今日も君と朝食を一緒に
店に着くと香ばしいパンの香りがしてきて無性にお腹が空いてきた。ドアを開けると看板娘のネリアが笑顔で迎えてくれた。
「おはようございます。今日はヴァンさんが好きなオムレツとシチューですよ」
「おはよう、ネリアちゃん。オムレツが食べられるなんて朝からついているな! 旦那さん、おかみさん、おはようございます。今日もお願いします」
「あいよっ。たくさん食べていきな!」
厨房に声をかけるとたくましい腕をした親父さんとよく通る声をしたおかみさんがにかりと笑った。その声に答えるようにお腹がぐぅと鳴った。紅茶を淹れていたネリアと目が合ってヴァンはへにゃりと笑った。
「えっへへへへへ。いやあここに来ると、つい」
「ふふふっ、ヴァンさんはいつもおいしそうに食べてくれるから、見ていて楽しいわ」
「俺もネリアちゃんがこうやって付き合ってくれてうれしいよ。ありがとうね」
一緒のテーブルに着いたネリアが淹れてくれた紅茶を楽しんでいると、おかみさんがオムレツとオニオンスープと山盛りのパンが入った籠を持ってきてくれた。オムレツを食べるとふわふわの卵の甘みが口いっぱいに広がって幸せに包まれる。
おいしいご飯と気の合う友人とのお喋りを楽しみながらの朝ごはん。これがヴァンの生きがいだ。
ヴァンはこの春、王都の役所に就職した。
学生時代は完全寮生活だったこともあって就職をきっかけに家を借りて憧れの1人暮らしを楽しんでいたが。しばらくして料理のセンスがないことに気づいて絶望し、数々の失敗作を詰めこんだ弁当を憐れんだ同僚たちに教えてもらった安くておいしいお店で日々の食事を調達することにした。
そんなある日。残業を終えて夕食を買って帰ろうとすると不運にも行きつけのお店がすべて閉まっていた。
空腹を抱えながらとぼとぼと家への道を歩いているとふと良い香りがしてきた。導かれるようにそちらに歩いて行くと、ちょうど店の看板をしまおうとしていた少女と目が合った。
栗色の長い髪を1つに編み真っ白なエプロンをした愛らしい少女は琥珀色の目を丸くした。その視線に疲れと空腹にくたびれた自分のみっともない姿を思い出した。慌てて去ろうとすると少女が追いかけてきた。
「お客様っ、待ってください。よろしければ寄って行きませんか?」
「でも、閉店なんじゃ……」
「大丈夫ですっ! それに今日は看板メニューの牛肉シチューがあります。お腹いっぱい食べられてとってもおいしいですよっ!」
「ああ、神様っ。ありがとうございます……っ」
気の良い一家は、初めて来るヴァンを温かく迎え入れてくれた上に「ちょうど自分たちも夕飯だから」と追加の料理まで作ってくれた。大人数での賑やかな会話と手がこんだ料理に故郷の家族を思い出してその夜ヴァンは懐かしさでちょっぴり泣いた。
それからヴァンの悲惨な食生活を聞いて心配した店主夫妻に「娘と一緒に食べていきな」と誘われ。
早起きして毎朝この大衆食堂<巨人の大皿>に立ち寄ってネリアと一緒に朝食を食べて、昼食にとお弁当を持たせてもらっている。今や一家はヴァンの第2の家族で日々の楽しみだ。
―――
今日もネリアに見送られて出勤すると、学生の時からの友人キースがやって来て昼食のバスケットを目ざとく見つける。
「お、ヴァンは今日も巨人さんとこの手作り弁当か。いいな~、俺も弁当をお願いしよっかなあ」
「ああっ、ここは何を食べてもうまいぞっ」
「そうかそうか。じゃ、一口ちょうだい」
「これは全部俺の分だ。自分で店に行って買え。そして周りに宣伝しろ」
伸びてきた手をはたき落とすとキースは大げさに嘆いてみせた。
「ちぇっ、純朴なヴァン少年も彼女ができてからすっかり心が狭くなったなあ。俺もどこかに出会いが落ちてないかな~」
「なっ、ば、バカ! ネリアちゃんとはそんな仲じゃないっ!! 俺の食生活を支えてくれる恩人だ!」
ネリアはくるくると良く動き回るかわいらしい看板娘だ。
常連さん曰くたくさんの男性たちから求婚されているが。本人は断っているそうだ。気の良い一家に甘えて生活を支えてもらっているしがない見習い文官が恋人だなんて。万が一にでも変な噂にでもなったら人気者のネリアに迷惑がかかる。
