27話 観測の終わり
08時34分。
東湾広域災害シミュレーション研究所、地下管制室。
中央画面に表示された進行率が、静かに上昇する。
**96%**
交通。
医療。
行政通信。
三つの現場から集められた情報が、UAT-0へ流れ込んでいる。
人がどこへ逃げたか。
警察が何分で到着したか。
消防がどの装備を選んだか。
医療機関が危険情報にどう反応したか。
SERTが誰をどこへ向かわせたか。
全てが数値に変えられていた。
画面の向こうでは、警察庁地下へ侵入者が迫っている。
岡野。
梶原。
望月。
残された3人。
三科耀司の声が、地下管制室に流れた。
「都市試験を止めるか、岡野佐知を救うか」
上原は制御卓の前に立った。
拳は固く握られている。
だが、視線は画面から逸れない。
隣では神崎が、室内の出口と機器配置を確認していた。
「班長」
「何だ」
「主制御を止めた場合、警察庁側の映像も切れる可能性があります」
「分かっている」
「岡野室長の状況が見えなくなります」
上原は短く答えた。
「見えなくても、動いている」
岡野は言った。
迷わないで。
私は、あなたが何を選ぶか知っている。
それは、自分を見捨てろという意味ではない。
互いの仕事をしろという命令でもない。
信じろ。
ただ、それだけだった。
上原は制御卓へ手を伸ばす。
「梶原、聞こえるか」
雑音。
数秒後、梶原の声が返った。
「聞こえています」
「主制御の構造は」
「右側の3列が現場入力。中央が演算系。左側が出力です。ただし、主電源を落とすだけでは駄目です。内部バッテリーへ切り替わります」
片桐の声も入る。
行政通信中継局から、途切れながら届く。
「制御卓の下を映してください。三科が作ったなら、物理遮断を偽装している可能性があります」
神崎が小型カメラを下へ向ける。
床下へ伸びる配線。
3本の太い電源線。
1本だけ細い制御線。
片桐が言う。
「太い線は見せるためです。細い方が切替信号でしょう」
梶原が続ける。
「切らないでください。固定して、切れたと認識させます」
三科の声が流れる。
「また、同じことをするのですね」
上原は制御線へ触れずに答えた。
「見ているなら分かるだろう」
「分かります。だから記録している」
進行率。
**97%**
警察庁地下。
非常灯の赤い光の中で、岡野は通路の角を見ていた。
侵入者は3人。
足音の間隔。
装備の擦れる音。
呼吸。
1人は正面。
1人は装備庫側。
もう1人は資料保管室へ向かっている。
狙いは複数。
岡野の身柄。
SERTの装備。
三科へ繋がる契約資料。
どれか一つではない。
全てを同時に取りに来た。
梶原は暗くなった端末を再起動していた。
「室長、非常用回線を戻します。あと40秒」
望月は資料箱を会議卓の下へ移している。
「原本18箱。全部を動かすのは無理です」
岡野は通路から目を離さずに言った。
「最重要資料だけ抜いて」
「どれが最重要かは、これから調べるところです」
「三科の契約番号、研究所、UAT-0。その3つ」
望月は迷わず動いた。
資料を守る人間は、紙を抱えて逃げるのではない。
何を残すべきかを選ぶ。
正面通路の奥。
人影が現れた。
黒い装備。
警察庁内へ侵入するには目立ちすぎる格好。
だが、すでに地下まで入っている。
隠す段階は終わったということだ。
男が拳銃を構えた。
岡野は撃たない。
相手との間には、配管柱。
その向こうに梶原がいる。
外せば終わる。
当てても、弾が抜ければ危険。
男が一歩出る。
岡野は壁際から声をかけた。
「それ以上、進まないで」
男は止まらない。
「岡野佐知」
名前を知っている。
「三科から伝言だ」
岡野は銃口を下げたまま答えた。
「本人に言わせなさい」
