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純愛バトラー  作者: 天沢 祐理架
其の四 執事、奔走す
19/30

MoonShineDance

 オレが病室を出る頃には、一般の面会時間は終了していた。それでも、泊り込みで入院患者の付添いをする家族がいないわけではないから、正面玄関の脇にあるドアの鍵は開いている。

 オレが自由時間になるのは、丁度面会時間が終了になる頃だから、こちらのドアから出入りする事が多かった。個室で他の患者に迷惑がかかるような事もないため、多少の時間の融通は利かせてもらっている。

 ドアをくぐり、月が冴え渡る外へ出た。

 今夜はやけに月が明るい。見上げると吸い込まれてしまいそうだ。

 病院の中庭は手入れが行き届いているが、レジャー施設ではないので、ライトアップなどはない。

 それでも、月光に照らされた噴水は、光を反射させながら放物線を描き落ちていく。

 静謐に彩られた夜の中庭。

 いつもは通り過ぎるだけのこの場所で。

 一人の少女を見つけた。

 亜麻色の緩く波打つ長い髪、透き通るような白磁の肌。その身に纏うは薄紅色のドレス。

 月明かりに照らされた横顔は繊細な彫刻のようで、現実味というものを感じさせない。

 魅入られたように月を見上げていた少女は、緩やかにステップを踏み始めた。


 ふわり、ふわり。

 くるり、くるり。


 少女がステップを踏むたびに、薄紅色のドレスがひらめき、裾が舞う。

 少女がターンをするたびに、亜麻色の髪が風になびいて広がった。

 流れ落ちる流水の音が、緩やかなダンスの曲となり、天空にかかる月が、この幻想的な舞台の照明となった。

 現実から切り離されたような光景に、オレは心を奪われて。

 瞬きする事も忘れたまま、夜の舞姫に囚われていた。

 何度目のステップを踏んだ時だろう。

 少女はオレに気が付いて、たった一人の観客に手を差し出した。

 誘われるままに少女の手を取ると、彼女はにこりと微笑み、そのまま踊り続けた。


 ふわり。くるり。

 少女に合わせてステップを踏み。


 くるり。ふわり。

 少女に合わせてターンをした。


 正面から見た少女の顔は、やはり繊細な彫刻のようで。

 両の瞳は夜空を閉じ込めた紺瑠璃だった。

 冷静な自分が、この状況は変だと警告を発するが、どうする事もできなかった。

 ひとしきり踊った後で、少女は再び微笑んで。

 そのまま糸が切れるように崩れ落ちた。

 反射的に崩れ落ちる少女を受け止めた。腕に感じる体温と重さで、月光にやられた神経が徐々に回復していく。

 この子誰だ。

 何でこんなところに。

 顔が青白い。

 苦しそうに呻いている。

「っ――――――!」

 オレはそのまま少女を抱えて、病院に引き返した。


 病院内は慌しかった。

 近場にいたナースを捕まえて事情を説明しようとすると、ナースは少女の顔を見るなり驚きの声を上げた。

々《が》さん!? 一体どこに行ってたんですか! 病室を抜け出しては駄目だって、あれほど……!」

 どうやらこの少女は入院患者のようで、よくよく見るとドレスだと思っていた薄紅色の服は、木綿のネグリジェだった。

「小言よりも、早く容態の確認をした方が。

 当直の医師は何処に?」

 オレの言葉で、ナースは我に返ったようで、足早にナースステーションへと向かった。別のナースが少女を病室へ運ぼうとしたが、少女の手はオレの服を掴んだまま離さない。

 仕方がないので、オレはそのまま少女を抱えて病室まで運んだ。

 少女の病室は奥の方にある個室だった。少女をベッドに横たえると、うっすらと目を開けてオレを見上げた。

「ありがとう」

 少女が初めて口を開いた。

 同行していたナースは、少女の意識が戻ったのを確認すると病室を出て行った。

 医師に報告か、診察の準備か、おそらく両方だろう。

「まぁその……。無事でよかった」

 疑問に思う事は色々あったが、まずは大事に至らなくて良かったと思う。

 少女が何故入院しているのか全く解らないが、入院していて、しかも少人数の部屋に入っているとなると、軽い病気や怪我ではない事だけは想像できる。

「今日はだいぶ調子よかったんだけどなあ。……あなたがいなかったら、わたしあのまま中庭で死んでたね」

 あはは、と少女は笑った。笑って話しているが、内容は全く笑い事ではない。

 日本人離れした容姿だが、日本語は流暢だ。さっきナースが呼んでいた名も日本名だったから、ハーフなのかもしれない。

「死んでたって。笑い事じゃないだろ。残される家族の事も考えた方がいいんじゃないか?」

