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27話 観測の終わり

 08時34分。


 東湾広域災害シミュレーション研究所、地下管制室。


 中央画面に表示された進行率が、静かに上昇する。


**96%**


 交通。


 医療。


 行政通信。


 三つの現場から集められた情報が、UAT-0へ流れ込んでいる。


 人がどこへ逃げたか。


 警察が何分で到着したか。


 消防がどの装備を選んだか。


 医療機関が危険情報にどう反応したか。


 SERTが誰をどこへ向かわせたか。


 全てが数値に変えられていた。


 画面の向こうでは、警察庁地下へ侵入者が迫っている。


 岡野。


 梶原。


 望月。


 残された3人。


 三科耀司の声が、地下管制室に流れた。


「都市試験を止めるか、岡野佐知を救うか」


 上原は制御卓の前に立った。


 拳は固く握られている。


 だが、視線は画面から逸れない。


 隣では神崎が、室内の出口と機器配置を確認していた。


「班長」


「何だ」


「主制御を止めた場合、警察庁側の映像も切れる可能性があります」


「分かっている」


「岡野室長の状況が見えなくなります」


 上原は短く答えた。


「見えなくても、動いている」


 岡野は言った。


 迷わないで。


 私は、あなたが何を選ぶか知っている。


 それは、自分を見捨てろという意味ではない。


 互いの仕事をしろという命令でもない。


 信じろ。


 ただ、それだけだった。


 上原は制御卓へ手を伸ばす。


「梶原、聞こえるか」


 雑音。


 数秒後、梶原の声が返った。


「聞こえています」


「主制御の構造は」


「右側の3列が現場入力。中央が演算系。左側が出力です。ただし、主電源を落とすだけでは駄目です。内部バッテリーへ切り替わります」


 片桐の声も入る。


 行政通信中継局から、途切れながら届く。


「制御卓の下を映してください。三科が作ったなら、物理遮断を偽装している可能性があります」


 神崎が小型カメラを下へ向ける。


 床下へ伸びる配線。


 3本の太い電源線。


 1本だけ細い制御線。


 片桐が言う。


「太い線は見せるためです。細い方が切替信号でしょう」


 梶原が続ける。


「切らないでください。固定して、切れたと認識させます」


 三科の声が流れる。


「また、同じことをするのですね」


 上原は制御線へ触れずに答えた。


「見ているなら分かるだろう」


「分かります。だから記録している」


 進行率。


**97%**


 警察庁地下。


 非常灯の赤い光の中で、岡野は通路の角を見ていた。


 侵入者は3人。


 足音の間隔。


 装備の擦れる音。


 呼吸。


 1人は正面。


 1人は装備庫側。


 もう1人は資料保管室へ向かっている。


 狙いは複数。


 岡野の身柄。


 SERTの装備。


 三科へ繋がる契約資料。


 どれか一つではない。


 全てを同時に取りに来た。


 梶原は暗くなった端末を再起動していた。


「室長、非常用回線を戻します。あと40秒」


 望月は資料箱を会議卓の下へ移している。


「原本18箱。全部を動かすのは無理です」


 岡野は通路から目を離さずに言った。


「最重要資料だけ抜いて」


「どれが最重要かは、これから調べるところです」


「三科の契約番号、研究所、UAT-0。その3つ」


 望月は迷わず動いた。


 資料を守る人間は、紙を抱えて逃げるのではない。


 何を残すべきかを選ぶ。


 正面通路の奥。


 人影が現れた。


 黒い装備。


 警察庁内へ侵入するには目立ちすぎる格好。


 だが、すでに地下まで入っている。


 隠す段階は終わったということだ。


 男が拳銃を構えた。


 岡野は撃たない。


 相手との間には、配管柱。


 その向こうに梶原がいる。


 外せば終わる。


 当てても、弾が抜ければ危険。


 男が一歩出る。


 岡野は壁際から声をかけた。


「それ以上、進まないで」


 男は止まらない。


「岡野佐知」


 名前を知っている。


「三科から伝言だ」