「あなたは、上原直城の判断を鈍らせる」
「そう」
「だから、ここで消える」
男が銃口を上げた。
岡野は半歩だけ動いた。
一発。
銃声が地下通路へ響く。
男の拳銃が床を滑った。
撃ったのは手ではない。
拳銃のスライド後方。
金属同士がぶつかり、男の手から弾き飛ばした。
岡野は続けて距離を詰める。
男がナイフを抜く。
岡野は腕を外側へ流し、肘を壁へ。
手首を返し、ナイフを落とす。
そのまま男を床へ伏せさせた。
「正面、1名確保」
梶原が端末から顔を上げる。
「室長、装備庫側が動きました」
別の足音。
速い。
岡野は確保した男の結束具を締め、立ち上がる。
「望月、資料保管室側を見て」
望月が防犯モニターの予備端末を起動する。
「映像が1台だけ戻りました。資料保管室前に1人。工具を使っています」
梶原が言う。
「装備庫側は僕が扉を閉めます」
「待って」
岡野の声で、梶原の手が止まる。
「閉じれば、相手は別経路へ回る。入れさせて」
「室長?」
「装備庫には追跡用の模擬ケースがあるでしょう」
梶原が理解する。
「訓練用装備ケース」
「それを本物に見せて」
梶原はすぐに操作する。
「できます。保管記録を書き換えます」
装備庫の電子ロックが解除された。
侵入者は、それを自分が開けたと思う。
岡野は通路の照明を落とした。
完全な暗闇。
非常灯さえ消える。
梶原が小声で言う。
「室長、見えません」
「向こうも見えない」
「室長は?」
「位置を覚えている」
足音。
装備庫へ入る。
ケースを持ち上げる音。
岡野は動かない。
侵入者が外へ出る。
通路を走る。
追わない。
ケースには発信機。
外へ逃げれば、侵入経路と協力者が見える。
岡野は言った。
「梶原、追跡開始」
「信号入りました。地下搬入口方向へ移動」
資料保管室側。
3人目が扉を開けた。
望月が資料箱の陰から息を潜める。
男は棚を見回し、契約資料を探す。
だが、最重要資料はすでに別の箱へ移されていた。
望月は手元にある消火設備の手動レバーを見る。
火は出ていない。
だが、この区画の設備は、二酸化炭素ではなく水霧式。
人がいても致命的ではない。
男が原本箱を開けようとする。
望月はレバーを引いた。
警報。
天井から細かな水霧が一気に噴き出す。
男が驚き、顔を上げる。
資料箱には防水カバー。
望月は事前に掛けていた。
「証拠品の扱いが雑です」
男が振り向く。
望月は戦闘員ではない。
拳銃も構えていない。
だが、相手が水霧に視界を奪われた一瞬で、資料室の防火扉を閉めた。
男が扉へ走る。
間に合わない。
施錠。
「資料保管室、侵入者1名を閉じ込めました」
岡野が答える。
「そのまま。近づかないで」
梶原が言う。
「庁内警備へ正規回線が戻ります。応援到着まで2分」
岡野は暗い通路に立ったまま、上原との通信を確認する。
雑音の向こう。
研究所の進行率は上がり続けている。
08時39分。
交通現場。
戸張は3台目のバスに残された黒いバッグを見ていた。
乗客は全員避難済み。
真壁は周囲を広く空け、消防と所轄に防護線を作らせている。
片桐は行政通信中継局から映像を確認していた。
「バッグ外側に起爆装置は見えません。でも、底面がバスの床へ固定されています」
戸張が聞く。
「動かせないか」
「動かさないでください。中身より、床下へ繋がっている可能性があります」
真壁がバスの下へ小型カメラを入れる。
配線。
車体中央を通り、燃料系統ではなく、後輪近くの箱へ。
「追加装置があります」
片桐の声が硬くなる。
「爆薬ではありません。圧縮空気か油圧。後輪を固定している装置かもしれない」
戸張が端末を見る。
**FINAL LOAD**
積み荷。
バスそのものを、別の場所へ運ばせる仕組みではない。
