第22話 六つ目の変数
オリンポス杯九日目。
種目:やり投げ。
変数6の初実戦投入。
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「ヘルメス、情報は?」
ヘルメスが巻物の束を抱えて飛び込んできた。
「いつも通りの選手データに加えて——今朝、いつもと違ったことを全部リストアップしてきたよ」
巻物を広げる。
「異常リスト」と書かれた項目が並んでいた。
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A選手:いつも通りの朝食。練習時間もいつも通り。——異常なし。
B選手:いつも通りの朝食。練習時間もいつも通り。——異常なし。
C選手:いつも通りの朝食。練習データが昨日だけない。——異常あり。
D選手:いつも通り。——異常なし。
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「C選手の練習データが昨日だけない?」
「そう。おとといまでは毎日練習してたのに、昨日だけ記録がない。練習をサボったのか、練習を隠したのか」
「……隠した?」
「新しいフォームを試してるとか。誰にも見せたくない練習をしたとか。——あるいは怪我を隠してるとか」
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するめは分析シートを見つめた。
5変数の通常分析では——A選手が有利。過去の戦績も、コンディションも、メンタルも安定している。
だが——C選手の「異常」が気になる。
「……データがある時は、データを信じる。でもデータがない時は——データがないこと自体を信じる」
するめは分析結果を修正した。
「A選手有利——ただし、C選手に未知の変動要因あり。予測の信頼度を下方修正。予測困難」
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「予測困難って——それ、当てにいってないじゃない」
アテナが眉をひそめた。
「当てにいくんじゃなくて、外さないようにしてるんです。不確実性が高い時に無理にどちらかを指すと——前の戦車競争みたいに大外れする。だから不確実性そのものを報告する」
「…………」
「前世のリスク管理でも同じ考え方がある。わからないことを『わからない』と正直に言うのも、分析の一つです」
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やり投げ、開始。
結果——
A選手ではなく、C選手が優勝した。
C選手は前日の非公開練習で投擲フォームを大幅に変更していたのだ。
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「するめの予測は——的中ではないが、外れでもない。『予測困難』という判定自体は正しかったわ」
テミスが天秤を揺らしながら言った。
「予測精度:C-。——ただし、不確実性を正しく評価した点は加点対象」
「え、加点されるの?」
「報告書において根拠と限界を明記することは、正確な情報伝達の基本です。テンプレートにも『予測困難度』の欄を追加することを推奨します」
「テミスさん……ありがとう」
「お礼はいりません。フォーマットの改善は業務改善です」
テミスは淡々としていたが、天秤がかすかに右に傾いた。——好意の表れ、らしい。
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総合査定:C-。
Dは回避した。
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帰り際、先代ニケとすれ違った。
先代はこちらをじっと見ていた。
煽りの表情ではなかった。
「……ふーん」
「何ですか」
「データがないことを読む、ね」
「…………」
「面白い発想だわ。私は目で見えるから考えたこともなかったけど——目で見えない人が、見えないことを読む。……面白い」
先代が——初めて——煽りではなく、純粋な関心を示した。
「あなたの仕組み——少しだけ、見直したわ」
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分析室に戻って、エリスに報告した。
「……先代が褒めた?」
「褒めたかどうかは微妙だけど、少なくとも煽ってなかった」
「……それは……すごいことだよ。先代が煽らないなんて……」
「そんなにレアなの?」
「……数百年ぶりじゃない?」
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第22話 完
> するめ語録 #22
> 「的中じゃなくても、外さなければいい。——ぐうたらの極致。最低限を守る技術」




