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第16話:深淵より来たりて

志村拓海との死闘の後、高史は血の記憶が染みついたあのアパートを引き払った。選んだのは、前の家と同じ新宿にある築浅の変哲もないワンルームマンションだった。異相空間から現実世界に戻した際、コマンドを使って破壊された壁や家具は元通りに修復したが、一度血の海となったあの部屋に戻る気にはなれなかった。いくら存在抹消(デリート)で物理的な痕跡を消し去ったとしても、魂に刻まれた死の臭いは消えない。それに、あの四畳半は、拓海に「くれてやる」と約束した場所なのだから。


新しい部屋は、以前の住処に比べれば天国だった。カビ臭さの代わりに新築特有の匂いがし、共同便所の不快さもなく、なによりも、鍵がしっかりとかかる。たったそれだけのことが、今の高史にとっては得難い安らぎを与えてくれた。

叩き切られたテレビも新調した。ステータス画面から僅かな金額を動かすだけで、最新式の大型有機ELテレビが届く。以前の液晶テレビの実に倍以上あるその巨大な黒い鏡に、高史は自分の姿を映し見た。どこにでもいる、少し痩せた少年。だが、その瞳の奥には、もはや以前の彼を探しても見つけることはできないだろう、深く、昏い光が宿っていた。


電源を入れると、色鮮やかな画面が、まるで別世界の窓のように情報と娯楽を垂れ流し始めた。


『……というわけで、今年の「恋人にしたい女性有名人ランキング」、栄えある第一位は、KHK(国営放送協会)の白石さくらアナウンサーでした!』

『白石アナといえば、KHKの夜9時のニュースでメインキャスターを務めていますが、その清楚かつ知的なイメージで、世代を問わず多くの支持を集めましたね』

『お父様が外務大臣の白石高城氏だというのがまた凄い。まさに、生まれながらのセレブ一家です』


高史は、何の感情もなくその画面を眺めていた。

画面に大写しにされた白石さくら。確かに、非の打ち所のない美人だった。だが、彼の隣に佇む、人間を超越した美を持つゼタルに比べれば、その輝きさえも霞んで見える。

(……こいつも、上級国民(アッパー)か)

ステータスを直接見たわけではないが、疑う余地もなかった。あの完璧な経歴、完璧な容姿、そして画面越しにさえ伝わってくる絶対的な自信。それは、生まれた時から世界の全てが自分のためにあると信じて疑わない者だけが放つことができるオーラだった。

(いずれ、こいつも俺に戦いを挑んでくるのだろうか)


そういえば昔、まだ自分が無力な下級国民(アンダー)だった頃。テレビの中で格差是正を憂う彼女の偽善的な表情を見て、本気でぶん殴ってやりたいと思ったことがあった。

その格差の正体が、世界システム(ウヌス・ムンドゥス)へのアクセス権の有無で決まることを、今の高史は知っている。そして、その禁忌を知ってしまったが故に、自分は全ての上級国民(アッパー)から命を狙われる存在となった。


(そうだ、俺は知っているんだ。誰も知らなかった上級国民(アッパー)の秘密を。この世界が、奴らのためだけに用意された、歪んだ舞台であることを!)


テレビを見ながら、高史の思考が、ゆっくりと、しかし確実に中二病(ダークサイド)へと染まっていく。

第一希望だった安楽な不労生活は、あの“福祉局員”と名乗る何者かによって、始まる前に打ち砕かれた。だが、この新たな生き方も、やってみれば意外と悪くないのかもしれない。


高史の本心を言えば、こんなふざけた世界、もう二度と真面目にやる気がしない、というものだった。

努力も才能も関係ない。生まれながらにして世界システム(ウヌス・ムンドゥス)へのアクセス権があるかどうかで、人生の全てが決まってしまうこんな世界で、そもそも、一体何を真面目にやればいいというのか。彼にはまるで見当もつかなかった。


だから、不労生活の次くらいに、この中二病(ダークサイド)ごっこは、面白かった。

名声や富、人が羨む優れた才能。それら全てを世界システム(ウヌス・ムンドゥス)というチートで手に入れ、さも自分の実力であるかのように振る舞う上級国民(アッパー)たち。そんな偽りの神々を、何の力も持たないはずだった下級国民(アンダー)の俺が、更なる中二病(ダークサイド)の力で奈落の底へ引きずり下ろす。それは、最高のエンターテイメントではないか。