このバッグに、3地点のデータを物理的に保存している可能性。
梶原が通信越しに言う。
「バッグから弱い無線信号があります。研究所へ送っていたデータの予備保存装置かもしれません」
戸張が言う。
「じゃあ壊せないな」
「壊さないでください。中に今日の指示記録が残っている可能性があります」
真壁がバス下の装置を見る。
「こちらを止めれば、バッグを外せるかもしれません」
片桐が指示する。
「後輪側の黒い箱。右に手動バルブがあるはずです。ゆっくり閉じてください」
真壁は大きな体を車体下へ入れる。
狭い。
油と埃。
バルブへ手を伸ばす。
少しずつ回す。
圧力計が下がる。
その間、戸張は車内でバッグを見続ける。
表示が変わった。
**TRANSFER FAILURE**
「研究所への転送が止まった」
梶原が言う。
「交通現場の回収データ、遮断確認」
真壁がバルブを閉じ切る。
バッグの固定具が緩んだ。
戸張は触れずに待つ。
片桐が言う。
「固定解除。ただし、現場処理班が来るまでそのまま」
戸張は息を吐いた。
「交通、終わったぞ」
岡野の声が返る。
「完全には終わっていない。現場を所轄へ引き継いで、次へ備えて」
戸張は一瞬、上原の位置を見る。
研究所。
遠い。
「室長、直城は」
「自分の仕事をしている」
戸張は短く答えた。
「了解」
08時41分。
医療配送施設。
水瀬は対象ロットの酸素ボンベを1本ずつ検査していた。
偽の汚染情報。
だが、全てが偽物とは限らない。
相手は、嘘の中に1つだけ本物を混ぜる。
その手口を、何度も見てきた。
吉田は配送記録と職員への聞き取りを続けている。
「昨日、対象ロットへ触れた外部作業員は?」
施設責任者が答える。
「定期点検の2人です。ただ、名簿と顔写真は一致しています」
「本人確認は顔だけですか」
「入館カードも」
吉田は作業時刻を見る。
「2人が同時に保管区画へ入っています。でも、監視記録では1人しか出ていない」
責任者の顔が変わる。
「そんなはずは」
水瀬がボンベの1本で手を止めた。
「これです」
外見は同じ。
封印も正規。
だが、重量がわずかに違う。
水瀬は接続部の内側を検知する。
「酸素に別のガスを混ぜたのではありません。バルブ内部に小型装置が入っています」
消防危険物担当が見る。
「使用時に?」
「最初の圧力がかかった時、微量の刺激性物質が混ざる。病院で使われれば、患者の急変に見える可能性があります」
吉田が聞く。
「何本ですか」
「今のところ1本」
「17病院という偽情報の中に、1本だけ本物」
水瀬は頷く。
「全て止めさせるためではない。本物を見落とさせるためです」
吉田は本部へ言う。
「医療現場、汚染ボンベ1本を確認。ほかは検査継続。対象ロット全停止ではなく、個別確認で対応できます」
岡野が答える。
「了解。各病院へ正確な情報を流す」
水瀬はボンベを隔離する。
その表面に、小さなコード。
**M-03-MED**
吉田が見る。
「M-03」
「人材名簿だけではなかった」
水瀬はコードを撮影した。
「医療系統の認証にも使っていたようです」
梶原が遠隔で確認する。
「そのコード、研究所へのデータ回収端末でもあります。ボンベの使用状況を送るつもりだった」
水瀬が言う。
「送らせません」
装置を遮断。
医療現場から研究所へ戻る線が消えた。
UAT-0の進行率が、一瞬止まる。
**97%**
研究所地下。
三科の声がわずかに低くなった。
「医療データが失われました」
上原は制御卓下の細い線を固定していた。
「人間をデータと呼ぶな」
「あなたたちは、現場記録を残さないのですか」
「残す」
「同じことです」
「違う」
上原は磁気センサーを固定する。