 岡野は銃口を下げたまま答えた。


「本人に言わせなさい」


「あなたは、上原直城の判断を鈍らせる」


「そう」


「だから、ここで消える」


 男が銃口を上げた。


 岡野は半歩だけ動いた。


 一発。


 銃声が地下通路へ響く。


 男の拳銃が床を滑った。


 撃ったのは手ではない。


 拳銃のスライド後方。


 金属同士がぶつかり、男の手から弾き飛ばした。


 岡野は続けて距離を詰める。


 男がナイフを抜く。


 岡野は腕を外側へ流し、肘を壁へ。


 手首を返し、ナイフを落とす。


 そのまま男を床へ伏せさせた。


「正面、1名確保」


 梶原が端末から顔を上げる。


「室長、装備庫側が動きました」


 別の足音。


 速い。


 岡野は確保した男の結束具を締め、立ち上がる。


「望月、資料保管室側を見て」


 望月が防犯モニターの予備端末を起動する。


「映像が1台だけ戻りました。資料保管室前に1人。工具を使っています」


 梶原が言う。


「装備庫側は僕が扉を閉めます」


「待って」


 岡野の声で、梶原の手が止まる。


「閉じれば、相手は別経路へ回る。入れさせて」


「室長?」


「装備庫には追跡用の模擬ケースがあるでしょう」


 梶原が理解する。


「訓練用装備ケース」


「それを本物に見せて」


 梶原はすぐに操作する。


「できます。保管記録を書き換えます」


 装備庫の電子ロックが解除された。


 侵入者は、それを自分が開けたと思う。


 岡野は通路の照明を落とした。


 完全な暗闇。


 非常灯さえ消える。


 梶原が小声で言う。


「室長、見えません」


「向こうも見えない」


「室長は?」


「位置を覚えている」


 足音。


 装備庫へ入る。


 ケースを持ち上げる音。


 岡野は動かない。


 侵入者が外へ出る。


 通路を走る。


 追わない。


 ケースには発信機。


 外へ逃げれば、侵入経路と協力者が見える。


 岡野は言った。


「梶原、追跡開始」


「信号入りました。地下搬入口方向へ移動」


 資料保管室側。


 3人目が扉を開けた。


 望月が資料箱の陰から息を潜める。


 男は棚を見回し、契約資料を探す。


 だが、最重要資料はすでに別の箱へ移されていた。


 望月は手元にある消火設備の手動レバーを見る。


 火は出ていない。


 だが、この区画の設備は、二酸化炭素ではなく水霧式。


 人がいても致命的ではない。


 男が原本箱を開けようとする。


 望月はレバーを引いた。


 警報。


 天井から細かな水霧が一気に噴き出す。


 男が驚き、顔を上げる。


 資料箱には防水カバー。


 望月は事前に掛けていた。


「証拠品の扱いが雑です」


 男が振り向く。


 望月は戦闘員ではない。


 拳銃も構えていない。


 だが、相手が水霧に視界を奪われた一瞬で、資料室の防火扉を閉めた。


 男が扉へ走る。


 間に合わない。


 施錠。


「資料保管室、侵入者1名を閉じ込めました」


 岡野が答える。


「そのまま。近づかないで」


 梶原が言う。


「庁内警備へ正規回線が戻ります。応援到着まで2分」


 岡野は暗い通路に立ったまま、上原との通信を確認する。


 雑音の向こう。


 研究所の進行率は上がり続けている。


 08時39分。


 交通現場。


 戸張は3台目のバスに残された黒いバッグを見ていた。


 乗客は全員避難済み。


 真壁は周囲を広く空け、消防と所轄に防護線を作らせている。


 片桐は行政通信中継局から映像を確認していた。


「バッグ外側に起爆装置は見えません。でも、底面がバスの床へ固定されています」


 戸張が聞く。


「動かせないか」


「動かさないでください。中身より、床下へ繋がっている可能性があります」


 真壁がバスの下へ小型カメラを入れる。


 配線。


 車体中央を通り、燃料系統ではなく、後輪近くの箱へ。


「追加装置があります」


 片桐の声が硬くなる。


「爆薬ではありません。圧縮空気か油圧。後輪を固定している装置かもしれない」


 戸張が端末を見る。


**FINAL LOAD**


 積み荷。


 バスそのものを、別の場所へ運ばせる仕組みではない。


