第11話:上級国民は逮捕されない
『少女失踪事件で、最後に一緒にいるところを目撃された人気俳優の志村拓海氏に対する、警察による事情聴取が行われましたが特段進展はなく、警察は市民の皆様に更なる情報提供を呼び掛けています』
新宿公園署、捜査一課のオフィス。デスクの上のモニターから流れるニュースキャスターの淡々とした声が、蛍光灯に照らされた澱んだ空気に虚しく響いていた。
SNSなどでは拓海が上級国民だから逮捕されないという論調が主流だったが、それは決してネット上の噂話などではなかった。実際に、様々な権力者から捜査本部へ圧力がかかり、捜査は完全な暗礁に乗り上げていた。
「課長! 最後に志村と一緒にマンションの部屋に入るところが監視カメラで確認されているんです! その後、少女達は部屋から出た様子がない。状況証拠は揃っている。犯人はどう見ても志村でしょうが!」
捜査一課の刑事、斎藤元は、上司である課長のデスクに報告書を叩きつけるように置いた。彼の声には、抑えきれない怒りと焦燥が滲んでいる。
課長は、その報告書に目を落とすことすらせず、面倒臭そうにため息をついた。
「斎藤。志村拓海がどういう男か、分かって言っているのか。父親は総理にも近いと言われる有力議員の志村泰三氏、母親は警察庁の有力官僚だ。所属するジャオンツ事務所はマスコミに絶大な影響力を持っている。何よりも、彼自身がインフルエンサーとして世間への影響力は絶大だ。下手なことをすれば、我々警察の威信が地に落ちるんだぞ」
「威信だと!? 課長! 上からの圧力があったんですね! 上級国民だか何だか知らないが、そんなもの糞くらえだ! 4人もの少女が、未来ある少女たちが失踪してるんですよ!」
「黙れ!」課長の怒声が飛ぶ。「とにかく、志村さんにこれ以上関わることは人権問題に発展する可能性もある。絶対に許さん。どうしてもと言うなら、動かぬ証拠でも持って来い。……まあ、金輪際出てこないだろうがな」
斎藤は、奥歯を強く噛み締めた。
彼の見立てでは、既に少女達はあの部屋の中で志村拓海に殺害され、何らかの方法で遺体が処分されている。間違いない。だが、いくら鑑識が部屋の中を隅々まで探してみても、遺体どころか血痕の一点すら検出されなかったのだ。ごく微量の血液さえも逃さないはずのルミノール試薬が、不気味なほど何の反応も示さない。まるで、少女たちが最初から存在しなかったかのように、あらゆる痕跡が完全に消え去っていた。
その上、これはいわゆる“マル上”――上級国民案件。このままでは確実に迷宮入りする。
(……今度こそ、お前らの好きにはさせない)
斎藤は、己の無力さに震えながら、心の奥で固く決意を新たにした。
その時、ポケットのスマホが短く震えた。被害者の一人、最上川沙苗の父親からのメッセージだった。
『今回の容疑者は上級国民だろ? それなら話がある』
その短い文面に、斎藤の心臓がどくりと跳ねた。すぐに返信すると、上級国民に対抗できる有力な情報があるので、来てほしい場所がある、と地図アプリのリンクが添えられていた。
(上級国民に対抗……? そんな情報、しょせん眉唾物だろう)
刑事としての冷静な理性が囁く。だが、今の彼には、その藁にもすがる思いだった。
指定された場所に到着すると、そこには昭和の時代に取り残されたかのような、古い木造アパートが静かに佇んでいた。
(ここが……? これではとても無理そうだ)
込み上げる失望感を抑えつつ、指定された部屋のドアを、斎藤はノックした。
ギィ、と湿った音を立てて木製の扉が開き、中から一人のひょろっとした青年が顔を出す。まだ少年と言ってもいい年頃の、どこか頼りなげな男。高史だ。
「新宿公園署の斎藤だ。すこし聞きたいことがある」
「け、警察? な、何の用ですか?」
高史は、絵に描いたように怯えた様子で声を震わせる。
「事件の捜査に協力してほしい」
「お、おれは何も知らないですよ……」
「心配するな。最上川さんの紹介だ」
その名を聞いて、高史の警戒心がわずかに解けた。
