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純愛バトラー  作者: 天沢 祐理架
其の四 執事、奔走す
17/30

彼女の現在

 長かったような、短かったような沖縄旅行も終わり、屋敷で絵理の執事として過ごす日々が戻ってきた。

 絵理の様子は相変わらずで、夏休みだというのに本を読んで過ごす日が多い。

 少し変わった事といえば、パソコンを起動している時間が増えたくらいだった。

 とは言っても、調べ物に活用するくらいで、基本は放置で本を開いている事が多い。茶の用意をする他に、読み終わった本やら資料やらの整理をするのもオレの役目だった。

 それなのに、何故起動しているのかといえば……。

 パソコンのスピーカーから短い電子音が流れ、タスクバーのアイコンにメッセージが表示された。

【青司さんがオンライン状態になりました。】

 このところ、絵理と青司はパソコンのメッセンジャー機能を使って、チャットで話をしているようだった。

 ちなみに、携帯電話のメール機能は殆ど活用していない。緊急時や外出時の連絡に使用するくらいで、基本はパソコンを介してのチャットのやり取りだった。時々、マイクを使って音声チャットもしているようだが。

 携帯を持っていながら、ここまで活用しない十五歳の少女というのも珍しいのではないだろうか。もっとも、青司も青司で似たような事をしているのだから、そういった意味では似合いのカップルだ。

