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無能の追放

 緑の大地の遥か上。

 家屋や深緑の森林すら遥か下に、少年は空を舞う。


 その黒髪はさざめく風に吹かれて激しく揺れ、その光宿る瞳は決して下を見るまいと遠くの地平線を捉える。口から絶えず絶叫が響き、子供のように暴れながら凄まじい速度で飛んでいた。


「お、おい!どこまで行くつもりなんだよ!!」


 少年は絶叫の合間に、少年を牽引するように手を引いている存在に問いかける。


「さぁ、どこまでだろう。すぐそこまでかもしれないし、もっと遠くかもしれないよ。風っていうのは気まぐれだからね」

「いやもう無理!こんなのいくらなんでも怖すぎるって!い、今すぐ下ろしてくれぇ!!」

「うーん、せめて屋敷が見えなくなるくらいまでは離れた方がいいんじゃないかな」


 少年とは違い悠々と飛ぶその存在は、手を離して後ろを振り返り目を細めた。


「ああああ頼む頼む手を離さないでぇ!!」


 じたばたともがくように手足を暴れさせ、少年は手を前に突き出す。


「落としたりしないから大丈夫だって。もう少しの辛抱だよ」

「無理無理無理死んじゃう死んじゃう!!」

「あははっ、しょうがないなぁ」


 その存在は少年に向かって手を伸ばす。


「それじゃあ行こう!ボクとキミで、どこまでも一緒に!」


 地上から数十メートル離れた遥か上空。二人は風に吹かれ空を舞う。

 その存在は心底楽しそうに笑い、その手を取った少年もまた絶叫を止めて微笑み返す。


 この手に伝わる温もり。

 全身を撫でる激しくも優しい風。

 手が届きそうなくらいに近くなった青空と、足が届かないくらいに遠くなった大地。


 ――きっと、今日という日を忘れることは一生無いだろう。



 ***



 エルイア王国、ルーインス街。

 街を統治する伯爵“エーデリック家”の屋敷。

 その当主の執務室の扉を黒髪の少年――ハエン・エーデリックは静かに開く。


「失礼します、兄上」


 執務するだけにしては広すぎる部屋の奥に置かれた、細かな装飾が施された絢爛な机に座る、少し長めに伸ばされた同じ黒髪の男にハエンは頭を下げる。


「遅い!俺が呼んだら十秒以内に来いといつも言っているだろう!貴様はいつまで経ってもノロマだな!」

「…………」


 兄上と呼んだ男の怒鳴り声を、ハエンは黙って受け止める。

 兄――アスタル・エーデリックが罵倒してくるのはいつものことだった。だからハエンは言い返さない。もはや腹立たしいという気持ちすら沸き起こらなかった。


「貴様、今は何歳だったか?」

「……十七です」

「ハァ……十七にもなってこの程度の事も守れんとは、亡くなった父上が知ったらさぞ悲しむだろうよ」

「…………」


 ハエンは口を一直線につぐむ。

 何も反応が無いことがつまらなかったのか、はたまた反省の態度が見えないことに苛立ったのか、アスタルは大きく舌打ちをすると、高慢な態度で背もたれを鳴らす。


「まぁいい。忙しい執務の合間にわざわざ時間を取って貴様を呼んだのは、貴様に話があるからだ」

「俺に……ですか」


 どうせろくな話でもないだろう、とハエンは内心で溜め息をつく。

 以前、アスタルに呼び出された時は紅茶を淹れてこいと命じられた。それよりも前にはだだっ広い部屋や風呂の掃除をさせられたこともあった。

 それらは全て使用人の仕事であり、曲がりなりにも貴族であるハエンがするものではない。むしろ仕事の邪魔だと使用人たちから白い目で見られた事はよく覚えている。


 それらをアスタルが命じる理由は、単なる嫌がらせである。

 今に始まったことではない。子供の頃からそうだった。何かにつけてハエンを見下し、力ずくで言うことを聞かせるような男だった。

 だから、今さら何を言われようと構わない。いつものように耐えればいいだけの話だ。

 そう、ただ平然としていればいい。いつものように無表情の仮面を被っていれば、アスタルもつまらなくなって何も言わなくなる。


 だが――


「ハエン。貴様には明日、この屋敷を出ていってもらうことにした」

「………………は……?」


 ――予想外の言葉に、ハエンの無表情の仮面はいとも簡単に剥がされた。


「その……今なんて……?」

「この屋敷を出ていけ、と言ったんだ。耳までノロマになったのか?」

「ど、どうして?」

「どうして、だと?よくもまぁ、そのようなすっとぼけた事が言えるものだ。自分の胸によーく問いかけてみろ」

「……っ」


 胸を刺されたように顔を歪ませ、ハエンは押し黙る。


「……エルイア王国の建国時代、当時まだ矮小国だった王国が隣国の侵略に見舞われた際、我々の祖先は王と共に最前線で戦ったとされる。その縁もあってエーデリック家と王家の信頼関係は現代までも続き、父上も王国正騎士団の軍事顧問を任せられるほどの実力と信頼の持ち主だった」


 椅子から立ち上がったアスタルは広い部屋をゆっくりと歩きながら語り始め、やがてその足をハエンの方へと進める。


「分かるか?我々はそんな誇り高いエーデリックの血を引く人間だ。我らは常に誇り高く、高尚で、強く在らなければならない。父上が亡くなった今、それを引き継ぐのは我々の役目だというのに……貴様は何だ?」


 アスタルはハエンの前で立ち止まり、威圧的な目線を送る。


「武術の才能も魔法の才能も無い。技能(スキル)もなければ初級魔法すら使えない。そんな無能がいるというだけで我がエーデリックの名に傷が付く。貴様を追放するには充分すぎる理由だろう」


 貴族の爵位は、基本的にはその家の長男あるいは長女が世襲して当主となる。

 爵位を継げなかった次男以下は別の場に活躍を求める。ほとんどの場合は騎士団に入団し、国のために尽くしつつ、当主となった長男に何かをあった場合に備えながら過ごすことになる。

 しかしアスタルが言った通り、ハエンには戦いに関する才能がない。

 騎士になったところで活躍は見込めず、むしろ恥をさらして家名に泥を塗ってしまう。それが当主を継いだアスタルには許せないのだろう。無能な弟のせいで、自分まで後ろ指を差されるのが。


「だ、だけど俺だって技能(スキル)は――」

「――誰が口答えしていいといった!」


 怒声が聞こえた瞬間に髪の毛が引っ張られる感覚と激しく揺れる視界。無理矢理顔を上げさせられ、直後に床に向かって投げられる。

 自分の力量を大きく上回る力に全く抵抗できず、ハエンは大きく体勢を崩される。反射的に手を動かして床に顔を強打するのは回避できたが、哀れにも床に這いつくばる形となった。


「……無様だな、ハエン。やはり貴様はエーデリックの名を持つにふさわしくない。そうして這いつくばっているのがお似合いだ」

「くっ……!」


 頭の上から侮蔑の色濃い言葉が投げ掛けられ、ハエンは歯を食い縛る。


「だが俺も鬼ではない。貴様に一つ、チャンスをくれてやろう」

「……!」


 チャンスという言葉に一抹の希望を抱き、這いつくばったまま顔を上げたハエンの目に映ったのは――


「俺と貴様……一対一で正々堂々と勝負をしようじゃないか。それで万が一にでも俺に勝てたならば、追放の件は考え直してやろう」


 ――卑しく口角を上げたアスタルの見下した表情だった。


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