古代遺物と精霊
ルーインスの西側に広がる森――フォレリア森林地帯。
「し、死ぬかと思った……」
ハエンは大木を背に座り込み、大地のありがたみを足と尻で受け止める。
実際には数分程度の飛行旅だったが、体感にして数時間、地に足がつく感覚を忘れていた気がする。妙な浮遊感がまだ足に残っていた。
「どう、楽しかった?」
ぐったりとしたハエンにフウは笑顔を向ける。
「……まぁ、少しは」
息苦しかった屋敷の中から、どこまでも広がる外の世界へ。
独りぼっちの追放劇になるはずが、心を許せる友と一緒の二人旅へ。
地に足が着かない恐怖の中に高揚感が無かったと言えば嘘になる。
それでも、しばらくは勘弁願いたいものだが。
しばらく時が過ぎ、気分が落ち着いてきたハエンは周りを見回す。
見渡す限りの緑。フォレリア森林地帯の深い場所に着地したのは間違いない。
フォレリア森林地帯は比較的大きな街の近くにある影響で魔物の出没率が低く、森の中に村があるとも聞いたことがある。
すぐに何かに襲われる心配はなさそうだが、それでも森は森。歩いて外に出るとなると骨が折れそうだ。だからといってまた空を飛ぶのは心臓が持ちそうにない。
色々と考えるべき事はあるが、それらを一度ハエンは思考から追い出し、まずは一番気になる疑問を口にする。
「……なぁ、お前は一体何者なんだ?」
ハエンがそう言った瞬間、フウの動きが固まった。
「あー……やっぱり気になっちゃう?」
そして気まずそうに頬を掻き、目線だけを逸らした。
「そりゃそうだろ。あんなことが目の前で起きて、気にしないってほうが難しいっての」
「それはまぁ、そうかもしれないけどさぁ……答えなきゃダメ?」
「ダメ」
「うー……」
返答を渋るフウだったが、観念したのか溜め息を吐くと、ハエンと向かい合うように座る。
「分かった、答えるよ。ボクは“精霊”なんだ」
さらりと端的に告げられ、ハエンは眼をパチパチさせる。
「せい……精霊……?〈精霊回帰〉ってその精霊ってのを呼び出す技能なのか?……というか、そもそも精霊って何だ?」
特異技能名にもなっているのだから、ハエンにとって精霊という言葉自体に馴染みはある。
だが、肝心のその意味は全く知らない。
技能の使い方の手がかりになると思って調べたことはある。どんな文献にも精霊という言葉については記されておらず、結局諦めるしかなかったのだが。
「そうだなぁ……ハエンは人間でしょ?それと同じで、ボクは精霊なんだよ」
「あぁなるほど、種族の名前ってことか。だけどそんな種族、聞いた事ないぞ」
「それも無理ないと思うよ。だって、精霊がいたのなんて三千年くらい前の話だからね」
「さ、三千年前!?そんな昔の話なのか!?じゃ、じゃあお前は少なくとも三千歳以上って事か!?」
「えっ、そこ!?うーん、最初に気にするところそこかぁ……。ボクたちに寿命はないし、歳なんてどうでもいい概念なんだけどなぁ……」
見た目はハエンと比べても少し幼い。人間でいえば十四歳くらいだろうか。そんな少女が、少なくとも三千歳を越えていると言われれば誰だって驚くだろう。
「昔は精霊って当たり前にいたんだよ。人間みたいに数はいなかったけど、目にするのが珍しくない程度にはね」
「そ、そうなのか……」
にわかには信じがたい話だが、嘘をついているようには見えない。
ハエンは好奇心に突き動かされ、更に質問する。
「じゃあ、人間と精霊ってどんな関係だったんだ?仲良くしてたのか?俺とお前みたいに」
「……うん、まぁ、人間も精霊も基本的には互いに非干渉だったかな。中には人間と共存するのもいたけどね」
「同じような姿してるから関係が深そうだと思ったんだが……そういうもんか。だけどまぁ、少なくとも仲が悪い訳じゃなかったんだな」
「…………」
フウは肯定も否定もせず口をつぐみ、何故か複雑そうな表情を浮かべる。
(……?)
煮え切らない態度に疑問を感じたハエンだったが、フウがそれ以上何も言わなかったので、ひとまず話題を変えるために再度口を開く。
「まさか大昔にそんな種族がいたなんてなぁ……。じゃあ、フウはその精霊の生き残りってことなんだな」
「生き残り……っていうとちょっと違うかも」
「……どういう意味だ?」
「精霊はみんな死んでるんじゃないからね」
「んん?でもさっきは『精霊がいたのなんて三千年くらい前』だって……」
「さっきはそう言ったけど、正確に言えばまだいるんだよ。時間と共に人々の記憶から薄れていって、今じゃそうと認識されてないだけ」
ハエンは考える。
この世界に存在していて、かつ人々がそうだと認識できていない。
幽霊的な何かという単純な話ではないだろう。
フウが人間とさほど変わらない見た目をしていることから、精霊という種族は人間と見た目では大差ない種族なのかもしれない。
(人間の振りをして生きている精霊がいる?それとも何か別の形で存在して……?)
