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第4話:神々の遊戯と覚醒の刻

深夜の東京セレブリティホテル。

西新宿の摩天楼の中でも、ひときわ高く、そして冷たく聳え立つその建物は、まるで巨大な墓標のようだった。高史が坂本から渡されたスーツケースを引きずりながら足を踏み入れると、豪華絢爛なロビーには人の気配が全くなかった。大理石の床に響くのは、自分の安物のスニーカーの音だけ。全ての音が吸い込まれていくような、不気味な静寂が満ちていた。


指定された2021号室の前に立ち、高史は一度だけ、唾を飲み込んだ。心臓が、肋骨を内側から激しく叩いている。今からでも逃げ出すべきではないか。そんな考えが脳裏をよぎるが、あの契約書の文面が、彼の足に鉛の枷を嵌めていた。


意を決して、重厚なマホガニーの扉を開ける。

中は、完全な闇だった。光一つない、底なしの暗闇が、まるで生き物のように彼を招き入れている。


ジジジ……ジジジ……。


部屋に足を踏み入れた途端、脳内のあの忌まわしいノイズが、これまでとは比較にならないほど激しくなった。まるで、この暗闇そのものが、ノイズの発生源であるかのように。


「暗くてすまない。我々がこうして会っていることを、誰にも知られたくないんだ。私がここに居ることも、君がここに来たこともね。これは、そういうイベントなんだよ」


闇の奥、最高級の革張りソファに沈み込んだ人影から、完璧で、流暢な日本語が聞こえた。その声には、生まれながらにして他者を支配することに慣れきった者の、絶対的な余裕が滲み出ている。

高史は、ニュースで何度もその顔を見たことがあった。世界的起業家、メロン・テスラ。本物の、最上位に君臨する上級国民(アッパー)だ。


「君は……そう、上田高史くんだね? よく来てくれた。待っていたよ」


「どうして、俺なんかを……」

高史の声は、自分でも情けないほどに震えていた。


「君は、上級国民(アッパー)になりたいそうだね。素晴らしい夢だ。では聞くが、その条件というものを、君は知っているかね?」


「そりゃ……親が金持ちで、才能があって、努力ができて、運が良くて……いい大学、いい会社に行けるような人だろ。俺には、その全てが無い」


「そうか。全て不正解だ。まあ、いい」

テスラは、まるで出来の悪い生徒を諭す教師のように、ゆっくりと立ち上がり、闇の中から近づいてくる。その一歩一歩が、高史の心を圧迫する。


「“才能”は英語で“ギフト”と言う。誰からの贈り物だと思うかね? 西欧文明の文脈から言えば、神だろうがね」


「神……だって?」


「高史くん、君は“人間原理”という言葉を知っているかね?」


「いや、聞いたことがない」


「この宇宙は、偶然とは思えないほど、我々人類に都合よく出来ている。まるで、人間という観測者を生み出す為だけに、この世界が作られたかのようだ。そうは思わないかね?」


「だから、神様が存在するとでも言いたいのか?」


「物理学者たちは、多宇宙、いわゆるマルチバースが存在するのならば、神など居なくても、確率的に我々に都合の良い宇宙は存在しうると考えた。だがね、私からすれば、その人間原理すら間違っている。本当は、“上級国民(アッパー)原理”なのだよ。君たち下級国民(アンダー)など、我々という主役を取り巻く、ただの舞台装置であり、環境に過ぎないのさ」


「それって、一体どういう意味……」


「理解できなくて当然か。君たちと我々は、種として全く異なる存在なのだから。上級国民(アッパー)は皆、生まれながらにして持っているのさ。自分が、この世界の神である、という絶対的な意識をね」


「……あなた達が、神だって?」


「そうさ。さて、下らない哲学談義はここまでにして、さっさとイベントを済ませてしまおう。そのために、このホテルを丸ごと借り切り、わざわざ人払いまでしているのだからな」


テスラがそう言って、心の中で『ゲット』と呟いた瞬間、高史の頭の中のノイズが、断末魔のような悲鳴を上げた。


ガガガガガガ……ビビッ!


そして、ノイズは、突如としてクリアな若い女の音声へと変わった。


『生体アイテム“腎臓”、“肝臓”、“すい臓”。適合を確認。提供者の寿命は0となります。実行しますか?』


その声は、高史の脳内に、直接響き渡っていた。

何が起こっているのか理解できない高史の前で、テスラが、まるでレストランでメニューを注文するかのように、こくりと頷いた。


その瞬間――。


高史の腹部に、灼熱のドリルで抉られるような、想像を絶する激痛が走った。


「ぐっ……あ、がっ……!?」


声にならない悲鳴を上げ、彼は床に崩れ落ちる。腹からは、おびただしい量の血が溢れ出し、一瞬にして、高級ホテルの分厚い絨毯を、おぞましい赤黒い色に汚していく。視界の端に、RPGのステータス画面のような、半透明のウィンドウが明滅していた。


