金でも貰わないとやってられませんがね」

 うん。紅葉の言うとおり、接客業に向いていないのは確かだな。営業スマイルは接客の基本だぞ。

「それだけ、追加料金を払ってでも青司に給仕をしてほしいと思う人間が多いということだろう。胸を張ってよいのではないか?」

「元々フロアじゃなくて、厨房希望で入ったんだよ。給料上げてくれたから別にいいけどさ」

 不服そうに文句を言う青司を見て、紅葉は『ね、言ったとおりでしょ?』と言わんばかりの視線をオレ達に向けた。

 バイトの不平不満をいつまでも言っていても仕方ないと思ったのか、青司はオレ達に話を振った。

「ところで、絵理さんと会長は何故ここに?」

「んー。家族の見舞いに、な」

「陣の家族もここに入院してるんだ? わたしも行っていい? あいさつしたい」

 紅葉に頼まれてオレは一瞬躊躇った。

 しかし。

「じゃあ、一緒に来るか?」

 オレの言葉に紅葉は嬉しそうに頷き、青司の手を引っ張ってオレの後をついてきた。

「いや、俺は……」

 そう言い淀む青司の言葉を遮るように紅葉は言った。

「だめ! お兄ちゃんも来るの! 礼儀は守れっていつも口うるさくいってるじゃない。ちゃんと『ふつつかな妹ですがよろしくお願いします』っていってよね!」

 青司はそんな紅葉に再び呆れた視線を向けたが、諦めたのか大人しく手を引かれるままついてきた。

 どうせ絵理も一緒だし、隠す必要もない。

 躊躇ったのは、対面した時の反応が嫌でも想像できるからだ。

 母と対面すると、例外なく鎮痛かつ申し訳なさそうな表情で、口先だけの希望の言葉を口にする。

 正直、それが一番辛かった。

 それ以外の反応はできないと解っていても。

 今日はオレ一人じゃなくて同行者がいる。どうせみんな同じ反応をするんだ。一人も三人もたいして変わらない。

 病室のドアを開け、中に入ると、息を飲む音が聞こえた。

 紅葉がぎゅっとオレの袖を掴み、ごめんなさい、と小さくつぶやいた。

 おそらく、事情も知らずにはしゃいだ事への謝罪だろう。

 青司は、何も言わなかった。

 確かにこいつは口は悪いが、根は実直だ。

 口先だけの希望の言葉も、慰めの言葉も口には出せないのだろう。

 ただ一人、絵理は病室を見回すと、世間話でもするかのように言った。

「殺風景な部屋だな」

「ま、病室だしな」

 絵理が何を言いたいのか、オレには理解できなかった。

「そうであったとしても、だ。これでは起きた時にあまりにも味気なかろう。馬鹿者め。

 まったく、肝心なところが抜けておる」

 ……は。

「華美にする必要はないが、インテリアの一つでも置くがいい。本当は花がよいのだろうが、少々世話が大変だからな」

 ……こいつは、いつもいつも。

「とはいえ、そなたの母の趣味を私は知らぬ。近いうちにまた街へ行って、雑貨屋に……」

 ……オレの予想外の事をしでかしてくれる。

「陣? どうした?」

 オレを元気付けるための方便ではない。

 口先だけの言葉か、本当に心の内から出た言葉か位は、判別できるつもりだ。

 当然の事のように目を覚ました時のことについて話す絵理を見て、ようやく気付いた。

 心のどこかで、オレ自身も諦めていた。

 このまま目を覚ますことはないだろうと。

 見舞い客の反応が辛かったのは、どこかで諦めていた自分自身を投影していたからだ。

 オレ自身ですら、諦めて、たのに。

 オレは何も言えなくなったまま三人に背を向けた。

 泣いている顔は見られたくなかった。


 母を見舞った後程なくして、青司はバイトがあるからと病院を後にした。聞けば、休みは労働基準法に引っかからない最低限の日数を取ってあるだけで、後は働き詰めという事だった。

 何故そんなに働き詰めなのか尋ねたら、ぼそりと一言。青みがかった黒瞳に、今までに見た事が無いほど暗い感情を宿して。

「これ以上、あの家の人たちの世話になる気はありませんから」

 青司と紅葉の苗字が違う事や、見舞いに来ているのが青司だけという状況を鑑みるに、養子に入った先の家族関係は良好とはいえないのだろう。

 オレは複雑な思いで青司を見送った。

 そろそろ日も傾き始め、夕刻が近付いてくる。

 オレ達ももうじき戻る時間だ。

「ね、今度はいつ来れるの?」

 名残惜しそうな顔で紅葉はそう尋ねた。

「うーん。来れる時は来るつもりだけど、はっきりと約束はできないな」

「そっか……。忙しいのね」

「それなりにな」

「絵理さんもまたきてね。お兄ちゃんとの馴れ初めとか、いろいろ聞かせてほしいな」

「うーむ。期待するほど面白い話かどうかは解らぬが、紅葉の希望は解った。次に来た時はそのことを話してやろう」

 絵理がそう言うと、紅葉はくすくすと笑いながら言った。

「絵理さんて面白いね。口調とか時代劇みたいだし」

「間違った日本語を話しているつもりはないのだが……。まあよい。きちんと養生するのだぞ」

「あはは。お兄ちゃんと同じような事いってる。Nurse困らせるのも程々にしておくね」

「困らせること自体はやめないんだな」

 オレがそう言うと、紅葉はこちらを見てにっこり笑った。

「うん、病室抜け出すのはやめない。退屈だし。それに……」

 紅葉はそこで言葉を区切ると、オレの服の裾をぎゅっと掴んだ。

「陣が忙しくていつも来れないなら、わたしが毎日お母さんのお見舞いに行ってあげる。目を覚ました時に、陣がいなくても、わたしがおはようって言ってあげる。だから、安心してね」

「そうか……。ありがとう、紅葉」

 外に出ると、太陽はほんのりと紅く色付き始めていた。

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