辺境の色彩魔術師
あとはこのブルーベルを籠いっぱいに集めれば、記憶の青空を再現できるはずだ。
膝の高さに満たないくらいの細い茎は、空に伸びたあとに大地へと弧を描き、青い花たちを吊り下げている。
小さな釣鐘の形をした花々は、ゆらりゆらりと風に揺れる。もし音が鳴るのなら、ちょっとした演奏会になりそうだ。
そんな想像をしながら、頭の中で材料を調合し簡単な試作をしてみる。
うん。いいんじゃない?
曇りがちな春の空は、薄絹のベールを脱いで夏へと一歩を進める。今回依頼されたのは、そんな夏始めの日の空の色だ。
空の色を作る場合、私は瑠璃の石とつぐみ石をベースに季節の花を使う。
だって旬を感じられるものね。何事においても季節感は大事だと思うの。
これが秋分祭の日であれば、青系の鉱石に野生種のコーンフラワーとアガパンサスを混ぜていく。
少し淡い色のものを選んでもいいかな。澄み渡る秋の空は夏より青が柔らかい。
砕いた鉱石と傷のない花びら。
私の仕事はこの二つを集めることから始まる。数多ある色の中からこれと決め、採取したり購入したりして確保する。
材料さえ集まれば、今回の私の作業は半日もあれば終わる。楽勝だ。手持ちの材料と近所に咲く花で対応できた。
いつもこんなだと楽だけど、難しい依頼も好きなのよね。挑戦と書いて人生と読むのが、私という人間なのだ。
まずは花たちに挨拶をして、摘むことに対しての断りを入れた。
丁寧に花を摘む。花弁を潰さないように、一つ一つ大事に集めていく。
「今日もご機嫌ですね、コロルリア」
朗らかな甘い声に振り返る。いつの間にか陽が高くなっていた。
森の中、ブナの木立の底一面に広がる青い花の湖。
その向こう側の陽だまりに立つ、背の高い黒髪の人物を見つけた。あまりにも絵になりすぎていて、思わず顔が綻んでしまう。
「代行さん」
先々月から顔を見せている若い石売りさんだ。
十年以上の付き合いがある女性の石売りさんが産休を取るために、一年という期間限定で彼女のルートを代行して周ってくれているのだ。
異国の人だからだろうか。彼の名前は難しい発音をする。
せっかく教えてくれたのに、覚えられなかった。なんて情けない。
何度も呼び方を失敗していたら、気を悪くした様子もなく「代行ですからそのように呼んでくれたらいいですよ」と言ってくれた。優しい。
花の入った籠を落とさないように抱え直して、立ち上がる。花を踏まないように避けながら、代行さんの元へ歩いていく。
「お仕事の邪魔でなければよかったんですが」
「全然! ちょうど休憩を入れるところでしたから問題ないですよ。それに鉱石を仕入れるのも大切ですもの」
お気遣いありがとうございます、と代行さんは微笑んでくれる。可愛い。この笑顔に癒やされる。
男性ながら、美人と表現したくなるほど女性的できれいな面立ちの代行さんは、いつも穏やかな顔をしている。
あまり激しい感情を見せないタイプだけど、ふとした時にいたずらっ子のような表情が浮かんで、なんだか可愛らしいのだ。
「なにか珍しい色の石はありますか?」
代行さんに引き継いでから、目を惹く石を見せてもらう機会が少し増えた気がする。
見たことのない石があると楽しくなる。知らないものとの出会いはわくわくする。
私の問いかけに、代行さんは微笑みながら頷いた。ぜひとも拝見したい。
工房へ戻り、来客用のテーブルへ案内する。
「金緑石の一種と判定されました。光の種類で色が変わるんですよ」
代行さんの四角い鞄には、鉱石ケースがたくさん収納されている。その中の一つを開けながら、心地のいい声が説明を続ける。
「光の種類というと」
「太陽光だったり魔術由来の光だったり人工光だったり、ですかね」
カモマイユのティザンヌに少し蜂蜜を落としたものを代行さんに差し上げたら、またしても素敵な笑顔を向けてくれた。
代行さん、このハーブを使ったお茶が好きだものね。美味しい顔を見ると私も嬉しい。
「空いている手を出してくれますか?」
言われたとおりに右手を差し出すと、手のひらに小さな石を落とされる。
小指の爪ほどの大きさのそれは、すでに研磨されていた。荒削りのカッティングだが、充分に美しい。
「このままでもきれいな緑色ですよね」
「ですね。でも、例えば夜の人工光の灯りの中では鮮やかな薔薇色になりますよ」
なんと。そこまで劇的に変わるのか。それは珍しい。
だが、鉱石マニアとしてはめちゃくちゃ楽しいけど、色彩魔術師が扱う材料としてはどうだろうか。使いどころが難しい。
「ちなみに、魔術の光だとどんな色になるんでしょうか」
にこりと代行さんが微笑む。私の関心メーターの針が激しく動き出したことに気づいたようだ。
代行さんは、鞄の中からペン軸なようなものを取り出した。
かちりと音がして、一筋の光が件の鉱石を照らす。
「これは雷鎚由来の光」
深い青に輝く石に変わっていた。おお、素晴らしい。
かちり、と再び音がする。
「これは再生系」
いわゆる再生魔術での治療時に見る、薄青色がかった光だ。
「金色とは予想外」
「トパーズより金色感が強いですね」
うむ。確かに。
「最後に人工光」
光の種類が変わり、目に馴染んだ明かりが石を包む。キラキラと輝く薔薇色。私はうっとりと見つめてしまう。
「この色、好きです」
「お得意ですもんね。深緋のダハクテアならお気に召されると思ってました」
急に、覚えのありすぎる二つ名を呼ばれて、喉の奥がひくりと鳴りそうになる。
「……すみません、その名前で呼ぶのは止めてほしいです……」
思わず、小声でぼそぼそと抗議する。
「その、確かに赤や暖色系統を作るのは、人よりだいぶ得意ですけど」