つい大声を出したからか、業務時間前でのんびりしていた人々がわらわらとやって来た。口の回るキースが「毎日巨人さんのところで弁当を作ってもらっているんです」とヴァンとバスケットを指さすと、お店を知っているらしい何人かがとしみじみとした顔でうなずいた。
「良い人たちと出会って良かったなあ。どれ、今度巨人さんに寄ろうかな」
「いいですね。妻と娘の良いお土産になる」
「俺も噂の看板娘のネリアちゃんを一目見に行こうっと」
「ははは、おまえみたいな下心丸出しの奴なんか相手にもされないよ」
ひとしきり盛り上がった同僚たちは始業のベルが鳴ると席に戻って行ったが。キースを含めた何人かは昼休憩の時にやって来て、お店のことを話しているうちに物々交換と称して半分ぐらい食べられてしまった。
舌の肥えた同僚たちのお弁当のおかずはおいしかったが。ヴァンはせっかくのネリアが持たせてくれた弁当を食べられてもやもやした。それに気づいた彼女持ちの同僚がからかうように声をかけてきた。
「昼はごちそうになったな。そのお嬢さんチョコレートが好きなんだろ? お礼にできたばっかりの良い店を教えてやるよ」
いくつかのお店を教えてもらってメモをとっていると、近くにいた人たちもあれやこれやと親切に教えてくれる。さすがは王都民と接する人たちは流行に詳しいなあとそういうものに疎いヴァンは遠い目になりつつも、休日の朝一番で並んでチョコレートを買って<巨人の大皿>に立ち寄った。
ネリアはヴァンの来店を喜んでくれたがチョコレートを見るときらきらと目を輝かせた。
「わあっ。これって、最近できた<太陽と月>のチョコレートですよね!? 友だちがすごくおいしいって言ってたんですけどいつも売り切れていて。食べられるなんて夢みたい。ありがとうございます!」
「流行に詳しい同僚に教えてもらったんだ。ネリアちゃんに喜んでもらえて良かったよ」
大好物を目にしてはしゃぐネリアに心がほっこりして。ヴァンもつい軽い気持ちで言った。
「そうだ。実は他にもいろんなお店を教わったんだ。ネリアちゃんが良かったら今度休みの日に一緒に行かない?」
「え……」
ネリアは大きな瞳を見開いてなぜか顔を真っ赤にそめて固まってしまった。
ヴァンとしては日ごろのお返しにお世話になっているネリアをもてなそうと思ったのだが。図々しかっただろうか。ネリアを傷つけないように笑顔を保ちつつも内心慌てていると、おかみさんが豪快に笑った。
「はっはっはっ、ヴァン君が案内してくれる場所なら1度もデートもしたことないうちの箱入り娘も安心して送り出せるよ!」
「お、お母さん!!」
「は、はいっ! 大事なお嬢さんは必ずお守りしますっ、どうか任せてくださいっ!」
人生初のデートという甘い言葉に胸がどきどきしつつも礼儀を思い出して返事をしたヴァンと慌てふためくネリアにおかみさんは若干呆れたように微笑んだ。
―――
デートの日。ネリアと一緒におしゃれなお店に入るのだからと、人気者のキースのアドバイスを元にヴァンは奮発して新品のシャツとベストとスラックスを着て、念入りに身だしなみを整えた。
待ち合わせの噴水広場で少し待つとネリアがやって来た。水色に白いフリルが着いたワンピースに艶やかな栗色の髪をおろした愛らしい彼女はヴァンに気づくとにっこりと笑った。
「おはようございます、ヴァンさん。待ちましたか?」
「……い、いや、今来たところだよ」
いつもとはまた違うネリアの姿に見惚れていたヴァンが我に返って返事をすると、視線に気づいたのかネリアは少し照れたように髪を撫でた。
「その、友だちが髪をおろすのが今の流行だってアドバイスされてやってみたんです。どうでしょう、ヴァンさんから見ても変じゃないでしょうか?」
「もちろんだよ!! ネリアちゃんはいつもかわいいけれど、今日はもうすっごくきれいで、どこのお嬢様が来たのかと思ったよ!!」
「そ、そこまでは恐れ多くて、ちょっと……。でも、良かった。ふふ、今日はよろしくお願いしますね」
悲しいかな。こういう時に使える語彙力のないヴァンが辛うじて絞り出した言葉はネリアを戸惑わせただけだったが。微笑んでくれてヴァンもほっとした。
