第10話:交差する思惑と傲慢なる挑戦状
志村拓海は、雨が上がった新宿の夜景を、自らの城であるタワーマンションの最上階から見下ろしていた。街の灯りは、まるで広大な基盤の上に広がる無数の電子回路のようだ。そしてその中を蠢く人々は、彼にとって意味を持たないデータノイズに過ぎない。
しかし今、そのノイズの中に、システムの秩序を乱すウイルス――上級国民に逆らうイレギュラーが紛れ込んでいる。
(どうやって、奴を俺の目の前におびき寄せるか……)
拓海は思考を巡らせていた。
イレギュラーを直接視認することさえできれば、彼が持つ鑑定《真理の魔眼》能力を使って、桁違いの資産を持つ下級国民を見つけ出すことはできるはずだ。だが、コンサートのように大量の人間がいては識別しにくい。なるべく一人一人をしっかり見つつ、大量の人を捌ける場所……。
(特定さえできれば、あの女たちを消したように、世界システムで簡単に抹殺できる)
問題は、そこに至るまでのプロセスだった。
そして、彼はある致命的な事実に思い至り、ガラス窓に映る自分の顔がわずかに歪むのを見た。
(敵はどうやって上級国民を特定する? ……いや、その必要すらないのか)
単純な話だ。世間がセレブだと思っている人間を狙えばいい。芸能人である拓海のような有名人は、常にその動向をメディアに報じられている。敵は、拓海がどこにいるのかをいとも容易く知ることができるのだ。
こちらは相手を直接見なければ判別できないのに対し、相手は最初からこちらを完全に特定できている。狩る側と狩られる側の立場が、いつの間にか逆転している。その事実に、拓海の背筋を冷たい汗が伝った。
(福祉局員は、他の上級国民にもあのメールを送ったのか?)
拓海は知り合いのテレビ局関係者に問い合わせた。だが、上級国民である彼女にも、その周辺の者たちにも、“福祉局員”からのメールは届いていないようだった。
(……つまり、世界を揺るがすこの情報は、俺一人だけが知っている)
その瞬間、彼の恐怖は、ねじれた万能感へと昇華された。
これは好機だ。他の誰も知らない脅威を、この俺が、たった一人で排除する。それは誰にも譲れない、選ばれし上級国民である自分に与えられた崇高なる使命ではないか。
彼の口元に、狂信的な笑みが浮かんだ。
拓海は音楽プロデューサーを呼び出し、会議をしていた。
「以前打診された例のイベント、やってもいいですよ」
拓海は、今まで頑なに拒否してきた提案を口にした。下級国民に直接触れるなど虫唾が走る、と言って断っていた握手会イベントだ。
「本当かい!? それは朗報だ! すぐに会場の準備をしないとね。CDの発売までに、いろいろ間に合わせるよ!」
「ああ、よろしくたのむ」
イレギュラーをおびき出すための、拓海の作戦が開始された。
数日後、拓海は疑惑に対する記者会見を開いていた。国民の関心は高く、ワイドショーでは生中継までされている。無数のカメラのフラッシュが、彼の完璧な貌を白く照らし出していた。
質問者は少女たちの行方について何度も問いただしたが、拓海は巧みな演技で知らないの一点張りを貫き、疑惑を完全否定した。
会見が異様な方向に流れたのは、ある記者の質問からだった。
「拓海さんが逮捕されないのは、やはり上級国民だからですか?」
ネットに流れる噂、そのものをぶつける直球の質問だった。会場の空気が凍り付く。
「もちろん違います。僕は無実だから逮捕されないだけです」
拓海は毅然と答えると、不意に、集まった全てのレンズを射抜くように、挑戦的な笑みを浮かべた。
「ですが、僕が正真正銘の上級国民であるのは、まぎれもない事実です」
ざわめきが波のように広がった。上級国民と周りが噂することはあっても、自ら記者会見で大々的に名乗る者は、彼が初めてだった。
「今、本当の上級国民だと言われましたが、それは、どういう意味ですか?」
「いや、上級国民に用事がある方もいらっしゃるのではないかと思ったので、名乗ったまでです」
彼は自信たっぷりに、そして挑発的に言い放つ。
質問した記者にも、そこにいる誰にも、テレビを見ている人々の大半にも、その言葉の真意はまるで分からなかっただろう。しかし、釈明会見で不敵にも上級国民だと名乗る拓海の姿を見て、多くの人々の心象は真っ黒になったに違いない。
その中で唯一、高史だけは、割れたテレビ画面の向こう側から放たれるメッセージを正確に受信していた。
奴は、俺を誘っているのだ、と。
……ムカつく野郎だ。
高史は、その傲慢な挑発に舌打ちした。わざわざ出向くまでもない。テレビに映るあの顔に、今ここで、終わりの鉄槌を下してやる。
高史は、画面に映る拓海の顔に意識を集中し、コマンドを思考した。
――存在抹消。
世界から、また一つゴミが消える。
あっけない幕切れを想像し、高史は息を呑んだ。
……しかし、何も起こらない。
テレビの中の拓海は、相変わらず不敵な笑みを浮かべ続けている。
……なんだ? 効いてない……?
