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出会い、のち転移 1 side R

よろしくお願いします。

 


 矢澤諒(やざわりょう)がそれに遭遇したのは、会社で年3回行われる無礼講飲み会の一つ、新入社員歓迎会からの帰り道での事だった。


「……あれ、痴話喧嘩かなぁ?」

「えっ、どこどこ? ……あ、あそこの路地のトコ? っていうか、なんか……」

「揉めてない? あの子、嫌がってるよ。お巡りさん、呼んじゃう?」


 同期の女子社員達と団子になって煌びやかな繁華街を歩き、駅に向かう途中で見かけた光景は、短髪を茶色に染めた成人過ぎの男が、細身の子の腕を掴んで、無理やり路地の奥へと進んで行く姿だ。

 確かに同僚が言うように、必死に腕を振って身をよじっているし、ちらりと見えた小さな白い顔には涙の跡もあった。


「ちょっと、行ってくる」

「あっ、諒くん!?」

「すぐ戻るから!」


 言い捨てて走り出す。

 金曜日の10時過ぎ、駅前まで続く道は雑多な人で溢れかえっていた。自分と同じく酒臭いスーツ姿の男や、仲良く腕を組んで歩いているカップルに身をぶつけながら、諒はやっとの思いで大通りを横切り路地へと入る。

 ギリギリのところで、細道の先を左へ曲がる2人の姿を視界にとらえることが出来た。

 この辺は通勤に使っている道の傍だから、ある程度の地理は解る。

 大通りを一本奥に入ると、通りに並行して広がる長めの公園があったはずだ。今の時間なら灯りの及ぶ辺りには若者達の姿もあるが、住宅地側の暗がりへ行けば人気は無くなる。

 男の目的地は多分そちらだろう。


「……はぁ、酒入りで走るのはっ、流石にしんどいなっ」


 火照った体の熱を逃がすため、締めていたネクタイを緩めて第2ボタンまでを開ける。

 飲み会のイベント用で、踵が太く厚みのある、がっちりした靴を履いていたことは幸いだった。普段の見た目重視なものでは、ここまで思い切りよく走れなかっただろうから。


「! いた! ……っあいつ!?」


 さほどの差も無く後を追えたおかげで、2人はすぐに捕捉できた。相変わらず掴まれたままの腕を、必死に引きはがそうと抵抗している子に向けて、男のもう片方の手が振り上げられる姿が目に入る。

 力を込めて踏み込み、一気にスピードを上げて、間一髪で割り込んだ。


「……っ、流石に、暴力はないんじゃないの?」


 細い身体を背後にかばい、振り下ろされる腕を二の腕で受ける。

 じん、と肩まで響く痛みに、とりあえず間に合ったなと涼は息をつく。

 背後から息をのむ音がした。


「なっ、なんだテメェは! 関係ない奴はすっこんでろ!」

「そうは言ってもね、この子、嫌がってるじゃん。こっちの手も放してもらうよ」

「はぁ?! ッ、い、イテェエッ!」


 握っていた手を上から掴み、少しばかり力を入れる。関節技の練習はこういう所で役に立つのだ。

 大げさに痛がって距離をとった男に、冷ややかな声で忠告する。


「君ね、早くどっか行ったほうがいいんじゃない? 私の同僚が大通りで警察に連絡入れてるはずだから、すぐにお巡りさんがくるよ」

「なに、……ッ、クソがっ、余計な事しやがって!」


 怒鳴りながらも焦ったように辺りを見回して後ずさり、ついには背中を向け駆け出して行った男に「嘘だよバーカ」と舌を出す。

 戻ってこないことを確認してから、後ろに庇っていた子に向き直る。

 手首にぐるりと付いた赤い跡が痛々しい。

 一部始終を、呆然と見ていた顔と視線が合う。


「大丈夫?」

「……あ、あの……」


 高校生くらいだろうか。暗がりでは解りにくいが、整った顔つきだと思う。

 伸ばしても切っても自由に跳ねる諒の天然パーマと違い、公園の僅かな外灯を反射してさらりと流れ落ちる黒髪。

 靴の厚さを加味して180近い身長になっている諒よりも頭一つ分近く低い体は、未だ肌寒い春の夜には早いんじゃないかと心配したくなるような、デニムのショートパンツに足首までのブーツ。