「俺たちは次に救うために残す。お前は次に壊すために残している」
数秒の沈黙。
三科が答えた。
「結果が改善されるなら、目的は重要ではない」
「重要だ」
神崎が制御卓の左側を見る。
「班長。出力系に、研究所外へ向かう回線があります」
梶原が映像を確認する。
「UAT-0の最終処理結果を送る経路です。送信先は……海外回線」
岡野が聞く。
「国外?」
「複数の中継を通しています。最終地点はまだ分かりません」
三科は、この試験結果を自分だけで使うつもりではない。
誰かへ売る。
渡す。
あるいは、別の場所で同じことを行う。
上原が言った。
「梶原、送信先を追え」
「進行率を止めないと、送信が始まります」
「俺が止める」
神崎が細い制御線を固定し終える。
「準備できました」
片桐の声。
「固定したまま、制御卓中央の黄色いスイッチを下げてください。主電源ではなく、演算系だけを落とします」
上原は黄色いスイッチに手をかける。
三科の声が流れた。
「それを下げれば、警察庁地下のロック解除信号も消えます」
上原の手が止まる。
「岡野佐知たちは、封鎖されたままです」
岡野の声が通信に入る。
「下げて」
上原は答えない。
三科が続ける。
「庁内侵入者が残っている。救援経路も閉じる。あなたはまた、都市を選ぶ」
岡野が言った。
「上原、こちらは2名確保。残る1名には追跡ケースを持たせた。資料も無事。梶原の回線も戻りつつある」
「けがは」
「ないわ」
「本当ですか」
少しだけ間。
「本当よ」
上原はその間を聞いた。
呼吸。
声。
岡野は嘘をつく時、声を変えない。
だが、必要なことだけを言う。
上原は聞いた。
「どこか撃たれましたか」
岡野は黙った。
梶原が振り返る。
「室長?」
岡野の左腕。
上着の袖に、血が滲んでいた。
正面の侵入者が撃った弾。
拳銃を弾き飛ばす直前、壁で跳ねた破片が腕を切っている。
深くはない。
動ける。
だが、無傷ではない。
岡野は言った。
「かすっただけ」
上原の目が変わる。
「岡野室長」
「下げなさい、上原」
三科の声が割り込む。
「迷いが出た」
上原は画面を見た。
岡野の腕。
進行率。
海外送信。
残った侵入者。
相手は、迷いを数値にしたい。
判断時間を測りたい。
上原は黄色いスイッチを下げた。
迷いを見せる時間を、三科へ渡さない。
制御卓が暗転する。
UAT-0。
**97%**
そこで停止。
研究所地下の機械音が、ひとつずつ消えていく。
交通。
医療。
通信。
警察庁。
全てを繋いでいた線が切れた。
三科の声も途切れる。
暗闇。
非常灯がつく。
神崎が端末を見る。
「演算停止」
梶原が本部から言う。
「海外送信、止まりました。最終結果は出ていません」
上原はすぐに聞く。
「警察庁側は」
「ロックは残っています。でも、非常用回線は生きています。庁内警備が別通路から入ります」
岡野が言った。
「こちらは問題ない」
上原は短く答えた。
「戻ります」
「まだよ」
地下管制室の奥。
暗闇の中で、別の電源が起動した。
小さなモニター。
それまで使われていなかった画面。
そこに、ひとりの男が映った。
40代後半から50代前半。
細身。
短く整えた髪。
眼鏡。
穏やかに見える顔。
背景は白い壁だけ。
録画か、リアルタイムか分からない。
神崎が小さく言う。
「屋上にいた人物と体格が似ています」
男は画面越しに上原を見た。
「初めまして、SERT」
加工されていない声だった。
これまでの機械音とは違う。
落ち着いている。
感情が薄い。
だが、人間の声。
「三科耀司です」
上原は画面を見た。
「どこにいる」
三科は少し笑った。
「その質問に答えると思いますか」
「研究所にはいない」
「ええ。ずっと前から」
