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第18話:不自然な空白

雲が低くまで垂れ込み、西新宿の高層ビル群の上層階が、まるで灰色の海に沈んでいるかのように霞んでいた。今にも泣き出しそうな空模様は、この事件の先の見えない様相を映しているかのようだった。

白石さくらが乗ったKHK(国営放送)の黒塗りの社用車が、渋谷から新宿へと滑るように都道を走ってゆく。革張りのシートの匂いと、静かな空調の音だけが支配する車内で、彼女はここ最近、日本に来てからのメロン・テスラの行動を追っていた。


『ジーク、警察発表の資料をもう一度表示して。テスラがホテルで大規模な人払いをしていたこと、当日はフロア全体の監視カメラも意図的に停止されていたようね』

さくらは、空中に投影された半透明のウィンドウを指でなぞりながら、ナビゲーターに念話で語りかける。


『はい、お嬢様。彼が情報を完全に遮断して上級国民(アッパー)イベントを実施していたことは明らかかと存じます』


上級国民(アッパー)であっても、基本的に一般の官憲と不用意に対立することは望まない。だからこそ、何かを行うには秘密裏に事を進めるのが定石だった。テスラの行動は、余計な証拠を残さないための、恐らくはイベントで規定された完璧な人払いだったのだろう。そして皮肉なことに、今となってはそれが真相究明を阻む最大の壁となっていた。


『資料によれば、確かにテスラには重い内臓疾患があり、余命も短かった。自殺の動機自体は存在するように見えるわ。でも、彼は上級国民(アッパー)なのよ』


『一般警察の報告書ですから、内臓疾患を苦にしての自殺と結論付けても不思議はございません。ですが、確かに我々からすれば、別の可能性を考えてしまいます』


『そうなのよ。本当は、己の臓器を交換するために上級国民(アッパー)イベントを開催した。けれど、何らかのトラブルによって失敗し、テスラは逆に殺害された……。これが真相なのではないかって』

さくらは、自身の推理を口にした。


『この疑惑は、上級国民(アッパー)であれば誰もが抱くことでしょう。おそらく、機関(チェンバー)など上級国民(アッパー)を対象とした非公然捜査機関も同様の調査をしたと思われますが、それでも自殺以外の物証が出てきたという話は聞きません。これを覆すのは、かなり難しいのではないでしょうか』

ジークの言葉は、冷静で的確だった。だが、さくらの胸には、拭い去れない違和感が渦巻いていた。


(そうなのよ。そこがおかしいの。あれだけの大物が不審死を遂げているというのに、まるでイベントの強制力が今も働いているかのように、世界システム(ウヌス・ムンドゥス)そのものが「テスラは自殺したのだ」と、世界に嘘をつき続けているような……そんな気さえするわ)


『お嬢様、到着いたしました。ここが事件現場となった、東京セレブリティホテルです』


さくらは車を降りると、背筋を伸ばしてホテルのエントランスへと向かった。ロビーは、世界中から集まったインバウンド客でごった返している。その喧騒の中、さくらは静かに固有スキルを発動した。

万象解読(アカシック・レコード)、起動)

彼女の視界に、常人には見えない情報のレイヤーが重なる。ほとんどが一般人であったが、中には同業者らしきジャーナリストや、CIA、FSBなど各国の諜報機関関係者と思われる者たちが、客を装って潜んでいるのが見て取れた。


『みんな考えることは一緒ね。あのメールが送られてきた後だもの』


『そのようです。さながら、諜報機関の見本市といったところでしょうか』

ジークの軽口に、さくらは小さく微笑んだ。


さくらはジークに基本的な調査を命じると、自らは辺りを見渡し、いかにも怪しげな人物たちの動向を観察していた。そうしていると、ふいに目が合った一人が、人混みを避けるようにして近づいてきて、話しかけてきた。


「やあ、白石のお嬢様。貴女まで、この事件に興味をお持ちですか?」


念話ではなく、ごく普通に日本語で話しかけてきた男。年のころは四十代後半。頭頂部の毛が少し薄くなっている、くたびれたスーツ姿の中年だった。相手のステータスを見ると、種族こそ上級国民(アッパー)ではあるものの、彼らが当然のように纏っているはずの煌びやかさや傲慢さが全く感じられない。まるで、霞を食べて生きているかのような、不思議なほど存在感の希薄な男だった。

ステータスに表示されている名前は、有末三三(ありすえさんぞう)


「失礼ですが、どちらさまでしょうか?」


「お父上の知り合いでしてな。私も、こうして調査をしているわけでして」

そう言うと、彼は名刺を取り出し、さくらに手渡した。


機関(チェンバー) 第2調査部 テスラ事件特別捜査室 室長、有末様でいらっしゃいますか」


「我々ですら、一度は自殺だと結論付けたのですが、あのようなメールがやってきては、再調査しないわけにはいかないわけでして」


「そうですか。それで、私に何か御用でも?」


「我々機関(チェンバー)は、上級国民(アッパー)の安全と利権を守ることを最大の使命としております。故に、“福祉局員”の言説には重大な関心をもっている。そこで、マスコミ関係者の方々にも、今回の事件に関する情報提供のご協力をお願いしてまわっているところでして」