 カップル、という表現をしなければいけない今の状況が、オレは激しく気に入らない。かといって、人の気持ちなんて、力ずくじゃどうにもならない。

 かつてやろうとした強引な方法も、今はできなくなっていた。またティッシュボックスを持たされて、部屋の外に追い出されるのがオチだろう。

 そんな強引な手段に出て、

『案ずるな。今回はきちんと特殊な器具も用意しておいた』

 などと言われて、ティッシュと一緒に持たされたとしたら、多分オレは立ち直れなくなる。

 第一、うやむやになってしまったが、オレは絵理に色情症の変態と誤解されたままなのだ。

 ああ。

 できることならば、あんな馬鹿げた行動に出た昔のオレの首をきゅっと絞めて、そのままネックハンギングの刑にしてやりたい。

 絵理は青司がオンライン状態になると、パソコンデスクの方へ本ごと移動し、本を読みつつメッセンジャーでのチャットに興じ始めた。

 とは言っても、その内容は色気も素っ気もなく、今調べている事柄の話とか、今日読んだ本の内容とか、夏休みの課題についての意見交換とか、そんな事ばかりだった。

 パソコンを使うのは、キーボードの方が、互いに文字入力が楽だからと言っていた。長文でのやり取りが多い二人には、メールだともどかしいのだろう。

「絵理。そろそろ夕飯の時間だぞ。一旦切り上げろ」

「む……。そうか」

 絵理はキーボードを叩いて、青司に席を離れる旨を告げ、読みかけの本を閉じた。

「そういや、お前携帯って殆ど使わないよな」

「そうか? 外出や緊急の時には重宝しているぞ」

「いや、そういう事じゃなくて、友達とメールとかしないのかなぁと」

「用もないのに一体何を送るというのだ」

 絵理はこういう女だった。

 絵理にとって携帯はあくまでも連絡用の道具であり、それ以上でもそれ以下でもなかった。

「そういう割に、青司とは用もないのにチャットしてるじゃん」

 携帯のメール機能こそ使用していないが、毎日のようにパソコンを起動し、いつ青司がオンラインになってもいいようにしている。その事が、余計にオレの嫉妬心をかき立てた。

「……そう言われてみればそうだな。何故だ」

「オレに聞くなそんな事」

 人の気も知らないで、大真面目にそんな疑問を投げかけてくる絵理に、少なからず腹が立った。

「んなことも解んねーくせに、何で青司と付き合う気になったのか、その方が疑問だね」

 好きかどうかも解らないなら断ればいいだろう。オレの時は何やっても反応しなかったくせに、何であいつだけ。

 鬱々とした感情が頭をもたげてきた。

「何でと言われてもな。別に嫌じゃなかったからだが」

 怒りを通り越して、こけそうになった。

 あれですか。

 難攻不落の要塞かと思いきや、小細工しないで正面玄関へ行って呼び鈴鳴らせば、意外とあっさり入れてくれたということですか。

 こいつは一本取られたぜ。はっはっは。

 ……ふざけんな♪

「じゃあ何だよ。もしオレが付き合ってくれって言ったら、お前はオレと付き合うのかよ。どうなんだ。ええ」

「青司がいるから無理だな」

「いなかったら?」

 絵理は戸惑った様子で、暫く、あごに軽く握った手を当てて考え込んでいた。

「そう言われても。陣には前科があるし、いつも一緒にいて勘違いしてしまっただけというのも考えられるからな……」


 えりのこうげき

 つうこんのいちげき

 じんはたおれた


 頭の中で意味不明のテロップが流れ、目の前が暗転するかのような錯覚に襲われた。乾いた笑いがこみ上げてくる。

「そうそう、インターネットで調べたら、男性用生理用品なるものを見つけたぞ。もし必要なら注文して……」

 そこまで聞いて、オレはそのまま前のめりに倒れこんだ。

「陣! どうした、大丈夫か!?」

 絵理がオレの身体をゆすっているが、力が入らない。笑うしかない、というのは、こういう状況の事を言うんだろうか。

 やっとの事で身を起こすと、オレは絵理に向かって思わず叫んだ。

「そんな物見なくていいっ! というか、十八歳未満は閲覧禁止だ閲覧禁止! 検索するな! そしてオレに勧めるな!」

 一応簡潔に説明すると。

 男性用生理用品というのは絵理の言う『特殊な器具』に相当する物なのだが。

 これを、好きな女から真面目に勧められると、どうしようもなくやるせない気持ちになる。

 痛恨の一撃の後に追い討ちまでかけるとは、さすがは絵理。容赦というものが全くない。

 セツナイデス。

 ええもう、色々な意味で。

 というか、これは新手のいじめかセクハラなんじゃないだろうか。

 憔悴しきったオレを見て、絵理は不思議そうな顔をしていた。

 いい機会だし、きちんと誤解を解いておかないと後々面倒な気がする。オレは、こほんと一つ咳払いをすると、諭すように絵理にむかって言った。

「あのなあ、別にオレは色情症でもなければ変態でもないぞ。だから、変な物を勧めるのはやめてくれ」

 絵理はオレの目をじっと見つめた後、確認するように言った。

「本当に違うのか?」

「違うから。マジで!」

 絵理と見つめ合ったまま、しばしの時間が過ぎる。

「だとしたら、何故そなたは病院に通っていたのだ?」


 不意打ちで心臓を掴まれた。


 時報が鳴り、夕食の時間になったことを告げる。

「時間だ。行こう」

 オレは絵理に背を向けて、母屋の方に向かった。

「……陣?」

「お急ぎ下さいませ。皆が心配いたします。絵理様」

 絵理の言及をはねつけるかのように、オレは執事としての仮面を被った。

 後ろめたい事などないはずなのに。

 その事実を、理由を、オレは口に出せなかった。出したくなかった。


 夕食が終わった後も、何となくぎこちない雰囲気のまま、時間は過ぎた。

 絵理は殆どテレビを見ないのだが、ニュース番組だけは欠かさず見ていた。

 月九のドラマ? 何それおいしいの? といった様子で、絵理にとってテレビは娯楽の為の機器ではなく、社会情勢を把握する媒体でしかなかった。

 絵理の生活を見て、一つ気付いた事がある。

 それは、彼女の生活にはあまりにも娯楽というものが欠落している事。

 空いた時間は読書に当て、その他の時間は習い事で埋まっていた。現在でも続けているのは茶道、華道、古武術くらいだが、以前はもっと多かったらしい。

 そんな状況なら、不満の一つも出てくると思うのだが、絵理からそんな様子は全く感じられなかった。習い事はそれなりに楽しんでいるようだし、読書に至っては娯楽と言い切っていた。

 読書が娯楽、という人は多いと思う。

 だが、それを差し引いても、読んでいる本がダンテの『神曲』とか、プラトンの『国家』とか、教科書に出てきそうなタイトルの本ばかりで、本当に娯楽になっているのかと首を傾げたくなる。

 テレビでは、『脳死は人の死である』という法案をテーマに、コメンテーターたちがああでもない、こうでもないと議論を交わしていた。

 絵理にとって興味を引く話題だったようで、じっとテレビを見ている。

 慎重論を唱えるコメンテーターに対し、別のコメンテーターは、本人の意思表示がなくても臓器移植ができるメリットについて声高に語っていた。

 ………………。

 ぷつん。

 突如テレビ画面が暗転し、絵理がこちらを振り向いた。

 オレの手にはテレビのリモコン。

 テレビ鑑賞を邪魔され、絵理は抗議の声を上げた。

「こら、陣、何をするか」

「悪い。手が滑った」

 白々しい言葉が口をついて出た。

 暗転したテレビ画面に映った自分の顔は、あらゆる感情をない交ぜにした無表情。

 能面みたいな顔だ、と他人事のように思った。

 絵理はそんなオレの顔をじっと見つめて一言告げた。

「少し早いが、自由時間にして良いぞ」

「そうか」

「出かけてくるのだろう」

「そうする」

 短く答えて、オレは私室に戻って私服に着替えた。

 夜の街へ、自転車を走らせる。

 そんなオレを、月明かりが照らしていた。

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