神崎が室内を見る。
ここは拠点ではない。
巨大な実験装置。
残された舞台。
三科本人は、別の場所から見ていた。
「今日の試験は失敗だ」
上原が言う。
三科は首を横に振った。
「完了しなかっただけです」
「同じだ」
「いいえ。97%の結果が得られた」
上原の声が低くなる。
「人を傷つけて得た結果だ」
「死者は出ていない」
「出さなかったのは、お前じゃない」
三科の表情が、ほんの少し変わる。
「それがSERTの価値です」
「価値を測るな」
「測れないものは改善できない」
「人は装置じゃない」
「人だから、誤る」
画面に、これまでの事件映像が短く映る。
ビル人質事件。
証拠品輸送。
駅の化学物質。
奥多摩の中継所。
首都高。
地下駐車場。
湾岸倉庫。
空港。
病院。
赤坂の潜入。
合同訓練。
梶原。
吉田。
岡野と上原。
三科は、最初から全てを見ていた。
「警察は、事件ごとに対応する。私は、対応する側をひとつの系として見た」
三科が言う。
「SERTは想定より優れていた。だから、次へ進めます」
上原が聞く。
「次に何をする」
「観測は終わりました」
画面の背景に、一瞬だけ何かが映る。
窓。
夜ではない。
昼の光。
遠くに、日本とは違う形の建物。
梶原が映像を記録する。
三科は続けた。
「次は、実験です」
上原の目が細くなる。
「今日のこれは何だ」
「予備試験」
画面が乱れる。
梶原が叫ぶ。
「通信元を追います。切らせないでください」
上原は三科へ言った。
「逃げるのか」
「私は逃げていません。距離を置いているだけです」
「同じだ」
三科がわずかに笑う。
「上原直城。あなたは必ず現場へ来る」
「人がいるなら行く」
「岡野佐知が止めても?」
「必要なら」
三科は画面の向こうで頷いた。
「そこは変わらない」
「お前も変わらない。人を数字で見る」
「だから、また会うでしょう」
通信が切れる直前。
三科は最後に言った。
「シーズンではありません。これは、継続する試験です」
画面が暗転した。
梶原の声。
「経路切断。複数国を経由しています。最終地点は取れませんでした」
神崎が言う。
「国外にいるとは限りませんね」
上原は暗くなった画面を見る。
「ああ」
背景も合成かもしれない。
顔も、現在のものとは限らない。
初めて姿を見せた。
だが、何ひとつ確定しない。
それが三科耀司だった。
08時51分。
警察庁地下。
庁内警備班がSERT区画へ到着した。
資料保管室の侵入者を確保。
追跡ケースを持って逃走した男も、地下搬入口で別班が確保した。
ケースを回収しようと待機していた車両から、さらに2名を逮捕。
岡野の判断で逃がした1人が、残りの協力者を引き出した。
梶原は回線を完全復旧。
望月は濡れた防水カバーを外し、原本を1枚ずつ確認している。
岡野は救護担当から腕の処置を受けていた。
傷は浅い。
縫合も不要。
それでも、梶原は少し怒った顔をしている。
「室長、かすっただけじゃないですよ」
「かすっただけよ」
「血が出てます」
「かすっても血は出るわ」
望月が資料を見ながら言う。
「医学的な言い争いは水瀬さんが戻ってからにしてください」
岡野は少しだけ笑った。
通信が戻る。
交通現場。
3台のバスから乗客全員を救出。
重傷者なし。
軽い過呼吸、脱水、打撲のみ。
実行犯1名確保。
黒いバッグと現場記録装置を押収。
医療現場。
警備員と運転手2名を救出。
刺激性ガスによる軽症。
医療用酸素ボンベ1本の細工を発見。
病院への被害なし。
行政通信。
災害優先回線を復旧。
偽命令の送信を阻止。
現場保守員1名が軽傷。
黒い認証装置を押収。
三つの現場は、全て収束へ向かっていた。
09時07分。
研究所地下。
