行列のつくる場所
蟻の行列を追いかけていく。久しぶりに雨のあがったこの週末に、何処まで行ってしまおうか思いあぐねたままでいるのだ。
きっかけはほんの些細なことで。いつもより少し陽の高い今朝、寝ぼけまなこで出てきた縁側から庭の外の方まで長く続く行列が見えたっていう、ただそれだけの話。寝ぼけた目にもちゃんと飛び込んでくるぐらい、相当に広くて大仰な列だった。なんとなく好奇心を煽られた私は、今日やるはずにしてた学校の課題を後回しにして、部屋着とクロックスだけをこの身に軽率に外へ出た。
とは言え、何処までも遠くへ行ってやろうとかそんな大それたこころもちでは全然なくて、この行列の続く限りの場所まで行けたらいいかなっていうくらいのラフな気持ちでいた。
行列はうちの庭を出ると緩やかに左に曲がり、右手に畑の並ぶ狭い道をまっすぐに伸びていた。私はその長い列の手前からゆっくり辿っていった。こうしてじっくり見てみると、当たり前だけど蟻も生き物なんだなってのがわかった気がした。いつも遠くから眺めるときは、蟻はみんな行く先を誰かにプログラムされた機械みたいに整然と歩を進めてるもんだと勝手に思ってたけど、そんな感じでは全然なくて。むしろ、こいつら全然まっすぐ歩かないし、咥えてたものを落としたりするし、仲間と何度もぶつかったりしてる。だからか、行列自体も全く綺麗な列じゃなくて。右に曲がったり左に曲がったり、横幅の広さも変わりまくり。でも、それでも列は列としてちゃんとずっと形を作ってるし、これがいつかはこの蟻たちの帰る家まで届くんだろうなあとか思うと、なんだかすこしだけ愛おしくなる気がしたりした。
私はそんな小さな私みたいな蟻たちを中腰で歩きながら見つめ、ときにはしゃがみ込みながら見つめを繰り返し、そうしているうちにいつの間にか車のたくさん通る大通りに出た。行列はまだ続いている。部屋着のままであまり遠くまで行ってしまうのは気が引けたが、そんな思いは行列の行く末を見てみたいという好奇心にあっさり負け、そのまま行列を辿り続けることにした。
歩きながら何度か車の風に当たると、行列から少しだけ目を離して空を見上げた。寝ぼけまなこに映したときよりも更に高くまで昇った陽が、もうお昼が近いぐらいの時分だというのを示していた。そういえば、と朝ご飯すら食べてなかったことを思い出しつつ行列に目線を戻すと、行列は縁石を跨いでいた。そこから数歩先を行くと、もう一度縁石を跨いで歩道に戻っていた。行列の行く末を探すだけにどんだけ時間をかけてんだと自分自身に嫌気がさし始めそうな頃にもなってきたが、せっかくここまで来たんだからと思い直して、また歩いた。しかし思ってみれば、そもそもこの行列の追跡には何の意味もなかったはず。なのにこんなにいつまでも列を辿っていられてる。なんだか不思議な力に引っ張られてるみたいだなあ。もしかしたら何処か知らない不思議な場所まで行けちゃうのかも――。――なんて思ったりもして。
それから何度か歩いて止まってを繰り返した後、ふっと顔を上げてみると、行列が右に曲がっているのが見えた。それまであまりなかった曲がり角に少しこころが躍って、早足に角を曲がって行ってみると、そこにはいつも私が通っている学校があった。見間違えるはずはない。そこには、いつも私が通っている学校があった。驚きのままに、たった今来た道を振り返る。これも見間違えるはずはない。いつも私が通っている通学路だった。暑いなかグラウンドで練習してる野球部の連中の掛け声が聞こえてくる。行列は校門を通過してグラウンドのなかに消えている。噓みたいだ。私は蟻の行列を辿って、不思議な力に引っ張られている気になって、知らない間に学校まで来てしまったのだ。毎日毎日飽きてうんざりするほど通ったこの通学路が、蟻の行列というありふれたものひとつで知らない道に変わってしまっていたのだ。私はとてつもなく恥ずかしかった。恥ずかしくてどうにかなりそうだった。
そこへ運悪く校舎の周りをランニングしていた陸上部の子が通りがかってしまった。
「あれ、ニナちゃんどうしたの?そんな格好で」
私はとてつもなく恥ずかしかった。恥ずかしくてどうにかなりそうだった。これ以上人が来る前に何としても逃げなければと、その子に顔も合わせられずにアスファルトの上をクロックスだけで走り出した。
「あっ、ちょっと待っ――」
とても振り返れはしなかった。私は図らずも来たときと同じ蟻の行列の傍を、来たときの何倍ものスピードで駆け戻ることになった。途中、何度か上手く走れずにクロックスが脱げて歩道に投げ出されたりしたものの、その度に履き直してまた走った。校舎がすっかり見えなくなっても、かまわず走った。
それからすぐ、起き抜けに行列を見つけた縁側まで戻ってきた。体中の力が抜けて、肩で大きく息をする。しばらくした後に庭の先の方に目をやると、あんなに頑なに伸びていた蟻の行列は少しも残らず消えてしまっていた。私は大きく息を吐いた。週明けからまたあの通学路を通るのが、なんだかつまらなくなってしまうような気がした。
どうも、瑪瑙です。
満足していただけたら嬉しいです。