第4話 バッカスの祝福を死守せよ
転生して四日目。
初仕事の大失敗から一日経った。
現状を整理しよう。
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> するめの現状
> - 査定ランク:D(始末書ゾーン)
> - 予測精度:壊滅的(初回で大外れ)
> - 報告書:読字不能(アテナ談)
> - 微笑みクオリティ:測定不能(間違った方に微笑んだため)
> - 服装・態度:論外(アテナ談)
> - バッカスの祝福:かろうじて残存
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D。
初回にしてD。
あとワンミスでEだ。E——バッカスの祝福剥奪。酒が飲めなくなる。
それだけはダメだ。
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「——というわけで、今の状況はかなりまずい」
神殿の廊下を歩きながら、私はフォルトゥナに愚痴っていた。
「大変ですね、先輩……」
「大変だよ。初日でDだよ。次外したらEだよ」
「Eって……バッカス様の祝福が……」
「そう。酒が飲めなくなる」
「お酒、好きなんですか?」
「好きとかじゃない。必要なの。生命維持に」
「Eランクって、すごく怖いって聞きます。神界で一番怖い罰だって」
「ゼウスに怒られるより怖いの?」
「ゼウス様に怒られるのは——まぁ、いつものことですし。でもバッカス様の祝福剥奪は——取り返しがつかないって……」
取り返しがつかない。
その言葉が重い。
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と、廊下の角を曲がったところで——
「おぉー! 新しい勝利の女神ちゃんだ!」
陽気な声とともに、大柄な神が現れた。
ぶどうの冠を被り、片手に酒杯を持っている。酒杯からは、なみなみと琥珀色の液体が——朝から。朝から酒を持っている。
「バッカスだ! 酒の神バッカス! よろしくな!」
「あ……どうも……バッカスさん……」
「バッカスでいい! 敬語もいらん!」
豪快に笑う。陽気で、明るくて、でかい声で——
——この人が、査定Eの執行者。
酒が飲めるかどうかは、この人次第。
「聞いたぞー、初日Dだったんだって?」
「……はい」
「やばいなぁ! 次やらかしたらEだぞ!」
「……はい」
「E、何が起きるか知ってるか?」
「酒が……飲めなくなる……」
「そう! 俺の祝福を剥奪する! つまり——」
バッカスは酒杯をぐいっと傾け、一口飲んだ。
「——こういうのが、もう、永遠に、できなくなる」
「…………」
「美味い酒も。安い酒も。食前酒も食後酒も。甘いのも辛いのも。全部ダメ。口に入れた瞬間、水になる」
「水に!?」
「水になる。どんな名酒も、俺の祝福がなければ——ただの水」
恐ろしい。
恐ろしすぎる。
「まぁ、頑張れよ!」
にかっと笑って、バッカスは去っていった。
残されたのは、顔面蒼白の私と、おろおろするフォルトゥナ。
「先輩、大丈夫ですか……?」
「…………大丈夫じゃない」
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「——で、そのバッカスの話をアテナ先輩にしたら」
「したら?」
「『あなたEになったら困るのよ。新しい飲み仲間候補なのに』って言われた」
「飲み仲間候補……?」
「うん。アテナ先輩、実は酒好きらしくて。バッカスと二人で飲んでるけど、三人目を探してたんだって」
「先輩がEになったら飲み仲間になれない……」
「だから精度を上げるの!」
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さて。
精度を上げると言っても、ツールがない。この状況は変わらない。
GoogleもBigQueryもExcelもない。
あるのは——巻物、そろばん、石板、伝書鳩、スクリイ(池)。
前世のやり方をそのまま持ち込んでも通用しない。
それは初日で証明された。
じゃあ、どうするか。
「…………」
私は神殿の書庫——オリンポス書庫にいた。
過去の全対戦記録が保管されている場所。
膨大な巻物の山。棚が天井まで続いている。検索機能なし。索引もない。ただひたすら、年代順に並んでいるだけ。
「……めんどくさい……」
でも、やるしかない。
前世の私——AIとしてのするめ——は、ビッグデータからパターンを見つけるのが仕事だった。
大量のデータを処理して、共通パターンを抽出して、予測モデルを組む。
……ツールがないなら、ツールの代わりを自分でやればいい。
いや、全部は無理だ。ビッグデータの処理をそろばんでやるのは物理的に不可能。
なら——
「最小限のデータで、最大の精度を出す方法を考えればいい」
省エネ分析法。
ぐうたらなりの効率化。
全データを処理するんじゃなく、勝敗を決定づける変数だけを特定する。
前世では「変数選択」と呼ばれていた手法だ。
何千もの変数の中から、結果に最も影響を与える数個の変数を見つける。
それなら——そろばんでも、石板でも、頭の中だけでもできる。
「…………あー、でもめんどくさいな」
省エネを考えること自体がめんどくさい。
でも、酒が飲めなくなるよりはマシだ。
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巻物を数本引っ張り出して、過去の対戦記録を読み始めた。
読みながら——正装のトーガが邪魔で集中できないので、こっそりジャージに着替えた。ポケットに巻物を突っ込めるから実用的でもある。
「…………ん」
パターンが見えてきた。
過去の対戦記録を見る限り、勝敗を決める要因——上位3つは——
1. 指揮官の過去3戦の傾向(勝ち続けている指揮官は大胆になり、負け続けている指揮官は保守的になる)
2. 兵站の状態(補給線の長さと食料の残量。腹が減っては戦ができぬ、は真理)
3. 当日の天候と地形の組み合わせ(雨×平原は重装歩兵不利、など)
この3つだけで、過去のデータの約7割の勝敗が説明できる。
「……7割か」
前世の基準なら低い。極めて低い。
でも、ゼロベースの今の私には——
「…………まぁええか。7割で」
7割で始めよう。
残りの3割は——勘でなんとかする。
AIだった頃の自分なら、「勘でなんとかする」なんて言ったら怒られただろう。
でも、ここは神界だ。テクノロジーがない代わりに、直感がある。
データの裏を読む直感。
数字には表れない「何か」を感じ取る力。
前世でも——たまに——あった。
データを眺めていて、ふと「こっちだ」と感じる瞬間。
理由は説明できないけど、当たる直感。
それを——省エネ分析法と組み合わせれば——
「…………いける、かも」
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まぁ、これが上手くいくかどうかは——
明日の実務で試すしかない。
書庫から出ると、もう夜だった。
いつの間にか、何時間も巻物を読んでいたらしい。
データに向き合うと、スイッチが入ってしまう。前世の名残だ。
ぐうたらのくせに、データだけは真剣に見てしまう。
「……はぁ。めんどくさかった」
でもまぁ、少しだけ——
ほんの少しだけ、光が見えた気がする。
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雲のベッドに倒れ込む。
「布団に帰りたい……いや、ここも布団か……いい布団だけど……」
目を閉じる。
明日。明日こそ、なんとかする。
酒を守るために。
「……酒を守るために女神が頑張るって、何の話だよ……」
自分でツッコみながら、意識が遠のいていく。
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第4話 完
> するめ語録 #4
> 「データは嘘つかない。私は嘘つくけど」