「私は、まだ調査を始めたばかりですの。残念ながら、有益な情報は何も」


「では、機関(チェンバー)がこれまで収集した情報をご提供しましょう。今後、貴女が動かれる上で、大変役に立つものだと確信しております。ただし、これは上級国民(アッパー)に関わる機密情報。報道はご遠慮いただきたい。よろしいですかな?」


彼の申し出は、あまりにも都合が良すぎた。だが、さくらは迷わなかった。

「ええ、かまいませんわ」



ロビーの喧騒を離れ、ラウンジの喫茶店に移動し、有末とさくらはテーブルを挟んで向かい合わせに座った。生演奏のピアノの旋律が、穏やかに流れている。


「では、お話しする前に、少しだけ」

さくらはそう言うと、固有スキルを発動させた。ここは公の場。たとえ機関(チェンバー)の調査官が相手でも、不用意な盗み聞きは避けなければならない。

静寂の聖域サイレント・サンクチュアリ

彼女の意思に応じ、周囲の音だけを遮断する不可視の結界が、二人のテーブルを包み込む。先ほどまで聞こえていたピアノの旋律や隣のテーブルの話し声が、まるで分厚い壁に隔てられたかのように完全に消え失せ、完璧な静寂が訪れた。この結界内での会話が、外部に漏れることはない。


「これで少しは話しやすくなりましたわ。さぁ、有末様の情報を教えていただけますか?」


「ほう、これはこれは。ある種の結界ですか。お嬢様は素晴らしいスキルをお持ちですな」


「私の取材ポリシーなの。重要な情報源の秘密は、絶対に守らなければならないと。でも、気休めですわ。世界システム(ウヌス・ムンドゥス)そのものを遮断できるわけではありませんから」


有末は感心したように頷くと、コーヒーを一口すすり、自らの世界システム(ウヌス・ムンドゥス)ウィンドウをさくらにだけ見えるように展開した。


「まずホテルの監視カメラですが、ほら、タイムスタンプが21時ちょうどで映像が切れている。これが復帰するのが翌朝の5時。テスラ氏の死亡推定時刻は午前0時頃。事件当夜の映像は全く残っておりません。状況から、テスラ氏が極秘裏に上級国民(アッパー)イベントを開いたと見て、グランドマスターリストを調べたところ、“自殺への道”というイベントの実行者リストに、彼の名前が登録されておりました」


有末は、テスラの名前が記されたリストを指し示した。


「しかし、我々の疑問は、臓器疾患を苦にしているなら、なぜ“借金のカタに臓器”など、もっと適切なイベントを選択しなかったのか、という点です」


「確かに。上級国民(アッパー)なら、臓器不全程度はイベントで克服できるはずですわ」


「そして、ここを見てください」

有末は、別のイベントリストを指し示す。

「“自殺への道”イベントの登録日は、テスラ氏の自殺当日。そしてもう一つ、“借金のカタに臓器”の実行者リストの部分ですが……なぜか、奇妙な空白が存在するのです」


そこには、明らかにデータが欠損したかのような、不自然な空白があった。


「この空白は、我々も当初から奇妙に感じていました。ですが、世界システム(ウヌス・ムンドゥス)は絶対です。システムにそう登録されている以上、テスラ氏は、たまたま当日に“自殺への道”を実行したのだと、一度は調査を終了したのです」


「実行イベントが自殺である以上、その強制力もありますしね。しかし、あの“福祉局員”のメールが来た……」


「その通りです。そこで、空白部分の前後の登録者に聞き込みを行った結果、テスラの訪日日程から考えて、彼がもし“借金のカタに臓器”に登録したとすれば、ちょうどこの空白のあたりであろうことが判明しました」


「つまり、テスラは本来“借金のカタに臓器”に登録していたが、リストから消され、何者かに“自殺への道”を強要された……。でも、登録者リストにこのような空白ができるなんて、そんなバグ、私も見たことがありませんわ」