 このバッグに、3地点のデータを物理的に保存している可能性。


 梶原が通信越しに言う。


「バッグから弱い無線信号があります。研究所へ送っていたデータの予備保存装置かもしれません」


 戸張が言う。


「じゃあ壊せないな」


「壊さないでください。中に今日の指示記録が残っている可能性があります」


 真壁がバス下の装置を見る。


「こちらを止めれば、バッグを外せるかもしれません」


 片桐が指示する。


「後輪側の黒い箱。右に手動バルブがあるはずです。ゆっくり閉じてください」


 真壁は大きな体を車体下へ入れる。


 狭い。


 油と埃。


 バルブへ手を伸ばす。


 少しずつ回す。


 圧力計が下がる。


 その間、戸張は車内でバッグを見続ける。


 表示が変わった。


**TRANSFER FAILURE**


「研究所への転送が止まった」


 梶原が言う。


「交通現場の回収データ、遮断確認」


 真壁がバルブを閉じ切る。


 バッグの固定具が緩んだ。


 戸張は触れずに待つ。


 片桐が言う。


「固定解除。ただし、現場処理班が来るまでそのまま」


 戸張は息を吐いた。


「交通、終わったぞ」


 岡野の声が返る。


「完全には終わっていない。現場を所轄へ引き継いで、次へ備えて」


 戸張は一瞬、上原の位置を見る。


 研究所。


 遠い。


「室長、直城は」


「自分の仕事をしている」


 戸張は短く答えた。


「了解」


 08時41分。


 医療配送施設。


 水瀬は対象ロットの酸素ボンベを1本ずつ検査していた。


 偽の汚染情報。


 だが、全てが偽物とは限らない。


 相手は、嘘の中に1つだけ本物を混ぜる。


 その手口を、何度も見てきた。


 吉田は配送記録と職員への聞き取りを続けている。


「昨日、対象ロットへ触れた外部作業員は?」


 施設責任者が答える。


「定期点検の2人です。ただ、名簿と顔写真は一致しています」


「本人確認は顔だけですか」


「入館カードも」


 吉田は作業時刻を見る。


「2人が同時に保管区画へ入っています。でも、監視記録では1人しか出ていない」


 責任者の顔が変わる。


「そんなはずは」


 水瀬がボンベの1本で手を止めた。


「これです」


 外見は同じ。


 封印も正規。


 だが、重量がわずかに違う。


 水瀬は接続部の内側を検知する。


「酸素に別のガスを混ぜたのではありません。バルブ内部に小型装置が入っています」


 消防危険物担当が見る。


「使用時に?」


「最初の圧力がかかった時、微量の刺激性物質が混ざる。病院で使われれば、患者の急変に見える可能性があります」


 吉田が聞く。


「何本ですか」


「今のところ1本」


「17病院という偽情報の中に、1本だけ本物」


 水瀬は頷く。


「全て止めさせるためではない。本物を見落とさせるためです」


 吉田は本部へ言う。


「医療現場、汚染ボンベ1本を確認。ほかは検査継続。対象ロット全停止ではなく、個別確認で対応できます」


 岡野が答える。


「了解。各病院へ正確な情報を流す」


 水瀬はボンベを隔離する。


 その表面に、小さなコード。


**M-03-MED**


 吉田が見る。


「M-03」


「人材名簿だけではなかった」


 水瀬はコードを撮影した。


「医療系統の認証にも使っていたようです」


 梶原が遠隔で確認する。


「そのコード、研究所へのデータ回収端末でもあります。ボンベの使用状況を送るつもりだった」


 水瀬が言う。


「送らせません」


 装置を遮断。


 医療現場から研究所へ戻る線が消えた。


 UAT-0の進行率が、一瞬止まる。


**97%**


 研究所地下。


 三科の声がわずかに低くなった。


「医療データが失われました」


 上原は制御卓下の細い線を固定していた。


「人間をデータと呼ぶな」


「あなたたちは、現場記録を残さないのですか」


「残す」


「同じことです」


「違う」


 上原は磁気センサーを固定する。


「俺たちは次に救うために残す。お前は次に壊すために残している」


 数秒の沈黙。


 三科が答えた。


「結果が改善されるなら、目的は重要ではない」


