思考と明日と
人生は選択肢を選んでいくものだと思う。少なくとも、僕は。
それも、具体的な選択肢じゃない。
――するか、しないか。
ただそれだけ。
その二択で人生は進んで行く。
例えば、朝起きて何をするか考える時、浮かぶ選択肢は普通、三種類か四種類ぐらいだと思うだろう。顔を洗う、着替える、食事を取る。人によっては、もう一度寝る、だとか、歯を磨く、だとかが入るかもしれない。
けれど、顔を洗うか否か、着替えるか否か、食事を取るか否か、皆そのどちらかを選択しているに過ぎない。
YESを取ってもNOを取っても、次の分岐点へ進む。
変化は選択の結果であり、結果は分岐によるものだ。分岐したからといって別の選択肢が現れるわけでもなく、その積み重ねが少しずつ道を変えて行くのだろう。
これは全ての事象に言える事だ。
それが起きたか、起きなかったか。
例えば宇宙。有名なビック・バン説も、起きたか起きなかったの違いだ。その説を信じたとして、宇宙が存在するのはビック・バンが起きたから。起きなければ今ここに宇宙は存在せず、僕のように思考する存在はいないはずだ。
太陽が出来たのだって、地球が出来たのだって、宇宙の塵やガスが集まったか否かでしかない。
この世に存在するあらゆる事象、生命体の行動なんて、理屈じゃない。
それが『有』か『無』か。どちらかだ。
僕はそう考えている。
これも、考えているか、否かの違いだ。
机に頬杖をついたまま、窓の外、青空へと視線を向ける。学校の授業なんてつまらない。高校に入っても、僕は何も変わらない。
そう、変わらない。
雲は毎日形を変えていく。全く同じ形なんて存在しないかのようだ。
少し羨ましい。
何も変わらない毎日。昨日も今日も明日も、何も変わらない。同じ事を繰り返すだけの日々だ。
勿論、細かいところは違ってきているから、いずれは大きな変化になっている。過去を振り返った時に、昔とは違う、と感じるのはそのせいだ。最終的には大きな変化になって道を逸れているだけなのに、目の前にある毎日の変化は小さ過ぎる。
確実に変化していくはずなのに、時間は進んでいるはずなのに、日常は遅い。それなのに、日が経っていくのは早く感じる事もある。
不条理だ。
そんな毎日がつまらないと思う。
――だけど。
楽しいと思う事があるのも事実。
不思議なもんだ。
学者とか、人々は色々と理屈付けするけれど、思考なんて所詮はそこで終わり。そこから先を考えたところで他人が納得するだけだ。何も変わらない。
僕が何かをしたところで、大きな変化は起こらない。起こすにしても、結果は今すぐに現れたりはしない。それだけの存在感が、僕には無いから。世界や国を動かすには、僕は小さ過ぎる。
だから、変わらない。
取りとめのない会話で笑い、つまらない授業を受けて、空腹になったらものを食べ、欲求を考えて金を使う。
そんな、変わらない毎日。
――だから。
きっと、この考えも明日には忘れてる。
何も見ず、気の向くままに書いた短編です。いかがでしたでしょうか。何かを感じてもらえたら幸いです。因みに、著者自身が『僕』ではありませんので、あしからず。