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救うことは、罪ですか?

作者: kanade
掲載日:2026/08/05

潮の匂いが体を吹き抜けた。

夕暮れ時の島外れ、潮の匂いが濃くなる岩場で、俺は一人海を眺めていた。

波は穏やかで、空は焼けるような朱が広がっている。

考え事をしているわけでも、何かを待っているわけでもない。ただ、ここに立っていると、胸の奥が少しだけ静かになる。


コツ。


軽い足音。わざわざ振り返る気にはならなかった。どうせ、観光客か何かだろう。


「こんにちは。一緒にお話ししていただけませんか?」


落ち着いた女性の声が背中に響いた。

ゆるりと視線を動かして、声の主を捉える。

息をのんだ。

腰まである絹のように美しい白銀の髪が、幻想的に揺れる。淡いクリーム色の瞳は、静かに俺を見据えていた。

「いいでしょう?心優しい神様」

ドキリ、と胸が大きく跳ねた。

…何者だ?知ってるのか、あるいは何も考えてないのか?

「こりゃあ、ずいぶんと冗談の上手なお嬢ちゃんだな」

彼女はクスクスと淑やかに笑う。

「自己紹介が遅れましたね」

ふわっと花が舞うような優美な動作で軽く頭を下げ、軽く口を開いた。

「現神……フキと申します」

顔を上げて、フキは一層笑みを深めた。

少し子供っぽい、可愛らしい微笑み。

ネイビーのシンプルなワンピースが、潮風にふくらみ、ゆっくりと波打った。

「少し休暇をいただいて、会い来させていただきました。………貴方が人間に堕とされた経緯を聞いて」

波が強くさざめいた。

拳に力が入る。月光のような瞳を見ていられなくて、思わず目を伏せた。

「話すことはない。帰ってくれ」

「いやです。私は貴方の考えを知りたくてはるばるここに来たのですから」

びくっと体が跳ねる。

「………頑固だな」

「お互い様では?」

気まずい沈黙が落ちる。その中でも、彼女は笑みを崩さない。

ため息を一つ、口からこぼした。

「ついてきてくれ。少し離れた場所に使われなくなった岸壁がある」

あそこなら滅多に人も来ない。話をするには最適だ。

フキは軽く頷いて、俺の後ろを歩き始めた。


コンクリートに腰を下ろすと、フキは真隣に座ってきた。

「貴方は、なぜ自分が人間の身に堕とされたと思っているのですか?」

「おいおい、急に話をぶっ込んでくるなよ」

へらりと笑ってみる。しかし、彼女は俺の表情ではなく海を眺めていた。

「……人間を助けすぎたからだと、他の神たちには言われた。ま、姿や名前とかは記憶消されてるんだけどな」

彼女は視線を海から外して俺の手を見つめる。そして、こてん、と顔を傾げた。

「堕とされた理由が、わかっていないような言い方ですね」

「わかんねーよ。助けるっていいことじゃないのか?」

髪をぐしゃりと掴む。眉がへにょりと下がった。

助けてと乞われれば原因を退治した。不作だと言われれば神力で少しの果物を実らせた。生きたいと願われたら少し身体を治した。

「助けたらみんな喜んでくれる。苦しんでるなら、助けてあげればいい。そうじゃないのか?」

「さぁ?」

「さぁ、って………」

あまりにも軽い返しに、盛大なため息が漏れた。やけに気が抜ける。

考えがあるから、俺のところに来たのだと思った。だが、違うのか?

