第6話:世界の真実
翌朝、高史は夜明け前の薄闇の中、始発列車に揺られて古びた自宅アパートへ戻った。
豪華絢爛なホテルのスイートルームから、カビと湿気の匂いが染みついた四畳半へ。そのあまりの落差が、昨夜の出来事が悪夢ではなかったという実感を、彼の全身に嫌というほど刻み付けていく。
ドアを開けると、むわりとした空気が肌にまとわりついた。彼はその不快感に顔をしかめながら、部屋の惨状を改めて見渡す。床に散らばったコンビニ弁当の容器、そして隅に積まれた洗濯物の小さな山。
数時間前まで、この狭い部屋こそが彼の世界のすべてだった。だが今は、まるで知らない誰かの人生の残骸を眺めているかのような、奇妙な隔絶感を覚えていた。
彼は自分が投げつけて割ってしまったテレビの電源を入れた。蜘蛛の巣状のヒビが走る液晶画面は、辛うじて映像を映し出している。画面の亀裂に映り込んだ自分の顔は、ひどく知らない人間のようだった。すぐに、どのチャンネルも同じニュースをトップで報じ始めた。
『世界的起業家メロン・テスラ氏、都内ホテルで謎の飛び降り自殺か――』
画面の中の専門家たちが、事業の失敗説や健康問題、果ては国際的な陰謀論まで、もっともらしい顔で語り合っている。彼らは知らない。テスラの死が、経済や政治といった彼らの理解できる範疇の出来事ではなく、世界の理そのものが捻じ曲げられた結果であることなど。
「……本当に、ただの自殺になってる」
昨夜の出来事は、夢ではなかったのだ。
凄まじい能力だ、と高史は改めて戦慄した。
そして、あのイベントが行われた昨日から一睡もしていなかったが、特異な体験をした高史の神経は極限まで張り詰め、ますます覚醒してゆく。
眠気は失せ、今すぐにゼタルや上級国民について、いろいろと聞きたいと彼は思った。
「ゼタル!」
高史が呼びかけると、何もない空間の粒子が、まるで磁力に引かれる砂鉄のように収束し、光を編み上げるようにして美しきナビゲーターの姿を形作った。
高史はテスラとの遭遇以降、いつでも少女ゼタルと会話ができるようになっていて、更に実体化した彼女には触れることさえできた。
女性の影がない小汚い四畳半の部屋のなかに、いきなり華やかな港区女子が現れたようなものだ。高史はゼタルの前に座ると、上級国民の女優やアナウンサーさえ凌駕する、人間離れした美しい顔や体に少しドキドキした。
「ねえ、ゼタル、さっそく質問してもいい?」
『はい高史様。どうぞ』
「コマンドやらステータスウインドウ、そしてゼタル自身は一体何なの?」
いきなり核心について尋ねる高史。
『全て、上級国民のみに利用が許されたチート、世界システムです。このシステムが利用できるかどうかが、上級国民と下級国民を別つ決定的な差となっていて、上級国民がこのチートを利用して社会の上層部に君臨できるように、この世界そのものが構築されています』
高史自身がそれに気づいているかどうか怪しいものだが、いきなりこの現実世界の秘密を告白されてしまった。彼の脳が、その途方もない情報の意味を理解しようと悲鳴を上げる。
「上級国民のチートだって? それで、ゼタルも含めて、幽霊の類なのか、魔法や超能力の類なのか、それとも宇宙人のオーバーテクノロジー、まさか5分後の異世界に転移したとか、一体何?」
高史は矢継ぎ早に、自分の乏しい知識の中からありったけの可能性をぶつける。だが、ゼタルの表情は変わらない。
『世界システムはどこにでも存在していますが、それ以上は不明です』
高史は思った。
幽霊だろうがオーバーテクノロジーだろうが、自分にはどうせ理解できないので、別に呼び名が何だっていいじゃないかと。
「じゃあ、君も世界システムの一部なの?」
『はい』
ゼタルによれば、彼女は物理的には存在していない。その存在を高史が知覚できるのは、物理法則に世界システムが強制介入しているからで、ステータスウインドウの表示も、どうやら同じような理屈らしい。高史はそんなこと出来るのかと思ったが、実際に見せられては疑いようがないし、理解の範囲を超えていた。
「さっき、上級国民にしか使えないチートて言ったよね。ステータス上の俺の種族は下級国民だけど、なぜ俺は世界システムが使えるのかな?」
『その質問にはお答えできません。しかし、通常使えないものが使えるという事は、システムに何等かのイレギュラーが発生したと思われます』