街歩きもデートも不慣れな2人は地図を見ながら最初の店に辿りつき、親切な店員にも教えてもらいながらネリアはアイスが付いたチョコレートケーキ、ヴァンはレアチーズケーキを頼んだ。
運ばれてきたケーキを見て2人は思わずその華やかな見た目に歓声を上げ、同じ反応に微笑みあった。
「このアイス、うさぎさんの形をしてる。かわいくて食べるのがもったいなくなっちゃう」
「お、本当だね。それにこのスプーンとフォークの柄もうさぎだ。何だか子どもの時に読んでもらった絵本の世界みたいだなあ。何だっけな、うさぎを追いかけて行ったら動物たちの国に迷い込んでって……」
「あ、それ、知っています。確か、困った動物たちのお願いを聞いていって。最後はその子たちに助けてもらって元の世界に帰るんですよね」
「そうそう、懐かしいなあ」
おいしいケーキと懐かしの童話の話で盛り上がった2人は絵本を探しに書店に寄った。
目的の本はすぐに見つかった。他のシリーズ本に興味を示すネリアがゆっくり見られるようにと離れると、ふと隅に置かれたグッズが目に留まった。絵本に出てくる動物たちをモチーフにしたグッズが売っている。ヴァンは先ほどのお店の物とよく似たうさぎのフォークとスプーンを買ってこっそりラッピングしてもらった。
店を出るとすっかり夕方になっていた。ネリアを家まで送り届けるとヴァンはそっとプレゼントを渡した。
「ネリアちゃん、さっきお店でとてもかわいいウサギを見つけたんだ。良かったらもらってくれないかな」
ネリアはとても驚いていたが中身を見て目を輝かせた。
「わあ、すごくかわいい。ありがとう、ヴァンさん。大事にしますね」
「こっちこそ今日は付き合ってくれてありがとうね。おかげで王都の地理に詳しくなったよ。いつもは友だちに連れてってもらってるから」
デートにすすめられた場所はいつも街に詳しい男友人たちと一緒に行くところとは別世界のようだった。
ネリアにすすめられるように自分も良い店を探さないとなあ、と内心反省しているとネリアがはにかんだ。
「ふふ、ヴァンさんは真面目ですね。あの、良かったらまた一緒に行きませんか? 私も友だちに誘われたことはあっても、こうして自分で決めて王都を歩いたことってあんまりないんです」
「もちろんだよ! またよろしくね」
ネリアとのまたの約束にヴァンの心はぽかぽかと温かくなった。
しかし、約束は果たせなかった。
―――
とにかく「やる」そして「終わらせる」それの繰り返しだ。
とある古参の職員の愚痴がくたびれ果てたヴァンの脳内にむなしくこだまする。
王都では来月、3日間続く盛大なお祭りが開かれる。
ヴァンたち街役所の職員たちは途切れなく続く人々からの書類申請や相談の対応に追われていたが。急に王太子とその婚約者がお祭りの視察に来ると連絡があり、王宮と連絡をとる上層部の職員たちがそちらの対応に手いっぱいになったことで一気に人手不足に陥った。
ヴァンたち新人たちは矢継ぎ早に言い渡される雑用や人々の対応で1日中駆け回っている。
そんな日が続くと、睡眠をとるのが精いっぱいで生活に手が回らなくなり。当然<巨人の大皿>に行く暇もない。
今朝もくたびれた顔をした同期のキース達たちと一緒に役所の食堂でオムレツを食べると、ふとネリアの笑い声と旦那さんとおかみさんが作ってくれる温かい料理を思い出して切なくなった。それに気づいた先輩がパンを分けてくれる。
「ヴァン、遠慮はいらないからたくさん食べろ。とりあえず腹が満たされて温まれば疲れもマシになるからな」
「ありがとうございます」
冷めてもふかふかのパンは先輩のおすすめのバターを塗るとよりおいしかったが。余計にネリアと食べたパンを思い出して寂しくなってしまった。
今日も日付が変わった時刻に家に帰るも身体は疲れているのになかなか寝付けない。温かいお茶でも飲むかと起きて準備すると、ふと最後に会った日にネリアにもらった絵本が目に入った。
お茶を飲みながら絵本を読みだすと絵本のセリフがネリアの優しい声で再生されて。ようやく心が落ち着いて眠気がこみあげてきた。
