第18話 狩猟の女神は数字を見ない
オリンポス杯四日目。
三日目は弓術と幅跳び。結果はどちらもC。特筆すべきことはない一日だった。
四日目の種目:ボクシング。
---
ボクシングは一騎打ちだ。短距離走と違って、二人の対決。
つまり——省エネ分析法の本領発揮。二人分のデータを比較するだけでいい。
「今日こそは——」
「まだ何も始まってないわ」とアテナ。
---
第一試合。
するめは巻物を広げた。選手A:パワー型。体格に優れ、接近戦を得意とする。直近3戦は2勝1敗。選手B:テクニック型。フットワークとカウンターが武器。直近3戦は3勝。
変数を確認する。指揮官傾向——ボクシングの場合は戦術傾向。コンディション。天候×地形は闘技場内なので大きな差なし。メンタル。選択パターン。
分析結果:B側有利。テクニックとメンタルの安定性で上回る。勝率62%。
——と、巻物を読んでいる横で。
アルテミスが、壁に寄りかかりながら、スクリイをじっと見ていた。
巻物は——開いてすらいない。
「…………」
アルテミスは無表情のまま、ぼそりと呟いた。
「A」
一文字。それだけ。
「え?」
「Aが勝つ」
「根拠は?」
「……足」
「足?」
「Aの方が足の運びが良い。踏み込みの角度が深い。——Bはフットワークに癖がある。右に回り込む時に体重移動が遅い」
「…………巻物も読まずに、動きだけで?」
アルテミスはこちらを見た。銀色の瞳が、淡く光っている。
「データは過去。戦いは今」
---
第一試合、開始。
序盤はするめの予測通り、B側がテクニックで優位に進める。
しかし中盤——
A側がB側の右回り込みを読んで、カウンターを合わせた。
B側が崩れた。
そこからA側がラッシュをかけ——
「——A側、勝利」
アルテミスの予測が——的中。
するめの予測は——外れ。
---
「…………」
「あなたの分析は過去のデータに基づいている」
アルテミスが壁から離れ、するめの隣に立った。
「でもボクシングは——過去の戦績で決まらない。当日の身体の動きで決まる。フットワーク、呼吸、目線、肩の力み——全部、動いている最中に変わる」
「…………」
「動きを見れば、未来がわかる」
寡黙な女神が、確信を持って言い切った。
---
「……あの、アルテミスさん」
「アルテミスでいい」
「アルテミス。——あなたの分析、以前私が学んだリアルタイム補正と似てるんだけど」
「リアルタイム?」
「事前にデータで予測を立てて、試合中の動きを見ながら修正する方法」
「……ふうん。あなたはデータが先で、動きが後なのね」
「そう。あなたは?」
「動きが先。動きが全て」
---
第二試合以降、するめは戦略を変えた。
事前分析は従来通り行う。だが、試合が始まったら——巻物を置いて、スクリイに集中する。
アルテミスほど動きは読めない。でも——フォルトゥナがリアルタイム観察を担当してくれている。
「先輩! B側の選手、左足を引きずってます! 昨日の予選で痛めた可能性あり!」
「……変数4のメンタルと変数2のコンディション、両方下方修正。勝率を——A側に振り直す。A側63%」
「それ、私の見立てと同じ」
アルテミスが、ほんの少しだけ——本当に少しだけ——口角を上げた。
---
後半は五試合中四試合を的中。
アルテミスは五試合中五試合を的中。
するめは届かなかったが——差は縮まった。
---
「今日の総合成績」
「するめ:B-。アフロディーテ:C。アルテミス:A。先代ニケ:S」
「B-!? 初めてのB!」
「マイナス付きだけどね」
「マイナスでもBはB!」
---
帰り道。アルテミスとすれ違った。
「……今日、面白かったわ」
「え?」
「数字と目を両方使う女神は初めて。——普通、どっちかに偏る。あなたは両方使おうとしてる」
「……器用貧乏って言われてる気がする」
「褒めてる。——器用であることは、弱さじゃない」
アルテミスは背を向けた。
「明日もこの調子なら——少しだけ、認めてもいい」
去っていった。
……狩猟の女神。寡黙だけど——悪い人じゃなさそうだ。
---
第18話 完
> するめ語録 #18
> 「データは過去。戦いは今。……でも私は過去と今の両方を使う。欲張りだから。いや、省エネだから」




