第17話:上級国民のお嬢様
瀟洒な洋館。代々続く政治家一家である白石家の私邸は、畏敬と少しの揶揄を込めて、世間では“本郷御殿”として知られている。その一室、磨き上げられたマホガニーのデスクを挟んで、KHKのトップニュースキャスター・白石さくらは、父であり現外務大臣の白石高城と向き合っていた。壁一面を埋め尽くす蔵書と、重厚な革張りのソファが、この部屋が世界の行く末を左右する談議の場であることを物語っている。
「報道局から聞いた話ですが、上級国民が次々と殺されていて、芸能人の志村拓海まで行方不明というのは、本当の話ですの?」
さくらは、ティーカップをソーサーに静かに戻しながら尋ねた。その所作は完璧に洗練されており、声は夜9時のニュースで国民に語りかける時と寸分違わぬ、冷静で美しいアルトだった。
「局でも彼を最近見かけなくなったので、気になってしまって。……まあ、あんな勘違いな輩が一人いなくなっても、私としてはせいせい致しますけれど」
完璧な微笑みの裏で、彼女は小さく舌を出した。その仕草に気づく者は、ここには誰もいない。
父である高城は、娘の貌を苦々しげに見つめた。
「……情報がもう流れているのか。さすがのマスコミ嗅覚というべきか」
「TV局なんて上級国民の巣窟ですもの。当然、政府が口止めしても、水面下では噂が流れていますわ。それに、例のメールもありますし」
「そうか……」
「お父様は、何かご存知なのではないですか? 外務大臣ともなれば、内閣調査室からの情報も入っているはずですわ」
「……まだ全容は見えん。だが、内調や陸自の別班はもちろん、あの調停組織“機関”が動いているそうだ」
「あの機関が?」
さくらの眉が、わずかに動いた。
「そうだ。政府内も非常に騒がしくなってきている。外交ルートを通じて米国政府、おそらくはCIAだろうが、捜査への参加を打診してきている。テスラの“自殺”が、やはり疑わしいと。非公式ながら、FSBや国家安全部のエージェントにも、国内での不審な動きがあるとの報告もある」
「それら全てが、あの“福祉局員”を名乗るメールから始まった、ということですの?」
「真相はまだわからん。ただ、何者かがコマンドを使い、この日本で密かに上級国民を消し去っているのは、疑いようのない事実だろう」
各国の諜報機関が水面下で激しく動き始めているというのに、当事国政府の要職である外務大臣でさえ、まだ事の詳細は掴み切れていない。しかし、何者かが上級国民を組織的に抹殺しているのは確かなのだろう。そして、まるで神隠しのように証拠を残さない手口から、殺害の実行手段に“存在抹消”コマンドが使用されているであろうことは、上級国民であれば誰でも容易に想像がつく話だった。
「下級国民がそれを行なっているという、あのメールの内容は本当なのでしょうか?」
「さあな」
「上級国民を凌駕する力を持つ下級国民……。そんな存在が、にわには信じられませんわ。ですが、上級国民が協定を破ってまで、こんな凶行に及ぶのも、理屈には合わない話です」
さくらの疑問は、上級国民としては当然のものだった。
彼らは、その強すぎるチート能力でお互いを潰し合い、共倒れになることを防ぐため、不可侵の協定を結んでいた。その筆頭が、上級国民に対する“存在抹消”コマンドの原則使用禁止であった。
「まあ、協定を破ったどこかの上級国民が仕掛けてきていると考えるのが、妥当なところだろう。だからこそ機関が動いている。我々は確かに世界の上層構造を協調して支配しているが、互いに覇権を競うライバル同士でもあるからな」
だが、さくらの胸には、もう一つの、常識を覆す可能性が芽生え始めていた。
「お父様。でも、もし、福祉局員の言うことが本当で、そのような下級国民が存在するとしたら……それはもう、下級国民などではなく、上級国民をも超える、この世界の“新たなる神”の到来ということになりませんか?」
「馬鹿なことを言うな。我々上級国民こそが、この世界の神なのだから」
父の言葉は、上級国民が生まれながらにして持つ“神権”思想そのものだった。この世界は自分たちが楽しむためにあり、下級国民はそのための消耗品である、と。
さくらにもその思想は受け継がれている。だが、報道番組で格差問題の取材を進めるうちに、彼女の中で根本的な疑問が芽生えてしまったのだ。
(何故、私は上級国民で、彼らは下級国民なのか? この世界は、私たちにあまりにも優しすぎるのではないか……そして、その優しさに甘えている私たちは、本当に“神”なのだろうか……)
「確かに、常識ではその通りですわ。でも、お父様。私はジャーナリストですから、真実が知りたいのです」
「この件にあまり首を突っ込むな。犯人の目的も分からん。狙われているのは上級国民なのだぞ。お前のような、テレビに出て顔と名前を売っている者が真っ先に狙われても不思議はない」
