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純愛バトラー  作者: 天沢 祐理架
其の四 執事、奔走す
16/30

波際夜想曲

 リムジンの一件でタガが外れてしまったのか、別荘生活はまさに豪遊と言っていい状態だった。

 プライベートビーチは透明度も高く、スキューバダイビングをすると一面の珊瑚礁と熱帯魚が鑑賞できた。

 部屋は一人一人に個室があてがわれ、欲しい物は、頼めばすぐに持ってきてもらえた。

 夕食は伊勢村家お付のシェフによる、新鮮な魚介料理。勿論、注文すれば沖縄の郷土料理だって出てきた。

 プレイルームには紫檀のビリヤード台が置かれ、正面の壁には一〇三インチのプラズマテレビが設置されていた。

 夜は映画を見ながらビリヤードに興じ、喉が渇けばお付のメイドさんが好みの飲み物を運んできてくれる。相変わらず酒類は禁止だった。

 千沙子曰く

「酔っ払いの面倒を見るなんて、冗談じゃないわ」

 との事だったから、別に道徳的な意味で禁止していたわけではないらしい。

「ワインなんてヨーロッパじゃ子供の飲み物なのに……」

 そう青司がぼやいていたが、ここは日本で、この場の絶対権力者は千沙子。日本の法律と離島の女王陛下の二つの壁に幅まれて、渋々断念したようだ。

 自分たちが一介の高校生だという事を忘れそうな待遇で、丸々二日遊び倒し、沖縄で過ごす最後の夜は、海岸で花火を楽しんでいた。

 空には満天の星が輝き、潮騒が心地よい音楽となって風と共に吹きぬける。水平線の向こうに見えるのは、沖縄本島の街のあかりだろうか。

 さすがの千沙子も派手な打ち上げ花火は手配していなかったようだが、普通の玩具花火でも充分風情がある。

 オレ達は浴衣にうちわという、このまま夏祭りに繰り出せそうな格好で、思い思いに花火を楽しんでいた。

 小雪がねずみ花火を大量に放ってはしゃぎ回り、千沙子は設置した噴出花火に片っ端から点火していく。

 絵理は手に持った線香花火をじっと見つめていて、牡丹、松葉、柳、散り菊と、花火の調子が変わるたびに、その表情もころころと変わる。

 声をかけようかと思ったが、あまりに真剣に線香花火に見入っているので、そのまま絵理の顔を見つめていた。

 火をつけて牡丹が大きく成長していく過程では玉が落ちないかと息を呑み、無事に松葉の火花が散り始めるとぱっと表情が輝く。火花が緩やかな柳に変わると名残惜しそうにそれを見守り、散り菊の間際には切なげな表情で花火の最期を見守っている。

