第5話:反撃の狼煙と絶対収奪
奇妙な状況だった。いや、奇妙という言葉では到底生ぬるい。
腹を抉られたはずの灼熱の痛みは嘘のように消え去り、代わりに今まで経験したことのない全能感が、血管を駆け巡る血液のように全身に行き渡っていく。
今まで脳髄にこびりついていた不快なノイズは、完全にクリアな音声へと変わっていた。世界から一枚の汚れたフィルターが剥がされたように、あらゆる情報が鮮明に、立体的に流れ込んでくる。
そして、目の前には、夜の闇よりも深い漆黒を背景にした半透明のウィンドウが、静かに浮かんでいた。まるでSF映画のワンシーンだ。そこに表示された幾何学的な文字列が、この現象の正体を告げていた。
『世界システムv0.87β』
「……なんだ、これ」
呆然と呟く高史の背後に、ふわりと柔らかな気配が立った。香水とも違う、どこか無機質で清らかな香り。振り返るまでもなく、そこに“居る”ことが分かった。
彼の背後に立つ少女は、闇に溶け込みそうな純白の肌を持ち、まるで月の光を纏ったかのように仄かに輝いていた。その顔立ちは、この世の全ての美を集約したかのような、まさに神が創造した奇跡と呼ぶに相応しい。黄金比すら超越した完璧な造形は、見る者の魂を奪い、時間の流れを忘れさせる。そして、その神秘的な美貌の中心に据えられた、夜明けの空を映したかのような瑠璃色の瞳。深遠な輝きを宿したその瞳は、感情を一切映さず、ただ静かに、世界の摂理を見通すかのように高史を見つめていた。彼女の存在そのものが、この不穏な空間に、張り詰めた、しかし抗いがたい神秘の帳を下ろしていた。
「君は、一体……」
『私はゼタル。高史様のシステムナビゲーターです』
鈴を振るような、しかし感情の温度を感じさせない声だった。
その言葉を遮るように、甲高い声が響き渡る。テスラの傍らに立つ少女、ウリエルが高史とゼタルを交互に指さしながら叫んだ。
『絶対おかしいよ! データベースに未登録のナビゲーターなんて! 君なんかボクは知らない!』その声には純粋な驚愕と、自らのテリトリーを侵されたかのような苛立ちが滲んでいる。『そもそも、こんなボロ切れみたいな下級国民に、意識を持ったナビゲーターが仕えるなんて、システムの根幹に関わるバグじゃないか!』
『ウリエル。世界システムには、あなたの知らない部分が存在するというだけです』
ゼタルは表情一つ変えずに淡々と返す。その静けさが、ウリエルの怒りの炎に油を注いだ。
『ボクが知らないですって? この最高位ナビゲーターであるボクが知らない領域なんてあるはずない! それに、その男のレベルもおかしい! 下級国民の初期レベルは1のはず! なのに、いきなりレベル99って……そんなの、チートっていうか、ルール違反にもほどがある!』
『鑑定《真理の魔眼》、発動』
ゼタルが涼やかに呟くと、高史の目の前のウィンドウに、彼とテスラの詳細なステータスが並んで表示された。光の粒子が凝縮して文字を形作る様は、幻想的ですらあった。
名前:上田高史
LV:99
HP:9999
CP:∞
種族:下級国民
称号:クズ、借金王、素寒貧、憤怒
ドル:-100000
固有スキル:無イベント発動《前提条件無視》、イベント創作《運命創造》、同志覚醒《反逆の系譜》、鑑定《真理の魔眼》、偽装《虚構の仮面》
名前:メロン・テスラ
LV:45
HP:980
CP:250
種族:上級国民
称号:賞賛される起業家、富豪
ドル:10000000000
固有スキル:起業、世渡り、金運
ステータス:余命3日
「レベル……99……?」
自分のステータスを見て、高史は息を呑んだ。「称号」の欄に並んだ惨めな単語の羅列には自嘲の笑みが浮かんだが、それ以外の項目は、明らかに異常だった。特にCPの『∞』という記号が、この力が規格外のものであることを示唆している。
高史のレベルは99。対するテスラは45。圧倒的じゃないか。
訳は分からない。何がどうしてこうなったのか、まるで理解できない。だが、やるべきことは一つだけだ。さっきまで自分を虫ケラのように殺そうとした男が、目の前で狼狽えている。この好機を逃す手はない。
「ねえ、君……ゼタル」高史は震える唇で、目の前の現実に語りかける。「……収奪、テスラの……有り金すべて……なんてね」
まだ半信半疑だった。おそるおそる、冗談めかして口にしてみる。
『かしこまりました高史様。テスラのお金を全て取得します』
ゼタルが静かに頷くと、テスラのステータスウィンドウに表示されていた『ドル:10000000000』の数字が、目にもとまらぬ速さで回転し始めた。まるでデジタルスロットが狂ったように数字が流れ落ち、高史のステータスへと注ぎ込まれていく。