高史の頭脳は、中二病特盛状態で、さらに激しく回転してゆく。

今の俺の力があれば、白石さくらのようなテレビの中の偶像の命運すら、指先一つで左右できるに違いない。拓海のように、上級国民(アッパー)が戦いを挑んでくるなら、全て返り討ちにしてやる。そうして奴らの屍を積み上げていけば、いつか、妹を殺した本当の仇にも辿り着けるはずだ。


これからの戦いに備え、高史は以前から考えていたある計画を実行することにした。それは、中二病(ダークサイド)を極める上で絶対に欠かせない、人知れず闇で暗躍する秘密組織の創設だった。

この世の秘密を秘匿して下級国民(アンダー)を奴隷化し、特権を貪る上級国民(アッパー)に正義の鉄槌を下す謎の組織。法では裁けぬ巨悪を、法に代わって裁く攻性の組織。

今のところ、仲間は最上川と斎藤しかいない。これでは、この世界そのものを牛耳る敵を相手にするには、あまりに心許ない。組織を、急拡大する必要があった。


ジャジャーン、と軽快な着信音が鳴り、高史の世界システム(ウヌス・ムンドゥス)に斎藤からのメールが届いた。それは、彼に調査を依頼していた案件のうちの一つ、反社会勢力に関する調査報告書だった。


高史が、送られてきた報告書を眺めていると、ゼタルが彼に話しかけた。

『高史様、何をしていらっしゃるのですか?』

『ああ、これか。ろくでもない組織の調査報告だよ。優良企業だとトップが上級国民(アッパー)ばかりで、面白くないからな』

『ろくでもない組織、ですか?』

『そう。今から闇に紛れて、その組織のボスの所へ、一人で殴り込みに行こうかとね』

『えっ、今から殴り込みに?』

『とはいっても、ただ組織のボスの所に行って、また帰ってくるだけだけどな』



夜の新宿、歌舞伎町。ネオンの洪水が、欲望と喧騒をぎらぎらと照らし出している。その一角に、周囲の猥雑な雰囲気とは不釣り合いな、重厚な門構えの邸宅があった。指定暴力団(きわみ)会の本部。その最上階、会長室で、(きわみ)清五郎は苦虫を噛み潰したような顔で、分厚い帳簿を睨んでいた。


(きわみ)会は、この新宿を中心とした縄張りを持つ東日本の中堅暴力団である。彼が広域暴力団の組長になりきれないのは、トップである彼が下級国民(アンダー)だからだ。だからこそ、高史はこの男に目を付けた。

斎藤から貰った調査報告書を読んで、高史は組織拡大策の最初のターゲットとすることを決めたのだった。


高史は、新宿にある格安量販店ドンマイダッテで購入した、何の変哲もない白い仮面を装着すると、闇に紛れて邸宅の塀を乗り越えた。

レベル99の高史の身体能力は、オリンピック選手さえも遥かに超えている。彼は、まるで重力を無視するかのように、音もなく壁を駆け上がり、会長室のある三階の窓に到達した。


『ゼタル、頼む』

『かしこまりました』


高史の念話に応じ、ゼタルが物理法則を無視して窓の鍵を通り抜け、内側からクレセント錠をこともなげに開ける。高史は、まるでそよ風のように、音もなく室内へと侵入した。


突然、窓から現れた仮面の男に、極清五郎は驚愕に目を見開いたが、さすがは幾多の修羅場を潜り抜けてきた男。即座にデスクの引き出しから銃を抜き、安全装置を外して銃口を向けた。


「貴様、誰だ! 神征組の回し者か!?」

「我が名は――事象の終焉(シュヴァルツシルト)。古き神々を駆逐し、この世界に終焉をもたらす者」


颯爽と名乗りを上げる高史。

彼は、実名を名乗らず、この瞬間のために考えていた真名を告げた。高史という実名では、中二病的な威厳に欠ける。何よりも、身元がバレる。だが、この名ならば、彼の覚悟と、これから成し遂げようとすることのスケールを示すのに十分だった。


一瞬、極清五郎は戸惑いの色を見せたが、すぐに険しい顔に戻る。

「テメェ、ふざけているのか?」


「当然だ。俺は、これから始まる世界の変革、その最初の預言者だからな。これっぽっちも真面目じゃない」

自信をもって、高史は断言する。


パシュッ!


