第7話:忍び寄る影
朝から冷たい雨が、新宿中央公園に降り注いでいた。
その公園を上から見渡せるタワーマンションの最上階。厚い防音ガラスに雨粒が叩きつけられる音さえ遮断された、暖かく静謐な部屋の中から、一人の男が眼下の光景を眺めていた。
公園には幾人かのホームレスが住み着き、様々な企業のロゴが印刷された段ボールの切れ端を寄せ集めて作った、不格好な家で冷たい雨をしのいでいる。
彼、人気俳優の志村拓海にとっては、決して交わることのない天と地のような別世界がそこにあった。まるで、上級国民である自分の優越感をさらに増幅するためだけに用意された、精巧な舞台装置にも思えた。
「……惨めだな」
拓海は嘲笑を浮かべ、手に持ったクリスタルのグラスを軽く揺らす。中のシャンパンが、部屋のダウンライトを反射して黄金色に輝いた。彼らの不幸が、この酒の味をより一層引き立てる極上のスパイスだった。
その男は、ファンだという下級国民の少女たちを連れ込んで、ベッドルームで何人も侍らせていた。シルクのシーツが乱れ、ブランドものの衣服が無造作に脱ぎ捨てられた空間で、いつものように快楽を貪る。
(こいつらは、俺がこの世界を楽しむ為だけに存在している奴隷だ)
自分を賞賛し、ひたすら仕える連中。下級国民に対して何をしてもかまわない。拓海は生まれてからずっと、そんな上級国民としては当たり前の感覚を持っていた。
大人気俳優として成功できる容姿や知恵、そしてコネを備えていた彼にしてみれば、ただの凡人など、まるでモノだった。
拓海が数人の少女に最大限に奉仕させて、その意識が快楽の頂点に達した、まさにその瞬間。
チャチャーン――
通知機能がONになっていたため、彼の聴覚にだけ聞こえる無機質な電子音が鳴り響いた。彼の世界システムに、一通のメールが到着したのだ。視界の端に、禍々しい赤色で点滅する受信ウィンドウがポップアップする。
[テスラは下級国民に殺された。次はお前たちの番だ]
その不審なタイトルのメールの差出人は“福祉局員”とあった。
彼が指先を動かすジェスチャーでメール本文を開くと、そこには信じがたい内容が記されていた。テスラが下級国民に全財産、全アイテムを収奪された上、自殺を強要され殺された、と。
「……なんだ、これは」
その内容に驚いた拓海は、まとわりついていたファンの少女たちを乱暴に振りほどき、再び窓から眼下の公園を眺めた。
雨に煙る段ボールの家と、地にうごめく小さな人々が見えた。
(奴らにも、俺たちと同じような感覚があって? 俺を殺しに来るだと?)
世界システムに接続し、チート能力が使える俺に、奴らが手出しできる? まるで信じられない、というより、理解の範疇を超えていた。
「アルメン、テスラが下級国民に殺されたのは本当なのか?」
拓海は自らの世界システムナビゲーターに尋ねる。
『アクセス権限制限により、その質問にはお答えできません』
「一体、どこの誰がそんなふざけたことを」
『アクセス権限制限により、その質問にはお答えできません』
「じゃあ、質問を変える。俺の“鑑定《真理の魔眼》”スキルでイレギュラーを識別できるか?」
『アクセス権限制限により、その質問にはお答えできません』
「どうやってテスラを殺した!? 自殺を強要したって、どうやって!」
『アクセス権限制限により、その質問にはお答えできません』
「なにも分からないじゃないか!」
拓海は苛立ち、ガラスのテーブルを拳で殴りつけた。
下級国民が逆らう? しかも、上級国民に対し自殺を強要? あり得ない! あいつらは、俺がこの世界を十二分に楽しむ為に存在している奴隷のはずだ!
拓海にしてみれば、下級国民などゴミそのものだった。自分を賞賛し、ひたすら仕えるのは当然で、まるで家電製品のように酷使して捨ててもいい連中にすぎない。
その下級国民が上級国民を殺したというのだから、彼にとってみれば不気味で自分の価値観に大きく反する出来事だった。しかも、これは上級国民にしか利用できない世界システム経由で送られてきたメールだ。誰かのイタズラとは思えなかった。
そして、これまでは完全に意のままになる下僕しかいなかったのに、いつ反逆するかもしれない得体のしれない多数の下級国民という存在に、自分が完全に包囲されているという事実に、今、気づいてしまう。
生まれてから下級国民にした非人道的な仕打ちは数知れず、その分だけ彼は居心地が悪く、薄ら寒い恐怖を感じ取っていた。
「くそっ! くそっ! くそ! だ! って言ってるんだ!」
拓海は苛立ちのまま、そばにあった装飾用の壺を壁に投げつける。けたたましい音を立てて砕け散った。
「何見ている! 俺を馬鹿にしているのか! この下級国民が!」
今度は怯える少女たちに矛先が向かうと、いきなりその頬を平手で打ち抜いた。
きゃぁああああ!