「バカ、やめろ、俺の金が! 俺の築き上げてきた富が! 俺の金を吸い取るなァァァ!」
テスラの絶叫がBGMのように響く中、奴のステータスから天文学的な数字のドルがみるみる減っていく。そして、ほんの数秒で、無慈悲に『0』になった。
「またイベント省略だと……!? 資産譲渡のイベントフラグを一切立てていないのに、なぜ……そんな、馬鹿な!」
テスラはガクリと膝をつき、両手で頭を抱えた。その絶望に染まった顔。そうだ、その顔だ。さっきまで俺が、そして俺のような下級国民が、お前たち上級国民の前で浮かべてきた顔だ。
ざまぁみろ。今度は、お前が味わう番だ。
高史の心に、黒く冷たい歓喜が湧き上がる。
「ゼタル。追撃だ。収奪、テスラのアイテム、全部だ」
『かしこまりました。全てのアイテムを取得します』
「ふざけるな! 俺が起業して、血の滲むような……いや、チートを使って積み上げてきたものだぞ! プライベートジェットの鍵も! カリブの島の権利書も! 俺のコレクションが! その成果を何のイベントもこなしていない奴が、こんなに簡単に奪うというのか!」
テスラの抗議など知ったことか。彼のアイテムリストから、まばゆい光を放つアイコンが次々と消え、高史のリストへと転送されていく。
『テスラ、こいつの能力ヤバすぎるよ! 規格外すぎる! 早くなんとかしないと、こっちが負けちゃう!』
ウリエルが引きつった顔で叫ぶが、もう遅い。高史は、完全に主導権を握っていた。
「テスラ。お前ら上級国民は何も分かってねえ。下級国民だって心臓が動いてて、血が流れてて、生きてんだよ。さっきはよくも殺そうとしてくれたな。もう、お前の好きにはさせない」
「ふざけるなよ! こんなことをしてただで済むと思っているのか! 政財界、マスコミと社会の中枢を占める上級国民すべてを敵に回すことになるのだぞ!」
「なら、俺の能力を知るお前には今すぐに死んでもらうさ。永遠にその口を閉じろ! そうすれば、名もない下級国民の俺の事なんか、上級国民は誰一人気にしない。それがお前たちのやり方じゃないか!」
高史は冷酷に言い放つ。死の淵を覗いた彼は、もう昔の甘い彼じゃない。奪われるだけの人生は、もう終わりだ。これからは、奪う側になる。
「収奪、腎臓。収奪、肝臓。収奪、心臓」
『かしこまりました。生体アイテムを取得しアイテム庫に送ります』
「原因は飛び降り自殺による全臓器損傷にでもしてやる。お前たちが俺にしたのと同じようにな! 下級国民の怒りを思い知るがいい!」
『かしこまりました。原因は飛び降り自殺ですね。固有スキル:|イベント創作《運命創造》を発動します』
「ま、待て! 待てよ貴様! 俺様に自殺の《絶対運命》だと!? いや、すみません! 助けろ! ごめんなさい、誰にも言わないから、助けて下さい! 金ならまた稼ぐから!」
みっともなく命乞いをするテスラの体が、本人の意思とは裏腹に、まるで糸で引かれる操り人形のように窓際へ向かっていく。
「下級国民が同じことを言ったとき、今までお前は助けたのか? 妹が殺された時、お前たち上級国民は誰か助けてくれたのか? ……ああ、そうそう。俺は親切だからな、窓から落ちたらお前の臓器は返しておいてやるよ。自殺死体に内臓がなかったら、お前たちの仲間が怪しむからね」
『テスラ、なんか相手が悪かったみたい。残念だけど、ゲームオーバーだよ、じゃあね、バイバイ~』
ウリエルは薄情にもそう言い残し、光の粒子となって姿を消した。
テスラは自らの手で窓ガラスを叩き割り、その顔に絶望と恐怖を刻み付けたまま……夜の闇に消えていった。
ガシャーン!という派手な音の残響が消えると、下衆な上級国民が一人、この世から消えた。
部屋には、割れた窓から吹き込む晩秋の冷たい夜風と、耳が痛くなるほどの絶対的な静寂だけが残された。床に散らばったガラスの破片が、街のネオンを反射してきらきらと輝いている。
高史はゆっくりと窓に近づき、眼下に広がる宝石のような東京の夜景を見下ろす。数時間前まで自分をゴミのように見下ろしていた世界が、今、一気に彼の足元にひれ伏している。
手に入れたこの力は、一体何なのか。
これから自分はどうなるのか。
分からない。だが、一つだけ確かなことがある。
もう二度と、誰にも奪わせはしない。
彼の口元に、自覚のない獰猛な笑みが、ゆっくりと浮かび上がった。
もしこの物語の始まりに少しでもワクワクしていただけましたら、ぜひこのタイミングで、ブックマーク登録や、画面下の【★★★★★】での応援をいただけますと幸いです。
皆様からいただいた応援が、明日からの執筆の何よりの力になります。