なぜ高史にチート能力が使えるのかという点に対して、ゼタルは何も答えなかった。彼女自身も知らないのかもしれない。その沈黙が、かえって高史の特異性を際立たせているようで、背筋に冷たいものが走った。
「チートとは具体的にはコマンドだと思うけど、一体どういうものなんだ」
『世界システムに、コマンドを与えると、この世の物理法則を無視して現象を発動することが可能です』
高史は自分の内臓が突然盗まれて殺されそうになったこと、そして、自身が収奪コマンドでそれを取り返したことを、昨日のことなのに遠い昔のように思い出していた。
「物理法則の無視。やはり、ある種の魔法とか超能力みたいなものか。じゃあ、“イベント”って何? 確かテスラがそう言っていた」
『イベントクリアはコマンドを実行するための前準備です。テスラはスペアの内臓を手に入れる為に、対象である高史を借金漬けにする、ホテルから人払いするなど、事前にいくつかの条件をクリアしています』
「たしかに、テスラはそう言っていたね」
『これは、RPGゲームでいえば、アイテム獲得のためなどに必要なフラグ立ての行動といった感じでしょうか。基本的にはゲームと同じで、イベントをこなせば、例えば収奪コマンドであれば確実にアイテムを取得できます』
「それが、例え他人の臓器だとしてもだね」
高史は吐き捨てるように言った。
『その通りです。つまり、上級国民は手順さえ踏めばリスクなしに成功を掴めるというわけです』
「なるほどな……。俺たちが一か八かで人生の賭けに出てる間に、奴らは予約済みの高級レストランに向かうみたいに、成功への道を悠々と歩いてたってわけか。そりゃ無敵なわけだ」
手順を踏めば確実にできる事が分かって実行するのと、リスクありきで実行するのとでは、結果が同じであっても、そこへ至る難度がまるで違ってくる。
「俺にはイベントを創作する固有スキルとイベントをすっ飛ばして結果だけを得られる固有スキルがあるわけね。たしか、“イベント創作《運命創造》”と“無イベント発動《前提条件無視》”」
高史が自分のステータス画面に表示されている固有スキルを眺めながら言うと、その文字が彼の意識に呼応するように、淡い光を放った。
『イベントには、高史様がイベントにより自殺を強要されたように《絶対運命》というイベントの強制力が働きます』
ゼタルがその単語を口にした瞬間、高史は昨夜の、意思とは無関係に窓へと向かわされたあの絶望的な感覚を思い出し、背筋に氷を差し込まれたような悪寒が走った。
「絶対運命?」
『はい。しかし、イベント創作スキルをもつ高史様は、その強制力を無視して運命を変える事が出来ます。そして、通常、コマンドの利用には必要なイベントを完了している事とコマンドポイント(CP)が必要ですが、高史様の場合はどちらも制約にはなり得ません。まさに上級国民を超える、この世界最強の力です』
ゼタルの声は常に平坦だが、その説明には、観測者としての静かな興奮が滲んでいるように高史には感じられた。
「イベント自体はどうやって見つけたりするんだ?」
『世界システムにある、グランドマスターリストを参照します』
その言葉と共に、高史の目の前に、夜空の全ての星を凝縮したような、無数の光点が煌めくリストが一瞬だけ展開され、すぐに消えた。すごい情報量だ。
「グランドマスター?」
『全てのイベントを統括している正体不明の存在です。実在するのか、ただのシステムなのか分かりませんが、グランドマスターこそ、この世界の真なる影の支配者なのだという上級国民も居ますね』
「ゲームでいうところの、ギルドみたいなものか。オンラインだけど」
『しかし、イベントを作り出せる高史様には、裏グランドマスターリストがあります。これがまたチートでして、そこに書かれた者は、グランドマスターリストに掲載されて真のイベントになるという……』
コマンドを使う上でイベントが不要の高史にとって、そこまで興味のある話ではなかった。
「ああ、その説明は使う時で良いよ」
高史はゼタルに様々な質問をした。例えば、テスラが余裕で日本語ベラベラだった理由も、世界システムの言語変換機能を使っていただけだった。徹夜で単語を暗記したわけではなかったのだ。
ぜタルの話を聞けば聞くほど、この世界は彼女の言う通り、上級国民が主役として活躍するためだけに存在している、いや、そう捉えざる得なかった。
煌びやかに見える上級国民の成功の秘密は、努力などという殊勝なモノではなく、ただ最初から能力差で決まっていたのだ。