「貴方はそうなのでしょう。しかし、私にとっては、半分あっていて、半分間違っているのです」

変わらない笑みがどうにも癪に思えて、眉間に皺を寄せる。

「間違ってるって、何がだよ。……なんでわざわざこんな話をしに来たんだ」

「ふふ、……私はいまだに変わらない、貴方を諭すために来たのです」

ぽかん、と大きく口が開く。わざわざ来るものか、現神が、人間に。

昔の俺は別として、基本的に神は人間に姿を見せない。そう言うものだ。

それに諭すってなんなんだ。そっちも答えを持っていないのに。

「クスクスクス………。間抜け面ですね?」

イタズラっぽい光が瞳の中に浮かぶ。

そして、また海へと向き返った。

「貴方が人間を助けた時、彼らはどんな反応をしましたか」

「え?そりゃあ、感謝してくれたよ」

急に突拍子のない質問に面食らう。何を求めているのか、全くわからない。

「では、何を求めるようになりましたか」

「……助けを求められるようになった」

「では、その次は?」

「……俺だけを求めるようになった」

口に出してみると、それはあまりにも危険なことだった。

独占、依存、執着。

そんな感情が混ぜこぜになった人間たちの顔が、浮かんでは消えていく。

無意識に海へと視線が向かった。


「………それが、俺の罪なのか?」


少しずつ夜に染まっていく夕陽を見ながら、フキはしばらく黙っていた。

ザザン、ザザン……。

いつも通りの波の音が、規則正しくさざめく。

『助けてくださりありがとうございます!』

助けた人間たちは、皆涙を流して感謝した。安心したその笑顔を守りたい。そう思った。

でも、人間たちの様子は少しずつおかしくなっていった。

『私を助けてほしい』から、『私だけを助けてほしい』へ。

そして最終的には、『あの方は私の神だ』と言う人間が増えた。

当時は、こんなに俺のことを思って感謝してくれるなんて嬉しいな、なんて呑気に思っていた。

『あの神様は私を一番にしてくれる!』

『いや、私のことを一番愛している!』

しかし、落ち着いて思い出すと、感謝の気持ちは薄れ、人間たちは特別を求めるようになっていた。

穏やかだった笑顔は焦燥に歪み、瞳は充血していた。

『『『神様!神様!!』』』

願う声が、頭に染み付いて離れない。

みんな助けるのに、救いたいのに。でも、その気持ちは全部俺の独りよがりで、止めるべきだったのかも知れない。

…止めたとして、あの人間たちはどうなった?

苦しむ、悲しむ、道を踏み外す。そうなる姿がありありと浮かぶ。

じゃあ、その原因を作ったのは?

…俺だ。

あれは、人間たちを自分に依存させる行為だったんじゃないか。

…もしそうなら、俺は、なんて__。


「私は」


澄んだ声が、記憶の渦から意識を引っ張り出した。

フキに顔を向けると、彼女も俺の顔を見ていた。お互いの視線が、静かに絡む。

「それが罪なのかそうではないのか、私にはわかりません。きっと、わかる方なんていないでしょう。たとえ神であっても」

静かな声だった。でも、本心のような気がした。

涙が溢れかけて、乱雑に拭った。見せたくなかった。

「……なぁ、俺が助けたと思ってしてたことは、人間を壊すことだったのかな」

少しだけ、声が震えた。

肯定されても、否定されても、自分の何かが壊れる気がする。でも、聞かずにはいれなかった。

「そうかもしれません。ですが、そうではないかもしれません」

もう夜になるはずなのに、ふっと、視界が明るくなった気がした。

「貴方が慈しみ愛した人間たちの行動は、とても自然なんです。一度、絶対に自分を見捨てない存在を知ってしまった。ただ、それだけ」

穏やかな風が頬を撫でた。

白銀の髪が風にさらわれる。夕陽に照らされて、控えめにきらめいた。

「……もし、貴方が神に戻れるとしたら、戻りたいと思いますか?」

真剣な瞳だった。見極めようとしてるような、そんな目。

少しだけ目を閉じる。潮風を感じる。もう、人間の願う声は聞こえない。

真っ直ぐ瞳を上げる。彼女は、静かに俺の答えを待っていた。

「……いや、人間の方が性に合ってるから、戻りたいとは思わないかな。神に戻ったら、また無闇に人に手を差し伸べそうだし」

少し間を置いて、視線を彷徨わせる。軽く頬を掻いた。

「何より、人生を救わなくても、隣で慰めることはできる!」

そう言って、にかっと笑った。風が気持ちいい。心の中がスッキリしてる。

「フキのおかげでようやく気づけた。ありがとな!」

フキはほんの数秒固まって、発火したように顔が真っ赤になった。

「あっ!?顔真っ赤だぞ、大丈夫か?」

「うるさいです」

プイッとそっぽを向かれる。耳まで真っ赤になった彼女は、風船みたいに頬を膨らませていた。

「貴方、神の時になんと呼ばれていたか覚えていますか?」

「いや、覚えてないが……」

一拍間を置いて、フキはジトリと俺を見た。



「人間だけでなく神までもを籠絡する、天然たらし、ですよ」

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