72、罠−1
セシリア、ブルーム、リアンはシャングリラの本拠地、マンセル男爵領に再潜入する為にワグナール侯爵領に来ていた。ライリー伯爵領では顔を見られているので再び戻ってきた事に気づかれないように気遣った。どの道ワグナール侯爵領からもマンセル男爵領は隣接しているとはいえ、山を挟んでいるのでどっち側でも対して変わらない。ただどこに密偵が潜んでいるか分からないからだ。
到着すると酷い土砂降りだった。
これでは隠密魔法で上空を飛んでも気づかれてしまう。
「セシ、ここは一旦宿を取って休息を取ろう。この雨では動けないよ」
「……分かった。ごめんなさいお兄様、お疲れでしょう? 私の気まぐれに付き合わせてしまって、いつも迷惑をかけてごめんなさい…お兄様、リアンごめんなさい」
「馬鹿だな、不満などないよ? いつも一緒にいる事が出来るこの時間が愛しいと思う。今の私があるのは全てセシとリアンのお陰だ。だから気にしなくていい」
重苦しい沈黙が続き、いろいろな言葉を飲み込み、また沈黙を守った。
結局、ワグナール侯爵領の宿で雨が止むのを待つ事にした。
「セシ…、セシは私に気を遣いすぎる、可愛いお前を守ってやりたいのに、いつも守られるのは私の方だ。
本音を言うとね、兄妹である事が偶に恨めしい…よ。私はもっとセシをドロドロに甘やかしたい、腕に中に入れて何ものからも守って好きなことをさせてやりたい。でも私は兄だからその役を他の人に任せなければならない、それが歯痒いよ」
つい、本心を吐露してしまった。ブルームがこの想いに自覚したのは、ランクル局長が両親の元の挨拶に来た時だ。
利害の一致で結んだ偽装婚約、だが、両親の元に挨拶に来たランクル局長の目はいつだってセシリアを追っていた。それはそうだ、セシリアを愛さずにいられる者などいるものか!偽装でもなんでも人々に婚約者だと言える彼が羨ましかった。セシリアを堂々と愛せる彼が羨ましかった。その時に自分の想いはセシリアを1人の女性と愛しているのだ、と気づいてしまった。そして、それを気づかれないように胸の1番奥の大切な場所に仕舞った。
「お兄様…、わたくし…私もね、正直言えば、お兄様とリアン以上に大切な存在が出来るとは思えないの。いつまでもこの3人で一緒にいたい。お兄様は私がお兄様を守っているって言うけど、お兄様が傍にいてくださるだけで私は幸せなの。それに、守るとか守られるとか言うより、何かして差し上げたくて仕方ないの。何者からも護りたいの。
元気で生きていてくださるだけで幸せなの、この胸からは泉のように愛が想いが溢れてくる。お兄様が見つめてくださるだけで心に火が灯り私に自信をくれる。お兄様がセシと呼んでくださると頭に甘く響いて私を痺れさせる。
お兄様は努力の人だわ。私にはリアンがいたから小さい頃からズルをしている気がしていたの、大した努力もせずに得た力を持っていたから。でもお兄様はそれらを努力で勝ち得ていた。いつか私のズルを知ったらお兄様に嫌われてしまうと思ったの。
お兄様は許して下さっただけではなく、変わらず愛して下さった。私にとってお兄様とリアンは私自身よりも大切な存在なの。私こそが、この時間がいつまでも続いてほしいとさもしい考えを持っているの。でも、でももう隠し通せない…うぅぅぅ」
「ああ、セシ愛しているよ、心から他の誰よりもなによりも。でもこれ以上言わないで、一線を超えてしまいそうで恐ろしいんだ。セシを辛い目には遭わせたくない、だから今はそんな目で見つめないでくれ」
「ねえ、僕ここにいていいのかな? 隠れ家に行っていようか?」