「重要だ」


 神崎が制御卓の左側を見る。


「班長。出力系に、研究所外へ向かう回線があります」


 梶原が映像を確認する。


「UAT-0の最終処理結果を送る経路です。送信先は……海外回線」


 岡野が聞く。


「国外?」


「複数の中継を通しています。最終地点はまだ分かりません」


 三科は、この試験結果を自分だけで使うつもりではない。


 誰かへ売る。


 渡す。


 あるいは、別の場所で同じことを行う。


 上原が言った。


「梶原、送信先を追え」


「進行率を止めないと、送信が始まります」


「俺が止める」


 神崎が細い制御線を固定し終える。


「準備できました」


 片桐の声。


「固定したまま、制御卓中央の黄色いスイッチを下げてください。主電源ではなく、演算系だけを落とします」


 上原は黄色いスイッチに手をかける。


 三科の声が流れた。


「それを下げれば、警察庁地下のロック解除信号も消えます」


 上原の手が止まる。


「岡野佐知たちは、封鎖されたままです」


 岡野の声が通信に入る。


「下げて」


 上原は答えない。


 三科が続ける。


「庁内侵入者が残っている。救援経路も閉じる。あなたはまた、都市を選ぶ」


 岡野が言った。


「上原、こちらは2名確保。残る1名には追跡ケースを持たせた。資料も無事。梶原の回線も戻りつつある」


「けがは」


「ないわ」


「本当ですか」


 少しだけ間。


「本当よ」


 上原はその間を聞いた。


 呼吸。


 声。


 岡野は嘘をつく時、声を変えない。


 だが、必要なことだけを言う。


 上原は聞いた。


「どこか撃たれましたか」


 岡野は黙った。


 梶原が振り返る。


「室長?」


 岡野の左腕。


 上着の袖に、血が滲んでいた。


 正面の侵入者が撃った弾。


 拳銃を弾き飛ばす直前、壁で跳ねた破片が腕を切っている。


 深くはない。


 動ける。


 だが、無傷ではない。


 岡野は言った。


「かすっただけ」


 上原の目が変わる。


「岡野室長」


「下げなさい、上原」


 三科の声が割り込む。


「迷いが出た」


 上原は画面を見た。


 岡野の腕。


 進行率。


 海外送信。


 残った侵入者。


 相手は、迷いを数値にしたい。


 判断時間を測りたい。


 上原は黄色いスイッチを下げた。


 迷いを見せる時間を、三科へ渡さない。


 制御卓が暗転する。


 UAT-0。


**97%**


 そこで停止。


 研究所地下の機械音が、ひとつずつ消えていく。


 交通。


 医療。


 通信。


 警察庁。


 全てを繋いでいた線が切れた。


 三科の声も途切れる。


 暗闇。


 非常灯がつく。


 神崎が端末を見る。


「演算停止」


 梶原が本部から言う。


「海外送信、止まりました。最終結果は出ていません」


 上原はすぐに聞く。


「警察庁側は」


「ロックは残っています。でも、非常用回線は生きています。庁内警備が別通路から入ります」


 岡野が言った。


「こちらは問題ない」


 上原は短く答えた。


「戻ります」


「まだよ」


 地下管制室の奥。


 暗闇の中で、別の電源が起動した。


 小さなモニター。


 それまで使われていなかった画面。


 そこに、ひとりの男が映った。


 40代後半から50代前半。


 細身。


 短く整えた髪。


 眼鏡。


 穏やかに見える顔。


 背景は白い壁だけ。


 録画か、リアルタイムか分からない。


 神崎が小さく言う。


「屋上にいた人物と体格が似ています」


 男は画面越しに上原を見た。


「初めまして、SERT」


 加工されていない声だった。


 これまでの機械音とは違う。


 落ち着いている。


 感情が薄い。


 だが、人間の声。


「三科耀司です」


 上原は画面を見た。


「どこにいる」


 三科は少し笑った。


「その質問に答えると思いますか」


「研究所にはいない」


「ええ。ずっと前から」


 神崎が室内を見る。


 ここは拠点ではない。


 巨大な実験装置。


 残された舞台。


 三科本人は、別の場所から見ていた。


