出会い、のち転移 2 side R
次に気が付いた時、諒の身体は、冷たい地面の上に横たわっていた。
ウワンウワンと膜一枚を隔てたように聞こえていた騒めきが、徐々に聞き取れるようになってくる。周りを取り囲むこの騒音のせいで目が覚めたのだろう。
腕の中にいたぬくもりをぎゅっと抱きしめ直してから、諒はゆっくりと身を起こす。
「おお! 召喚は成功じゃ! 勇者様がいらして下さった!」
「ありがたい! これで、我が国は安泰だ!」
「300年ぶりにあの魔物共に占領された地が我らの元に帰って来るぞ!」
「勇者様! 勇者様、よくおいで下さった!!」
「名は、名はなんと申されるのか!」
「待て、聖剣を抜けるか確かめるまでは、早まるでない!」
「2人居るぞ! どっちが勇者様なのだ?!」
「男の方に決まっているだろうが! 女は、たまたま付いてきてしまっただけだろう」
「なんと! 召喚が成功したから良いものの、余計な物のせいで失敗に繋がっていたらと思うと腹立たしい!」
「勇者様、どうかこちらへいらして下さいませ!」
聖職者が着る様な白いローブを身にまとった人達から、口々に投げかけられる自分勝手な声に返事をすることなく、じっくりと周りを見回してみる。
諒達はどうやら、大理石に似たタイルが敷きつめられた、広場のような場所の真ん中に倒れていたらしい。
座り込んでいる床には、飲み込まれた黒丸とほぼ同じ直径の円に、一瞬だけ見えた蛍光緑と同じ色の光る線で、複雑な模様が書き込まれていた。
周りを囲む男達は、なぜかその線から内には入ろうとしない事に気が付いた。今の段階ではそれが何を意味するのかは不明だが。
幾本もの太い柱で支えられた円筒形の部屋は、相当高い場所にあるようで、柱の隙間から見える景色はとても見晴らしがいい。というよりも見渡す限り森と青空しか見えない。
時差があるのか半日かけて跳んできたのか、はたまた時間の流れが違うのかは解らないが、夜でない事だけは確かである。
座り込んでいる場所的に下を見下ろすことはできないが、視界の中を遮るものが無いという事は、今いる場所が一番高い建物なのか、他に建造物が無いかのどちらかだが……
「その聖剣を引き抜いてくださいませ! あなたになら出来るはずですぞ!」
無言で情報収集している涼の耳に、煩わしい声がまた一つ届いた。
召喚、勇者様、魔物、聖剣————
映画や小説の中でしか出会えない言葉が、先ほどから幾度も聞こえている事には気が付いていた。
某大国の映画村がドッキリに加担でもしていない限り、ここまで大掛かりな仕掛けは作れないだろうから、いい年をした男達が頭のイカれたコスプレ集団で無いのならば、順当に考えて諒達が『召喚』とやらをされたことになる。
不可解な事に、大学や仕事関係で一通りの語学をさらった諒でも聞いたことのない言語が、なぜかするりと理解が出来ていることも加味すると、非現実的に過ぎる召喚がいよいよもって現実なのだと認識せざるを得ない。
その、と言われて指示された方向に目を向ければ、壁の近くにある腰ほどの高さの滑らかな台に、一振りの剣がこれ見よがしに刺さっていた。
煤けたように色褪せて、お世辞にも切れ味が良さそうには見えないが、精巧な模様が刻み込まれている両刃の刀身は美しいと言えなくも無い。
さて。試すのは良いが、抜けなかった場合の周りの反応が気に掛かる。
盲目的に諒を勇者と祀り上げているようでいて、聖剣が抜けるかどうかで今後の対応が変わりそうな雰囲気もあることだし。
「どうぞ、聖剣の元へ! さあ! さあ!」
「なぜ先ほどからお声を聞かせて下さらないのだ? まさか言葉が解らないのかっ?」
「馬鹿な! 過去の勇者様達は召喚されてすぐに話が出来たと歴史書に記されている!」
「ならば……このお方は――」
「ちゃんと聞こえているよ。身が覚めたら知らない場所で知らない者達に囲まれていて、此処が何処なのか考えていただけだ」
勝手な推測が可笑しな方向へ向かいかけていたので、仕方なく諒は声を上げた。
もう少し情報収集がしたかったが、あとは直接聞くしかない。正直に答えてくれるかは疑問だけれど。
「おお、そうでしたか! これは失礼を。では、早速聖剣を――」
「聖剣って何? それを抜いたらどうなるの?」
後ろの列にいた、ひときわ豪華な服をまとった中年の男に、視線を合わせて質問する。
ピクリと眉が上がったが、すぐさま穏やかな笑みに戻り答えを返してくれた。
「もちろん、聖剣は神が我ら人間の為に作って下さった、聖なる神器にございます。それを抜き、対話がなされることで貴方様が勇者だと証明されるのですよ」
「抜いた後は? 私は剣なんて持った事ないんだけど」
「なんと……そうでしたか……。そうですな、聖剣は勇者様しか扱えませんので、歴代の勇者様が残された、勇者様しか読む事の出来ない資料等を参考に、扱い方を覚えていただきます。普通の剣技であれば、城の者がお教えすることも可能でしょう」