重苦しい空気を変えようとリアンが口を挟んだ。
「ううん、いて欲しいリアン」
「そうだよ、リアン リアンも愛してる。だからここにいて」
「僕は魔獣だから人間の事はよく分からないや。分かるのはセシリアと僕は繋がっているから、セシリアが僕やブルームを1番に愛しているって事だけ! 単純明快でしょう!」
「ふふ そうね有難うリアン ちゅ」
リアンのお陰で踏みとどまり、3人で食事を摂り楽しい時間を過ごす。
凄く幸せだった。今ここに何をしに来ているかも忘れてこの時間が続くことを願ってしまった。血を分けた兄妹でなければこれほど共鳴する相手と別れるなど出来るはずがない。
ブルームは先程聞いたセシリアの告白に自分の想いも何もかもを吐露してしまいたかったが、そうして仕舞えばもう歯止めが効かないことを自覚していた、だから必死に堪えたのだ。
ブルームは理解している。
セシリアは美しく賢く優しい、これまで生きてきた中でセシリア以上に美しい女性に会った事はない。だがそれだけではない、セシリア以上に自分を愛してくれる人もいない。身分でもなく、能力でもなく、容姿でもない、私自身を見て私を純粋に愛してくれる存在は他にはいないだろう。セシリアは幼い頃から年下であるにも拘らず、私に無償の愛を注ぐ。
彼女は天才だ、この世の常識では測れない傑出した才能を持っている。だがその能力をひけらかす事はない、ただ只管にその稀有な能力を私とリアンの為に惜しげもなく使う。
将来 私が婚姻した場合、私に迷惑を掛けないようにと独立し、1人でも生きていけるように店を作った。
恐らく、今後セシリア以上に愛する女性は出てこないだろう、誰かと結婚してもそれは義務であって心を預けられる存在にはならないと確信している。出来る事ならばセシリアと生涯を共にしたい、世間に何を言われても傍に置いて共に生きていきたい、例え子孫を残せずとも同じ時間を生きていきたい。セシリア以上に心を揺さぶる存在はいないのだから。
だけど、自分の地獄にセシリアを引き摺り込むつもりはない。セシリアには誰よりも幸せになって欲しいから。彼女が後ろ指刺される事がないようにこの想いは仕舞っておく。
しかしここへきて、だいぶ2人とも箍が外れかかっている、リアンがいなければ危険だと自覚をしているのだった。超えてはならない線を必死に意識し見つめて刻んでいる。
アシュレイ王子殿下の執務室。
王都から精鋭はギルドナ公爵領に向けて出発した。
アシュレイ王子は国王陛下と王太子殿下に先程の詳細について話すための準備をしていた。
謁見の許可が降りて陛下の執務室へ向かう。
そこには陛下に王太子殿下の他に宰相や護衛たちが多くいる。
人払いを願い出たが、警備上 護衛は外せず騎士団総長と副騎士団長のみ残った。
「アシュレイ、人払いしてまで話す内容とはなんだ?」
「はい、早速本題に入ります、孤児院や修道院の支援金がある組織に流れていた事はまだ記憶に新しいと思います」
「ああ、『S』に流れていたと言うアレか。結局、『S』以上の情報はなく証拠が出ず犯人は捕らえられなかったやつだな。あの莫大な金はどこに行ったのか…」
「分かったのか?」
「はい、実はあの時既に分かってはいました、ただ証拠がなかった為 公には出来ませんでした」
「なに、『S』とは何者なのだ!?」
「『S』はシャングリラと言う組織の頭文字です。そしてそれを動かしているのはシルヴェスタ公爵です」
あまりの衝撃に何とも言えない沈黙が降りる。
分かってはいたが濁していた部分でもあった。国の重鎮が国を裏切っているなど!!