「今日の試験は失敗だ」


 上原が言う。


 三科は首を横に振った。


「完了しなかっただけです」


「同じだ」


「いいえ。97%の結果が得られた」


 上原の声が低くなる。


「人を傷つけて得た結果だ」


「死者は出ていない」


「出さなかったのは、お前じゃない」


 三科の表情が、ほんの少し変わる。


「それがSERTの価値です」


「価値を測るな」


「測れないものは改善できない」


「人は装置じゃない」


「人だから、誤る」


 画面に、これまでの事件映像が短く映る。


 ビル人質事件。


 証拠品輸送。


 駅の化学物質。


 奥多摩の中継所。


 首都高。


 地下駐車場。


 湾岸倉庫。


 空港。


 病院。


 赤坂の潜入。


 合同訓練。


 梶原。


 吉田。


 岡野と上原。


 三科は、最初から全てを見ていた。


「警察は、事件ごとに対応する。私は、対応する側をひとつの系として見た」


 三科が言う。


「SERTは想定より優れていた。だから、次へ進めます」


 上原が聞く。


「次に何をする」


「観測は終わりました」


 画面の背景に、一瞬だけ何かが映る。


 窓。


 夜ではない。


 昼の光。


 遠くに、日本とは違う形の建物。


 梶原が映像を記録する。


 三科は続けた。


「次は、実験です」


 上原の目が細くなる。


「今日のこれは何だ」


「予備試験」


 画面が乱れる。


 梶原が叫ぶ。


「通信元を追います。切らせないでください」


 上原は三科へ言った。


「逃げるのか」


「私は逃げていません。距離を置いているだけです」


「同じだ」


 三科がわずかに笑う。


「上原直城。あなたは必ず現場へ来る」


「人がいるなら行く」


「岡野佐知が止めても?」


「必要なら」


 三科は画面の向こうで頷いた。


「そこは変わらない」


「お前も変わらない。人を数字で見る」


「だから、また会うでしょう」


 通信が切れる直前。


 三科は最後に言った。


「シーズンではありません。これは、継続する試験です」


 画面が暗転した。


 梶原の声。


「経路切断。複数国を経由しています。最終地点は取れませんでした」


 神崎が言う。


「国外にいるとは限りませんね」


 上原は暗くなった画面を見る。


「ああ」


 背景も合成かもしれない。


 顔も、現在のものとは限らない。


 初めて姿を見せた。


 だが、何ひとつ確定しない。


 それが三科耀司だった。


 08時51分。


 警察庁地下。


 庁内警備班がSERT区画へ到着した。


 資料保管室の侵入者を確保。


 追跡ケースを持って逃走した男も、地下搬入口で別班が確保した。


 ケースを回収しようと待機していた車両から、さらに2名を逮捕。


 岡野の判断で逃がした1人が、残りの協力者を引き出した。


 梶原は回線を完全復旧。


 望月は濡れた防水カバーを外し、原本を1枚ずつ確認している。


 岡野は救護担当から腕の処置を受けていた。


 傷は浅い。


 縫合も不要。


 それでも、梶原は少し怒った顔をしている。


「室長、かすっただけじゃないですよ」


「かすっただけよ」


「血が出てます」


「かすっても血は出るわ」


 望月が資料を見ながら言う。


「医学的な言い争いは水瀬さんが戻ってからにしてください」


 岡野は少しだけ笑った。


 通信が戻る。


 交通現場。


 3台のバスから乗客全員を救出。


 重傷者なし。


 軽い過呼吸、脱水、打撲のみ。


 実行犯1名確保。


 黒いバッグと現場記録装置を押収。


 医療現場。


 警備員と運転手2名を救出。


 刺激性ガスによる軽症。


 医療用酸素ボンベ1本の細工を発見。


 病院への被害なし。


 行政通信。


 災害優先回線を復旧。


 偽命令の送信を阻止。


 現場保守員1名が軽傷。


 黒い認証装置を押収。


 三つの現場は、全て収束へ向かっていた。


 09時07分。


 研究所地下。


 上原と神崎は、停止したUAT-0のデータを保全していた。


 後続の捜査班、爆発物処理班、鑑識班が到着する。