 その真剣な表情かおが、なんだか可笑おかしくて、楽しくて、嬉しくて。

 だけど、同時に胸の奥にちくりと刺さる痛みがあって。

 楽しみの邪魔をしないよう、気付かれないうちにそっと絵理のそばから離れた。


 何となく皆から離れて波打ち際を歩いていると、独り満天の星が輝く夜空を見上げている青司がいた。

「よお」

 オレが声をかけると、一時いっときこちらを振り向いたが、すぐにフイっと夜空に視線を戻してしまった。

「会長は皆と花火はしないんですか」

 夜空を見たまま、空虚なトーンで青司はオレに問いかけた。

「お前こそ」

 オレは何となく青司の隣に立って、波が寄せるたびにキラキラと光を反射する海を見ていた。

 青司は一瞬返答に詰まったが、深く息を吐き出すと、ためらいがちに話し始めた。

「場違いのような気がして」

「へーえ。何でまた」

 青司がこちらを振り向いた気配はなく、オレも視線を固定したまま。

 潮騒と、夜風と、空と海の瞬きが二人を包んだ。

「時々、思うんです。何のために俺はこの場にいるんだろうなって」

 波が、また一つ砂浜に打ち寄せる。

「絵理をかっさらっておいて、それか。んなふざけた事抜かすなら、地元の彼女のところへでもさっさと帰りやがれ」

 青司の言葉に、オレは少なからぬ苛立ちを覚えていた。

 絵理の事に関してだけではなく、心理的な壁を作っている、青司自身に対しても。

「ホテルでも言ってましたけど」

 むっとした青司の声が、オレの耳に届いた。

「二股とか彼女って何の事です? 絵理さん以外に彼女なんかいたことすらありませんが」

「へえ? 絵理から、お前がゴールデンウィークに地元の彼女に会いに行ってたって聞いたけど? 彼女の話をしているお前が幸せそうで羨ましい限りだって言ってたぞ」

「絵理さんが?」

 青司がいぶかしむように言い、しばし会話が中断した。

 溜息と共に

「ああ、あの時か……」

 という青司の呟きが漏れたのを聞き、オレはすかさず青司に言及した。

「あの時って何だよ」

 言って、青司の方へ向き直る。

 青司もオレの方へ向き直り、一呼吸おいて話し始めた。

「写メールが届いたんです。アメリカにいる妹から。休み時間にチェックしていた時に、妹の写真をクラスの人間に見られたんですよ。興味本位で携帯を覗き込まれてね」

「なるほどな」

 その後の展開はオレにも想像できる。

「そいつが大声で彼女だなんだって騒ぐもんだから、面倒になって誤解させたままにしておいたんです。噂が立った後は男からラブレターが来なくなって、かえって助かりましたけどね」

「うあ……それは……。おめでとう」

 なんとコメントしてよいかわからず、どうしようもなくピントの外れた返答をしたような気がするが、また改めてコメントするのだけは勘弁して欲しい。

「でもな、別に絵理の前で嘘を重ねてのろける必要なんかなかったんじゃね?」

 オレがそう質すと、青司は大きく溜息をつき、うんざりと言い返した。

「のろけてなんかいませんよ。ゴールデンウィークの予定について雑談していた時に、『大切な人に会いに行くのだな』って言われたから、肯定しただけです。そんな風に脳内変換されていたなんて、思ってもみなかった」

 それから二、三度 かぶりを振って肩を落とし、ぽそりと呟いた。

「絵理さん、俺の事、軽くていい加減な奴だと思っただろうな」

 青司は端正な顔に眉根を寄せて、唇を噛んだ。

 その表情に釣られて、オレは、つい余計な事まで言ってしまった。

「絵理の脳味噌はどこでどう繋がってんのか計り知れないところはあるが、いい加減な気持ちであんな返答しねーよ。ついでに、少しでも納得してなきゃ容赦なく追求してくるからな。思い詰める必要もないんじゃね?」

 言った直後に後悔した。

 恋敵励ましてどうするんだよ……。

 青司は驚いたようにオレを見ると、ふっと表情を崩して笑った。

「知ってます」

「うわテメエむかつく」

「絵理さんは俺に渡さない、でしたっけ? いいですよ。受けて立ちます」

 そう言った青司の声からは、独り空を見上げていた時の空虚なトーンは消え失せていた。

「あー! いたいたー! 密会現場はっけーん☆」

 元気のいい声が響いて、小雪がスパーク花火を両手に持ったまま、こちらに駆けて来た。その後ろに、千沙子、絵理、長船が続く。

「こんなムード満点の場所で、男同士で逢瀬なんて。見る人が見たら誤解された挙句、妄想のネタにされるわよ」

 千沙子がなにやら物騒な茶化し方をした。

 オレはいたってノーマルだ。気色悪いから冗談でもやめてくれ。

 絵理がオレ達の前まで進み出た。走ってきたせいか、頬が紅潮している。

「馬鹿者っ! 二人とも、いつの間にやら失せていたから、心配したではないか!」

 心配と安堵が入り混じった表情と声でそう言って、オレと青司の浴衣をきゅっと掴んだ。

 オレは、そんな絵理の頬を優しく撫でた。

「悪い。心配かけたな」

 もっと気の利いたことを言いたかった。

 でも、なんだか胸の奥に言語機能を著しく鈍らせる甘い痛みが走り、それ以上の言葉が出てこなかった。

「解ればそれでよい。青司、そなたもだぞ!」

 絵理がそう言うや否や、青司は絵理の腕を取り、自分自身に引き寄せた。

 絵理は勢い余って青司の腕の中にすっぽり納まり、胸に頬を寄せる形になった。

 そんな絵理の髪を撫でて、青司は一言。

「心細い思いをさせて、ごめん」

 そう絵理に謝罪した後で、オレの方をちらりと見やり口元に笑みを浮かべた。

 ……コノヤロウ。

 絵理は瞳をぱちくりさせた後で青司を見上げ、首関節がうまく動かなくなった人形のような動作で周囲を見渡した後、やっと自分の状況を認識したようで、一気に顔が赤くなった。