これは明らかな謀反である。
「実は孤児院や修道院の支援金だけではなく、この王都の経済からも大金を搾取し、そのシャングリラの運営に充てています」
「どう言う事だ!?」
「王都の飲食店や多くの店舗は『シルヴァータ』と言う店を経由して食料を購入しています。会員費の他に食材の費用もかかる訳ですが、会員費は日を追うごとに高額になりそれが払えぬなら食材費を値上げされる。店は利益どころか、シルヴァータに支払う会費に追われます」
「なんと! それでは商売が衰退してしまうではないか!」
「それからヴェスタと言う陶器や美術品を取り扱う店も同じです。年々上がる会費を払わないと店に出される商品は店の隅で高額で展示される為に売れずに、金を作って会費を払うと言うおかしなことになっています」
「なんなのだ! それでは衰退どころの話ではない!」
「そして経営に苦慮した領主たちはシルヴェスタ公爵に支援を頼む、恩を売り服従させる。そしてそれらの金はシルヴェスタ公爵の子飼いを育て、シャングリラに流れていたと言う訳です」
「言葉が出ないな…。アシュレイ、お前はこれを一人で調べたのか?」
「違います。調べたのはセシリア・ブライト伯爵令嬢とリアン・ドラゴニアです」
「な! 馬鹿を言うな! 伯爵令嬢がどうやって調べられると言うのだ! いや、待て…、これら全ての話はそのセシリア嬢の妄想ではないのか?」
「いいえ、残念ながら…。それからもう一つ、10年前私を森の中で見つけ治療を施し救ってくれたのもセシリア・ブライト嬢でした」
「なんだって!! 10年前と言うと彼女はまだたったの5歳ではないか! そんな馬鹿な! あり得ない!!」
「私は当時の記憶を取り戻しました。間違いなくセシリア嬢とリアンが私の命を救ってくれました。私の足は皮一枚で繋がっていて骨も肉も部分的に欠損していて、他にも傷だらけで出血が多く、回復魔法では治療が出来ませんでした。あの状況では死んでも仕方ない、いえ普通では手の施しようがなかったと思います。当時彼女は、回復魔法では私に彼女の魔力が流れすぎて危険だと判断し、特別な施術をしたようでした。私が今ここにあるのは全て彼女たちのお陰です。彼女は正真正銘 魔法の天才なのです、これまでにない術式を生み出す力があります」
「俄に信じ難い。間違いないのか?」
「私の記憶に関しても、彼女の能力に関しても間違いありません」
「陛下、発言をお許しください」
「うむ」
「セシリア嬢の能力に関しては桁外れと言うのは間違いありません。実は能力テストとしてトニー・ケイジャー小隊長と競わせました。ケイジャー小隊長は実力は確かですが、相手を甚振る性格が災いして小隊長止まりでした。その、セシリア嬢に魔法騎士の実力と言うものを見せるつもりで組んだものでしたが…」
「ケイジャー小隊長か、その名は聞いた事がある。実力はあるものの、格下相手に対する執拗な行き過ぎた指導で相手を廃人にしてしまうと言う問題児だな?」
「私も聞いたことがあります。野放しにも出来ず軍則で何とか矯正させようと、要監視となっている者だな?」
「はい、そのケイジャー小隊長です。我々はいつでも止められる体制で臨みました。ケイジャー小隊長が必要以上にセシリア嬢を煽りまして…。結果だけ申し上げれば、廃人になったのはケイジャー小隊長の方でした。魔法レベル8のケイジャー小隊長を圧倒的な実力の差で!未知の魔法! ゴホン、魔法として確立されていない術式を展開し、翻弄されるだけでした。
その場に前の前副騎士団長クライブ殿がいらしていたのですが、彼がこれまで指導してきた者の中でセシリア嬢は1番の傑物だと称していました」
「何!? あのクライブが!!」
「はい、本当に規格外で恐怖を覚えるほどでした。恐らく歴代最高の魔法使いです」
「な、なんと………」
「どう言う事なのだ?何故今まで報告がなかったのだ? アシュレイを助けたとなれば高い地位も望める、それなのに何故今まで黙っておったのだ!これまでの検査で何故分からなかったのだ!?」
「私の件で言えば、目立ちたくなかったようです。私の記憶は彼女の手によって消された、だからあの時の事を何も覚えていなかったのです。彼女は彼女の家族をこよなく愛し大切にしています。平穏無事に生きていきたかったようです」
「私はまずはご報告しなかったことをお詫び致します。言い訳になりますが彼女の能力を秘匿することは彼女との約束でした、いえ、何と申しますか…、彼女が優れた魔術師である事は間違いないのですが、彼女が能力を発揮っするのは特定の人物に対してのみなのです。
セシリア嬢は兄ブルームと従者リアンに対して以外はその能力を発揮しないのです。そして我々の持つ魔道具では彼女の真の実力を測ることは出来ませんでした。
