出会い、のち転移 4 side L
気が付けば琉唯は、白い空間に一人立ち尽くしていた。
「……リョウ、さん……?」
今しがたまで、琉唯を抱きしめてくれていた人の名を呼ぶ。
頼りなげにかすれた声が、果ての見えない空間に溶ける。
遊んだ帰り道で絡まれていたところを、さっそうと駆けつけ助けてくれた人。
二重の切れ長の瞳が心配そうに琉唯を覗き込んで、安心させるように穏やかな声で話しかけてくれて。
本人の言葉通り、急いで追いかけてくれたのだろう。整髪料で後ろへ撫でつけられた焦げ茶色のパーマの髪が、僅かに崩れて額に一房落ちていた。
紺色のスーツから覗く2つばかり外されたワイシャツのボタンと、緩められたネクタイ。そこから覗いた白い肌と綺麗に浮いた鎖骨が色っぽくて、思わず目を逸らした。
格好いい人だと思った。
直前まで襲われていたからではなく心臓がドキドキして、ハンカチを渡され手を繋がれて更にドキドキが大きくなって、貰った名刺が宝物みたく思えた。
あまり人と話すことが得意じゃない琉唯の話を、遮ることなく聞いてくれる諒と2人、ゆっくりとした歩幅で人気のない公園を歩いていたはずなのだ。
それなのに、いきなり地面に飲み込まれたと思ったら、1人でこんな訳の解らない場所に放り込まれているなんて。
「なんで……ここ、どこなの……?」
心細さに泣きたくなる。
その場から歩き出すことも出来ないまま、どれくらい立っていたのか。
「!?」
不意に、目の前に白以外の色が生まれた。黄色、緑、紫に青、赤……虹の様な光が渦を巻き、だんだんと形を作り上げていく。
ぼやりとした輪郭が、人型だと認識できるようになったくらいで、虹色の光の勢いが薄れていった。
意味の解らない現象を、身じろぎも出来ずに凝視している琉唯の前で、頭に位置する場所に2筋の切れ目が入る。すぅっと太さを増しては細くなるを繰り返していたそれらが、眼なのだと、遅ればせながら琉唯が気付いた時。
人型の光だったモノは、光をまとった美しい女性の姿に変わっていた。
「はじめまして」
「……は、はじめ……まし、て?」
ニコリと微笑まれて、反射的に言葉を返す。
緩やかなドレープを描く白い布を身にまとった、金の瞳に長い金の髪を垂らした女性が、ゆったりと近付いてくる。
思わず一歩下がれば、その女性は神々しい微笑みを向けたまま距離を詰め、冷え切った琉唯の手を取りあげた。心ごと温めてくれた諒の手と違い、マネキンのように温度を感じないサラリとした感触に、肩が大仰に跳ねる。
「わたくしは、女神シャーリーリュカ。貴方には、わたくしが作った国、シャーリール王国を救う手助けをして欲しくて、呼んだのよ」
「……はい?」
笑顔のまま言われた台詞の意味が解らなすぎて、あまりに現実感の無い出来事が立て続けに起こるものだから、琉唯は本当はあの公園で、転んで頭でも打ち気絶して、夢をみているんじゃないかな、と考えた。リョウさんが夢の産物だったら嫌だな、とも。
すん、と表情の消えかえた琉唯に構うことなく、自称女神は歌うように言葉を続けていく。
「貴方のいる世界って、面白いわよね。神達が姿を見せなくなって久しいのに、未だにその存在を信じて、像を建て、文字に残し、奇跡を望んでいる。わたしくしのように時に姿を見せて直接力を授けている訳でもないのにね。万人の心の奥底に神の姿があるから、神達の力が陰ることも無いし、尽きる事のない湧き水のように湧いてくる。羨ましいわ」
「……はぁ」
「それにね、特に貴方のいる国。あの小さな島国だけは、どんどん新しい神が生まれてくるのよね。他の島では古くからいる神が綿々と敬われ続けているのだけれど、新しく生まれる事は滅多にないのに。不思議だわ」
言葉通り、本当に不思議そうに首をかしげる女神に、琉唯がいったい何を言い返せようか。女神の国の話からいきなり飛んだ日本の話をされて、頭の中は疑問符だらけだ。
