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第5話 なんか……こっちかな

 転生五日目。

 二度目の実務。


 前回の反省を踏まえ、準備は万全——とは言えないが、少なくとも前回よりはマシなはずだ。


 昨晩、書庫で編み出した省エネ分析法。

 全データを処理するのではなく、勝敗を決定づける変数を3つに絞る。


 1. 指揮官の直近3戦の傾向

 2. 兵站(補給線と食料)

 3. 天候×地形の組み合わせ


 この3つだけを見る。残りは——勘。


 ……我ながら、恐ろしくぐうたらな分析法だ。


---


「本日の対戦です」


 アテナが告げる。


「人間界、紀元前某年。ペルシャ軍対ギリシャ都市国家連合軍。兵力はペルシャ側が3000、ギリシャ側が800。地形は狭い峠。天候は晴れ」


 ヘルメスから巻物を受け取る。


「はい、今日の分! ちょっとオマケ情報も入れといたよ!」


「オマケ?」


「ペルシャ側の指揮官、昨夜ワイン飲みすぎて二日酔いっぽいって情報。信憑性は——まぁ、五分五分かな!」


「ガセかもしれないのか……」


「情報ってのはそういうもんさ! 取捨選択はするめちゃんの仕事!」


 ヘルメスがウインクして去っていく。割と無責任だ。


---


 さて。省エネ分析法、発動。


 変数1:指揮官の直近3戦の傾向。


 ペルシャ側の指揮官——巻物によると、直近3戦は全勝。

 全勝している指揮官は大胆になる。過信する。油断する。


 ギリシャ側の指揮官——直近3戦は1勝2敗。

 負け越している指揮官は保守的になる。慎重になる。守りを固める。


 変数2:兵站。


 ペルシャ側——遠征軍。補給線が長い。3000人分の食料を遠方から運んでいる。

 ギリシャ側——地元。補給線は短い。800人分なら地元で賄える。


 長期戦になれば、ペルシャ側が不利。


 変数3:天候×地形。


 地形は狭い峠。

 兵力差が3000対800——通常なら圧倒的にペルシャ有利。


 でも——狭い峠では、大軍の数的優位が活きない。

 3000人いても、峠の幅いっぱいに展開できるのはせいぜい数百人。

 つまり、実質的な戦闘兵力は同程度になる。


「…………あ」


 そろばんを弾く。


 兵力差3.75倍。しかし地形補正を入れると——実効兵力比は約1.2倍。

 ペルシャ側がわずかに有利だが、ほぼ互角。


 そこに変数1を加味する。

 全勝中のペルシャ指揮官は大胆に正面突破を仕掛ける可能性が高い。

 負け越しのギリシャ指揮官は守りを固める可能性が高い。


 狭い峠で守りを固める相手に、正面突破——


「…………不利だ。ペルシャ側が」


 数字上は互角でも、戦術的にはギリシャ有利。


 石板に計算を刻む。


 ペルシャ勝率:38.7%

 ギリシャ勝率:61.3%


「…………」


 でも、これは省エネ分析の結果だ。

 3つの変数だけで判断している。

 見落としている要素があるかもしれない。


 前回は、見落としで大外れした。


「…………」


 巻物をもう一度読む。ヘルメスのオマケ情報——ペルシャ指揮官の二日酔い。


 信憑性は五分五分。


 でも——


 なんだろう、この感覚。


 データの向こうに、何かが見える。


 数字じゃない。論理じゃない。

 前世でもたまにあった。データとにらめっこしている最中に、ふっと——直感が降りてくる瞬間。


「…………なんか……こっちかな」


 ギリシャ側が勝つ。


 省エネ分析の結果とも一致している。でも、数字以上の確信がある。

 理由は説明できない。

 でも——こっちだ。


 報告書に記入する。


 今回は丁寧に書いた。字は相変わらず汚いけど、前回よりは——たぶんギリギリ読めるくらいには——頑張った。


---


「ギリシャ側、勝率61.3%。ギリシャ勝利と予測します」


 アテナに報告書を提出する。


「…………」


 アテナは報告書を眺めた。長い沈黙。


「……読めます。かろうじて」


「ありがとうございます」


「褒めてません」


 それから、分析内容に目を通す。


「変数を3つに絞っている」


「はい。省エネ分析法です」


「省エネ——?」


「全データを処理するにはツールが足りないので、勝敗を決定づける上位変数だけを分析します。残りは——勘です」


「勘」


 アテナの眉がぴくりと動いた。


「勘、ですか」


「前世の名残で——データを見ていると、たまに直感が降りてくるんです。理由は説明できないけど、当たることが多い……多かった……と思います。たぶん」


「たぶん」


「……はい」


 アテナは長い長いため息をついた。


「——まぁいいでしょう。今回はこれで出しなさい」


「いいんですか?」


「ダメとも言い切れません。あなたの分析、変数3つだけですが——着眼点は悪くない」


「え」


「地形による実効兵力比の補正。指揮官の心理傾向分析。兵站の長期戦シミュレーション。——教科書通りではないけれど、本質は捉えています」


「…………」


「もちろん、精度は低い。変数が少なすぎる。でも——ゼロからこれを組み立てたのは、認めます」


 アテナが、わずかに——本当にわずかに——口角を上げた。


「あなた、ぐうたらだけど——データに向き合う時だけは、目つきが変わるわね」


---


 戦場。


 スクリイの水面に、戦いの様子が映し出されている。


 狭い峠。

 ペルシャの大軍が押し寄せる。

 ギリシャの守備隊が峠を塞ぐ。


 予測通り——ペルシャ側は正面突破を仕掛けた。

 予測通り——ギリシャ側は守りを固めた。