 片桐も行政通信現場を引き継いだ後、研究所へ向かうことになった。


 上原は白い封筒を見た。


**上原直城へ**


 片桐が来るまで触れない。


 中に何があるか分からない。


 手紙か。


 端末か。


 最後の罠か。


 神崎が言う。


「開けたいですか」


「仕事ではなければ、開けない」


「でも仕事です」


「ああ」


 上原は岡野へ通信する。


「室長」


「何」


「腕は」


「問題ないわ」


「戻ったら確認します」


「医者ではないでしょう」


「見れば分かります」


 岡野が少し黙る。


「上原」


「はい」


「UAT-0は」


「97%で停止。海外送信も阻止。三科本人と思われる映像を記録しました」


「本人と思われる、ね」


「断定はしません」


「正しいわ」


 上原は少しだけ声を落とした。


「無事でよかったです」


 通信の向こうが静かになる。


 神崎は聞こえないふりをして、制御卓を見ていた。


 岡野は短く答えた。


「あなたも」


 それだけだった。


 09時43分。


 SERTのメンバーは、順番に本部へ戻り始めた。


 最初に吉田と水瀬。


 次に梶原と片桐。


 戸張と真壁は、交通現場の引き継ぎを終えて戻った。


 神崎は研究所に残り、上原は最後まで現場を確認した。


 SERT区画は荒れていた。


 水霧で濡れた床。


 開けられた装備庫。


 倒れた椅子。


 壁に残る弾痕。


 だが、資料は残った。


 通信も戻った。


 誰も欠けていない。


 戸張が区画へ入るなり、岡野の腕を見る。


「室長、撃たれたんですか」


「かすっただけ」


「直城に怒られますよ」


「なぜ私が怒られるの」


 吉田が言う。


「心配される、の間違いでは」


 戸張が答える。


「直城の場合、心配すると顔が怖くなるから同じだ」


 水瀬が岡野の傷を確認する。


「本当に浅いです。ただし、今日は腕を使わないでください」


「仕事があります」


「ありません」


 岡野が水瀬を見る。


 水瀬は視線を逸らさない。


「医療判断です」


 戸張が小声で吉田へ言う。


「水瀬、室長より強いな」


「聞こえています」


 水瀬が即答する。


 梶原は自分の席へ戻り、端末を開いた。


「交通、医療、通信、研究所。全てのデータを合わせます。三科の映像も解析します」


 片桐が言う。


「今日は休んだ方が」


「それ、昨日も言われました」


「昨日も休んでいませんから」


 真壁が壊れた椅子を起こす。


「区画の片づけも必要ですね」


 望月が濡れた資料箱を見ながら言う。


「証拠品の近くで片づけを始めないでください」


「すみません」


 吉田は区画内を見回した。


 全員いる。


 疲れている。


 汚れている。


 軽傷もある。


 だが、いる。


 相手は3地点へ分けた。


 本部を襲った。


 上原と岡野に選択を迫った。


 それでも、SERTは崩れなかった。


 10時18分。


 上原が戻った。


 区画に入ると、最初に岡野を見る。


 左腕の包帯。


 岡野は書類を読んでいる。


 水瀬の指示を無視している。


 上原は彼女の前へ立った。


「腕を使わないよう言われたのでは」


 岡野は顔を上げる。


「右手で読んでいるわ」


「そういう意味ではありません」


 戸張が少し離れた場所で、吉田へ囁く。


「始まったぞ」


 吉田が静かに言う。


「黙っていた方がいいですよ」


 岡野は書類を置いた。


「上原。研究所は」


「後続へ引き継ぎました。UAT-0と制御端末を押収。三科からの封筒は片桐が確認中です」


「本人は」


「いません」


「そう」


 上原は包帯を見る。


「本当に、これだけですか」


「ええ」


「なぜ最初に言わなかったんです」


「言えば戻ったでしょう」


「状況によります」


「戻ったわ」


 上原は答えない。


 岡野は少しだけ表情を柔らかくする。


「だから言わなかった」


「次は言ってください」


「次がある前提?」


「相手が三科なら」


 岡野は小さく息を吐いた。


「分かったわ」


 戸張が思わず言う。


「素直だ」


 岡野と上原が同時に戸張を見る。


