第8話 金色に煌めく王女との出会い
肌を突く冷たい空気を纏った朝。
彼方へと広がる蒼穹の下で一人、広場の石畳を箒で掃いていた。
「それにしても寒いな……」
悴む手先に、白く着色されたかのような息を当てる。
学園の時計を不慮の事故で壊してしまった俺とユメルは、レイジュード校長の言いつけにより毎日交代で入口の広場を掃除することになり、初日の今日は俺の当番なため、日の出すぐの早天からせっせと箒を掃いている。
「人が全くいない広場って、ちょっと不気味かも……」
自らの物音以外は静寂に包まれており、ぼんやりとかかった朝霧が余計に孤独を助長させた。
「なんだか、今日から入学っていう実感があまり湧かないなぁ……」
前日までは、未知との遭遇や新しい出会いで心身共に振り回されっぱなしで落ち着ける余裕なんて無かったが、今は早朝のツンとつく冷気にあてられたのが理由なのか、昨日までの心の騒めきが嘘かのように俺の頭の中は妙に冷静を保っていた。まぁ、変に身構える必要がなくなって落ち着いているという意味では都合が良い。
入学式に差し支えないようにと、早めに見積もり五時から始めた広場掃除も、黙々と励んでいたわけあってあらかたの場所を清掃し終えた。それなりに長い時間をこの掃除に費やしていたため、一旦寮に戻って準備と朝食をとる頃合いだと感じ、現在の時刻を確認すべく時計の方へと目を向ける。
「……あ」
そうだ、昨日壊したんだった。
それが理由で、俺今ここにいるんだし。
少し憂鬱になり、はぁ……と溜息を一つ肩を落とす。
身体的疲労から、というわけでは無いが、早朝特有の襲いかかる脱力感に抗えず、その場にへたりと座り込む。
「……初っ端からこんなんで、俺は憧れた妖精騎士になれるのかな……」
目線が自然と床の方に下がってしまい、溜息をもう一つ気分を落とす。
いつもなら引きずって悩んだりはしないが、いかんせん様々な出来事があった締めくくりに学園の時計を壊したため、心が疲弊してしまっているのかもしれない。
小さな声音で、悲観的なことを呟いてしまう。
「なんだかなぁ……」
「……あの、大丈夫ですか?」
突然、ふわっと柔らかい、まるでお日様のような香りが急に鼻腔をくすぐった。
それと同時に、透き通った声によって芽生えていた負の感情に日差しが差し込む。
ほんの一瞬で、その声と香りによって先程までの憂鬱さとは一転、意識がぼーっと心地の良い気分になったのが分かる。
しかし、ついさっきまで独りだったこの空間に、こんなにも優しく包み込んでくれる要素など皆目検討がつかない。違和感と共に声がした方向へと目線を向けた。
「……ッ」
そこには、昇り始めた太陽に照らされ細部まで金色に煌めいた髪を腰の辺りまで靡かせ、深く蒼い鮮やかな海を連想させる澄みきった碧眼の瀟洒な天使が立っていた。
「……?」
ハリがあるきめ細かい肌に、妖精特有の横に広がった耳、潤いがある柔らかそうな唇。美しい身体の曲線美とは裏腹に、主張の強い豊満な双丘は衣服を着用していてもその胸の大きさを物語る。
目の前の、絶世の美貌を有した妖精に見惚れ呆けていると、その妖精は心配そうな声音で、
「私の顔、なんかついてますか?」
「あ、いえ!えっと、どうかしましたか……?」
「通路の真ん中で蹲って溜息をついていたから、つい……」
「ごめんなさい!すぐ道開けます!」
指摘され、石畳が敷かれた通路の真ん中で、通行人を遮る位置で自分がしゃがみ込んでいたことに気が付く。
だが、目の前の妖精はそれとはまた別の部分を危惧していたらしく、ゆっくりと首を横に振った。
「あなたが道を塞いでいたから声をかけたわけじゃないの。朝から暗い顔をして塞ぎ込んでいたから、体調が悪いのかと思って……」
なんだ、本当に神様だったのか。慈悲深い。
俺は神からのありがたい御言に、祈るように手を組みながら、
「大丈夫です神様。心が浄化されました」
「神様じゃないんだけども……。まぁ、冗談言えるくらい元気なら良かったわ」
「ん……?冗談?」
「だって私、神様じゃないもの。ほら、この学園の制服着てるし」
「へー!最近の神様は、下界の制服を着てたりするんですね!」
「だから!私神様じゃないの!」
「じゃあ、俺の夢か……」
「え、本当にどこか体調悪いの?夢でもないし……ほら、ぎゅー」
「いふぁい、こえゆめふぁない……」
ほとほと参った表情をした妖精は、華奢な細い指で俺の両頬をつまみグニグニと動かす。ひんやりとした指が、火照った頬に触れ熱を逃がした。
「うん、大丈夫そうね。じゃあ、私急いでるから行くわね」
「はい。ご心配おかけしました」
そう言うと、愛想良い笑顔を振りまいた妖精は、軽く会釈をして小走りで本館の方向へと向かっていった。
「すっごい綺麗な人だったな……。名前だけでも聞いておけばよかった」
誰へ届くわけでもない独り言をボソッと呟き呆けて突っ立っていると、聞き馴染みのある男の声が俺の名前を呼んでいることに気がつく。
「おーいリオー!寮母さんが早く帰ってこないと朝ご飯なしにしますよー!だって」
「それはマズい!すぐ道具片付けて戻る!」
「しょーがないなー。僕も手伝ってあげるよ」
ユメルはいつも通りヘラヘラと笑いながら、俺が掃除で使用したゴミ袋を抱える。
「ほら早く行こー!もう僕、お腹ペコペコだよ」
「分かった!分かったから手を離せって!」
ユメルに腕を引っ張られ半ば強制的に走らされながら、さっきの出来事を思い出す。
……凄い美人で女神のような妖精と話すことができたし、この朝掃除も意外と悪くないかもな。
理由は分からないが、あの妖精と出会ってから心臓の高鳴りが止まず、明らかに鼓動が早くなっている。
「あの人の言う通り、本当に体調崩したのかな……」
自分の胸に手を添え、鼓動を確かめる。
他の体の異変を探ろうとしてみるが、これといった変化も見当たらない。
「まぁいっか!多分大丈夫でしょ!」
こういう時は楽観的に考えるのが一番!戻って入学式の支度をしないといけないし、ユメルの言う通りお腹も空いたしな。