「……そうですか」
とりあえず無難な相槌を打つが、世間話がしたいのなら、それこそ無駄にたくさんいるらしい神様達としてくれないかな、と考える。
愛想を浮かべる余裕のない琉唯に気も止めず、女神の言葉は更に続く。
「だからね、そんな国の者ならば、わたくしの力を増やしてくれることも出来るのじゃないかと思ったのよ」
「はぁ。……はぁ?!」
半ば聞き流していた琉唯の耳が、これまたいきなり飛んだ結論を拾いあげた。
なぜそうなった。
「丁度良く、シャーリール王国の者が召喚の魔術を組んでいたし、どうせならわたくしに都合のいい者を呼び出そうと思って介入したの。あの者達は増える魔物をどうにかして欲しいだけみたいだけれど、わたくしはわたくしの力を増やしたかったから。だって力が増せば、出来る事も増えるのだもの」
都合のいい者、と言い切った女神には、何の他意も悪意も無いようだった。むしろ良い事をしたとでも言いたげに、やり切った感満載の惚れ惚れする様な笑顔を浮かべている。
魔物をどうにかする、という不吉極まりない台詞も気になるが、それよりも。
「……それで、なぜ僕が選ばれたのか、聞いても?」
反論はするだけ無駄だと一瞬で悟った琉唯は、とりあえず聞ける情報は聞いておこうと意識を変えた。
気が強いわけでも、何か戦えるような特技が有るわけでもない自分に、なぜ白羽の矢が立ったのか。
今この場で起きていることが夢でも想像の産物でもないのなら、琉唯の身が、この先地球からかけ離れた未知の領域へと送られることは決定なのだろうから。
元々口数の多くない琉唯だが、荒唐無稽な話を聞くこと自体が苦痛な今、一層ぶっきらぼうな話し方になってしまっているのは致し方ない。
「そうね、召喚陣が繋がった先で、求めるものと一番合致していた個体だから、かしら? わたくしの国にはね、聖剣というものがあるの。昔、わたくしが今よりもまだ力が少なかったころ、出来上がった国を他の神達に壊されることが無いよう、人間達が対抗出来るように作ってあげたのよ。その聖剣が持てる者は、シャーリール王国では勇者と呼ばれるわ。これはね、わたくしが持つ神の力を切り離して一から作り上げたモノだから、何者でもない者しか持てないの。ちなみに、持てるのは男性体のみに限られてしまうのだけど」
わたくしの力が、切り離したとはいえ他の女にいいように使われるのは嫌だもの。と朗らかに笑う女神は置いておいて、気になった言葉を聞き返す。
「何者でもない者……?」
「そうよ。あのね、国には王がいるでしょう?王は王よね。そして、仕える兵も、兵でしかない。あの国ではね、貴族は貴族、農民は農民、冒険者は冒険者……皆、既に自分の役割と魂が結びついてしまっているの。その上に更に役目を追う事は出来ないのよ。どうしても意識が魂に寄ってしまうから。だからね、勇者になるには、何者でもない者しかなれないの。決まっていない者だけが、新たに勇者になれるのよ」
「……僕がその、何者でもない者だと?」
「だってあなた、選んでないでしょう。決める気も無さそうだし」
「!」
「わたくしの世界には無い考え方だわ。貴方のいた世界にある他の大きな国には、もっとたくさん貴方みたいな人達がいたんだけれどね。でも召喚の陣が現れた場所も、わたくしの力を増やしてくれそうな素地があるのも、あの小さな島国だったから。その近くで一番聖剣と相性がよさそうな個体が、貴方だったというわけ」
わかったかしら、と金の瞳を瞬かせる女神に、何から突っ込んでいいか解らない琉唯は、とりあえず唇を引き結んで頷きを返した。
誰でも良かったのなら、自分じゃない人間を選んでほしかったとか。こんな自分勝手な女神の力と相性がいいと言われても、全く嬉しく無いとか。口を開けば余計な事を言ってしまいそうだったので。