酒とつまみと肉と芋
今夜開催予定の飲みくらべ選手権決勝トーナメント会場は、集落唯一のタバーン「三対の猫苺亭」である。
三対の猫苺亭は宿屋というよりはエールハウスに近い。
二年前に代替わりして、宿屋自体は若夫婦のヨエルとダフネの二人で切り盛りしているが、自家製エールの醸造は先代が取り仕切っている。こっちはまだ修行中らしい。
夜になると居酒屋になるのだが、今回のように宴の場として貸し切ることも可能だ。
もちろん、店主一家もジョッキ片手に顔を出すし、時には宿屋の客も飛び入り参加する場合もある。
この飲み会は、基本的に各自マイアルコールとマイつまみを持参するのが参加条件だ。自分の好きなものの他に、誰かが好きそうなものを選ぶのも楽しい。
私は故郷の友人が毎年送ってくれるシングルモルトのウィスキーと、今年飲み頃を迎える黒すぐりを醸した自家製のカシスワインを持っていくことにした。
パトナージュ二回、ラッキング五回、熟成一年ちょっと。
試行錯誤の末にたどり着いた、私にとってベストな味への行程だ。瓶詰め前の試飲段階で、美味しすぎて半分飲んでしまった。
あれから一年置いたカシスワインは、より複雑な旨味が出て、甘くないけど辛口すぎず、いい感じに仕上がった。
ついでに健康に関する効能も上げておいた。
私も含めてみんないい大人なのよ。根を詰めすぎて、目とか肩とかダメージ食らってるから。
血行、大事。
神官さんのリクエストに応えた、酒飲み用カンディスと例のスペシャルなタンポポコーヒーの飴もバスケットに入れた。他の試作品もいくつか持って行こう。
おつまみはなににしようかな。
そうだ、偽物ウサギのチーズトーストにしよう。格子状に切り込みを入れてちぎりやすくすれば、手に取りやすくなる。
エールとマスタードとチーズとソース。
昨日焼いた古代小麦のパンもまだ残っている。材料は揃っているので、さっと作って持って行こう。
今日は何人集まるんだっけ? バターで小麦粉を炒めながら、いつもの顔ぶれを考える。
十人ちょっとか。厚めにスライスしたパンで五枚分、作るとしようか。
ふんふん鼻歌を歌いながら、炒めたルーをエールで伸ばしていく。刻んだチーズを大量投入。よし溶けた。
ソースとマスタードで味をつけていく。おつまみなので、少し固めにしちゃおう。
そろそろソースも仕込まなきゃなぁ、と思いながら味を見る。うん、いい感じ。
軽くトーストしたパンにガーリックバターをうすーく塗って、出来上がったチーズソースをかけて焦げ目がつくまで焼けば完成。
味見としてひとかけ分をちぎって口に放りこむ。
……ビール。ビールはどこだ。ビール!
うっかりビールの栓を抜きかけるほどには美味しくできた。
無意識に手にしていたビール瓶と栓抜きを元の場所に戻す。危なかったわ。
これで準備完了。
魔法炎の精霊の加護を受けた保温ボックスに出来上がったトーストを入れて、いざ三対の猫苺亭へ。
昼間、色素材を納品した時に一緒に行く約束をしたので、まずはキーラのところへ寄る。
キーラも準備万端で私が到着するのを待っていた。
今日のキーラは、シンプルなストンとしたロング丈のワンピースにフリルいっぱいの足首までの見せドロワーズ。
とことんまで飲むという強い意志を感じるガチコーディネートだ。
艷やかな赤毛に似合うアースカラーで統一したグラデーションが可愛い。
可愛くてお腹が楽なの、いいよね。
「お待たせ。今日はなに持ってくの?」
「ユールタイドに私が出してるクラブアップルウォッカ、あるじゃない?」
野生種の小さなりんごと一緒に、スパイスと砂糖をウォッカに漬け込んだお酒だ。冬至祭に合わせて、キーラが毎年一ガロン仕込んでいる。
「あるね。でも毎年瞬殺だよね?」
黄金色に色づいた美しい液体。甘くて香り高いこのりんごのお酒は、女性だけでなく男性にも人気がある逸品だ。あっという間になくなってしまう。
「実は、みんなに見つからないように隠していたものがあるのよ」
隠してたんかい。
「禁酒法時代じゃないんだから」
思わずこぼした私の言葉に、キーラはニヤリと笑った。
「それほど間違ってはいないかな。だってポチーンで漬けたからねえ」
私は真顔で親友の顔を見た。