 戸張は顔を逸らした。


「何でもないです」


 区画内に、久しぶりの笑いが起きた。


 10時46分。


 片桐が研究所から回収された封筒を開封した。


 爆発物なし。


 薬剤なし。


 電子部品なし。


 中に入っていたのは、1枚の紙。


 文字は印刷。


**観測対象 SERT第一班**


 その下に、メンバー全員の名前。


 岡野佐知。


 上原直城。


 戸張龍一。


 吉田未華。


 片桐蓮司。


 水瀬怜奈。


 真壁豪。


 梶原伊織。


 神崎隼人。


 望月透子。


 名前の横には、それぞれの評価項目。


 指揮。


 制圧。


 交渉。


 爆発物。


 NBC。


 救助。


 サイバー。


 動線。


 鑑識。


 だが、数値欄は空白だった。


 紙の一番下に、短い一文。


**数値化不能。再評価を要する。**


 梶原が言う。


「負け惜しみですかね」


 吉田が首を横に振る。


「違うと思います。三科にとっては、本当に理解できなかった」


 神崎が言う。


「人間関係を数値に入れられなかった」


 水瀬が続ける。


「現場機関へ任せる判断も」


 片桐が言う。


「専門外を無理に抱えなかったことも」


 真壁が頷く。


「助ける順番を変えたことも」


 望月が紙を証拠袋へ入れた。


「理解できないから、また測ろうとする」


 戸張の表情が険しくなる。


「次は測らせない」


 上原は紙を見た。


「次は、こちらが追う」


 岡野が頷く。


「ええ」


 11時23分。


 警察庁内の極秘会議。


 今回の一連の事件は、表向きには別々に処理される。


 地下バスターミナルの設備妨害事件。


 医療用品配送施設への侵入と業務妨害。


 行政通信中継局の機器破壊。


 警察庁内への不法侵入。


 閉鎖研究施設での違法設備運用。


 報道にSERTの名前は出ない。


 三科耀司。


 NOISE。


 UAT-0。


 それらも公表されない。


 だが、警察内部では対策班が正式に設置されることになった。


 指揮は岡野。


 現場は上原。


 SERT第一班が中心となる。


 確保した実行犯と観測者、分断担当者の取り調べ。


 契約資料の解析。


 海外通信経路の追跡。


 三科の映像解析。


 やることは、山ほど残っている。


 シーズン1の事件は終わった。


 だが、NOISEは消えていない。


 14時06分。


 長い一日が、ようやく少しだけ落ち着いた。


 SERT区画では、全員が簡単な食事を取っていた。


 コンビニのおにぎり。


 パン。


 カップスープ。


 温かい飲み物。


 誰も食事に文句を言わない。


 それだけ疲れていた。


 戸張が椅子にもたれながら言う。


「結局、合同訓練からまともに休んでないな」


 梶原が答える。


「僕は帰路まで仕事でしたからね」


 吉田が言う。


「私は倉庫で過去を掘り返されました」


 水瀬が続ける。


「医療用酸素に細工されました」


 片桐が言う。


「僕は黒い箱を何個見たか分かりません」


 真壁が笑う。


「今日はバスの下に入りました」


 神崎が言う。


「人の流れを見るだけの予定だったんですけどね」


 望月は資料を見ながら食べている。


「原本が無事だったので、それで十分です」


 戸張が上原を見る。


「直城は?」


「何が」


「今回、一番大変だったこと」


 上原は少し考える。


 研究所。


 3地点。


 UAT-0。


 三科。


 岡野の負傷。


 選択。


「3分待つことだ」


 岡野が顔を上げる。


「それは前の事件でしょう」


「今回も似たようなものです」


 戸張が笑う。


「待つの苦手だもんな」


 上原は否定しない。


 吉田が岡野を見る。


「室長は?」


 岡野は右手でカップを持った。


「戸張副班長の軽口に耐えること」


「今回に限らないじゃないですか」


「継続案件ね」


 今度は全員が笑った。


 大きな笑いではない。


 疲れた人間の、小さな笑い。


 だが、それでいい。


 三科には数値化できないもの。


 同じ部屋で食事をすること。