高史は、もう一度強くコマンドを思考する。だが、結果は同じだった。まるで、分厚いガラスに阻まれているかのように、彼の力は拓海に届かない。
『ゼタル! どういうことだ!』
焦る高史の念話に、ゼタルは常に変わらぬ平坦な声で、しかし確信をもって答えた。
『高史様。先日お渡ししたマニュアルの78項に記載の通り、そのコマンドには対象と直接「対峙」しなければ実行できないという制約が存在します』
『マニュアルだと……!?』
高史の脳裏に、びっしりと文字が詰まった1000ページのファイルが浮かんで消えた。そもそも、彼は説明書を1ページ目から丁寧に読むような人間ではなかった。
ゼタルは、そんな高史の内心を意に介した様子もなく、淡々と推測を続ける。
『そして、この「対峙」という条件は、いかなるイベントクリアでも代替不可能な根源的制約であるため、無イベント発動 《前提条件無視》の効果が及ばないのだと推測されます。前提条件そのものが存在しなければ、クラッシュのしようがありません』
『……じゃあ、別の手は!? イベント創作《運命創造》で、テスラの時みたいに自殺させるとかはどうだ』
『試行します』
ゼタルの短い返答。高史は、再び己の全能感が世界を掌握するのを待った。
しかし、彼の内から湧き上がろうとした力は、世界システムに接続する前に、まるで認証を拒否されたかのように霧散していく感覚だけが残った。
『やはり発動は不可能です。対象の情報解像度が粗いため、「裏グランドマスターリスト」への登録ができません。結論として、対象との直接対峙が必須条件であると思われます』
『……つまり、結局は奴の目の前まで出向かなきゃ、このイカサマ能力は使えないってことか』
『その可能性が極めて高いです。そもそも、直接相まみえず相手を簡単に排除できるとしたら、この世界はこれほど平穏でしょうか? 世界システムは人間が使うように設計されている以上、このシステムの沈黙の設計者は何らかの制限をかけたのではないかと推測できます』
「なるほどな」
高史は、乾いた声で呟いた。手っ取り早く王手をかける方法は、最初からどこにもなかったらしい。
(……思ったより、面倒な力だな、これは)
彼は、自分の手札の厄介さに、今更ながら気づかされたのだった。
「それにしても、ゼタル、奴は俺を誘っているようだな」
『そのようですね。高史様』
「上級国民を狙う存在がいることを既に知っているのかもしれない。要注意人物だ」
少なくとも拓海は、種族:下級国民の中にイレギュラーがいることを知っている。そうでなければ、わざわざ会見で名乗る理由がない。
『これから、どうします?』
「まだ、身元はバレてないだろうから、今のところは静観かな。かわいい女性アイドルならともかく、イケメン俳優に誘われても俺は全く嬉しくないし」
高史は乾いた笑みを浮かべた。会見で広く呼び掛けているということは、こちらの正体は拓海にはバレていない。当然、直接メールを送ってきた“福祉局員”でもないだろう。
こんな見え透いた挑発に乗る必要はない。高史としては、上級国民の打倒より、まずは自分の生存と、妹の事件の真相究明が最優先事項なのだから。
それは、拓海からイレギュラーへの傲慢なる挑戦状。
そして、高史による、冷静なる黙殺だった。
二つの思惑が、テレビの画面を隔てて、静かに交差した。
本日もお読みいただき、誠にありがとうございます。
---
【※本日、特別更新のお知らせ※】
本日の夜(23時30分ごろを予定)に、ここまでの物語をまとめた【設定資料集】を特別編として投稿いたします。
登場人物や専門用語の確認など、物語をより深く楽しむための一助となれば幸いです。
---
物語本編の続き(第11話)は、また明日(火曜日)の【24時】に更新いたします。
ブックマークや評価(↓の★★★★★)、感想が、何よりの励みになります。