悲鳴が上がるが、拓海の暴力は止まらない。一人の少女に馬乗りになると、相手の意識がなくなるまで、その顔の形が変わるほど、ひたすら殴り続ける。
「おまえらみたいなゴミが、どうやって俺を殺すんだ? 言ってみろ! ああ?」
「拓海、やめてよ。どうしたの? なにがあったの?」
「殺すっていったいなんのこと。落ち着いて」
残りの少女たちは必死に拓海をなだめようとしているが、その声は彼の耳には届いていなかった。
(殺される前に、殺す)
暴力を振るう中で、拓海の脳内に浮かんだ結論は、それだけだった。
手始めに、目の前に居るこの女たちを殺す。殴っても反撃してこなかったので、こいつらは上級国民に逆らうイレギュラーじゃない。だが、もう完全に壊れてオレ様に奉仕できないただの汚いゴミだ。当然のように拓海はそう思った。
『拓海、下級国民を殺してしまうのは、良い趣味ではありませんね。それで、この死体はどうしますか?』
アルメンは、血溜まりの中に転がる少女達を眺めながら、温度のない声で言う。
「“存在抹消”だ」
『コマンドポイントを大量に消費しますよ、それでもいいのですか?』
「ああ」
拓海は躊躇なく“存在抹消”コマンドを実行した。少女達の亡骸が、青白い光の粒子となって音もなく崩壊し、この世界から完全に消え去っていく。
ベッドに付着していたおびただしい量の血痕も、まるで最初から何もなかったかのようにキレイに消え去る。壊れた家電でも捨てるかのように、彼は淡々とそれを実行した。
「下級国民の処理に貴重なコマンドポイントを使っちまうとは……」
拓海にとっては、少女たちの命より、自分のコマンドポイントの方が遥かに重要だった。その回復には数か月はかかるだろう。それでも、証拠を隠滅するためには仕方がない。
いきなり何人も少女が行方不明になるのだから、多少の騒ぎにはなるだろうが、証拠はないし、コネでも何でも使える上級国民の自分が警察に捕まることなどあり得ないと拓海は確信していた。
そんなことよりも、拓海にとって気がかりなのは、上級国民に逆らうイレギュラーの存在だった。奴をうまく見分ける手段はないものか。
拓海は思考をめぐらしていく。
(メールによれば、テスラが死んだとき財産を奪われ無一文になっていたという。これは上級国民同士の戦いで負けた側が全てを奪われた状態と同じではないか)
奪ったのはイレギュラーだろうから、下級国民ではあり得ない金やアイテムを持っている人物こそが最も怪しいということになる。
(鑑定《真理の魔眼》スキルを持つ自分なら、直接視認さえできれば、保有金額から敵を特定可能だ)
このスキルがあれば、名前とレベル、種族という基本情報の他に、保有金額や固有スキルなどの詳細情報を閲覧することができる。
あとは、どうやって自分の近くまで奴をおびき寄せるかが問題だ。考えてみれば、これはかなり難しい。直接相手を見なければイレギュラーかどうかわからない以上、砂浜の中から一粒の砂金を見つけるようなものだ。
(しかし、あの福祉局員を名乗る不審なメールに書かれているように、奴が本当に上級国民を狙っているとするなら……こちらが上級国民だと分かった瞬間、奴の方から近づいてくるのではないか?)
かすかに不安もよぎる。だが、上級国民と下級国民の圧倒的な実力差を考えれば、簡単に勝てると考えを切り替えた。
(そうだ、俺は最初から殺す気で行く。下級国民ごとき、一撃でぶち殺してやる)
テスラは油断していただけだ。本気の上級国民に、チートの使えない下級国民が勝てるはずはない。上級国民として、拓海はごく自然にそう考えていた。
恐怖は、より歪んだ傲慢さへと姿を変え、彼の唇に冷たい笑みを浮かばせた。
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