 くだらない言葉を交わすこと。


 誰かが負傷すれば怒ること。


 無事なら笑うこと。


 それがSERTをひとつにしている。


 16時40分。


 岡野は全員を会議卓へ集めた。


「今回の一連の事案をもって、NOISEに対する初期調査段階を終了します」


 誰も口を挟まない。


「三科耀司の所在は不明。組織規模も全容不明。海外との関係も確認中。ただし、観測者、分断担当者、現場実行役を多数確保しました。UAT-0と契約資料も保全しています」


 岡野は一度、全員を見る。


「私たちは負けていない。でも、勝ったとも言えない」


 上原が頷く。


 三科を捕らえていない。


 NOISE-00も残っている。


 次の実験という言葉もある。


「これから、しばらく再編と検証に入ります」


 戸張が聞く。


「休めますか」


 岡野は少し考える。


「交代で」


「全員ではないんですね」


「残念ね」


 戸張が肩を落とす。


 吉田が少し笑った。


 岡野は続ける。


「SERT第一班の活動は継続。ただし、NOISEだけを追わない。私たちの仕事は、三科を捕まえることだけではありません」


 上原が言った。


「現場があれば行く」


「ええ」


 岡野は頷く。


「これまでどおりに」


 17時18分。


 夕方。


 上原は警察庁の屋上にいた。


 霞ヶ関の空は、少し赤く染まっている。


 遠くで車の流れが続く。


 朝、三科が止めようとした都市は、もう動いていた。


 高速バスは運行を再開。


 医療用酸素の安全確認も進み、配送は順次戻る。


 行政通信も復旧。


 街の人間は、今日起きたことの全てを知らない。


 知らなくていい。


 岡野が屋上へ来た。


 左腕には包帯。


「休んでいるはずでは」


 上原が言う。


「腕を休ませているわ」


「屋上へ来る必要は」


「あなたも同じでしょう」


 岡野は隣に立つ。


 しばらく、2人とも街を見た。


「三科はまた来ます」


 上原が言った。


「ええ」


「次は、今日より大きい」


「おそらく」


「必ず捕まえます」


 岡野は少しだけ横を見る。


「一人で?」


 上原は答えた。


「SERTで」


 岡野は頷く。


「それならいいわ」


 風が吹く。


 包帯の端が少し揺れる。


 上原はそれを見たが、何も言わなかった。


 岡野も、見られたことに気づいたが何も言わない。


 言葉にしないものもある。


 それでも伝わるものがある。


 屋上扉が開いた。


 戸張が顔を出す。


「ここでしたか」


 その後ろに吉田。


 さらに梶原、水瀬、片桐、真壁、神崎、望月。


 全員いる。


 戸張が言う。


「直城、室長。下で今後の当番決めるぞ」


 上原が聞く。


「なぜ全員来た」


 吉田が答える。


「副班長が、二人だけで何か重要な話をしているかもしれないと言うので」


 戸張が慌てる。


「そこまで言ってない」


 水瀬が淡々と言う。


「ほぼ同じ意味でした」


 岡野が戸張を見る。


「戸張副班長」


「はい」


「来週の夜間当番、増やします」


「聞きに来ただけですよ」


「余計なことまで想像したでしょう」


「してません」


 梶原が小声で言う。


「してましたよね」


 戸張が振り返る。


「お前は黙ってろ」


 笑いが起きた。


 夕方の屋上。


 誰にも知られていない部隊。


 名前を公表されない事件。


 記録に残らない現場。


 それでも、守った人はいる。


 止めた事件がある。


 撃つ前に読む。


 突入する前に救う。


 それでも止められないなら、制圧する。


 観測は終わった。


 だが、SERTの仕事は終わらない。


 三科耀司がどこにいようと。


 NOISEが次に何を仕掛けようと。


 現場に人がいる限り、彼らは向かう。


 その名を知られないまま。


 誰かが到着した時には、もう姿を消している部隊として。


 SERT第一班は、夕暮れの東京を見ていた。


 誰ひとり欠けることなく。


 シーズン1 完


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