「!?!!!???!?」

 絵理は声にならない声を上げて顔を真っ赤にしたまま百面相をし、青司の腕の中から脱兎のように飛び出して、小雪の背中に隠れた。

 しかし小雪の方が明らかに背が低いので、隠れているとは言い難い状況だ。

「しゅ、衆人環視の前で何をするかっ!」

「誰も見ていなければいいの?」

「それは、いや、その、そういう事を言っているのではないっ!」

 絵理は顔を真っ赤にしたままぶんぶんと首を振ると、それ以上何も言えずに、あうあうと口だけ動かしている。

「面白いな絵理さん」

 青司がクツクツと笑いながらそう言うと、絵理はさらに顔を真っ赤にした。

「か……からかいおったな! このたわけっ! 表へ出ろ、そこへ直れ!」

「ここもう表だけど」

「そんな事は解っておるっ!」

「言ってる事が支離滅裂だよ」

「誰のせいだと思っておるか!」

 ぜーはーぜーはーと息を荒げながら青司を言及しようとする絵理の様子に耐えられなくなったのか、小雪が大声で笑い出した。

「あははははは! えりちゃんかーわーいーいー!」

「へっ!?」

 そんな小雪に虚を突かれたのか、絵理は間抜けな声を出して固まった。

 小雪はというと、絵理の方を向いて背伸びをし、いい子、いい子♪ とでも言いたげに頭を撫でている。

 たっぷり三秒間を空けて、絵理は小雪の肩をがしっと掴んで顔を覗き込んだ。

「今のやり取りのどこに『かわいい』と言える要素があったのだ! 悪いことは言わぬ。脳外科に行き、一度診て貰った方が良いのではないか?」

 絵理のヒドスギル主張を小雪は笑顔で受け流し、浴衣の袖から何かを取り出した。

「そんなえりちゃんにプレゼントっ!☆」

 左手にたくさん持った『それ』に、小雪は次々と火をつけ、絵理の足元に放った。

 足元で大量のねずみ花火が踊り始め、絵理は慌てて飛びのいた。その様子を見て、小雪はケラケラと笑っている。

 そしてさらに浴衣の袖から花火を取り出し、周囲に配り始めた。

「ほらほら、まだまだ花火はあるよ☆」

「消火用のバケツも持ってきましたので、遠慮なくどうぞ」

 小雪と長船に促され、オレ達は花火を再開した。

 夜の海岸に笑い声が響く。

 そんな時。

「ねー! 見て見て!」

 水平線の向こうで花火が上がった。

「どうやら本島でも花火大会のようですね」

「ふふ、少し遠いのが難点だけど、遮る物が何もないからよく見えるわ」

 夜空に色とりどりの花が咲き、少し遅れて開花の音が響いてくる。

 ふと、何かがオレの手に触れた。

 隣で遠花火に見入っている絵理の手だった。

 絵理はそのことに気付いていないようで、相変わらず花火に視線を向けたままだ。

 少しためらったが、オレはそのまま絵理の手をとり、指を絡ませた。絵理が不思議そうな顔をしてこちらを向いたのがちらりと視界に入ったが、気付かないふりをしてそのまま花火を見続けた。

 絵理も無理に手を解こうとはせず、やがて花火に視線を戻した。

 左手から伝わる温もりが胸の奥を甘やかに締め付け、その感覚が全身を支配していく。

 手を繋ぐ。

 ただそれだけの些細な行為なのに。

 耳の奥で響いているのは、空を彩る華の開花の音か、それとも自分自身の鼓動の音か。

 一瞬の煌めきを残し、儚く散っていく花を見ながら、オレはささやかな幸せを感じていた。

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