 肌色が透ける黒いタイツは防寒には向かないけれど、すんなり伸びた足の美しさを強調するにはもってこいのアイテムだ。

 斜め掛けのポーチが横切る、カーキ色の大き目ジャケットからは、ざっくり編んだⅤネックの白ニットが覗く。

 首元や指をじゃらりとアクセサリーが覆っているが、模様の無いシンプルな色合いで服装がまとめられているせいか、煩わしさは感じない。

 全体的に、好みの子だ。

 明るい場所でじっくりと見たい。


「あ、怪しい者じゃないよ。同僚と飲み会の帰りに、路地に引っ張って行かれる君が見えてね。慌てて追ってきたんだ。……余計なお世話だった?」

「っ! いえ! 助かりました! ……あの、ありがとうございます……知らない人に、絡まれちゃって……」


 甘すぎず、かすれ気味の透明な声がまた良い。

 これを機にお近づきになれたらなぁ、なんて下心を、爽やかに見えると人気の笑みに隠して、ポケットからハンカチを取り出して渡してあげる。

 宴会芸で細部まで拘るために用意した男物のそれは、いつも使っているタオルハンカチより吸込みが悪そうだが、恥ずかしがりながらも受取ってもらえたので良しとする。


「戻る前に、手を冷やしてこうか。こっちに水道があるから――」

「……えっと」


 ちろりと上目づかいに見上げられ、はたと気付く。

 この子にとってみれば、先ほどまでいた男も諒も同じなのだ。特に今の言い方では、暗がりに誘い込む不埒な輩と思われても仕方がない。

 慌てて背中にしょっていたリュックを下ろし、名刺入れを掴みだす。

 いく枚か地面にとり落としながらも、なんとか目的の1枚だけをつまみ出した。


「自己紹介が遅れました。私、矢澤諒と申します。入社7年目のしがない事務職ですが、どうぞよろしく」


 ふざけて営業相手に渡すように名刺を差し出し礼をすれば、パチリと目を見開いたあと、ふふ、と笑って受け取ってくれた。整った顔つきがくしゃりと崩れ、それもまた可愛いくて困る。


「ご丁寧に、ありがとうございます。えっと……五十嵐(いがらし)瑠唯(るい)です。琉球の琉に、唯一つの唯。大学1年、です」


 丁寧に漢字まで教えてくれるのは、自分は名刺で見てわかる分、不公平だとでも思ったのだろうか。一つ一つの言動が何とも言えず涼のツボを刺す子である。

 それにしても10歳差か。アリだな。

 なんにせよ、高校生じゃなくて良かった。


「ルイちゃん?」

「え、と……はい」

「また絡まれても嫌だろうから、手、つないでもいい?」


 差し出した手がおそるおそる握られたことにホッとする。変質者の汚名は着せられなかったらしい。

 すんなりと伸びた冷たい指の感触に、恋人つなぎで温めてあげたいなぁ、と勝手に走りそうになる思考を引き締めるのが思いのほか大変だ。


「友達と遊んだ帰りだったんです。駅で別れた後、ちょっとお店、見ようかなって歩いてたら、話しかけられて、無視してたら、腕、掴まれちゃって……」

「そっか。この時間はお酒入ってる人も多いし、変な奴もいるからね。ルイちゃんみたく可愛い子が一人だと、確かに危ないかもね。間に合って本当に良かった」

「あの、リョウさん、も……腕、痛かったですよね……すいません、庇ってもらって、怪我させちゃった」


 歩きながらぽつりぽつりと交わされる会話の途中で、小さな声に謝られる。しゅんと下を向いたせいで、まつげが頬に長い影を落とした。


「あはは、大丈夫だよ。男兄弟がいれば、こんなの怪我の内にも入らないって。ほら、ね?」


 つないだ手に少しだけ力を入れて引っ張ってみせる。殴られた方の腕だ。骨で受けてしまったから衝撃が走ったけれど、どうせあざが出来るくらいだろう。


「でも、……っ?」

「え、なに……っ!!?」


 その時、何の前触れもなく、地面が突然ポカリと抜けた。

 蛍光緑の線で縁どられた直径3メートルほどの黒い穴に、ずぶりずぶりと体が沈んでいく。咄嗟につないでいた手を引き寄せて、琉唯の肩に手を回して抱きしめる。離れてはいけないと思ったのだ。

 あっという間に頭の上までトプンと飲み込まれ、真っ暗闇の空間に放り出された。そのままどこかへ引っ張られるように体が流されていく。


「リョウさんっ!」

「掴まってて!」


 眼を開けているのか閉じているのかも解らない暗闇の中、頼りになるのは触覚だ。互いの身体を抱きしめあい、身を縮める。整髪料か洗剤か、自分の物じゃない爽やかな香りが鼻をくすぐった。

 こんな時なのに、先ほど願った恋人繋ぎができてラッキー、なんて考える余裕があった事を、我ながらおめでたい思考回路だなと諒は思った。





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