「ええ。世界システム(ウヌス・ムンドゥス)が間違うなど、基本的にはあり得ない。まるで、システムの根幹を揺るがすような、強大な力が働いたとでも考えない限り……」


さくらの脳裏に、再び“新たなる神”という言葉がよぎった。


「ちなみに、テスラ氏の莫大な遺産は? メールには奪われたとありましたが」


「じつは、金銭方面は最初からほとんど調査していないんですよ。無駄ですからね」


「そうでしたわね……世界システム(ウヌス・ムンドゥス)の匿名金融システム」


「ええ。上級国民(アッパー)が圧倒的な力を持つのは、コマンドやイベントだけでなく、このシステムによる匿名の金融網が存在するからです。近年それを真似て下級国民(アンダー)でも使える暗号資産なるものが実用化されたりしていますが、あのような不完全なものではなく、世界システム(ウヌス・ムンドゥス)を使えば、盗んだ金であろうが、脱税した金であろうが、我々のような公安組織すらも追跡は不可能です。神出鬼没の資金だから、世間ではM資金などと揶揄されているようですがね」

有末は続ける。

「事実、テスラ氏の財産は一部換金され、電気自動車メーカーはすでに別の所有者が持ち、ネット企業は世界システム(ウヌス・ムンドゥス)代理人(ノミニー)役員となっているようで、本当の所有者が把握できません。深層を流れるこの秘密の金融は、我々のような仕事にとっては永遠の頭痛の種でして。協定破りで莫大な金が盗まれても、そこからは足取りが追えないのです」


「では、機関(チェンバー)の情報としては、ここで打ち止めですの?」

さくらは、情報の続きを促すように有末を見つめた。


そのまっすぐな視線を受けて、有末は初めて、かすかに口元を緩めた。

「いえいえ、協定を破る“福祉局員”のような輩は、あくまで稀なのです。それは、協定を破れば、我々機関(チェンバー)が必ず制裁を加えるから。金の流れが追えなくても、我々はどんな手段を使っても相手を調べ上げます。そして、“借金のカタに臓器”のサポート法人を調べたところ、黒帝金融という会社で、非常に興味深い事実を突き止めました。お嬢様は、この会社をご存じですかな?」


「何かと悪い噂の絶えない会社だとは聞いていますわ。それで、その興味深い事実とは?」

さくらの脳裏に、過去の取材記録が瞬時に蘇る。黒帝金融は、数年前にあった法定金利を巡る裁判に負け、過払い金請求によって債務超過寸前に陥っていた独立系の金融機関を、黒帝グループが買収して傘下に入れたものだ。今でもテレビでは過払い金関係のCMを見かけるし、KHK(国営放送)でも、債務者に対する非道な扱いを糾弾すべく大きく報道したことを、さくらは覚えていた。


「我々は、黒帝金融新宿支店に勤める坂本という、このイベントの担当者までは突き止めたのですが……その男が、テスラの事件直後から、完全に行方をくらませているのです」


「……偶然とは思えない、失踪のタイミングですわね」


「ええ。この坂本ですが、まるでプロの工作員も舌を巻くほど、鮮やかな消えっぷりでしてね。関連情報を全て廃棄の上、PCデータは復元不能。交友関係も希薄で、まるで最初から存在しなかったかのようです。我々も、この男を第一級の参考人として行方を追っている次第です」


「イベントの担当者、坂本の失踪……。確かに、とても興味深いお話ですわ」


「はい。戸籍や履歴書も調べましたが、どこにでもいる下級国民(アンダー)のサラリーマンという経歴でした。ただ……」

有末は、わずかに声を潜めた。

「あまりの平凡さに、どうにも、私と同類のような“臭い”を感じるのです。これは、あくまで私の勘ですがね」


「……ありがとうございます、有末さん。大変参考になりましたわ」


さくらはスキルを解除すると、有末に礼を言い、情報収集を終えたジークと合流してラウンジを後にした。

黒帝金融、そして、坂本という男。

彼女は、事件の核心へと繋がる、確かな糸口を手に入れた。



さくらが去った後、有末の前に、いつの間にか一人の部下が付いていた。


「よろしいのですか、室長。こちらの情報を、あのお嬢様に漏らして」


「構うものか」

有末は、冷え切ったコーヒーを一口飲んだ。彼の顔からは、人の良さそうなサラリーマンの仮面が剥がれ落ち、冷徹な調査官の貌が覗いていた。


「福祉局員にしろ、坂本にしろ、謎の下級国民(アンダー)にしろ、敵を呼び寄せる“餌”は、目立って大きい方がいいだろう。日本で、白石さくらの名を知らぬ者はいない。その彼女がテスラ事件を嗅ぎまわっていると知れば、必ず、何らかの動きがあるはずだ」


「しかし、彼女も我々と同じ上級国民(アッパー)です。おとり捜査に使うと分かれば、後々、白石大臣が黙ってはいません」


「構いやしない。我々は上級国民(アッパー)“全体”の安全を担っているのであって、一個人の安全を守っているわけではない。今回の事案は、我々の世界の存亡に関わる。その犯人を捕まえるためなら、あのお嬢様一人の犠牲ぐらい、安いものだろう」


有末は、無表情なまま言い放った。

「彼女を監視しろ。ただし、《追跡(トレース)》スキルは使うな。あの女は、気付くぞ」

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