今度休みがとれたら。ネリアちゃんに会いたいな。そんなことを思いながら眠りに落ちた。
翌日。心なしかすっきりした気分で出勤すると、いつもはヴァンと同じくくたびれた顔をしているキース達たちが何となくゆるんだ顔をしてヴァンを見た。
「おはよう。何か良いことでもあったのか?」
「ああ、実は今日のお昼に……いてっ」
「おはよう、ヴァン。突然だが重要な業務連絡だ。課長が昼食の時間には何があっても仕事を切り上げてフロアに戻って来いとのおおせだ」
「はあ、わかった。気をつけるよ」
「時計は持っているよな? 俺のは今朝合わせたばかりだ。どれ、見せてみろ」
キリっとした顔で妙なことを言い出したキースに返事をすると、チョコレートの店を教えてくれた同僚がなぜか腕時計の調整までしてくれる。
いったい昼食の時間に何があるんだろうか? 不安になるも勘の良い同僚たちは蜘蛛の子を散らすように逃げて行ってしまった。
いつもと同じように役所内の部署をまわっているとちょうど昼休憩のチャイムが鳴った。フロアに戻ると馴染みのあるスープの香りがして胸が弾む。中に入るとネリアが立っていた。ヴァンに気づくとにっこりと笑う。
「ヴァンさん、お仕事お疲れ様です!! 今日はヴァンさんが好きな鶏肉のトマト煮込みとピラフですよ!」
「ああ、女神様……っ! ありがとうございますっ!」
あんなに会いたかったのに。ネリアの笑顔とおいしいご飯を目にして出てきた言葉は、初めて会った時にうっかり口走ってしまった自分でもどうかと思うもので。そんな情けないヴァンにネリアはにっこり微笑み、それを見たフロア中がひゅーひゅーと騒ぎ立てる。
皆に挨拶をしてネリアが帰った後。こっそりとキースに尋ねると皆が疲れているので課長が皆においしい弁当をおごってくれることになり。複数人が<巨人の大皿>が良いと推薦してくれたらしい。
「いやあ、ここの弁当本当においしかったなあ。それにおまえのそのデレデレに溶けた顔っ。ヴァン少年はほんっとにわかりやすいよな~」
「な、何だよ失礼だな。別に不潔ってわけじゃないだろ?」
気になって鏡を見ながら顔を触るも特に変わらない。しかし、キースだけでなく周りからも生温かい目で見られてヴァンはそわそわした。すると、課長が朗らかに口を挟んできた。
「あっはっはっ、確かにヴァン君は元気がある時とそうでない時が見てすぐにわかるなあ。気立ての良い彼女さんと会えて良かったなあ」
「えっ、えええええええええ!?」
ネリアが気になっていることを課長に知られていることにショックを受けると、悪い顔をしたキースに「ここの皆に知られているぞ」とトドメをさされて、ヴァンはその日1日中小さくなって過ごしていた。
そして、1週間後。
久しぶりに休日がとれたヴァンはネリアにピンク色のカーネーションを用意して<巨人の大皿>を訪れた。ネリアはカーネーションを受け取るとうれしそうに笑った。
「おはようネリアちゃん。おかげで繁忙期を乗り越えられたよ。これ良かったらお礼に」
「おはようヴァンさん! ふふっ、きれいなお花をありがとうございます。でも、良かった。ヴァンさんは目を離すとすぐに弱っちゃうから。元気になって安心しました」
「うっ、確かに……」
あの後、元気を取り戻したヴァンは休日に<巨人の大皿>で朝食を食べるとネリアとの約束を励みにがんばった。ネリアもまた時々家まで様子を見に来て手紙と料理を置いていってくれて。心配してくれる人たちのありがたみを感じた。
「僕が元気で生きていられるのは、ネリアちゃんとおかみさんと旦那さんのおかげだよ。本当にありがとう」
「ふふふっ、それはこっちのセリフですよ。私もヴァンさんと会うのが毎日の楽しみなんです」
その後、なぜか言葉が続かずに見つめあっているとおかみさんが出て来て呆れたように言った。
「あんたたち、ぼーっと見つめうのは家の中でやりな! さあ、冷めないうちに食べにおいで!」
その言葉に我に返った2人は微笑みあうと中に入った。
久しぶりに一緒に食べた朝食はとてもおいしくて幸せの味がして。その後のデートは恋人になったヴァンとネリアにとって初めての記念日になった。