上原と神崎は、停止したUAT-0のデータを保全していた。
後続の捜査班、爆発物処理班、鑑識班が到着する。
片桐も行政通信現場を引き継いだ後、研究所へ向かうことになった。
上原は白い封筒を見た。
**上原直城へ**
片桐が来るまで触れない。
中に何があるか分からない。
手紙か。
端末か。
最後の罠か。
神崎が言う。
「開けたいですか」
「仕事ではなければ、開けない」
「でも仕事です」
「ああ」
上原は岡野へ通信する。
「室長」
「何」
「腕は」
「問題ないわ」
「戻ったら確認します」
「医者ではないでしょう」
「見れば分かります」
岡野が少し黙る。
「上原」
「はい」
「UAT-0は」
「97%で停止。海外送信も阻止。三科本人と思われる映像を記録しました」
「本人と思われる、ね」
「断定はしません」
「正しいわ」
上原は少しだけ声を落とした。
「無事でよかったです」
通信の向こうが静かになる。
神崎は聞こえないふりをして、制御卓を見ていた。
岡野は短く答えた。
「あなたも」
それだけだった。
09時43分。
SERTのメンバーは、順番に本部へ戻り始めた。
最初に吉田と水瀬。
次に梶原と片桐。
戸張と真壁は、交通現場の引き継ぎを終えて戻った。
神崎は研究所に残り、上原は最後まで現場を確認した。
SERT区画は荒れていた。
水霧で濡れた床。
開けられた装備庫。
倒れた椅子。
壁に残る弾痕。
だが、資料は残った。
通信も戻った。
誰も欠けていない。
戸張が区画へ入るなり、岡野の腕を見る。
「室長、撃たれたんですか」
「かすっただけ」
「直城に怒られますよ」
「なぜ私が怒られるの」
吉田が言う。
「心配される、の間違いでは」
戸張が答える。
「直城の場合、心配すると顔が怖くなるから同じだ」
水瀬が岡野の傷を確認する。
「本当に浅いです。ただし、今日は腕を使わないでください」
「仕事があります」
「ありません」
岡野が水瀬を見る。
水瀬は視線を逸らさない。
「医療判断です」
戸張が小声で吉田へ言う。
「水瀬、室長より強いな」
「聞こえています」
水瀬が即答する。
梶原は自分の席へ戻り、端末を開いた。
「交通、医療、通信、研究所。全てのデータを合わせます。三科の映像も解析します」
片桐が言う。
「今日は休んだ方が」
「それ、昨日も言われました」
「昨日も休んでいませんから」
真壁が壊れた椅子を起こす。
「区画の片づけも必要ですね」
望月が濡れた資料箱を見ながら言う。
「証拠品の近くで片づけを始めないでください」
「すみません」
吉田は区画内を見回した。
全員いる。
疲れている。
汚れている。
軽傷もある。
だが、いる。
相手は3地点へ分けた。
本部を襲った。
上原と岡野に選択を迫った。
それでも、SERTは崩れなかった。
10時18分。
上原が戻った。
区画に入ると、最初に岡野を見る。
左腕の包帯。
岡野は書類を読んでいる。
水瀬の指示を無視している。
上原は彼女の前へ立った。
「腕を使わないよう言われたのでは」
岡野は顔を上げる。
「右手で読んでいるわ」
「そういう意味ではありません」
戸張が少し離れた場所で、吉田へ囁く。
「始まったぞ」
吉田が静かに言う。
「黙っていた方がいいですよ」
岡野は書類を置いた。
「上原。研究所は」
「後続へ引き継ぎました。UAT-0と制御端末を押収。三科からの封筒は片桐が確認中です」
「本人は」
「いません」
「そう」
上原は包帯を見る。
「本当に、これだけですか」
「ええ」
「なぜ最初に言わなかったんです」
「言えば戻ったでしょう」
「状況によります」
「戻ったわ」
上原は答えない。
岡野は少しだけ表情を柔らかくする。
「だから言わなかった」
「次は言ってください」
