表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/3

うわさの真実(中)

「うわさの真実(中)」をお読みいただき、ありがとうございます。


前回(上)では、海野遥と星野ひかりの出会い、そしてひかりがVTuberであることが明かされるまでを描きました。お読みでない方は、ぜひ第1話からご覧ください。


今回の(中)では、いよいよVR古典文学体験が本格的に始まります。遥が心血を注いで設計したシステムに予想外の事態が発生し、技術者としてのプライドが試される展開となります。


古典『イリアス』『オデュッセイア』を通じて深まる二人の友情と、同時に募る遥の不安——相反する感情が交錯する中編をお楽しみください。


「トロイの木馬」に対する、エンジニアと古典愛好家それぞれの反応の違いも見どころの一つです。


それでは、図書館での冒険の続きをどうぞ。

  5.「二つの視点」


「お待たせいたしました。お手持ちのVRゴーグルを頭にしっかりとセットし、

 新しい旅をお楽しみください」


「あ、皆さん、これからVR体験なので著作権の関係で配信は一旦終了ですね~

 また夜に配信でお目にかかりましょう♪ ありがとうございました」

ひかりは慣れた手つきで配信を終了した。


 そして、二人がVR機器を装着した瞬間、美しい星空が広がった。

「綺麗ですね……」

ひかりの声が響く。遥も息を呑んだ。自分が関わったシステムが――


「ジジッ」


突然の雑音が音楽に割り込んだ。星空の一角が歪み、デジタルノイズが走る。


「あら? 」


遥に不安がよぎる。これは彼女の設計にはない現象だった。さらに数秒後、

また「ジジジッ」という音と共に、今度は複数箇所で映像が乱れた。


(何かが違う……プログラムに異常が…… )


不安が胸の奥で渦を巻き始めた時、床から機械音と共に立て看板のようなもの

がせり上がった。


「え? こんなの組み込んでないけど? 」


遥の声が震えた。自分が心血を注いで設計したシステムに、知らない要素が紛

れ込んでいる。それは創作者にとって、自分の子供が見知らぬ人に連れ去られ

るような恐怖だった。一方、ひかりは楽しそうにスタスタと看板に近寄り、声

に出して読み始めた。


「『さあ! これから出るヒントを元に、図書館にある物語を奥の書見台に

 セットしてください』だって、皆さ~ん。あ、配信終えたんだった」


遥は言葉を失い、呆然とその場に立ち尽くした。手足が冷たくなり、額に嫌な

汗が滲む。


「誰よ? こんな謎解きみたいな物を差し込んだのは? 」


怒りが喉の奥からこみ上げてきた。声がかすれ、拳をぎゅっと握る。創作者と

してのプライドが、ズタズタに引き裂かれていく感覚だった。ひかりは遥の

様子が急変したことに気付き、そっと顔を寄せた。


「はるちゃん、とりあえず落ち着いて! 肩に力が入ってるよ」


温かな手が肩に触れた瞬間、遥は自分が呼吸を忘れていたことに気付いた。

「あ、ありがとう。そ、そうね、何が起こるかしっかり見届けないとね! 」


その時――

「ドォォォン」


天井から轟音と共に、巨大な影が落下してきた。地面に着地したと同時に、

ドーム全体が振動し、二人の足元が微かに揺れた。目の前に現れたのは、遥の

背丈の三倍はある巨大な木製の馬だった。


「トロイの木馬! 」

「トロイの木馬? 」

二人の声が重なった。


そのニュアンスは全く違っていた。ひかりの声には興奮と歓喜が、遥の声には

困惑と警戒が込められていた。


「さあ! このオブジェから連想できる物語は何でしょう? 」

システムの音声が響いた瞬間、


「イリアス! 」

「マルウェア! 」

二人の声は見事にすれ違った。


「遥ちゃん、なに? マルウェアって? イリアスでしょ! 」

「あ、ごめんなさい。ITエンジニアとして、トロイの木馬は……許すまじ! 」

遥の真剣な表情を見て、ひかりは思わず笑みを浮かべた。


「あはは、意外と遥ちゃんって面白いのね、でも、ここは古典文学の世界

 よ? ホメロスの『イリアス』でしょう? 」

ひかりの言葉に、


「もちろん、その通りね。でも、このシステム何かおかしいのよ…… 」

遥は周囲を見回した。時折走るノイズ、想定外の演出。

しかし、ひかりがじっと見つめる視線に、遥は一人思考の世界に入り込むのを

思いとどまった。


「とりあえず、今はこのまま進めるのが先決ね。ひかりん? 」

「はい、その意気ですよ。遥ちゃん」

「『イリアス』よね? ひかりんは日本の古典だけじゃなく、西洋の古典にも

 詳しいのね」

「いえいえ~、たまたまですよ。さぁ、本を探しに行きましょう」

ヘッドセットを外す瞬間、現実世界の空気がひんやりと頬を撫でた。先ほどま

での星空と音楽が嘘のように消え、図書館の静寂が戻ってくる。


二人は微笑み合い、急いで書架へ向かった。しかし遥の心に、嫌な予感が渦巻

き続けていた。


(このまま体験を続けて、大丈夫なのだろうか…… )


