守りたい人
あの後。
無事に屋敷に帰ってきたオレ達は、早々に離れへと引っ込んだ。
学校での出来事が、他の使用人や、絵理の父親の耳に入ったら大変な事になる。
運転手さんには、『運動部の体験入部をしていたら校舎が施錠されてしまい、着替えに戻れなかった』と適当な言い訳をしておいた。
幸い、制服は二着あるので、明日の心配はしなくて大丈夫なのだが、体中傷だらけなので、その手当てをしなければならなかった。
「……これでよし、と」
絵理の体のあちこちにできた擦り傷を一通り消毒して、オレは救急箱を閉じた。
「今日は助かった。陣が来なかったら、擦り傷どころでは済まぬところであった」
「勘弁してくれよ。あんな呼び出しに、のこのこ一人で行く馬鹿が何処にいる」
少し怒った口調で言うと、絵理は「すまぬ」とうなだれた。
「何でオレが行くまで、教室で待っていなかったんだ」
そう尋ねると、絵理には珍しく、「それは……」と口ごもった。
「そんなに頼りないか? オレは」
「……そうではない」
そう呟くと、きゅっと唇を噛んでたどたどしく言葉を続けた。
「嫌だったのだ。私が原因で、陣が傷つけられるのは」
まったく、この姫さんは……。
「だから、一人で決着をつけようって?」
「うむ……。完全に裏目に出てしまい、余計に迷惑をかけた。……すまなかった」
「バァカ」
べしっ!
言葉と同時に、オレはうなだれている絵理のおでこを強めに叩いた。
「ぬぉわっ!」
予想外の攻撃を受けて、さすがの絵理も悲鳴を上げた。
「あのなー、それは本来ならオレの役目だろ。嫌がらせの手紙も、あんな目に遭ったのも、原因はオレなんだよ。絵理は完全な被害者。責任感じる必要なんかねーんだよ」
絵理は瞳に驚きの色を湛え、オレをじっと見つめている。
「……そうであったとしても」
瞳の色が、驚きから真摯に変わると、絵理の唇から言葉が漏れた。
「そうであったとしても、陣を守るのは主人である私の役目だ。
そなたは、初めての私だけの執事だ。
守りたいと思ったのだ。
……おかしいだろうか?」
絵理の瞳から視線が外せない。
だから、そんな真面目な顔で、男が女を口説くような台詞を口にするんじゃねぇっての。どう答えていいか解らなくなるだろうが。
絵理はいつだって真っ直ぐだ。
多少思考回路がぶっ飛んでいるが、その心に、偽りや打算はない。
恋人などという関係があってもなくても、多分絵理はこのままだ。
だとしたら、打算の上に作り上げられた『恋人』なんて関係は邪魔なだけなんじゃないのか?
そう思ったら、打算で『落としたい』なんて考えていた自分が、ひどく滑稽に見えた。そんな事をしなくても、絵理はちゃんとオレのことを考えてくれていたのだから。
返す言葉も見つからないまま、オレは絵理の頭をそっと撫でた。
「こ、こら、子ども扱いするでない。十五といえば、昔であればもう元服の年で……。
何を笑っておる!」
赤くなりながら『元服』なんて言うもんだから、つい吹きだしてしまった。
お前は、一体いつの時代の人間だよ。
ひとしきり笑いが収まった後、オレは絵理に向き直った。
「守ってくれるっていう気持ちは嬉しいけど、あんまり無茶するな。せめて一言オレに相談しろ。絵理に任せきりで何もできないほど、情けなくはないつもりだ」
「うむ……。そうだな。
次からはそうする。すまなかった」
「よし、じゃあこの話はもう終わり。
そうだな……ゴールデンウィークの予定の話でもするか」
いつまでも衝撃的な出来事の話を続けても仕方がない。こういう時は、他の話でもして、気を紛らわせた方がいいのだ。
「ゴールデンウィークか……。特に予定は入っておらぬな。青司は恋人に逢いに帰省するという話だし、他に親しい級友もおらぬからな」
「あいつ、彼女いたのか。……生意気な」
そう言いつつ、どこかで安堵してる自分がいる。
「そのようだぞ。恋人の話をするたびに生き生きしていて、羨ましい限りだ」
そう言いながら、いつも何かを書いているノートを取り出し、ペンを走らせる。
「ところで、いつもそのノートに何か書いてるけど、一体何書いてるんだ?」
ふと気になって、絵理の手元を覗き込んだ。
『朝六時 起床
朝六時半 朝食
朝七時半 登校
……』
こんな調子で、時刻と共に、スケジュールが書き込まれていく。
何だ。ただのスケジュール帳か。
しかし、絵理から返ってきた答えはオレの予想を覆した。
「これか? 日記だ。
あまり人の日記を覗くでない。無作法だぞ」
「日記!?」
「そうだ。日記だ。何かおかしな所でも?」
日の記録と書いて日記だから、別におかしいところはないんだが、何と言うか、根本的に間違ってる気がする。
いやまて。相手は絵理だ。世間の常識とか、そういうものは一旦忘れた方がいい。
「いや別に……。何処もおかしくないです」
「? おかしな男だ。ところで、陣はゴールデンウィークの予定は何も無いのか?」
「ないな。休みがもらえるなら、適当にぶらぶらしてくるけど」
「そうか。佐伯に陣の休みの日取りを作って貰えるよう、働きかけておく。たまには羽を伸ばしてくるが良い」
休みを貰ったところで、たいして行きたいところも無かったりするのだが、ここは大人しく厚意に甘えておこう。
たわいのない会話をするのが、なんだか楽しい。
打算とか、駆け引きとか、そういったものが一切必要ない相手は初めてかもしれない。
女からは『理想の王子様』としての自分ばかり求められ、男からは何となく距離を置かれていたから。
そのことに疲れていたわけでも、不満を感じていた訳でもないけれど。
オレの容姿や能力や性別とは無関係に、一人の個人として接してくれる事が、とても心地よく感じた。
絵理を落とそうなんて考えるのは、もうやめよう。
恋とか、愛とか、そんな事とは無関係に笑い合える今の関係が心地よい。
それに、『恋人』などという保険がなくたって、絵理はオレに心を配ってくれるのだから。