キーラも私を見つめ返し、そのまま固い握手を交わす。
「キーラ、あなた最高ね」
「知ってる。あなたもよ、テア」
私たちは友情を再確認した。
ちなみにポチーンとはキーラの故郷で作られる、元密造酒である。蒸留を繰り返してアルコール度数を高めた庶民の酒だ。
消毒できそうなほどには強い酒だが、以前、キーラの実家で飲ませてもらったポチーンは喉が焼けつくような強さにも関わらず、すっきりとして美味しかった。
キーラのお母様いわく。
「最後の蒸留前に、少し仕掛けをね」
どうやら秘密のレシピらしい。そんなポチーンで作ったりんご酒が美味しくないわけがない。
「おつまみはなに用意したの?」
「ブルーチンよ」
キーラの故郷のポテト料理、ブルーチン。
スカリオンという長いネギと、ミルクとバターがたっぷり入ったマッシュポテトだ。
少しゆるめで、クリーミィだけどネギの風味が効いていて、私も大好き。
「昨日の夕方、アニカの雑貨店で神官さんに会ったんだけど、飲み会には出来たてのコーンドビーフを持って行くって言ってたの。いつも作ってくれるやつ」
「神官さんの数少ない労働だもんね」
ぐうたらな神官さんだが、保存食を準備する仕事はまめにやっている。巡礼者のためだ。
頻繁ではなくても、月に数人はこの地の神殿に宿を求めると聞いた。
長い距離を歩いてきた旅人へ振る舞われるのが、優しい味のポトフだ。
丸のまま入れられた野菜はほくほくのとろとろで、大きめにカットされた牛の肩ばら肉は、口に入れた瞬間にほろほろと崩れそうになるほど柔らかい。
あんまり美味しいので、初めていただいた時に作り方を尋ねてしまった。
「コーンドビーフと野菜をぽいぽい鍋に入れて煮込んでるだけで、味付けすらしてないよ」
その塩漬けされた塊肉のレシピがほしいです、神官様。
コーンドビーフとは新大陸風のソルト・ビーフのことだ。若い頃に、神殿の仕事で新大陸に派遣された時に覚えたそうだ。
ともかく、神官さんのお手製コーンドビーフは魔法の肉塊だ。塩漬け肉という保存食ではあるが、茹で上げてしまえば時短料理の神食材でもある。
適度に塩を抜いてから三、四時間ほど低温でボイルする。
まず、これだけで一品料理になる。分厚く切って、温かいうちに粒マスタードと一緒に食べたりとか。大好き。
すりおろしたホースラディッシュを添えた赤ワインソースを、はしたないほどバシャバシャかけても美味しい。肉、最高。
そんな神官さんの特製コーンドビーフのレシピだが、あっさりと教えてくれた。
海の塩と山の塩、それに含蜜糖をブリスケットという肩ばら肉の塊に揉み込んでいく。そのまま一晩放置。
塩と砂糖を洗い流して、ソミュール液に九日間じっくりと漬け込む。
このソミュール液も魔法の液体としか言いようのない代物なのだ。
肉にすり込んだ量の倍の塩と砂糖、香味野菜各種、ハーブと香辛料、それに内緒のシェリー酒を合わせてひと煮立ちさせて、冷ますだけ。
漬け込んだ肉はポトフにする分を除いて、氷水で塩抜きをする。
「その後って、ひたひたの水でことこと茹でればいいんでしたっけ?」
「そうだよ。二、三時間くらいかな。面倒じゃなければビーフストック、簡単に美味しく作るならビーフブロス使うといいよ」
確かにビーフストックを用意するには半日かかりきりになるなぁ、と思いつつ聞いてみる。
「ブロスにしたって簡単というには準備がいりますよね」
「すね肉のシチュー作る時に下ごしらえするじゃない? その時のスープで充分だよ」
本当に食についてはまめだな、このおっさんは。
すね肉を下茹でする際にできるスープ、神官さんいうところの簡単ビーフスブロスと、オリジナルブレンドのスパイスだけで茹で上げるのだそうだ。
「巡礼のお客さん用の朝食にはそんな感じで作ってるよ」
うん? そうじゃないバージョンもあるの?
「自分用とか君たち酒飲み仲間用には、ジンジャービールで茹でる」
なにそれ最高。
神官さんの酒飲み用コーンドビーフは、何度かいただいたことがある。出来たて熱々のものを何もつけずにはふはふ食べても美味しかったのだが、キーラには不満があったらしい。
「ポテトがない肉料理なんて私は認めない。故に私はブルーチンを用意した」
やっぱりキーラは最高だ。