「勇者ってなに?」
「召喚の儀を通して神が遣わして下さった、魔を払い、悪を滅し、この地に平穏をもたらして下さる有り難いお方でございます。何を隠そう、我らが王もその身に勇者の血を引いておりますゆえ」
「……ふぅん」
王政の宗教国家か。面倒くさい事だ。
だが、王が勇者の血を引いていると言うのなら、少なくともあの古ぼけた剣さえ抜ければ、まともな対応が約束されているという事でもある。
ここにきて諒は、腕の中に抱えたままの、もう一人の勇者候補を改めて見下ろした。
明るい日差しに照らされた、未だに目覚める気配の無い白い顔。
抱えた腕からこぼれた黒髪が、白い床に広がっている。
通った鼻筋に秀でた額、長い睫毛。
まぶたとうっすら開かれた唇が同系色のオレンジで塗られており、その瑞々しさを食みたくなる。
閉ざされた瞳は見えないが、思っていた以上に美しい子だ。
諒が勇者であった場合は何が何でも守るつもりでいるが、もし、この子が勇者だったなら。
10歳年下の瑠唯が勇者として、召喚と言う名の誘拐を神の御業だと誇らしげにのたまう国を背負い、魔物とやらに対峙しなくてはいけない未来を想像する。
――無理だ。よし、勇者になろう。
諒は即断した。
まず、あの剣を抜かなくては。
これが物語であれば、聖剣なんぞという物は決まった人間にしか扱うことが出来ない。話の流れ的にここの聖剣もそうだろう。現地民が扱えるのならばそもそも勇者も現地調達でいいのだから。
召喚されたという事のみが鍵ならば、諒も瑠唯もその資格はあるが、これが男だけが扱えるという事になれば、話しはちょっと難しい。
ここにいる者達は全く気が付いていないようだし、あえてバラそうとも思わないが、諒は女なので。
「……よし」
瑠唯を抱えたまま立ち上がり、そのまま流れるように力の抜けた身体を横抱きにする。
「あ、その女はこちらに――」
「いや、私の大切な子なんだ。知らない場所で、知らない人間に託したくはない」
「……さようでございますか」
不満そうな声を無視してぴしゃりと言い捨て、諒は蛍光緑の模様から足を踏み出した。
周囲が固唾を飲んで見守るなか、ゆっくりと台座へ向かう。
ローブの集団を背に立ち、一拍。
腕の中の身体を一度揺すり上げてから、胸の高さにある剣の柄に手を伸ばした。
きしし、と石を擦り合わせる不快な音があたりに響き、刀身が動く。
「おお……ッ、お、おおお……!」
背後の気配がザワリと動く。
見せつけるように時間をかけて引き抜いていき、台座から剣先までが露わになった瞬間。
広場に、優しく柔らかな、白い光が満ちた。
「うおおおおおっ!!!」
「勇者様!!」
「勇者様だっ!!!」
「やはり、貴方様が……っ!!!」
「ああ、喜ばしい事だ! 早く王に報を飛ばせっ!」
「急げっ、神殿で披露目の支度を!」
バタバタと動き出す音を背中に聞きながら、いつの間にかくすみの消え去った、濡れたように美しい刀身を一振りして、聖剣を台座へと刺し直す。
諒は、ほぅ、と小さく溜息をついて振り返った。
すぐ後ろに人が立っていた事に驚くが、目に見える反応は意地でも返さない。
先ほど質問に答えてくれた位の高そうな中年男に、余裕ぶってニコリと微笑みかける。
「これでいいかな? 王様とやらに会う前に、まずは休ませてほしいんだけど。此処に来る前は、私の国は夜だったんだよ。精神的にも肉体的にもクタクタでね」
「は、そうでしたか……ならば、王にはそのように伝えましょう。なに、支度が整うまで時間もありますからな。大切な勇者様の御身に何かあってはいけませんから、本日はゆっくりとお休みくださいませ」
「うん、ありがとう」
「してその、連れの女は……」
「一緒の部屋にしてくれる? 一時たりとも離れたくない」
「……かしこまりました。では、誰か案内を」
目配せを受け、諒と変わらない年頃に見える男が進み出てきた。
銀色の髪に紫眼など、漫画でしかお目にかかった事が無いため、ついまじまじと見てしまう。
不躾な視線にも穏やかな笑みは崩れることなく、丁寧に頭を下げられる。
「私が。今日の所は、神殿に用意された部屋をお使いいただきましょう」
「どこでも構わないよ」
「そのような事をおっしゃらないで下さい。勇者様は神に遣わされた尊い身……王に次いで大切な存在となられるお方なのですから」
「……そう。まぁいいや、よろしく」
「はい。それではこちらへ」
抱き上げたままの瑠唯に何を言う事も無く、先に立って歩き出す姿に好感を覚える。
先ほどから、あまり良くない視線がチラチラと向けられている事には気が付いていた。彼らが言うところの尊い勇者サマに、特別扱いされている存在が気に食わないのかもしれない。
忌々しいそれらの視線から隠すように、細い肢体をいっそう強く抱き込んで、諒は大股で男の後を追った。