第3話
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至れり尽くせりであった。
日がな一日毛布に包まり惰眠を貪っても文句一つ言われず、それどころか食事まで提供される。
素晴らしい生活であったがいくつか問題があった。
それらを一つずつ見ていきたい。
まず彼女は独り言が多い。
正確には私がいるから独り言ではないのだが、あいにく私は猫である。猫に貴族がどうだとか、家族がどうだなどと話したところで、それはもう独り言と何も変わらないのである。
これはもはや彼女のルーティンだ。
「猫さん、元気ですか?」
この一言から彼女の独り言が始まる。
今日の出来事を話し始めるのだ。
「今日はお父様が、久し振りに帰ってきてね」だとか、「お兄様にどうすれば歩み寄れるでしょうか?」だとか「アルカード様が……ううん、何でもない」だとか「私って冷たいのかな? みんながそう言うの……何とか頑張ってはいるのですが……」だとか……。
彼女の話の内容は、彼女の人間関係に関してのものが多かった。内容を聞いていると、どうも家族や周囲と上手くいってないように思えた。
怜悧な表情の彼女が眉を八の字にした。
彼女の哀しいときの表情であった。
どうして彼女の周囲の人間は彼女にこのような表情をさせるのか。私を拾ってきて面倒を看るくらいには彼女は善良である。彼女が冷たい? どこがだ。外見が冷たく見える? 一ヶ月の付き合いの私ですら、彼女の表情を読めるのに……。
彼女の独り言によって彼女の為人を少しだけ知ることができた。
彼女の名はアガサ。
グローリー公爵家長女であり、王立学校に通っている。
両親と兄と妹がいるが、家族仲は良くない。
またアルカードという婚約者がいる。
彼女の語りからわかることは、彼女は見た目の怜悧さとは異なり、年相応の感性を備えた少女であった。
そして私のいる場所は彼女の部屋であった。
アガサは死にかけの私を連れ出して、自分の部屋に持ち込み、自身の手で面倒を看てくれた。猫の世話など、執事やメイドに頼めばいいのに何てお人好しな……。
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それはさておき、二つ目の問題は私にとっての根本的な話である。
多少の気怠さが残っているものの、ほぼ問題ない程に体力は回復していた。
そもそも私は飼い猫でないどころか、猫ですらないのだ。
猫になったばかりの頃は、生き抜くことで精一杯で己の本分を忘れてはいたが、私にとって、もはやここに残っている理由はなかった。
それに何より、外に出て現状を知る必要があった。
私の家族や故郷を滅ぼした連中はどうしているのか、知る必要があるのだ。私は復讐を諦めたつもりはないのだから。
そんな思いが強まったある日のことだった。
私は猫の不自由さを思い知った。
こう……何ていうのか、ぷにぷにっとした肉球と、出し入れの出来る爪……カッコよくて可愛くて攻撃力はあるのだけど、残念ながら窓を開けることも、ドアノブを捻ることもできない……。カリカリカリカリ……私がドアノブを触る音が虚しく響いた。
───私は外に出る
その一心でドアノブを触り続けた。
人間だったときは息を吸うくらい簡単だったのに……。
どうしてこんな……。
もどかしい思いが募る。
それでもカリカリカリカリと頑張り続けた。
何ともできない怒りや悲しみがふつふつと湧き上がった。
───開いて!!
心の中で叫んだ瞬間、ガギンという音と共に扉が開いた。
猫となって失われたはずの私の魔法の一つ【解錠】が発動された瞬間だった。
何で急に!! などと疑問に思う間もなく、私は一目散に部屋を飛び出した……がしかし、不運なことにそこにはアガサがいた。彼女は目を見開いて、私へと手を伸ばした。しかし、そこは猫の瞬発力───バッと走ってバババッと彼女の足元を潜り、そのまま抜き去った。なのに───
「待って、待って……ねこさん」
彼女が声を張り上げ、こちらに向き直り駆け出した音が聞こえた───かと思えばべシャリ!───人間が転ぶ音が盛大に響いた。
そーっと振り返って彼女を見やると、立つことも出来ずにすすり泣いてる彼女がいた……。
こんな状況で出ていけるわけがなかった。
あーっ! もう! 仕方ないわね! もう少しだけ一緒に住んであげるわよ。
私は開いたドアから彼女の部屋に戻ると、ベッドの上で身体を全てを使って伸びをしたのだった。
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もういいかなとも思うが、最後の問題だ。
これはもうアガサの習慣と言って差し支えない。
彼女が、私の両脇に手をいれひょいと持ち上げた。
その形の良い鼻を私の腹にくっつけると、
「すーーーーっ」
彼女は目いっぱいに息を吸い込んだ。
十秒か、二十秒ほどであったが、長い時間であった。
羞恥心が半端なかった。改めて言うけれど、私は猫だけど乙女である。乙女の匂いを嗅ぐだなんて……とんだ辱めである。
私の身体から顔を離した彼女は、何というか恍惚の表情を浮かべていた。
「これで明日も頑張れます」
逃げようと思ったが、彼女のセリフを聞くと黙ってなされるがままで我慢した。『恩を受けたら必ず返しなさい』と私の両親も言っていた。身体の匂いを吸われるだけで、彼女が明日も頑張れるのなら……命を救われた恩を少しでも返すことになるのではないだろうか。私は己を納得させたのだった。
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