『アイテム取得完了。提供者のステータス、重症。まもなく死亡。イベント定義に従い、飛び降り自殺のシークエンスに移行します』


なんだ、これ……。

朦朧とする意識の中、高史は見た。テスラの背後に、いつの間にか一人の少女が立っているのを。頭の中の、あの機械的な声の主。その少女は、無感情な瞳で、血の海に沈む高史を見下ろしている。


『自殺による高史の死亡。これでイベントは全て終了だな』

『はい。完璧です、テスラ様。彼の死亡によって、本イベントは滞りなく終了となります』


その声は、高史の脳内に直接響いていた。だが、テスラも、背後の少女も、唇一つ動かしてはいない。声なき会話が、二人の間で交わされている。そして、その内容が、なぜか、高史にははっきりと聞こえた。


「ちょ……ちょっと待て……お前ら、一体、何を話している……!」

高史は、口から血反吐を吐きながら叫ぶ。


「自殺……? イベント、終了……? ふざけるな……! お前らが……俺の内臓を、奪ったのか……?」


「まさか……お前には聞こえているのか? 我々の念話が。見えるのか、ウリエルが?」

テスラは一瞬驚いたが、すぐに、虫ケラを見るような嘲笑を浮かべた。


「やはり、ただの下級国民(アンダー)! ウリエル、なぜ奴に我々の念話が聞こえている! おかしいぞ!」

『最高位のアクセス制限がかかっており、私にも原因は分かりかねます』


「そんな馬鹿な話が……」


「助けて……くれ……。死ぬ……」


「まあ、もう虫の息か。お前の内臓は、この私の中で、有効に活用させてもらう。安心して死ぬがいい。イベントの強制力、《絶対運命》によって、もうすぐ、お前の意思とは無関係に、窓から飛び降りたくなるはずだからな! 手向けとして、病に蝕まれた、私の壊れた内臓をくれてやるぞ」


死ぬ。

また、奪われるだけなのか。妹のように。理不尽に、一方的に。

こんな結末、納得できるか!


(ちきしょう……こんな世界、何もかも……全部、爆破してやりたい!)


意識が、闇の底へと遠のいていく中、死んだはずの妹の声が、聞こえた気がした。


『‥‥ちゃん‥‥お兄ちゃ‥‥ 力をあげる。上級国民すらも凌駕する異なるの世界の力を。これは、その世界全てを破壊しうる力‥‥ 力で魂の牢獄から抜け出し私に会いに来て。さぁ、覚醒の時は今‥‥』


そして、もう一つ、凛とした、どこか機械的な声が響く。


『高史……。さぁ、早く、コマンドを……』


誰でもいい。神でも、悪魔でも。この理不尽を覆せるなら、俺の魂だってくれてやる!


「頼む……! 奴から、俺の内臓を……収奪(うばいかえ)してくれッ!」


血反吐を吐きながら、高史は、最後の力を振り絞って、そう叫んだ。


『――かしこまりました。生体アイテム“腎臓”、“肝臓”、“すい臓”。適合するアイテムです。寿命がプラス60年……。アイテム提供者の寿命が0となります。実行しますか?』


高史は、朦朧とする意識の中で、こくりと頷いた。

その途端、腹部の痛みは嘘のように消え去り、代わりに、経験したことのない全能感が、彼の全身を駆け巡った。


逆に、目の前では、テスラが腹を押さえ、苦悶の表情で床に崩れ落ちた。


「なぜだ! 下級国民(アンダー)のお前が、この私から収奪(ゲット)だと!? そんな馬鹿な話が……あってたまるか!」


テスラはわめき散らし、自らのアイテムウィンドウを開く。


『アイテム、壊れた肝臓、腎臓、すい臓を装備します。使用期限は3日間となっています』


「我々、上級国民(アッパー)はこの世界の主人公なのだ! 舞台装置の分際で、主役に逆らうな! ウリエル! もう一度、奴の内臓をゲットしろ!」


「ふざけるな! ゲットを、認めるな!」


高史もまた、同時に叫ぶ。


『だめだよ、テスラ、できないよ! それに、私のイベント実行の邪魔をする、そこのお前は、誰だ!』


ウリエルの鋭い視線の先、高史の背後にも、いつの間にか、もう一人の少女が立っていた。ウリエルとは違う、どこか儚げで、そして、神々しいほどの美しさを湛えた少女が。


『答える義務はありません。レベル差により、高史様のコマンドを優先実行します』


「私より、この下級国民(アンダー)のコマンドが有効だと!? どうなっている! 私は、ちゃんと“借金のカタに臓器”イベントをこなして、高史の臓器という、適合する生体アイテムを手に入れたはずだぞ!」


テスラは、納得がいかないらしく、怒鳴りながら近くにあった最高級のマホガニー材のテーブルを蹴り倒した。

だが、その行動も、敗者の遠吠えにしか聞こえなかった。

世界の理が、今、この瞬間、逆転したのだ

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