清五郎は躊躇なく引き金を引いた。サイレンサー付きの拳銃から放たれた弾丸が、亜音速で高史の眉間へと迫る。

しかし、銃弾は、高史の目の前で、見えない壁にぶつかったかのように停止し、力なく床に落ちてカランと音を立てた。


『オートコマンド、絶対領域パーフェクト・フィールドが発動しました』

『さすが、物理法則無視の世界システム(ウヌス・ムンドゥス)だな』


「なっ……銃が、通用しないだと!?」

清五郎は、信じられないものを見たかのように目を見開いたまま、続けざまに銃弾を撃ち込むが、全ての弾丸は、事象の終焉(シュヴァルツシルト)と名乗るその男の前で、まるで彼の威光に恐れをなしたかのように停止し、ストン、と床に落ちて転がった。


「さて、気は済んだか? 心配するな、神征組と俺は何の関係も無い。むしろ、いずれ奴らも俺の裁きの対象となるだろう。俺はただ、お前に話があってやってきただけだ」


斎藤の調査によれば、(きわみ)会は新宿への本格進出を狙う広域暴力団・神征組との抗争の真っ最中だった。


「何者だ、貴様は……」

「今一度名乗ろう。我が名は事象の終焉(シュヴァルツシルト)。古き神々を駆逐し、この世界に終焉をもたらす者」

「それは、さっきも聞いた。真面目に答えろ」


この極道の男には、どうも中二病の美学が伝わらないらしい。


「うむ、まあいい、本題に入ろう。お前たちの縄張りに総攻撃を仕掛ける広域暴力団神征組の組長のことは当然知っているな?」

「政治家とつるんでフィクサーを気取っている、いけ好かない野郎さ。不死身の権藤、奴の事は八つ裂きにしても足りねえくらいだ」

「今回の抗争で、お前のところの組員が、相当やられているようだな」


警察情報によれば、(きわみ)会の劣勢は明らかだった。構成員数が20倍以上違うのだから、当然の結果だ。


「しょせん、全国レベルの巨大組織に逆らったのが、運の尽きだったわけさ」

「それなのに、なぜ、お前はまだ戦う?」

「このシマは、先代から受け継いだ、俺たちの魂だ。あんな連中に、みすみす渡せるかよ」

「だが、お前の力など、権藤に届くのか? 相手は、政治家にも繋がる上級国民(アッパー)だぞ」

「……無理、かもな。それでも、一矢報いねば、男が廃る。極道とは、死ぬことと見つけたり、だ」


「よし。良い覚悟だ」高史は頷いた。「ならば、お前には、奴らと戦うための力を与えよう」

「力だと? 最新鋭のロケットランチャーでもくれるのか?」


「ククク……断じて、そんな矮小なものではない。この世界の秘密そのものを、この我がくれてやろうというのだ!」

高史は、仮面の下で獰猛に笑った。

「我が名は事象の終焉(シュヴァルツシルト)。さあ、貴様も、我が同胞として覚醒するがいい!」

 

高史は、軽く極会長の肩に手を触れた。


『固有スキル“同志覚醒《反逆の系譜(リベリオン・リンク)》”発動』


「なっ……! 一体、なんだこいつは……!? それに、そこの別嬪さんは、いつの間に現れた!?」

覚醒を果たした極清五郎の目には、それまで不可視だったゼタルが、突然現れたように見えたのだった。


「よし。彼女が見えるということは、どうやら覚醒に成功したようだな」

「覚醒、だと……?」

「そうだ。世界を支配する上級国民(アッパー)の権能、神の力である世界システム(ウヌス・ムンドゥス)は、既に貴様のものだ。権藤と同じ能力が使えるようになった今、もはや奴を恐れることはない。これで、神征組と互角以上にやりあえるはずだ」