思考を回している最中、ふとハエンは思い出す。
精霊であるフウはどうやって現れたのか。
元々フウは何だったのか。
フウは元々風神剣という古代遺物であり、それが姿を変えたのだ。
そう、ハエンの特異技能〈精霊回帰〉によって。
(精霊回帰……回……帰……?)
回帰――元の状態に戻るということ。
それはつまり――
「…………まさか……古代遺物がそうだっていうのか!?」
フウは躊躇いがちに、しかし確かに頷いた。
「風神剣だけじゃない!世界中に存在する古代遺物全部……精霊が姿を変えたものだっていうのか!?そんな……馬鹿な……!」
「ホントのことなんだよ、ハエン。古代遺物が科学的にも魔法学的にも解明できない力を持ってるのは、根本的に人間とは違うものの力を引き出してるから……。風神剣が風を操る力を持ってたのは、ボクという精霊の力を引き出してたからなんだ」
フウは右手を開き、手のひらの上に小さな風の渦を作り出す。頭上を覆う何層もの樹冠から剥がれ落ちてきた葉が、渦に巻き込まれてくるくると回転した。
それはハエンがまだ幼かった頃、亡き父が風神剣の力を使って見せてくれた芸当に似ていた。
「どうしてそんな事が……生き物が道具に変化するなんて……!三千年前に何があったんだ!」
「…………」
つい数分前までの明るさが嘘のように、フウは静かに押し黙る。そしてしばらく間を空けた後に重々しく、罰が悪そうに口を開いた
「ボクたちをこんな風にしたのは、人間なんだよ」
「…………ぇ……」
風が愕然としたハエンの声を吹き飛ばすように、湿った空気と共に流れていく。
二人の髪がそよめき、森のざわめきが聞こえるほど長い沈黙が場を支配する前に、ようやくハエンは言葉を絞り出すことができた。
「人間……だって……?」
「……似てるようでも人間と精霊は違う。ちょっとした思想や価値観の違いが積み重なって、いつしか互いに争うようになった。憎み合い、時には殺し合い、その果てに人間は精霊を道具に……古代遺物に姿を変える呪いをかけた」
「…………」
「残ったのは人間と古代遺物だけ。精霊は死んではないけど生きてもいない。それが今の世界だよ」
信じたくなかった。
だが、フウは嘘を言っていない。それくらいは分かる。
これが世界の真実なのだろう。
精霊という言葉すら残っていない現代では、それを誰も知らないだけで。
「――ごめん」
出せた言葉は、それだけだった。
遥か昔の出来事にハエンが関与しているはずもない。だが、だからといって関係がないと言ってしまっていいのだろうか。
同じ人間がやったことなら、やはりハエンにも咎はあるのではないだろうか。
――精霊であるフウは、人間であるハエンの事をどう思っているのだろうか。
ハエンは顔を伏せる。親友は今どんな顔をしているのか、見るのが怖かった。
もしかしたら親友だと思っていたのは自分だけだったかもしれない。その答えを知るのが恐ろしかった。
そんな不安と罪悪感に苛まれているハエンに、フウは手を伸ばす。その動きを感じ取ったハエンは唇を噛んだ。
何をされるのか分からなくて、恐ろしくて、まぶたを閉じ掛けた――その時。
「……ブフッ!?」
頬を両手で挟まれ、漏れた空気が唇を震わせる情けない音を発しながら顔を上げさせられる。
その先に、今にも吹き出しそうなフウの顔があった。
「……ぷっ、あっははは!『ブフッ』だって!あははは!ハエンったら変な顔!」
驚き、というより意味が分からず唖然とするハエン。
ひとしきり笑い終えたフウは、そのままハエンの頬をむにむにと動かす。
「……あにょ、フウ?にゃにやってんでぁ?」
「ん?何って……せっかくボクからも触れるようになったんだから、もっとしっかり感触を確かめておこうって思って。ほら、スキンシップも大事じゃない?」
屋敷から飛び出す時もなかなか濃厚なスキンシップだったような気がするのだが、それでも足りなかったのだろうか。
やがて頬から手を離したかと思えば、今度はハエンの右手を取ったフウは、胸の前で祈るように両手で握りしめる。
「ふふっ、やっぱりキミの手は暖かいね」
そして互いの眼が合い、フウは笑顔を浮かべた。
「ボクはキミに感謝してるんだよ、ハエン。古代遺物になってから三千年間、ボクの声を聞いてくれた人は誰もいなかった。どれだけ叫んでも誰も振り向いてくれなかった。家宝だ象徴だなんて言われても、結局は道具としてしか見られなかった。けど、キミだけはボクの声を聞いてくれた」
手を握るフウの力が強くなる。彼女の手の温もりが伝わり、ハエンの中にも暖かなものが広がっていく。
「人間とか精霊とか、そんなのはどうでもいい。ボクはキミがいてくれて本当によかった。そう思ってるよ」
何故だろう。フウの笑顔を見ていると力が湧いてくるような気がする。
今までこうして顔を合わせることは不可能だったからだろうか。面と向かって言われるのは少し気恥ずかしくて、こそばゆくて、嬉しい。
泣きそうになるのをぐっとこらえ、ハエンもまた笑い返した。
「俺もお前に出会えてよかったって思ってるよ、フウ」