「ああ、最上川さんの知り合いの刑事って、あんたのことか。汚い部屋ですけど、どうぞ」
通された四畳半の部屋は、物が少なく殺風景だった。部屋の隅には、液晶画面が蜘蛛の巣状に割れたテレビが置かれている。小さなちゃぶ台を挟んで、高史と斎藤は向き合って座った。疲れ果てた刑事と、怯える無職の少年。あまりにも不釣り合いな組み合わせだった。
「高史くんだったね。最上川さんの娘さんのことは聞いているだろう。彼女を含む数人の少女達が、志村拓海という俳優のマンションに入ったきり消息を絶っている。しかし、その俳優の部屋を徹底的に調べたが、髪の毛一本、血痕の一つ、DNAの一片も発見できなかった。つまり、少女達は完全にこの世界から消えてしまったかのようなんだ。その上、拓海という俳優は政治家やマスコミ、さらには警察にも太いパイプがあって、おいそれとは手出しができない。正直、この事件は半分迷宮入りしている。何か、打開策はないかと、最上川さんからの情報でここまで来たわけだが……君は、何か知っているのか」
斎藤の話を聞きながら、高史は即座に世界システムの“存在抹消”コマンドだと確信した。問答無用でこの世から対象を消去する、あの恐るべき力。拓海は間違いなく上級国民だ。
しかし、目の前の刑事にそのことを不用意に話すことはできない。頭がおかしいと思われるのが関の山だ。
「あなたは、犯人を本気で逮捕したいんですか? 相手は恐らく上級国民なんでしょう。警察でも、手出しできないんじゃ」
高史は、斎藤が仲間になりうる人物か、彼の本気度を試す質問を投げかけた。
「構うものか!」斎藤は、抑えていた感情を吐き出すように言った。「上級国民なんかクソくらえだ! いつも現場に圧力をかけやがって……。今回は4人も被害者がいるんだ。刑事の誇りにかけて、かならず捕まえてやるさ」
その瞳には、絶望の淵にありながらも、消えることのない正義の炎が揺らめいていた。
(……こいつは使える)
高史は冷静に判断した。刑事であれば、妹の事件の捜査ファイルをこっそり抜き出すことも、上級国民の情報をリークさせることも可能かもしれない。何より、警察の情報網は心強い武器になる。
「最上川さんからこの話を聞いた時、彼が一人で深追いするのは、やめたほうがいいと忠告したんだ。あなたも上級国民に逆らうのは止めた方がいい。命が惜しいならね。俺に言えるのはそれくらいかな」
「最上川は、ここに来れば上級国民に対抗できる何かがあると連絡してきた。なぁ、力を貸してくれないか?」
「買いかぶりすぎですよ。この4畳半の部屋のどこにセレブ感があります? 前職フリーター、今は無職の俺が上級国民に勝てるわけがないでしょ?」
高史は、斎藤の覚悟をさらに知りたかった。だから、すぐには肯定しなかった。
「だが、君は俺の命が危ないと警告した。何を知っている?」
「世間で噂されている通り、犯人は志村拓海だと俺も思うよ。でもね、上級国民に逆らうのはリスクが高い。それでも戦いを挑む覚悟があるのか? 怖いから、俺には無いね。だから、あなたには協力できない」
高史はそう言うと、世界システムを呼び出し、心の中でゼタルに《追跡》コマンドの実行を命じた。彼の目の前のウィンドウに、斎藤のステータス情報が表示され、「追跡中」というマーカーが静かに付与される。斎藤は、自分の存在がマーキングされたことなど知る由もない。
この男の覚悟が本物かどうか、まずはその行動で確かめる必要がある。高史は、初対面の人間を即座に信じるほど甘くはなかった。
コマンドを実行すると、高史は立ち上がった。
「話は、それだけですか? 悪いけど、もう帰ってください」
彼は冷たく言い放ち、斎藤に部屋からお引き取りを願った。
斎藤は、何か言いたげに唇を噛んだが、やがて静かに立ち上がり、無言で部屋を出ていった。
閉まったドアの向こうで遠ざかっていく足音を聞きながら、高史は静かに呟いた。
「さて……駒は、どう動くかな」
彼の瞳には、もう怯えた少年の色はなかった。
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