能力テストで言えば、ケイジャー小隊長がブルームを蔑んだ言葉を何度も吐きセシリア嬢を煽っていきました。相手を煽り冷静さを失わせる戦法はケイジャー小隊長のやり方です、流石に素人相手にやり過ぎだと思ったのですが、それがセシリア嬢に火をつけケイジャー小隊長を甚振る結果となりましたが、彼女が望んだ事は終始一貫してブルームに対し謝罪する事です。ケイジャー小隊長はこれまで謝罪した事はなかったのですが…、最終的にはブルームに謝罪しました。
因みにその後のテストはケイジャー小隊長が使い物にならなくなったので別の者と行ったのですが、その際にセシリア嬢自身を煽る発言をしても一切構うことなく本気になることもありませんでした、勝敗に拘ることもありませんでした。
クライブ副騎士団長の言葉では、セシリアを動かそうとブルームやリアンを利用してはならないと、とんでもなく痛い目を見る結果になるからと。
テスト中の売り言葉に買い言葉ですが、彼女自身の言葉でブルームもセシリアも魔法騎士にならなくて構わないと、そしてそれ以来ブルームは騎士訓練に参加しておりません」
「何と…。それほどの才能を持っていてか!?」
「傲慢な者なのか?」
「違います。私の発言は端折りましたが、彼女の発言はケイジャー小隊長との会話の中で出た言葉です。元は魔獣管理局に所属したいと希望がありました。国防部に所属するためにはある程度の兵士としての能力が無ければならないと言う事でテストを受けたものです。あれ程の才能を持ちながら、魔獣管理局に勤めようと考える変わり者です。
ブルームに関しても剣術や魔法などの才能の他に文官としての才能もあり、引っ張りだこです。騎士訓練と文官とこれまでも多忙を極めていましたが、騎士訓練に参加しなくなった今はアシュレイ王子殿下の補佐に入っております。傲慢と言うより寧ろ謙虚堅実な人物です。それにバーナー宰相も連れ歩いていると聞きます、ブルームもセシリア嬢も稀に見る優秀な者たちです」
「はい、私も優秀な者と聞いていたので早々に話をしてみたいと思っていましたが、私以上に忙しくしており時間が持てませんでした。騎士訓練に当てていた時間を私の側近として働かせていますが、非常に沢山の刺激を受けています。精明強幹であることは勿論ですが、一番は考え方の柔軟さと発想力です。これまでの経験の豊かさが私の足りない部分を補ってくれています。それから忖度なく事実を伝えてくれます、周りは良かれと私の目と耳を塞ぐ、それに疑問を持った事はありませんでしたが、ブライト兄妹の見せてくれる世界はこのバファローク王国に住み生活を営む民たちの現実です。私が目を向けなければならない者たちの世界を教えてくれます。
セシリア嬢に10年前の事を思い出した時、礼が言いたくて話をしました。
その際に彼女が望んだ事は彼女の従者リアンの結婚問題です。リアンに貴族の常識を押し付けないで欲しい、自由に選択をさせてやって欲しい、それだけです。
私はブライト兄妹を手元の置きたいと考えています、既に私の元で陰では働いてくれています。そして私は彼らの存在を隠せるなら隠し自由に動けるようにしたいと考えています」
「ふぅ〜、セシリア嬢を妻にとは望まないのか? それが一番確実ではないのか?」
「いえ、それは悪手だと思われます。国に縛れば彼女が能力を発揮する事はないでしょう。彼女は魔力量も魔法レベルも検査用の魔道具でさえも好きに操作してしまう、つまり我々は彼女の真の姿を知るには彼女が見せてもいいと思わなければ見る事も知る事も出来ないということです。それに王家に入れば討伐などに出るのは難しくなります」
「残念だな…。まさか! 黒毛のホーンラビットを葬ったのはセシリア嬢なのか!?」
「はい。護衛が8人がかりでも何も出来なかったのに、彼女は涼しい顔でホーンラビットに向け水魔法で出来た弓矢で狙うと動き回る獲物を一矢で命中させました。その後の雷の攻撃や風の攻撃はブルームが対処しましたが、ホーンラビットの耳を掴みジッと見つめるとなんと暴れていたホーンラビットが大人しくなってしまったのです、その後球体に閉じ込めてしまいました。彼女がしたのはたったそれだけです」
「何という…魔獣をも沈黙させる圧倒的な実力差だったという事だな?」
「はい、戦わずして相手の力量は測れていたのだと思われます。そしてあの場にもし彼女がいなければ、私はここに戻る事はなかった、つまり私は二度、彼女に命を救われたのです」
「ふぅ、分かったアシュレイの判断に任せよう」
「それで彼女はどこに行ったのだ?」
「はい、実はもう一度シャングリラの本拠地 マンセル男爵領で確認したい事があると3人で向かいました」
「なるほど…分かった。後程詳細を報告せよ」
「承知致しました」