「自重しますわ。私の王子様に出会う前に、まだ死にたくはありませんもの」
さくらは、いたずらっぽく微笑んで、父親の懸念に答える。
「そうだな。お前に見合うパートナーは、そうはいないだろうからな。儂が首相になったら、ますます困難になってしまうかもしれん」
「はいはい。お父様の基準がこれ以上、上がってはたまりませんわ。でも、私のお相手は自分の基準で決めますから」
「そうか。お前もそのうち出馬するのだろう。知名度からいってトップ当選は間違いないだろうし、とにかく、腰掛のTV局の仕事で危険な事に手を出す必要はない」
父は、娘の未来を当然のように決めつける。
「はいはい。わかっていますわ」
さくらはそう言うと、政治家などにはまるで興味がないとばかりに、優雅な仕草で一礼し、部屋を出て行った。
彼女には、野望があった。自分に見合う、最高の力を持つ存在を見つけ出すという野望が。そのために、ジャーナリストになったと言っても過言ではなかった。
◆
自室に戻った白石さくらは、重厚な扉を閉めると、大きく息を吐いた。父親の前で見せていた完璧な令嬢の仮面を外し、彼女は一人の探求者に戻る。
広々とした天蓋付きのベッドに身を投げ出し、天井のシャンデリアを見つめながら、彼女は“新たなる神”について、思考を巡らせていた。
数か月前、あの志村拓海から、奇妙なメールが送られてきたので調査している、と尋ねられたことがあった。情報通の君は“福祉局員”について何か知らないか、と。当時のさくらは、自分にしつこく言い寄ってくる拓海にうんざりしており、適当にあしらって話を終えていた。
だが、ほんの数日前に自分を含めた全ての上級国民に“福祉局員”からのメールが送られてきた途端、あの時の拓海との会話が、脳裏に鮮明に甦ったのだ。
(理由は不明だけれど、拓海たち一部の上級国民だけに、なぜか先んじてメールが送られていた……。その彼らは、今や行方不明……)
そして、本当に上級国民を超える存在だとしたら。
ジャーナリストとして、是非とも会って話がしてみたい。
それは、彼女の野望に、一歩近づくことでもあった。
(私を殺しに来て下さるのかしら。そうしたら、お話する機会があるのかも知れないわね)
そんな物騒なことを考えながら、くすりと笑う。さくらは、彼女の最も信頼する相棒に語りかけた。
『ねぇ、ジーク。福祉局員のあのメールは、本当のことなのかしら』
『お嬢様。私にはわかりかねます。福祉局員の正体も目的も、依然として不明瞭です』
さくらの傍らの空間が揺らめき、燕尾服を完璧に着こなした、銀髪の青年執事の姿が実体化した。彼女のナビゲーター、ジークだった。
『私の固有スキル、因果追跡でも、メールの送り主は追えないのよね』
『高レベルの秘匿回線で送付されています。残念ながら、お嬢様のスキルをもってしても、発信源の特定は困難かと』
『上級国民を超える能力を持つ下級国民なんて、本当にいるのかしら?』
『世界システムの禁忌に抵触しますので、その問いにはお答えできません』
『もし、その方が“新たなる神”だと言うのなら、私は、ぜひお会いしてみたいものだわ』
『お嬢様は、本当に変わっておいでです。ご自身を殺しに来るかもしれない相手に興味をお持ちになり、会いたいとまでおっしゃるとは』
ジークは、やれやれと肩をすくめてみせた。
『私はね、どんなリスクを冒してでも、私に釣り合う“本物”に出会ってみたいのよ』
『それなら、私がいるではありませんか』
『確かにジークはこの世のものとは思えないほど美形だけど、あなたは人間ではないでしょう?』
さくらは、悪戯っぽく笑いながら、思考を整理し始めた。彼女の瞳が、怜悧な光を宿す。
(福祉局員のメールの通り、最初にテスラが“自殺”に見せかけて殺され、拓海たちは“行方不明”……おそらくは存在抹消コマンドで消されている。だとしたら、なぜ最初の事件だけ、テスラの死体をわざわざ残したのかしら?)
自殺に見せかけて証拠となりうる死体を残すよりも、最初から存在抹消コマンドを使った方が、遥かに合理的ではないだろうか。
なぜ、犯人はそんな非合理な手順を踏んだのか。
この最初の事件の“不自然さ”にこそ、“新たなる神”の秘密が隠されているような気がしてきた。
『ジーク、私の固有スキル、万象解読を起動。対象は、メロン・テスラ死亡事件。関連する全ての公開情報、非公開情報、世界システム上のログを洗い出して』
『御意に、お嬢様』
さくらの瞳が、淡い光を放つ。彼女の脳内に、凄まじい速度で情報が流れ込み、再構築されていく。
無数の情報の奔流の中から、彼女は、たった一つの、しかし決定的な“違和感”を釣り上げた。
(……やはり、調べるべきは、テスラの事件ね)
さくらは、ベッドから優雅に立ち上がると、クローゼットから一着のコートを取り出した。
探求の時は、来た。
ジャーナリスト白石さくらの、華麗なる追跡が、今、始まる。