「次がある前提?」
「相手が三科なら」
岡野は小さく息を吐いた。
「分かったわ」
戸張が思わず言う。
「素直だ」
岡野と上原が同時に戸張を見る。
戸張は顔を逸らした。
「何でもないです」
区画内に、久しぶりの笑いが起きた。
10時46分。
片桐が研究所から回収された封筒を開封した。
爆発物なし。
薬剤なし。
電子部品なし。
中に入っていたのは、1枚の紙。
文字は印刷。
**観測対象 SERT第一班**
その下に、メンバー全員の名前。
岡野佐知。
上原直城。
戸張龍一。
吉田未華。
片桐蓮司。
水瀬怜奈。
真壁豪。
梶原伊織。
神崎隼人。
望月透子。
名前の横には、それぞれの評価項目。
指揮。
制圧。
交渉。
爆発物。
NBC。
救助。
サイバー。
動線。
鑑識。
だが、数値欄は空白だった。
紙の一番下に、短い一文。
**数値化不能。再評価を要する。**
梶原が言う。
「負け惜しみですかね」
吉田が首を横に振る。
「違うと思います。三科にとっては、本当に理解できなかった」
神崎が言う。
「人間関係を数値に入れられなかった」
水瀬が続ける。
「現場機関へ任せる判断も」
片桐が言う。
「専門外を無理に抱えなかったことも」
真壁が頷く。
「助ける順番を変えたことも」
望月が紙を証拠袋へ入れた。
「理解できないから、また測ろうとする」
戸張の表情が険しくなる。
「次は測らせない」
上原は紙を見た。
「次は、こちらが追う」
岡野が頷く。
「ええ」
11時23分。
警察庁内の極秘会議。
今回の一連の事件は、表向きには別々に処理される。
地下バスターミナルの設備妨害事件。
医療用品配送施設への侵入と業務妨害。
行政通信中継局の機器破壊。
警察庁内への不法侵入。
閉鎖研究施設での違法設備運用。
報道にSERTの名前は出ない。
三科耀司。
NOISE。
UAT-0。
それらも公表されない。
だが、警察内部では対策班が正式に設置されることになった。
指揮は岡野。
現場は上原。
SERT第一班が中心となる。
確保した実行犯と観測者、分断担当者の取り調べ。
契約資料の解析。
海外通信経路の追跡。
三科の映像解析。
やることは、山ほど残っている。
シーズン1の事件は終わった。
だが、NOISEは消えていない。
14時06分。
長い一日が、ようやく少しだけ落ち着いた。
SERT区画では、全員が簡単な食事を取っていた。
コンビニのおにぎり。
パン。
カップスープ。
温かい飲み物。
誰も食事に文句を言わない。
それだけ疲れていた。
戸張が椅子にもたれながら言う。
「結局、合同訓練からまともに休んでないな」
梶原が答える。
「僕は帰路まで仕事でしたからね」
吉田が言う。
「私は倉庫で過去を掘り返されました」
水瀬が続ける。
「医療用酸素に細工されました」
片桐が言う。
「僕は黒い箱を何個見たか分かりません」
真壁が笑う。
「今日はバスの下に入りました」
神崎が言う。
「人の流れを見るだけの予定だったんですけどね」
望月は資料を見ながら食べている。
「原本が無事だったので、それで十分です」
戸張が上原を見る。
「直城は?」
「何が」
「今回、一番大変だったこと」
上原は少し考える。
研究所。
3地点。
UAT-0。
三科。
岡野の負傷。
選択。
「3分待つことだ」
岡野が顔を上げる。
「それは前の事件でしょう」
「今回も似たようなものです」
戸張が笑う。
「待つの苦手だもんな」
上原は否定しない。
吉田が岡野を見る。
「室長は?」
岡野は右手でカップを持った。
「戸張副班長の軽口に耐えること」
「今回に限らないじゃないですか」
「継続案件ね」
今度は全員が笑った。
大きな笑いではない。
疲れた人間の、小さな笑い。
だが、それでいい。