 予測通り——狭い峠では、大軍の数的優位が活きない。


 戦いは——ギリシャ側が押している。


「……いける」


 微笑みのタイミング。

 勝敗が決する3秒前。


 早すぎてもダメ。遅すぎてもダメ。


 ペルシャ側の陣形が——崩れ始めた。指揮系統が乱れている。

 ギリシャ側が——追撃に移る——


「——今」


 微笑んだ。


 半目で。ジャージ姿で。


 女神の微笑みとしては——最低クオリティだと思う。


 でも——


「——当たった」


 ギリシャ側が勝った。


 私の予測が——当たった。


---


「予測精度:的中。微笑みタイミング:2.8秒前。惜しい、0.2秒早い」


 アテナが査定結果を読み上げる。


「微笑みクオリティは——低い。半目。ジャージ。報告書の字はギリギリ読めるレベル。服装・態度は論外。ただし——」


 一拍の間。


「——予測精度は的中。分析アプローチは独自ながら論理的。総合評価——C」


「C!」


「Cです。要改善ゾーン。最低限」


「最低限でいい! Cでいい! Cで!」


 Dから脱出した。

 バッカスの祝福は守られた。

 酒は——飲める。


---


 その夜。


 私は生まれて——いや、転生して——初めて、神界の酒を飲んだ。


 場所は——バッカスの酒蔵。


「初的中祝いだ! 飲め飲め!」


 バッカスが特大の杯に並々と注いでくれた。


「あら、私も呼ばれたのだけど」


 アテナが——完璧な正装のまま——優雅に杯を傾けている。


 ……この人、酒飲むと少しだけ雰囲気が柔らかくなる。


「今日の分析は——まぁ、認めます。省エネ分析法と呼んでいたわね」


「はい」


「粗削りだけど、方向性は悪くない。神界にツールがない以上、ああいうアプローチは——理にかなっています」


「……ありがとうございます」


「ただし」


「はい」


「字はもっと綺麗に書きなさい」


「……善処します」


---


「なぁなぁ、するめちゃん。あの歌、歌ってよ!」


 バッカスが酔っ払いの目で言う。


「歌?」


「ほらあれ! 『神は死んだ! そして勝利の女神は——』」


「歌いません」


「えーっ!」


「絶対に歌いません。あの歌のことは忘れてください」


「ニケ・プリマに聴かされてからずっと気になってたんだよなぁ。サビのところが癖になるんだよ。♪『神の ばーか! ばーか! ばーーーか!』♪——」


「やめて」


「——良い歌だな!」


「良い歌じゃない! 黒歴史!」


---


 杯を重ねるうちに、アテナも少しずつ崩れてきた。


「……あなたね、あの歌の——♪『微笑むだけの簡単なお仕事』♪——あの歌詞、ニケ・プリマがどれだけ怒ったか、わかる?」


「…………はい」


「あの人はね、数千年間、あの仕事をしてきたの。誰にも褒められず、誰にもわかってもらえず、ただ微笑み続けてきたの」


「…………」


「それを——『簡単なお仕事』と歌われたら——そりゃ怒るわよ」


 アテナの声には、笑いの中に——ほんの少しだけ、真剣な響きがあった。


「……たった二回やっただけでわかったでしょう? 簡単じゃないって」


「…………はい」


「でしょうね」


 アテナは杯を傾けた。


「まぁ——Cなら許してあげる。まだ二回目にしては上出来よ」


---


 帰り道。


 ふらふらの千鳥足で——飲みすぎた——神殿の廊下を歩いていると。


「あら」


 声がした。


 振り返ると——月明かりの中に、完璧な微笑みが浮かんでいた。


 先代ニケ・プリマ。


「有給休暇中のはずじゃ——」


「たまに覗きに来るのよ。娯楽だもの」


 にっこり。


「今日、当てたんですって?」


「……一回だけですけど」


「一回当てただけで、もうわかったでしょ?」


「何が」


「簡単じゃないってこと」


「…………」


 先代ニケは、完璧な微笑みのまま——


「どう? 簡単なお仕事でしょ?」


 言い残して、消えた。


 文字通り、消えた。神出鬼没。


「…………」


 廊下にひとり残された私は、しばらく立ち尽くして——


「……全然簡単じゃないよ……」


 呟いた。


---


 雲のベッドに倒れ込む。

 二日酔い確定だ。明日の微笑みクオリティは最悪になるだろう。


 でも、まぁ、今日は——


 初めて予測を当てた日だ。


 最低評価のCだけど。

 字は汚いし、ジャージだし、半目だし。

 でも——当たった。


 省エネ分析法と、勘で。


「……まぁええか。Cで」


 目を閉じる。


 前世の歌が、また脳内に流れてくる。


 ♪微笑むだけの 簡単な お仕事!♪


「…………うるさいよ」


 ♪ほんっと ボロい 商売だな!!♪


「……ボロくないよ。全然ボロくないよ……」


 ♪媚び売りに にっこりするだけの——♪


「にっこりすらまともにできてないよ!」


 自分の歌に自分でツッコむ。


 全然簡単じゃない。全然ボロい商売じゃない。微笑むだけ——ですらない。


 でも——まぁ——


 もうちょっとだけ——やってみてもいいかもしれない。


 酒が飲めなくなったら困るし。


「……酒のために頑張る女神って何なんだよ……」


 意識が遠のく。


 明日も仕事だ。

 巻物が待ってる。そろばんが待ってる。石板が待ってる。

 GoogleもBigQueryもExcelもない世界で——


 ぐうたら女神の、省エネ奮闘記は——


 まだ始まったばかりだ。


---


第5話 完


> するめ語録 #5

> 「まぁええか。Cで」


---


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