 我ながら、説教くさい台詞だと思う。

 しかも初対面の相手に、だ。

 しかし、取り残される家族の気持ちというものが痛いほど解ってしまうオレにとって、その台詞は聞き捨てならないものだった。

「家族……。わたしにいるのかな。いるって言っていいのかな」

 少女は不可解な物言いをして、オレの方に視線を向けた。

「いるだろう。少なくとも、回復を願っている人は。それとも、入院費は自分で払ってるのか?」

 オレがそう言うと、少女は首を横に振った。

「お兄ちゃんのおうちの人が払ってる。そういう、約束だから」

「そうか。じゃあ、少なくとも……えーと、名前なんていったっけ。香々美ちゃんでいいのかな」

 確か、ナースが少女をそう呼んでいた。

「香々美は苗字だよ。わたし、紅葉くれは。漢字でモミジって書いて、クレハって読むの」

 少女は自己紹介をして、嬉しそうに微笑んだ。

「紅葉ちゃんか」

「紅葉でいいよ」

「そか。少なくとも、だ。紅葉が治療を受けられるように約束を取り付けてくれた人がいる訳だろ?」

「うん」

「その人は紅葉がいなくなったら悲しむぞ。きっと」

 オレがそう言うと、紅葉は困った顔をした。

「悲しむのは、わかるの。だけどね、わたし何もできないの。お見舞いに来てくれても、治療を受けさせてくれても、きっと全部無駄になっちゃう」

 きっともう治らないから、と紅葉は小さく付け加えた。

一時いっときは悲しいかもしれないけど、このまま死んじゃったほうが楽だよ。お互いに。だってわたしは足枷でしかないもの」

 その声と表情に苦悩や悲嘆はなく、ただ静かな絶望と諦めだけがあった。

 言葉にこそ出さなかったが、紅葉はこう問いかけていた。

 なのになんで生かそうとするの? と。

 そんなの、決まっている。

「足枷? ふざけるなよ。何もできない? 今喋ってるだろう。さっきは中庭で踊れただろう。そんな台詞は心臓すら動かせなくなってから言うもんだ」

 紅葉は何言ってんの? とでも言いたげに眉間にしわを寄せて口を尖らせた。

「それ、死んでるって言わない?」

 即座にツッコミが入った。

 この茶化すようなツッコミは誰かを髣髴ほうふつとさせたが、多分キノセイだろう。

「ああそうさ。何もできない、なんて台詞は死んでから言え!」

「盛り上がってるところ悪いけど、自分の言ってる事に矛盾感じたりしない?」

「そんなことはどうでもイインダヨ」

「開き直ったね」

「元からだ」

 オレがそう言うと、紅葉はくく、と笑った。この笑い方、やっぱり誰かを髣髴とさせる。

「なあ紅葉」

「うん?」

 顔を上げた紅葉と、オレの目が合った。

「生きているっていう事実だけで、人を救える事がある。もしもこの先、病気が悪化して、眠ったまま目を覚ます事ができなくなったとしても、紅葉が生きている限り、紅葉のことを大切に思っている誰かの心は救われてるんだ。

 忘れるな。その事だけは」

 そう。

 生きていてくれるだけで、救われる。

 事実、オレが、そうだから。

 紅葉は呆けたような表情でオレを見た。

 紺瑠璃の瞳の中で感情がめまぐるしく動いた後で、ふ、とオレの顔に焦点が合う。

「ね、あなた、名前は? まだ、聞いてない」

「陣。草薙陣。そういえば、まだ名乗ってなかったな」

「陣って呼んでいい?」

「ああ」

 紅葉は嬉しそうににっこりと笑った。

 花が咲いたような笑みだった。

「わたし、ね。日本に帰ってきてから、お兄ちゃん以外で会話したのって、DoctorとNurseだけなの。わたしのこと、紅葉って呼んでくれた人は、お兄ちゃん以外じゃ陣が初めて」

 ドクターとナースという単語を、奇麗な英語で発音して、紅葉は照れたように笑った。

 廊下で足音がした。医師とナースが紅葉の容態を見にやってきたのだろう。

 時計を見ると、あと少しでシンデレラの魔法が解ける時刻になっていた。

 自由時間が終わってからだいぶたっている。果たして屋敷はあいているのだろうか。

「ま、先生も来たようだし、オレはそろそろ帰るよ」

 紅葉の表情が一転して曇る。

「もう帰っちゃうの?」

「さすがに夜遅いしな。日付が変わっちまう」

「また、来てくれる?」

 不安そうに見上げる紅葉を安心させるように、オレは笑って言った。

「また来るよ」

「きっとよ、陣。約束だからね」

「ああ。またな。お休み、紅葉」

 病室の入り口ですれ違った医師に会釈をして、今度こそオレは病院を後にした。

 天頂にかかった月が、帰り道をやわらかく照らしていた。

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