三科には数値化できないもの。
同じ部屋で食事をすること。
くだらない言葉を交わすこと。
誰かが負傷すれば怒ること。
無事なら笑うこと。
それがSERTをひとつにしている。
16時40分。
岡野は全員を会議卓へ集めた。
「今回の一連の事案をもって、NOISEに対する初期調査段階を終了します」
誰も口を挟まない。
「三科耀司の所在は不明。組織規模も全容不明。海外との関係も確認中。ただし、観測者、分断担当者、現場実行役を多数確保しました。UAT-0と契約資料も保全しています」
岡野は一度、全員を見る。
「私たちは負けていない。でも、勝ったとも言えない」
上原が頷く。
三科を捕らえていない。
NOISE-00も残っている。
次の実験という言葉もある。
「これから、しばらく再編と検証に入ります」
戸張が聞く。
「休めますか」
岡野は少し考える。
「交代で」
「全員ではないんですね」
「残念ね」
戸張が肩を落とす。
吉田が少し笑った。
岡野は続ける。
「SERT第一班の活動は継続。ただし、NOISEだけを追わない。私たちの仕事は、三科を捕まえることだけではありません」
上原が言った。
「現場があれば行く」
「ええ」
岡野は頷く。
「これまでどおりに」
17時18分。
夕方。
上原は警察庁の屋上にいた。
霞ヶ関の空は、少し赤く染まっている。
遠くで車の流れが続く。
朝、三科が止めようとした都市は、もう動いていた。
高速バスは運行を再開。
医療用酸素の安全確認も進み、配送は順次戻る。
行政通信も復旧。
街の人間は、今日起きたことの全てを知らない。
知らなくていい。
岡野が屋上へ来た。
左腕には包帯。
「休んでいるはずでは」
上原が言う。
「腕を休ませているわ」
「屋上へ来る必要は」
「あなたも同じでしょう」
岡野は隣に立つ。
しばらく、2人とも街を見た。
「三科はまた来ます」
上原が言った。
「ええ」
「次は、今日より大きい」
「おそらく」
「必ず捕まえます」
岡野は少しだけ横を見る。
「一人で?」
上原は答えた。
「SERTで」
岡野は頷く。
「それならいいわ」
風が吹く。
包帯の端が少し揺れる。
上原はそれを見たが、何も言わなかった。
岡野も、見られたことに気づいたが何も言わない。
言葉にしないものもある。
それでも伝わるものがある。
屋上扉が開いた。
戸張が顔を出す。
「ここでしたか」
その後ろに吉田。
さらに梶原、水瀬、片桐、真壁、神崎、望月。
全員いる。
戸張が言う。
「直城、室長。下で今後の当番決めるぞ」
上原が聞く。
「なぜ全員来た」
吉田が答える。
「副班長が、二人だけで何か重要な話をしているかもしれないと言うので」
戸張が慌てる。
「そこまで言ってない」
水瀬が淡々と言う。
「ほぼ同じ意味でした」
岡野が戸張を見る。
「戸張副班長」
「はい」
「来週の夜間当番、増やします」
「聞きに来ただけですよ」
「余計なことまで想像したでしょう」
「してません」
梶原が小声で言う。
「してましたよね」
戸張が振り返る。
「お前は黙ってろ」
笑いが起きた。
夕方の屋上。
誰にも知られていない部隊。
名前を公表されない事件。
記録に残らない現場。
それでも、守った人はいる。
止めた事件がある。
撃つ前に読む。
突入する前に救う。
それでも止められないなら、制圧する。
観測は終わった。
だが、SERTの仕事は終わらない。
三科耀司がどこにいようと。
NOISEが次に何を仕掛けようと。
現場に人がいる限り、彼らは向かう。
その名を知られないまま。
誰かが到着した時には、もう姿を消している部隊として。
SERT第一班は、夕暮れの東京を見ていた。
誰ひとり欠けることなく。
シーズン1 完