  6.「くすぶる不安」


 二人は急いで書架へ向かった。遥の胸では重いものを抱えながらも、ひかり

は明るい表情で検索パネルに「イリアス」と入力する。


「あった! 3階の西洋古典コーナーね」


 ブックリウムに戻ってきた二人は、『イリアス』を書見台にセットすると、

画面が赤く点滅し、


「ブーッ、ブーッ。ブーッ、ブーッ」

激しく鳴るビープ音に、遥の血の気がサッと引いた。木馬のホログラムには不

具合と思われる激しいノイズが、あちこちに走った。


「遥ちゃん、どうしよう? 何か間違ったのかな? 」

焦るひかりの声を聞いた瞬間、いつもなら真っ先にパニックになる遥が、なぜ

か冷静になった。

「大丈夫よ、ひかりん。ただのエラーよ……プログラムが物理的に危害を加え

 るなんて出来ないわ。たぶん…… 」

自分より慌てる人がいると冷静になれることを感じ、すぐさま対処法を思いつ

いた。


「ひかりん。とりあえずヘッドセットを外しましょう」

装置を剥ぎ取ったひかりは、

「あら、現実世界は何も起きてないわ」


遥はゴーグルのリセットスイッチを探し、システムを再起動させた。


「これで大丈夫なはずよ、ヘッドセットを着けてみて」


これを聞いたひかりが言われたとおりに装着すると、木馬の姿はなくなり、書

見台の奥の扉が開いていた。


「直ったわ! 遥ちゃん、やっぱりプロね」

ひかりの純粋な尊敬の眼差しに、遥の頬がほんのり赤くなり、キャスケットを

少し深くかぶり直した。


「再起動しただけだからこのくらいは……でも、ありがとう。ひかりん」

二人は微笑み合い、開かれた扉へと向かった。遥の胸では不安がくすぶり続け

ていたが、ひかりへの信頼も確かに芽生えていた。


  7.「触れてはいけない境界」


 奥の部屋へ行ってみると、なめらかな光沢を帯びた立体パズルが置いてあっ

た。面ごとに様々な言語の文字が刻まれ、無秩序に色が混ざっていた。


「ちょっと待って! この立体パズルを解かないといけないの? ムリーっ!

 遥ちゃんは得意? 」


遥は下を向いて小刻みに震えていた。ひかりは最初、笑っているのかと思い

「遥ちゃん? 簡単に……? 」

と言いかけたが――


「誰がこんな……私の作品を勝手に変えて……! 」


遥の声がかすれた。キャスケットの縁を握りしめる手に力が入る。まるで父が

突然帰らなくなったあの日のように、大切にしていたものが理不尽に奪われて

いく感覚だった。

「許せない……! また、また私の大切なものが…… 」

遥の顔は怒りと悔しさに染まり、うつむいたまま肩をわずかにふるわせていた。

「えっ……遥ちゃん? な、泣いてるの……? わ、私が解いてみるね。えー

 っと……」

パズルを手にして、クルクルと見回したひかりは、赤面にアルファベットが、

青面にギリシャ文字、白面にカタカナが書かれているのに気付いた。


「あら、パズル解かなくても分かるじゃない! えーっと……」

そこまで言いかけたとき、不意に遮るように、

『オデュッセイア』

遥がぶっきらぼうに言った。こらえた涙が目の縁で光っている。


「この謎解きは遥ちゃんが用意した物じゃなかったのね? 」

ひかりの声に、少しだけ困惑が混じった。さっきまで冷静にプログラムを直し

ていた遥が、なぜこんなに取り乱しているのか理解出来ない。


「でも、子供でも解けるようにした、図書館側の配慮なんじゃないの? 利用

 者の事を考えて……」

「配慮? 」

遥が顔を上げた。

「私の作品を勝手に改変することが配慮? 」


ひかりは息を呑んだ。遥の目に宿る痛みの深さに、言葉を失った。

「……私には、よく分からないけれど」

ひかりは慎重に言葉を選んだ。

「遥ちゃんの気持ちは伝わってくる。でも、最後まで見届けた方が良いんじゃ

 ない? 良かったら一緒に探そ? 」

「……少し一人にさせて」

静かな声だったが、どこか諦めたような響きがあった。ひかりはその言葉

に、胸の奥がチクリと痛んだ。


「そう……わかった。じゃあ、私、一人で探してくるね」


明るく振る舞おうとしたが、声は少しだけ震えていた。立ち上がりながら、

ひかりは振り返った。


「遥ちゃん、私……古典が好きなのは、千年前の人も今の私たちも、同じよう

 に傷ついて、同じように立ち上がってきたからなの。私もその一人よ」


遥は顔を伏せたまま答えなかった。


ひかりがドームから出て書庫の方へ足を運ぶ後ろ姿を、遥はチラリと見上げ

た。体の奥で何かがざわめくような音を立てていたが、それが何なのか分から

なかった。



「うわさの真実(中)」をお読みいただき、ありがとうございました。


システムの不具合に直面した遥の動揺、そして古典への愛を語るひかりとの関係性の変化を描いた中編、いかがでしたでしょうか。


遥の技術者としてのプライドと創作への想い、ひかりの古典文学への深い愛情——二人の価値観が衝突しながらも、少しずつ理解し合っていく過程を丁寧に描こうと心がけました。


特に7章の「触れてはいけない境界」では、遥の心の奥にある痛みが初めて表面化します。創作者にとって自分の作品を改変されることの辛さ、そしてそれを理解しようとするひかりの優しさを表現しました。


最終回もお楽しみに。感想やお気に入り登録、いつも励みになっています。


ありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