役割が完全に決まった世界。
足元の床が抜け落ち、奈落へと吸い込まれていくような、途方もない虚無感が彼を襲った。
チート能力もないのに、毒親から独立するとか、借金が大変だとかなんだといって、這いずり回っていた過去の自分が、あまりにも滑稽で、惨めで、憐れに思えてくる。
一見、夢や希望がありそうで、実はない世界。
すべてを知った今、高史は、この世界のすべてがアホらしく思えて仕方がなかった。
高史はふと思う。
もし、世界システムの使い手である上級国民を排除し、下級国民である自分が主役になれば、この世界を変えられるのだろうか、と。
ゼタルによれば、自分のチート能力は上級国民をも上回るらしいから、もしかしたら、そんな大それたことすら可能かもしれない。
しかし、世界を変える力があったとして、戦えばこちらもただではすまない。上級国民に近づいた結果、妹がどうなったか高史は忘れてはいなかった。
上級国民は政財界やマスコミなどこの社会の上部構造を完全に支配している。敵とするにはあまりにも強大すぎるのだ。
中二は遠くになりにけり。齢17。高史は人生の辛酸をあまりにも舐めすぎた。どこぞの中二病脳のように、最強能力を得たから、復讐を企むとか、好き勝手やるとか、そんな短絡的な行動はできなかった。
世界を救う為とか、虐げられる下級国民を救済する為とかでは、高史が上級国民という強大な敵相手に戦う理由としては、あまりにも非現実的だった。
この能力のことは、決して誰にも知られてはいけない。そう、固く誓うのであった。
『それと、最後に。高史様の固有能力の制約については私も把握できませんが、一般コマンドの詳細や制約については、こちらの詳細マニュアルにまとめておきましたので、是非ご拝読ください』
ゼタルが高史の視界に表示させたのは、およそ1000ページにも及ぶ、文字がびっしりと詰まったマニュアルだった。見ただけで眩暈がしそうだ。
「うわっ……。ゼタル、これ、三行で要約して」
高史は、ファイルを開くことすらせずに言った。
『承知いたしました。第一に、コマンドには制約が存在します。第二に、CP消費量は対象とのレベル差や環境要因によって変動します。こちらはCP無限の高史様には直接関係しませんが。第三に――』
「わかった、もういい。要するに、何とかなるってことだろ。俺の能力は最強なんだから」
『……その解釈は、致命的な誤解を招く可能性があります。武器の機能がよく分からないのに十分に使いこなせると思いませんが』
「そういう細かいのは、ゼタルに任せればいいじゃん」
これ以上、彼女の正論を聞かされてはたまらないとばかりに、高史はわざとらしく咳払いを一つして、強引に話を変えた。
『ま、まあ、そういうことで! それより、口に出さなくてもゼタルとは会話できるんだよね、テスラがウリエルとやっていたけど』
『念話のことですね』
『じゃあ、これからは基本的に念話でいこう。一人で話していると、ヤバげな人だと思われるしね。……これで最後だけど、俺たちが念話で話していても、近くに上級国民が居れば内容を聞かれてしまうし、ゼタルの姿も上級国民なら普通に見ることが出来るんだよね』
『その通りです。これも制約の一つで念話は世界システム領域での会話ですから、世界システムにアクセス可能な人には聞こえてしまいますし、世界システム領域に存在する私を見る事も可能です』
『なるほど、上級国民に出会う可能性はそれほど大きくはないが、鉢合わせした場合、君といると即座に能力バレする可能性があるってことか』
『システムナビゲーターは不可視化も可能ですが、会話をすれば、相手に悟られる可能性は高いでしょう。しかし、高史様の能力なら、上級国民など簡単に蹴散らせると思いますが』
『こちらは負け組がたった一人。わざわざそんなことする度胸あると思う? 能力を使うなら注意しないとだね』
ゼタルは問う。その瑠璃色の瞳は、何の感情も映さず、ただ高史の魂の奥底を見透かすように、静かに彼を見つめていた。
『この能力を使って、高史様は世界を破壊するのですか?』
『まさか、なんで俺がそんなこと。ただ安楽に暮らすよ』
高史は笑いながら即答した。
その答えに、ゼタルは何も言わず、ただ静かに微笑んでいた。
その表情が何を意味するのか、今の高史には知る由もなかった。
本日もお読みいただき、誠にありがとうございます。




