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第3話 我慢と嫉妬のベーゼ(1)

「……それで、大丈夫なのか?ニーナ」


 ヴァリエール邸の執務室。

 父である伯爵は、安堵と恐怖が入り混じった顔で私を見ていた。


「あの公爵家が、このまま黙っているとは思えん。借金は消えたが……次はもっと陰湿な手を使ってくるぞ」


「あら、お父様。そんなに震えないでくださいな」


 私は優雅に、湯気の立った紅茶をすする。

 この人は善良だけど、少し気が弱すぎる。


「向こうが何をしてこようと、全て私が跳ね除けてみせますわ」


「お、お前……いつからそんなに強くなったんだ……?」


 父は信じられないものを見る目で私を見ていた。


 無理もない。

 私が幾度となく、自らの心臓を止めたことなど知らないのですから。


 ふふ……愛は時に、人を強くも弱くもするのですわ。


 父を適当になだめて部屋を出る。


 廊下を歩きながら、私は思考を巡らせる。


(お父様の言う通りね。公爵家は必ず報復してくる)


 暗殺、毒殺、冤罪……手札はいくらでもあるはずだ。

 だからこそ、慎重にならなくてはいけない。


 特に――刻印のベーゼ。

 つまり、時間の楔のタイミングについては。


『……ふん。何を難しく考えておる』


 脳内に、魔女の呆れた声が響く。


『愛しい騎士と毎日口づけを交わせばよかろう?そうすれば、いつ死んでも昨日の夜に戻れるぞ?』


「バカね、嫉妬の魔女。それこそが落とし穴よ」

 私は冷たく言い返す。


 例えば今、オティアとキスをして、時間をここに固定する。

 その1秒後に、屋敷ごと吹き飛ぶような魔法攻撃を受けたらどうなる?


 私は死ぬ。

 そして、1秒前に戻る。

 また1秒後に魔法が飛んできて、死ぬ。


「対策を練る時間も、逃げる時間もないまま……永遠に死の螺旋に閉じ込められるわ」


 背筋が凍るような想像。

 死ぬのは怖くない。

 けれど、回避不可能な死の牢獄に自ら鍵をかけてしまうことだけは、絶対に避けなくてはならない。


 (いや――ひょっとすると、それが嫉妬の魔女の真の目的なのかもしれない)


 そう思うと、背筋が一瞬ぞわりとした。

 だとしたら、なおのこと慎重にならなくてはならない。


「必要なのは、運命を書き換えるための時間の猶予よ」


 何かあっても対策を練り、準備するための期間。

 最低でも1週間。できれば1ヶ月。

 それくらい遡れる余裕がないと、公爵家の本気の悪意には対抗できない。


『ほう?つまり……?』


「ええ。決めたわ」


 私は廊下の突き当たり、オティアの部屋を見据えて決意を固める。


「今日からしばらく、オティアとの口づけを禁止するわ」


 私の命より、あの子の命が大事なの。

 ……我慢よ、ニーナ。これも英雄育成のためだもの


 ああ、神様。

 愛する人に触れたいのに触れられない。

 これほど辛い試練が、他にあるでしょうか。


 でも――ふと、別の考えが頭をよぎる。

 オティアは、それをどう思うのかしら。


(私が突然、口づけを拒んだら……あの子は、どんな顔をするかしら?)


 見捨てられたと勘違いして、不安で泣きそうになるかしら?

 そんな想像をしただけで、私の胸の奥に、ゾクゾクとした甘美な愉悦が這い上がってくる。


 ああ、いけないわ。

 私に触れられず、愛情に飢えて震える彼の顔を想像しただけで――こんなにも、心が脈打つなんて。


(……我慢よ、ニーナ。これも英雄育成のため。そして、もっと深い愛を刻み込むためよ)


 私はドレスの裾を強く握りしめ、濡れた唇を舌で舐めとった。

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― 新着の感想 ―
ニーナさん 頑張ってほしいです! 禁止か....。 嫉妬の魔女なかなかですね!
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