「権藤の野郎にも、このヘンテコな画面が見えるってことか……?」

「そうさ。それこそが、上級国民(アッパー)の秘密そのものだからな」


早速、ゼタルが世界システム(ウヌス・ムンドゥス)の概要を極清五郎に念話で説明し始める。

事象の終焉(シュヴァルツシルト)様、説明は完了です。それと、彼のレベルアップのために、イベント創作《運命創造(ジェネシス・コード)》スキルで、幾つかイベントを作っておきました。取り合えず、“神征組をぶっ潰せイベント”から実施するようにお願いしてあります』


『よかろう。では、(きわみ)よ、貴様の善戦を祈る。我が授けたその力で、まずは神征組を倒すが良い!』


事象の終焉(シュヴァルツシルト)である高史はそう言うと、来た時と同じように、開け放たれた窓から、夜の闇へとその身を躍らせた。



「あー、疲れた」

新宿にある高史のワンルームマンションに戻ると、高史はソファーに深く沈み込み、その隣にゼタルが音もなく腰を下ろした。


『高史様、この方法で組織を拡大するおつもりなのですね』

『そうさ。下級国民(アンダー)のトップを覚醒させてしまえば、組織ごと乗っ取れてお得だろ』

『ですが、神征組とは戦うでしょうけど、上級国民(アッパー)全体とは戦うとは限りません。命を救った斎藤や最上川達と違って、(きわみ)清五郎に高史様への忠誠心があるとは思えませんが』

『だからさ、(きわみ)にダメ押しで、秘匿回線でメールを送っておいてくれ。“上級国民(アッパー)が、覚醒して秘密を知ったお前を殺しに来る”ってな』

『なるほど。高史様と同じ状況に追い込むわけですね』

『そうそう。送り主は“福祉局員”でいいよ。これで極にとって、上級国民(アッパー)は完全な敵になる』


高史はその後も夜な夜な出掛けて、事象の終焉(シュヴァルツシルト)として中小暴力団の組長、犯罪集団の頭から、普通の中小企業の社長、更には国防軍の下士官まで、手当たり次第に覚醒させていった。世界の秘密を語る事象の終焉(シュヴァルツシルト)を崇め、忠誠を誓う者がいる一方で、胡散臭いと疑いを持つ者もいたが、高史は構わず続けた。覚醒者たちが、高史から“福祉局員”を騙るメールを必ず貰ったのは言うまでもない。


組織と呼ぶには緩すぎ、かと言ってバラバラでもない。事象の終焉(シュヴァルツシルト)である高史をハブとして、秘匿性の高い世界システム(ウヌス・ムンドゥス)を使って命令伝達がなされる、反上級国民(アッパー)の塊が、静かに、しかし着々と形成されていく。もし、一部の覚醒者が上級国民(アッパー)側に捕らえられたとしても、事象の終焉(シュヴァルツシルト)の名以外の全容は決して知られないだろう。そもそも、それしか知らないのだから。


『ゼタル、組織形成は順調だが、我々には重大な課題が残されている』

それは、高史にとって極めて重要な、中二病(ダークサイド)的課題であった。


『名前だ。我々の組織名は、一体何にすればいい』

拓海に「お前たちは何者だ」と聞かれても、「フッ、それは言えない」で誤魔話すしかなかった。別に秘密にしているわけではなく、単純に、まだ名前がなかっただけだ。


『高史様、この世界を破壊し、新世界を創造するということで、“新創世記(ネオ・ジェネシス)”はいかがでしょうか?』

ゼタルは、即座に提案してきた。


「……ネオ・ジェネシス……」

高史は、その言葉を口の中で転がした。

「新創世記……。世界の秘密を知り、そして世界を作り変える秘密組織……か」

なかなか、悪くない。


「よし、決めた」

高史はソファーから立ち上がると、窓の外に広がる東京の夜景に向かって、高らかに宣言した。

「我が名は、新創世記(ネオ・ジェネシス)総統、事象の終焉(シュヴァルツシルト)! このふざけた世界の支配者を駆逐し、世界の全てを作り替える者だ!」


その瞬間、高史の世界システム(ウヌス・ムンドゥス)に、新たな称号が音もなく刻まれた。


【称号:中二病】

第一部完となります。第二部へ続きます。

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